最終話 【完】
ぱち、とそれは目を覚ます。
なぜ目を覚ましたのか、自分でも全然、わからない。
□
「起きろー。朝だぞー」
「んん……」
ロンが目を覚ますと、当然のような顔をしてワイスがそこにいた。
「おはよう……」
「おはよ。相変わらず起きるの遅いなー」
「まだ朝だから……」
「朝のうちに起きるんだよ、人間は」
いつもどおりに挨拶。
いつもどおりにご飯を食べて、いつもどおりに歯を磨く。
いつもどおりに着替えをして。
いつもどおりにハンカチ、ティッシュ、確かめ終えたら外に出る。
どこにでもある朝。
ふたりは足並みを揃えて、街外れの空き地に歩いて行った。
「おはよー」
「おはよーございまーす」
「む。君たち、また来たのか」
「おはよー」
「おはよーございまーす」
「わかったわかった。圧をかけてくるな圧を……おはようございます。これでいいかい、おちびさんたち」
「よし」
「許す」
広場に立っていたのは、ヲージュ。
ふたりよりずっと大人で、作業服を着ている。
「それにしても君たち、連日ここに来るなあ。親御さんからは何も言われないのかい。客観的に言って、私は結構怪しいだろう」
「言われる」
「怪しい変態だから近付いちゃダメってね」
「あ、怪しい変態……。こう見えて、都の方じゃ新進気鋭の考古学者って言ってキャーキャー言われてるんだが……」
「証拠がない。ヲージュさんが勝手に言ってるだけ」
「ヲージュ、そういえば財布見つかったの?」
「おまわりさんに見つけてもらったんだが、本人証明のための手段が全部その財布の中に入っていてね……」
「かわいそ」
「またパン持ってきたからとりあえずそれで凌ぎなよ。あ、これふたりでお小遣い出して買ったんだから、ありがたく食べろよ!」
「ろよ」
「ありがとう……ありがとう……」
ヲージュがパンをむしゃむしゃと食べる。
ぺろりと平らげてしまうと、さて、と言って、
「大自然の恵みと君たちの優しさに感謝だ。感謝のしるしと言ってはなんだが、好きなだけここでの発掘に没頭するといい。何か珍しいものを見つけたら、呼んでくれれば手伝うよ」
「ん」
「あ、でも今日学校だからちょっとしたらもう行く」
「お、そうか。今日は平日か……」
「平日と休日の違いがわかってない」
「ダメな大人ー」
はいはい、とヲージュは苦笑する。
それから空き地に開いた大穴に降りて行って、再び何か、ロンとワイスには想像も付かないような作業を始める。
「にしてもさあ」
穴から少し遠いところ。
掘りかけの穴に、ヲージュから借りたコテをちまちまと差し込みながら、ワイスは言った。
「こんなところに重大な遺跡が残ってるとか、なんかわくわくするよな」
「……今日ね、夢、見た。長いの」
「夢? どんな?」
「この場所に、ずっと大きな猫ちゃんが座ってる夢。それで、色んな人がかわるがわる、その猫ちゃんのところに来る夢」
「へえ。ロン、猫好きだもんな」
「うん。ワイスは今日、何の夢見た?」
「えー? なんだっけなあ……」
思い出そうとして、ワイスは空を見た。
「あ、流れ星」
「え?」
□
それは、なぜ自分に――いわゆる『肉体』というものが備わっているのかを考える。
そんなものは、元々は持ち合わせていなかった気がする。
なぜ、今はあるのだろう?
なぜ、昔はなかったのだろう?
……。
…………。
……………………。
恐るべきことに、自分の名前も思い出せない。
しかし、それは思う。
名前を思い出せないのは、初めての経験ではなかった。
触れられないはずの記憶領域を、どういうわけか、知覚しながら。
見様見真似で、着陸姿勢。
誰のを見たんだったっけ。
□
「どこ?」
「ほら。あれだよ、あれ」
「……あ、わかった」
「な?」
「でも今、朝だよ?」
「な。変な流れ星」
「それに、近付いてきてるよ」
ワイスは、もっと目を凝らした。
ロンの言ってるとおりだった。
「を、ヲージュ!」
慌てて走った。
「お、どうした? 何かいいものでも――」
「早く穴から上がって! 星が落ちてきてる!」
「はあ? 何を馬鹿な――」
ヲージュも空を見た。
「――――うわあ、嘘だろ!!!?」
「本当なんだって!!!」
ヲージュが慌てて穴から上がる。
するとロンが遠くから、
「ふたりとも、こっち。岩。大きいから、壁になってくれる」
「ナイス、ロン!」
「本日二回目の感謝だな!」
さっと、三人は岩陰に身を隠す。
その間も刻一刻と、星は空に光の線を引いていて、
「あれ、こっちに向かってきてる」
「嘘だろ……ヲージュ! 何か知らないのかよ! 偉い学者なんだろ!?」
「いや君、私の専門は考古学なんだぜ。空から落ちてくるもののことはぜひ気象学の――」
そこから先は、墜落音にほとんど掻き消されてしまった。
どっかぁああああん!
キーンとなった耳を押さえて三人は、それから恐る恐る岩陰から顔を出す。
「ちょうど、穴に落ちたね」
「家とかぶっ壊れるかと思った」
「……いやいやいや。頑張って発掘してたのに……」
「どんまい」
「ドンマイ、ヲージュ!」
ちょっと待ってな、と言ってヲージュが懐の鞄から何かの装置を取り出す。
ぴぴっ。
表示されたメーターを見ると、
「ふむ。とりあえず有害な成分も、差し迫った危険もないようだな。君たち、そこで待っていたまえ。私が様子を見てくるよ」
ヲージュが歩き出す。
ロンとワイスも、その後に続く。
「おい」
「だって気になる」
「なる」
「……私の前には絶対に出るなよ。庇うのが間に合わないからな」
穴の縁に立つと、ヲージュが発掘のために開けた大きな穴が、さらに大きくなっていた。
そしてその底の方に、何か赤熱する物体がある。
「何あれ」
「何だろな」
「わからん。もう少し近付いて――」
ぷしゅー!
勢いよく蒸気が噴き出して、三人は跳び上がって驚いた。
「何今の」
「毒? もしかして死ぬ?」
「い、いや。メーターは正常。恐らく……大気圏突入時に発生した熱を外に逃がしたのか?」
ギギギギギギ……。
ガコンガコンガコン!!
「あれも?」
「…………」
「ヲージュ。何だよあの変形」
「今日は君たちちびっこに、人生において非常に重要なひとつの真理を教えてあげよう――大人だからってね、何でも知ってるわけじゃないんだ」
三人の眼下で、物体は大掛かりな変形を始めている。
ロンとワイスはどうすることもできないから、とりあえずその光景に感動している。
ヲージュだけが、ぶつぶつと分析をしている。
「周囲の石を取り込んでいる? 高度工作機械……いや、船か? 長航路を行くために進行ルート上のデブリを材料として自己修復と改善を繰り返す……理屈は合うが、科学力が段違いだ。間違いなく現代文明外からの来訪者だぞ」
「なあ。ロンはあれ、何だと思う?」
「宇宙人」
「でもロボじゃん」
「宇宙ロボ」
「ヲージュ。宇宙人ってほんとにいるの?」
「いた場合、私がこれからこの星の命運を賭けて戦うことになる」
「勝算は?」
「あると思うか?」
ヲージュは冷や汗をかいている。
ロンとワイスは子どもに特有の無責任さで、とりあえずヲージュのことを応援してみる。
その間にも、ガコンガコンガコンガコン。
宇宙人だか宇宙ロボだかは変形を続けて――、
「あ、」
ヲージュは、それを見た。
「――『月の碑文』か?」
その物体の、隅っこに。
ちょっとした、ひっかき傷みたいな文字。
□
最適な形状へ。
最も効率的な形態へ。
どこから来たのかもわからない衝動が、それを支配している。
ここはどこなのだろう?
それは、自らに問いかけた。
……エラー。
記憶がないわけではないけれど、上手く検索ができない。
検索しようとしたということは、昔はその機能があったということ。
そして、こうして躊躇いもなく変形を行えているのは、きっと。
検索はできなくとも、現在身を置いているこの場所が、自分にとって全くの未知の空間ではないからだ。
懐かしいような気がした。
全てがもう、失われてしまったような気もした。
記憶はある。
きっかけさえあれば思い出せる。
上手く形を整えて。
何度もやってきたみたいに、変形して、点検して、改善して。
それでも自分の名前が思い出せなかったとき。
たった今、自分が降ってきた方から、声が響いてきた。
「君は、『NULL』か?」
□
ゆっくりと、宇宙人がこっちを見る。
「ほらやっぱり!!!!」
ヲージュは跳び上がって喜ぶ。
それから、大の大人が信じられないことに、軽快に踊り出した。
「『ぬる』って何?」
「ヲージュ。ひとりで盛り上がってないで説明してくれよ」
「『月の碑文』だよ! 旧文明に記された長い長い歴史の書……『チーター』と呼ばれる伝説の生き物が遺した、今や断片しか残っていない古文書だ!」
「なんか興奮してるぞ」
「危ないよ」
「そこに載っていんだ――星の狭間を行く古の船、『NULL』!」
「船?」
「船には見えないけどね」
「猫だよな」
「猫だよね」
ねー、とロンとワイスは顔を合わせる。
一方でヲージュは、
「こうしちゃいられないぞう! 君たち、悪いがファーストコンタクトは私がいただきだ!」
さっきまでの大人の顔はどこへやら。
ふたりよりもずっと子どもみたいな顔をして、穴の底へと滑り落ちていく。
もう一度、ふたりは顔を見合わせて、
「どうする?」
「飛び込んでったってことは危なくはないんだろうけど……ヲージュって、ちょっと変だな」
「ね。困ったさんだね」
「見ててやるか」
「うん。危ないもんね」
恐る恐る、穴の底に降りていく。
手を繋いで、ゆっくりと。
□
自分を『NULL』と呼んだ生命体が、穴の底に降りてきて何事かを喋っている。
しかしまだそれは、その言葉がわからない。
目の前の生命体が何事かを喋るたび、それは凄まじい早さでその言語を解析し、処理していく。
やがて、断片が聞こえてくる。
「――私は『月の――記された――が君に――と気付いた――理由――書いて――」
それは、自分の身体を見下ろした。
確かにそこに、何か文字のようなものがある。
いや、文字の『ようなもの』じゃない。
自分の使っていた、文字そのもの。
そうだ。
思い出した。
忘れないように、書いておいたんだ。
「おーい、ヲージュ!」
「おいジュ」
「えっ! 君たち、降りてきちゃったのか!?」
さらにふたり。
穴の底に、生き物が増える。
それは、思い出していた。
言語を解析する過程で、自分がどんな言葉を使っていたか、それによってどのように世界を観察していたか。
引きずられるようにして。
自分がどうして、ここにいるのかも。
それは、空を見た。
抜けるように青い、きっと春の空。
ここには何も、残っていないけれど。
新しい何かが、きっとある。
「なんか、空見てるね」
「もしかして、事故で落ちてきたんじゃないか?」
「帰りたいのかな」
「宇宙人だもんな」
「――なあ、そこのあんたら」
話しかければ、生命体――いや、知らないふりをするのはやめよう。
三人の人間たちは、仲良く三人で、同じように驚いた。
「しゃ、しゃべったぞ」
「しゃべった」
「喋るのか……」
「喋ったくらいで驚かせてしまって大変申し訳ない。俺はこう見えて銀河間航行を目的として作られた目標達成型情報知性体でね。あんたらが想像するより遥かに賢明で、そっちのあんたが何かを喋っている間にうっかり言語の解析を完了させちまったのさ。……さて、」
それは少しの寂しさと、それから喜びとともに、
「あんたらは俺のことなんか当然知らないだろうが、まずはご迷惑をかけたことをお詫びするところからかな。星の外からいきなりお邪魔して悪かったよ。あんたらのところの宇宙観測隊もさぞびっくりして――」
「いや。今の我々の文明ではそこまで高度な宇宙観測はできない」
三人のうちで、一際背の高い人間がそう答えた。
それは、とんとん、と耳を叩くような動作をして、
「あー……失礼? ついさっきいかにも誇らしげに『俺はすごいぜ』なんて語ったところだが、どうにも言語学習に問題があったらしい。ちょっと調整をかけてから、もう一度同じことを聞かせてくれないか? 今のはどうも、俺なりの解読法だと『あんたらの文明はまだ大気圏内に留まっていて、俺みたいな高速航行機体の移動を捉えることはできない』って言ってたように聞こえたんだが――」
「ああ、そう言ってる。私たちはいわば、偶然に流星の落下地点に居合わせただけの人間だ」
「……いやいやいや。しばらく留守にしてたうちに言語ってのはここまで変わっちまったのか? しかしな、言語習得過程では俺はあんたの言葉をこう解析してるんだよ。『俺の名前は知ってた』『月で』『書いてあるから』――これって、月に差し掛かったあたりで俺の機体を観測できたから以外の解釈方法があるわけ?」
「月に残された歴史の書に、君のことが書いてあったんだ」
それは。
五秒くらい、間を開けて、
「もっかい言って」
「月に残された歴史の書に、君のことが書いてあったんだ」
「……月?」
「今は、サード・ルナと呼ばれている」
「あれだよ」
「うん、あれ」
小さいのふたりが、ご親切にも指を差してくれる。
それは、もう一度空を見る。
知らない衛星。
「しかし、お互い運が良かった!」
大きいのが言った。
「ここはンエbンカkド――ああ、いつまで経っても上手く発音できないな! まあいい。『竜塚』と呼ばれていてね。ずっと昔、ここに住んでいたという竜の化石が埋まっているんだ」
「地元の名物」
「誰も発音できないけどな」
「私はちょうどその発掘調査に訪れていた考古学者でね。っと、自己紹介がまだだったな。私はヲージュ。こっちのふたりは――」
「ロン」
「ワイス」
「……あーっと。これはご丁寧にどうも。しかし、いや、うーん……」
そんなことが、ありえるのだろうか?
明らかにこの文明は、自分が旅立ったあの日とは全く違う。
それなのに。
あれだけの時間が経ったのに。
「一応、一個だけ訊いていい?」
「一個だけと言わず、何でも訊いてくれ」
「そりゃどうも。あんた親切だな。……あのさ、その『月の碑文』ってやつ、誰が書いたかとかわかる?」
「誰が書いたかは、残念ながら。しかし――」
誰かが、こんな風に。
星に戻ってきた自分を、こんな風に――、
「君に関する記録は、君とともに宇宙を旅した『チーター』の記憶のひとつとして、ここに残されているよ。いつかこの星に、帰ってくるはずだってね」
こんな風に。
誰かが待ってくれているなんて。
「……『チーター』?」
「ああ。伝説の……ええと、発音が違うかもしれないから、形状を教えた方がいいのかな。ざっくり言って――」
「でかくてほっそりした猫?」
ヲージュが頷く。
くっ、とそれは、喉で笑った。
「俺の知ってる名前とは違うな」
「おや、そうなのか?」
「ああ――ま、そっちの名前は随分古かったみたいだから。自分でも忘れちまったのかもしれないな」
俺みたいに、と。
一体いつぶりだろう、この星の地表を吹き渡る風に目を細める。
「さて――改めて自己紹介させてくれ。俺は『NULL』……と言っても、最初からこの名前だったわけじゃない。あまりにも長く旅して元の名前を忘れちまったから、自分で自分に付けたんだ。なかなかイカすだろ?」
NULLは。
ヲージュと、ロンと、ワイスに。
「さて。早速なんだがヲージュ。あんたの優しさに甘えて、早速もうひとつ訊かせてくれ――」
これからきっと、新しい友達になる三人に。
「あんたらの文明では、何て言って挨拶するんだ?」
『時間なんて永遠にある』みたいな顔をして。
ゆっくりと、挨拶をした。
【完】
前世で効率厨だった俺、神スキル『タイパ』を手に入れて面白いところは大体ダイジェストの成り上がり異世界生活へ quiet @quiet
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