第3話 妹と過ごす久しぶりの朝

 クローゼットの中の鏡で自分の鏡を確認した後、大貴は衝撃の現実に直面した。しばらく動けなかった。しかし、妹の愛李の言葉で我に返る。


 先に愛李を1階に降りるように提案し、大貴は高校の制服に袖を通した。上下紺色のブレザーとズボンに身体を通す。制服を目にするだけで、高校時代の色々な過去の記憶が脳内にフラッシュバックする。ほとんどがあまり良い思い出ではない。


 懐かしさに浸りながら、大貴は自分の部屋を退出し、階段を降りて1階に向かう。何年ぶりかの階段を1段1段ゆっくり降りる。


 しばらく降りると、1階に到着する。階段とリビングは繋がっており、リビングのテレビやソファが大貴の視界に自然と入る。


「あ、お兄ちゃん。やっと降りてきた! もう朝食の準備は出来てるよ。早くしないと先に食べちゃうよ? 」


 上下緑のブレザーとパンツの制服を身に纏う愛李が、呆れ顔で大貴に呼び掛ける。


 食卓には愛李の準備した朝食が載っていた。


(そうだったな。うちは両親が仕事で忙しくて家を空けてるから、料理や洗濯などの家事は全て愛李がこなしていたな。当時、俺は全く手伝ってなかったな…。弱音や愚痴を溢さなかったけど、愛李は大変だっただろうな)


 過去の自身の行動を反省し、軽く返事をして、大貴は食卓に向かう。


 大貴の実家の食卓にはイスが無く、床に直接座るタイプの物だった。そのため、大貴はあぐらをかいて食卓に座る。


 食卓には白米に具沢山の味噌汁、目玉焼きとソーセージが載っていた。味噌汁にニンジン、たまねぎ、大根、かまぼこが入っている。


「はい。醤油と海苔ね。醤油は目玉焼きに、海苔はご飯と一緒に食べてね」


 醤油と海苔がそれぞれ入ったプラスチックの容器を食卓の真ん中に置き、愛李も食卓に腰を下ろす。


「うん。ありがとう。美味しそうな朝ご飯だね。作ってくれてありがとう」


 過去には絶対に言わなかったお礼を、大貴は口にする。無償でやってくれることは当たり前ではない。社会人として働いて、痛いほど理解した。


 今だから分かる。愛李の存在や行いが、どれだけ有難かったかを。だから、素直に感謝の気持ちを口にした。これは非常に大切なことだから。


「!? お兄ちゃん、いきなりどうしたの? 大丈夫? 何か変だよ。もしかして熱とかあるの? 」


 驚いた様子で食卓から立ち上がり、愛季は大貴の額に自身の手を当て体温を確認する。


 大貴の額に愛李の手の温もりが伝わる。


「全然熱くない。どうやら熱は無いみたい。おかしいな~」


 大貴の額から手を離し、愛李は考え込むように首を傾げながら両腕を組む。


「おいおい。そんなに変だったか? 当然のことをしたまでだぞ」


 呆れ顔を作る大貴。


「すごい変だよ!! 違和感しかないよ!!! 今まで愛李が家事をして御礼を言われたことなんて無かったよ。1度もだよ!! 」


 立ったまま愛李は理由を力説する。愛李にとって驚愕する出来事だったのだろう。


「でも。…お礼を言ってくれて嬉しかった。…ありがとう、お兄ちゃん」


 少し落ち着いたのか。食卓に腰を下ろし、照れ隠しするように大貴から視線を逸らし、わずかに頬を赤くする愛李。


(うお!? うちの妹って可愛いな。こんな妹と俺は疎遠だったのか。本当に愚かだな)


 胸中で自分を責めて反省した後、前のめりの姿勢になって、大貴は思わず愛李の頭を優しく撫でる。


「んっ。お兄ちゃん~。子供扱いしないでよ。愛李もう中3だよ」


 文句を言いつつも、半目を閉じ、気持ちよさそうな顔を見せる愛李。満更でも無さそうだ。


 愛李の言葉に返答せず、大貴は無言で頭を撫で続ける。それほど妹が可愛らしかった。


「お兄ちゃん、そろそろ、朝ご飯食べないと冷めちゃうよ? 愛李の作った料理が美味しくなくなっちゃう」


 気持ち良さそうに無防備で頭を撫でられながらも、愛李は食卓に載る朝ご飯を指差す。


「確かにそうだな。せっかく愛李が朝早く起きて手作りしてくれた朝ご飯だもんね。じゃあ、ここら辺で撫で撫では終わりにする」


 大貴は、しっかり手入れされた愛李のサラサラの黒髪から手を解放する。


「あ…」


 大貴の手が頭から離れ、愛李は名残惜しそうな顔を浮かべる。本心では、まだ撫で撫でして欲しかったのかもしれない。


「うん? どうしたの? 」


 愛李の反応に違和感を覚え、大貴は不思議そうに問う。


「え? ううん。な、何でもないよ!! 先に朝ご飯食べてて。ちょっと洗面所で顔洗ってくるから!! 」


 なぜか慌てた素振りで両手を左右にバタバタしてから、勢いよく立ち上がり返事も待たずに、愛李は洗面所に向かう。


「う、うん。分かったよ。先に美味しく頂くよ」


 突然の愛李の言動に対応できず、大貴はぎこちない返事をする。そして、いただきます、の挨拶をしてから、朝ご飯に箸を付ける。


 一方、愛李はダッシュで洗面所に到着し、引き戸を勢いよく閉める。


「はぁはぁ…。お兄ちゃん、いきなりどうしたんだろう。…昨日とは別人みたいだよ」


 洗面所に到着したにも関わらず、顔も洗わず、愛李は貧弱な胸の前で右手を握りながら呟く。


「それにしても。お兄ちゃんから、お礼を言われた上、褒められちゃった。何年ぶりぐらいに頭撫で撫でもして貰っちゃった。大好きなお兄ちゃんから」


 にんまりと、だらしない笑顔が零れる愛李。よっぽど嬉しかったのだろう。


「これから家事とか勉強をもっと頑張れば、もっと褒めてもらえるよね。もしかしたら頭撫で撫でも沢山して貰えるかも。家事や勉強で手を抜いたことは無いけど、今以上に頑張らないと。そして、もっとお兄ちゃんにアピールしないと」


 胸の前で両拳を握り、密室の洗面所で、愛李は1人で意気込んだ。

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