第7話 変身と再会と


 翌日、光のシャワーで再び男の体に戻った。どういう訳か、昨日、引き裂かれた服まで付いてくる。耳に入れられた青いボタンのような翻訳機は、シーヴの部屋から出る際に取り去られた。

 別れ際にシーヴがにっこり笑って何か言う。しかし、藤崎にはもう全然理解できない。


 藤崎は、シーヴの船から光の柱のエレベーターで、自分のアパートの前に降ろされた。上空を見上げたが円盤も飛行物体も、影も形も無かった。

 藤崎は一人アパートの前でどんよりと落ち込んだ。


(どうせ俺みたいな奴は、相手にされないだろうけどさ。一夜限りの伽か。俺にだって、少しぐらいのプライドはあるんだぞ)

 昨日の夜の出来事を想うと、頬が真っ赤に染まる。冷や汗がタラタラ出る。

 一番の反則はエイリアンが女じゃないことだ。これでどうやって愛し合えと……、一応愛し合ってしまったのか。


 そこまで考えて藤崎は今度は青くなった。

 シーヴはエイリアンがトカゲではないと言った。もしかして人間に卵を産み付ける昆虫人間とか、人間に寄生する植物人間とかだとしたら……。


 藤崎は怖気を震って階段を駆け上がり、自分の部屋に駆け込んだ。服を全て脱ぎ捨てて急いでシャワーを浴びる。体中を洗い流したが、昨夜シーヴの男性器を迎え入れた器官は今はどこにも無い。


 溜め息を吐いた。自分の馬鹿さ加減が笑えてしょうがない。恐ろしくて仕方がないのに、泣き出したいくらいなのに笑える。もう、どうしようもないのに。


 シャワーに咽て、よろよろとバスルームを出た。

 バスタオルで身体を拭ってふと鏡を見る。鏡に映っている藤崎の身体のあちこちに、赤い跡が散らばっている。首筋とか肩、胸とか腹、太股の辺りにまである。

 一体これは何だろうと、キスマークなぞ見た事のない藤崎は、もう一度鏡の前で恐ろしさに震える。


 一人でアパートに居るのは怖い。その日はウィークディで休みではない。身体のあちこちが痛くて体調は最悪だが、有給を取らずに服を着替えて会社に向かった。


 いつもと同じように電車に乗って、いつもと同じように会社に着いた。いつもと同じように仕事を始めたつもりだが、その日、安斎係長の小言は殆んど飛んで来なかった。



 恐怖心が強すぎて忘れていたが、会社に出て仕事をして、いつもの日常が戻ってくると身体の違和感を思い出した。


 昨夜シーヴのものを受け入れた器官は無いのに、その辺りが痛い。腰はだるいし、何か挟まって歩き辛い感じだし、熱まで出てきたようで、倦怠感がどっぷりと身体を覆う。


 いつもの半分も仕事が出来なくて、ぐったりとそこらにある椅子に腰を下ろすと、すかさず係長の安斎が飛んで来た。

「藤崎君。どうしたんだね!?」

 唇が捲れあがって、今にもいつもの何倍もの小言が吐き出されようとしている。しかし、藤崎が熱に潤んだ瞳でぼうっと見上げると、息を呑んだ。


 いつもの小言が聞こえて来ないので藤崎の方が首を傾げる。

「どうかしたんですか? 安斎係長…」

 語尾が掠れたのは、安斎が奇妙な顔付きで藤崎を見ているからだ。


 どうしたというのだろう。まさかもう、エイリアンの生みつけた卵が孵化したとか、寄生植物が芽を出したとかで、藤崎の養分を啜っているのだろうか。


 藤崎は半分ミイラになりかけた自分の顔を思い浮かべて、サーと青くなる。

 しかし、安斎係長はよろよろと椅子から立ち上がろうとした藤崎を手を振って押さえて、信じられない言葉を吐いたのだ。


「疲れているんだろう。いいよ、藤崎君。ここはもういいから、帰って休みたまえ」

 青天の霹靂である。こんな優しい言葉が出せるなんて、今までの安斎係長からはとても窺えない。

 藤崎はまじまじと安斎係長の顔を見たが、その表情は揶揄も皮肉も含んでいない。心底心配そうな顔付きである。


 安斎係長は女性社員、特に若くて可愛げな、あるいは綺麗っぽい社員には、優しくて親切な係長であった。その分、藤崎に対して風当たりがきつかったのだ。それがこの変わり様は何だろう。


 だが今の藤崎にとっては、安斎係長の変身より、帰れという言葉の方が恐怖であった。アパートに帰って一人恐怖に震えたくない。


「大丈夫です。どうもありません。仕事をします」

 必死でそう訴える。しかし、係長だけでなく女性社員までが心配して「早く帰った方がいいわよ」と言い出した。

 多勢に無勢、藤崎はあっさりと会社から追い出されてしまった。



  ◇◇


 仕方なく、とぼとぼと電車の駅に向かって歩く。

 昨夜、この道で藤崎はシーヴに攫われた。今日はまだ昼前で、あくまで明るい道路にはトラックやら営業車がひっきりなしに走っていて、昨夜の出来事などまるで嘘のように思える。


 真っ直ぐ帰りたくないけれど、身体の方は休息したいといっている。溜め息を吐いて駅に向かっていると、一台の車が道端に止まった。藤崎も知っている高級外車である。サングラスをした男がウィンドウを開けて顔を覗かせた。


「藤崎!?」

 サングラスを外すと、涼しげな目元をしたイケメンが現れる。どこかで見たことがあると考えて思い出した。ついこの前、藤崎の書いている話の登場人物に使った男だ。


「もしかして甲斐か?」

「当たり」

 甲斐は爽やかに笑う。

 藤崎の書いた話と、若干どころかかなり違うけれど、甲斐と会ってしまった。

 いつも自信のない藤崎と正反対の自信に溢れた男は、開いたウィンドウに肘を乗せて、そのまま車の中から訊く。


「お前、興国繊維に勤めているの?」

 藤崎の勤めている会社の名前を聞いた。

「そうだけど」

「ウチ、今度取引することになったんで、出張で行ったら、お前を見かけてさ」


 そういえば最近、納入先に甲斐の父親の会社「ワールドファクトリー」を見た。そうか。甲斐は大学を出て父親の会社に入ったのか。

「退社には早い時間だけど、どこか行くのか?」

 チラッと腕の時計を見て聞いてくる。

「いや、気分が悪くて早退するところだ」

「そういや顔色が悪いな。乗れよ。送ってやる」

 甲斐は相変わらず気さくな男だ。

「いいのか?」

 と聞いたが簡単に頷かれ、しんどくて、一人になるのが嫌だった藤崎は、甲斐の車に乗り込んだ。


 助手席の堅いシートに収まると車は滑るように走り出す。藤崎の案内するアパートに向けて車を走らせながら甲斐が聞いた。

「藤崎、変わった?」

「え…、何が?」

 甲斐の言葉の意味が分からなくて、藤崎は首を傾げる。

「いや、なんかさ。高校の時のお前って、お堅い印象しかなかったからな」

「そうか?」

 自分では分からない。

「せっかく再会したんだし、しばらくこっちに居るから、週末にでも飲みに行かないか?」


 甲斐が思いがけないことを提案してくる。自分みたいな目立たない大人しい人間を誘ってくれるのが嬉しい。週末といわず今すぐにでも行きたいところだが、生憎まだ昼前だった。


「俺でよかったらいつでも行くよ」

 藤崎がそう返事すると、甲斐はさわやかに笑う。

「それまでに体調を治しておけよ」

 ちょうど車は藤崎のアパートに着いた。

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