姉に全てを奪われるはずの悪役令嬢ですが、婚約破棄されたら騎士団長の溺愛が始まりました

綾部まと

氷の侯爵と、聖女の姉の浮気現場に遭遇しました

月は眠り込んだ自宅の上を滑りつつあった。


「ただいまー」


メイドたちも寝静まっている。

先に休んでおいて、と伝えてあったから。


玄関先に飾ってある、鏡の私と目が合った。


十八歳という若さ、豊かな金髪、すべすべの肌。

何よりクララには、ベルモント家の財力がある。


「女子が必要とするものは、全部持ってるんだけど……」


ため息をついて、階段を上がった。

自室を通り過ぎて、隣接する姉ソフィアの部屋へ向かった。


「姉さま、もう休んでるかな?」


私は勢いよく扉を開けた。

先に待ち受けていたものは……


「ですよねー」


確かにソフィアは、ベッドで休んでいた。

一糸まとわず、氷の侯爵と共に。


彼は、私の婚約者だった。



「お楽しみだったようね、姉さま」


ソフィアは飛び起きて、ぎょっとした顔で私を見た。

横にいる氷の侯爵は、すやすやと眠っている。


「クララ!?美食旅行に出かけたんじゃなかったの!?」

「宿泊先のホテルが全焼したの」

「相変わらず、悪運が強い子……!」


彼女は聖女で、艶のあるボディの持ち主だ。

妹の私が見ても赤面してしまう。


「あ、続きは言わなくても大丈夫。婚約は破棄だよね?」


ソフィアは私をにらみつけた。

さすがヒロイン、怒った顔もかわいい。


「お幸せに、姉さま」


氷の侯爵を起こさないように、私は扉を閉めた。

心の中で、そっと彼に別れを告げる。

彼らに顔を見られなかったのは、幸運だった。


「ふん。悔しそうな顔なんて、絶対に見せてやらない」


重い足を引きずって、自室へ向かう。

この展開は知っていたけど、辛いものは辛い。


「はあ、こういう日は寝るに限るよね」


広い部屋に、独り言が空しく響く。

ベッドに入り、ぎゅっと目を閉じた。



「……眠れない」


ふかふかのキングサイズのベッドの上で、寝返りを打った。


「割と気に入ってたんだけどなー、氷の侯爵。ま、仕方ないか」


ソフィアは乙女ゲームのヒロインだ。

氷の侯爵と結ばれた後で、別の男性とも結ばれる。


妹の私は、ヒロインの邪魔をする悪役令嬢。

ゲームでは5人の男性と良い感じになった後に捨てられる。


「あ、そうか。良いこと考えた!」


私は思った。この茶番をあと4回繰り返す必要はない。

捨てられる前に、自分からフラグを折りに行こうと。



数日後。星の輝く、気持ちのいい夜。

私は、全速力で街を駆け抜けていた。


「もう、ドレスが邪魔で走れない……うわ!」


盛大に転んでしまった。膝から血が出ている。


「うー。この、石畳みめ」


いつもは愛らしい中世のような街並みが、今は憎らしい。

なんとかして立ち上がると、ある男性に話しかけられた。


「大丈夫ですか?君は……」


私は彼を見上げた。灯りが逆光となり、よく見えない。

濡れるような黒髪と、漆黒の瞳が、かろうじて見えた。


「え、第二王子?」


それは私が会いたくなかった、張本人だった。

彼と遭遇する前に、家に戻りたかったのだ。


「……違う。彼は僕の双子の兄だ」


一瞬、傷ついたような表情が見えた気がする。

似ていると言われるのが、そんなにも嫌なのだろうか。


「こんな美しい方が、夜道を歩いていては危ないよ」


彼は私の手を取った。大きく、あたたかな手だった。

どこか懐かしさを感じていると、彼は言った。


「家まで送ろうか?」


私は彼の手を払いのけた。

彼は目を見開き、黒々とした瞳に吸い込まれそうになった。


「お断りします」

「どうして?」

「お答えできません。では、失礼します」


唖然としている黒髪イケメンを残して、

私は闇の中を駆けて行った。


「なぜって、答えられるわけないじゃん……」


第二王子の関係者ということは、

間違いなく第二王子ルートに進むのだろう。


そして、私は知っていた。

第二王子ルートの行く末を。


第二王子とピクニックに行くと、彼は別の女性に目を奪われる。

その女性と結ばれるために私が邪魔になり、処刑されるのだ。


その女性は姉であり、ヒロイン。

この世界で全てを手に入れる、ゲームの覇者なのだ。


対して私は、彼女を引き立てるための存在。

悪役令嬢、クララ・ベルモントだった。



あれから、二年後。

フラグを折り続けていた私は、実家で贅沢三昧をして暮らしていた。


そんな私を見かねてか、お母様が登場した。

ゲームでは『お父様とラブラブ旅行中』だったので、初対面である。


「クララ、夜会へ行きなさい」


お母さまは有無を言わせぬ響きで、ぴしゃりと言い放った。

彼女は姉そっくりの、艶やかなボディを揺らしている。


「えー。夜会って、あの婚活でしょ?」

「婚約者を見つけに行くんです。このままでは生き遅れますわ」


ほら急いで!と母の一声で、メイドたちに囲まれた。

強制的にドレスを着替えさせられる。


「ちょっと、これセクシーすぎない?」

「せっかく綺麗なバストとヒップを持ってるだから、見せつけないと」


身体のラインを強調するような、ブラックのドレス。

戸惑う私に、母は片目をつぶって見せた。


「女の武器は、使えるものは何でも使うものですわ」


こんなキャラだったのか、お母様!

さすが、街一番のお金持ちであるお父様を落とした女性だ。


呆気にとられる私を横目に、

母はメイドと執事に合図をした。


すると、あれよあれよという間に、馬車へ放り込まれた。

見張りの執事も同乗していて、脱走は許されない。


「ねえ、どこ行くの?」


私は向かいに座る執事に尋ねた。


「第二王子の宮殿です。そこに名簿がございます」

「最強の魔術師、隣国の貴公子、王子達まで……早々たる顔ぶれね」


そこには見覚えのある、4人の名もしっかり入っていた。

氷の侯爵を除いた、ゲームの攻略対象の男性たち。


名簿を眺めていて、ある名前を見つけた。


「『ユーリ・ブラッドフォード』?この名前、見覚えがあるような?」


攻略対象ではない。そのせいか、どうしても思い出せない。

「そうそう」と執事が言った。


「お母さまから伝言を承っております。『お土産は、デートの約束ね』」

「あー。お腹が痛くなってきたから帰りたいんだけどなー」

「続きがあります。『お土産をもらえるまで、毎晩、夜会に行かせますわよ』と」


私の仮病もむなしく、馬車は実家から遠ざかっていく。

夜会という戦場へ、ドナドナされていくのだった。



会場は、趣味の良い飾り付けがされていた。

きらきらと輝く大きなシャンデリアを見つめて、私はため息をついた。


「すごい。これが宮殿の広間……」


ビュッフェで適当に食べ物を調達して、

女性たちが集まっているテーブルへ向かった。


どれも素晴らしく美味しかった。

さくさくのミートパイを頬張っていると、彼女たちの会話が耳に入ってくる。


「ねえねえ、第二王子のエリオット様も来てる!」

「あたしは絶対にローラン様。あの人に魔法をかけられたい……」

「氷の侯爵はご欠席なのね、残念だわ」


うんうん。私がゲームをやっていた時と同じだな。

二年経っても変わらない事実に、胸をなでおろす。


すると彼女たちは、声を揃えて叫んだ。


「「「でも一番は、騎士団長のユーリ様!」」」


……まただ。誰だっけ、それ?

おしゃべりな令嬢たちが、答えを教えてくれた。


「ずっと、隣国へ遠征に行ってらしたのよね」

「そうそう。彼のお陰で、国の領土も広がったみらい」

「騎士団長に昇格されて、ますます素敵になられたんでしょうね」


なるほど、分からないわけだ。

次の瞬間、オーケストラが音楽を奏でた。


私は思わず声を上げた。

始まってしまったのだ。ダンスの時間が。



「げっ。これまでに帰ろうと思ってたのに」


男性はダンスの相手を探しに、こちらへ来た。

令嬢たちは、きゃあきゃあと歓声を上げている。


「ま、私の他にも女性はいるしね。興味のない振りしてれば良いか」


私はデザートを取りに、ビュッフェ台へ足を向けた。

しかし第二王子の声によって、さえぎられた。


「こんばんは。今日はずいぶん刺激的な格好をしているね」


そして4名の男たちが、私の前に立ちはだかった。

第二王子を始めとした、攻略対象の男性だった。


「君が今まで婚約していたから、手を出せなかったんだ!」


彼らから口々に言われ、一斉に手を差し出される。

オーケストラは、返事を急かすように音量を上げた。


真横から、令嬢たちの冷ややかな視線を感じる。

私は後ずさりながら、言い訳を探していた。


こういう時に限っていないのか。姉さまは!

氷の侯爵の家で、よろしくやってるのか!?


「くそう羨ましい!」

「何だって?」

「じゃなくて……帰ります!」


私は走り出した。

オーケストラの間を縫って、広間を抜ける。


その際、ちらりと見覚えのある顔を見かけた気がした。



あれから毎晩、私は夜会に放り込まれていた。


会場は違っても、顔ぶれはだいたい同じ。

そして4人のうち誰かから、必ず求愛されるのだった。


私は気が付いた。

どうやらヒロインが他ルートにいる間は、好感度が私に向くのだと。


「で、気付いたところでどうしろと!?」


今夜も、馬車で夜会へドナドナされながら、私は頭を抱えた。


ソフィアは氷の侯爵とラブラブだ。

もうすぐ子供も生まれるらしい。


一方で私は、夜会を抜け出してばかり。

良い加減、お母さまも痺れを切らしている。


しかし私には、気になる男性がいた。

騎士団長のユーリだ。たまに夜会に出没する。


濡れるような黒髪に、漆黒の瞳。

すらりと伸びた手足に、端正な顔立ち。


令嬢たちが推すのも、よく分かる。

でもフラグを折ることに忙しくて、あまり話せないでいた。


「あの夜、街で会ってたよね。話しておけばよかったー!」

「クララ様、あまり暴れられては危ないです」


執事の冷静な声に、我に返る。

ふと、馬車の中に、大きな袋があることに気が付いた。


「これ、何?」

「洗濯屋に出すものでございます」

「ふーん……あ、そうだ!」


袋の中を見ていて、あることを思いついた。

宮殿が近付いてきて、私は慌てて行った。


「ねえ、お願いがあるんだけど。この服、持って行っても良い?」


一瞬、彼は眉をひそめた。


「どうして、こんなものが必要なのですか?」

「お願い。そうすれば、絶対にデートの約束を取り付けるから」

「ふむ。まあ、良いでしょう。修道院を探すよりは、気が進みますね」


聞きなれない単語に、耳を疑った。


「修道院!?」

「奥様が仰っているのです。婚約する気がないなら、修道院へと……」

「それは嫌だ。贅沢三昧の暮らしを捨てるなんて」


でも、もっと嫌なものがある。

婚約破棄されて、下手したら断罪されるエンドだ。


「さ、着きましたよ」


私は馬車を降りて、宮殿へ向かった。

夜会の広間という、戦場へと。


……と見せかけて、宮殿の裏庭へ向かった。

そして、こっそり衣装を着替えた。



「よし。うまくいったわね」


宮殿に入り込んだが、誰も私に声をかけてこない。

それもそのはずだ。私は背広を着ていた。


楽団員に見えなくもない。

そう思って、オーケストラに混じり、ユーリの姿を探した。


「いた!」


今日も彼はかっこいい。

シャツの上からでも、彼が完璧な肉体をしていることが分かる。


私はオーケストラを抜け出し、ユーリの元へと走った。

彼は誰かを探しているような仕草をしていた。


「君は、クララ?その格好は……」

「聞かないで。とにかくバルコニーに出ない?」


ユーリは驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「もちろんだよ。僕も君と二人になりたかった」


そうして私の手を引いた。

あの夜と変わらず、大きくてあたたかかった。



「僕たち、前にも会ったことがあるんだ。覚えてるかな」

「二年前の夜でしょう?」

「その前、ずっと前にだよ。幼なじみってやつだ」


知らなかった。

悪役令嬢のクララに、幼なじみがいたなんて。


私が転生してきたのは、クララが十八歳の頃。

その前の記憶はない。ゲームでも一部しか描かれていない。


「……」


私の戸惑いは、首を振るより雄弁に答えを物語っていた。


「仕方ないな、忘れられても。僕は騎士団に入って、ずっと国の外にいたから」

「ごめんなさい」

「良いよ。君が忘れていても、僕は覚えていたから」


彼と私の距離が、ぐっと近付いた。

爽やかなコロンの匂いが、鼻をくすぐる。


「ずっと、クララのことを考えていたよ」


そう言った直後、彼はやれやれといった様子で首を振った。


「氷の侯爵と結婚したと思ってたから、夜会で見かけた時は驚いたよ」

「あの人には婚約破棄されて、姉さまと婚約したの。今は隣の国で暮らしてる」


次の瞬間、急に背後から声がした。


「クララ、そんなとこで何してるのかしら?」


私たちは振り向いた。そこには美しい女性が立っていた。

白のドレスに身を包み、美しい栗毛をなびかせている。


「ね、姉さま……」

「お母様に言われて見に来たの」


月明かりに照らされ、私を睨みつける顔すら美しい。

当然だ。彼女はこのゲームの覇者、ヒロインなのだから。



「君のお姉さん?ソフィアか?」

「ええ、久しぶりね。ユーリ」


完全な沈黙が、場を支配した。

二人は見つめ合っている。


すっかり忘れていた。

私と幼なじみということは、姉のソフィアとも旧知の仲なのだ。


―――あぁ、やめて。


嫌な汗が、首に伝わった。

せっかく好きになった人を、奪われたくない。


でも私はといえば、よりによって背広を着ている。

全然セクシーじゃない。


お母様の言葉は本当だった。

使えるものは、使うべきだったのだ。


「まだ、あの約束のことを覚えてたの?」

「当たり前だろ。僕は君以上に一途だ」


ユーリは微笑んだ。爽やかな風が吹き抜ける。


「僕は結婚するならこの人、って決めてたからね」


最悪だ。ひどく疲れて、だるくなった。

生きていくだけで、とてつもない労力が必要な気がした。


私は手すりにもたれかかった。

前世は地味なOL、今は当て馬の悪役令嬢だった。


さようなら……


身を投げようとしたその時、

ソフィアの言葉が耳に飛び込んで来た。


「大事な妹よ。幸せにしなさいよ」

「え?」

「ってクララ、何してるの!?」


耳を疑うと、ぐらり、とバランスを崩した。


「お、落ちる!」


目を閉じて、衝撃に備えた。

しかし、いつまでもその時はやって来ない。


恐る恐る目を開けると、ユーリに抱きかかえられていた。

しかも、宙に浮いている。


「え、浮いてる!?」


ユーリにお姫様抱っこをされたまま、空に浮かんでいる。

そんな私を見て、ソフィアが呆れた声を出した。


「国の中で魔法を使うのは、禁止じゃなかった?」

「大事な人を守るためだ。仕方ないだろ」


ゆっくりと、私たちはバルコニーへ戻って行った。

私を降ろしたユーリは、悲しそうな顔をしていた。


「どうしたんだ?死ぬほど嫌だったのか?」

「ち、違うけど……」


私は混乱していた。

魔法だって?あのゲームにそんな要素、あったか?


確かに『最強の魔術師ルート』は存在した。

でも魔法の詳細については、あまり出て来なかった。


「気が動転しているかな。でも、もう大丈夫だよ」


ユーリは私を、強く抱きしめた。

そして私の頭を、優しく撫でてくれた。



「はは。君の姉さんと結婚の約束をしているのかと思ってたのか」

「笑わないでよ……」


翌日も、私は宮殿にいた。


婚活のために、広間にいるのではない。

宮殿の庭を、ユーリと散歩していたのだ。


「僕はクララ以外の女性に目を向けたことは、一度もないよ」


ユーリは私に、キスをした。

すると脳裏に、あるCMが浮かんだ。


『第二王子の弟、現る!?次の舞台は、魔法の世界!』


そう、未プレイだから忘れていた。

あのゲーム、続編が出ていたんだ!!


「二年経って、今は続編の世界ってことか……」

「ゲーム?」

「い、今のは忘れて」


彼は穏やかな笑みを浮かべた。

どこまでも優しい彼に、私は申し訳なくなってきた。


「ごめんなさい。昔のこと、覚えていなくて」

「大丈夫。君が忘れていても、僕は覚えているから」


太陽に照らされて、端正な顔が輝いているのがよく分かる。

彼は微笑んだ。あたたかく、深い笑みだった。


「愛してるよ、クララ。もう二度と、君を離さない」


こうしてユーリから溺愛される日々が、幕を開けた。



後日、私は別の転生者から聞かされることになる。

このゲームには二年後に、第二弾が出ていたことを。


ソフィアの妹で悪役令嬢だったクララは、

急に人が変わったように、素晴らしい令嬢になっていたらしい。


そして、幼なじみである最強の騎士団長と、

いつまでも幸せに暮らしてたと―――


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姉に全てを奪われるはずの悪役令嬢ですが、婚約破棄されたら騎士団長の溺愛が始まりました 綾部まと @izumiaya

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