第17話 前進

 アリサはというと、ほとんど寮の部屋に戻らず過ごしていた。アルマと喧嘩をしたわけではないが、部屋に居るとつい空気が重たくなってしまう。

 なので、時間さえあれば逃げるように外へ出て、庭園内をぶらぶらして時間を潰している。

「アリサ・ブランドード」

 急に背後から声を掛けられて振り返ると、ロマンの姿があった。

「まだ、終わっていない」

「……何の話?」

 アリサは物憂そうな表情で聞いた。

「まだ、成績を挽回するチャンスは残されている」

 とロマンは言い、リヴから聞いた帝都士官学校の規定について一通り説明した。

 

「……つまりだ、今からすぐに申請すれば、士官学校側はお前の『決闘』の申し出を受理せざるを得ない。早速……」

「やらない」

 アリサはぷい、と背を向けた。

「なに……!?」

 アリサの今の心情を知る由もないロマンは驚愕していた。

 戸惑っているロマンを他所に、アリサは行こうとする。

「おい、ま、待て!」

 ロマンが追い縋って肩を掴むと、アリサは不機嫌そうな顔で振り返った。

「……きっと私の身の丈に合わないことだったんだよ。だから、私、もう家に帰る」

「そう……なのか……」

 ロマンは断られるという状況を想定していなかったこともあり、かなり動揺している。

(一度引いて別の方法を考えるか……)

 ロマンは頭の内では思考しつつ

「ならば、仕方がないな」

 と平静をよそおう。

「ねぇ、ロマン。最後に聞かせて」

 アリサは横目でロマンを見ながら言った。目元には暗い影が落ちている。

 彼女のそのような表情を見たことが無かったロマンは、何も言わず次の言葉を待った。

「どうしてロマンは私にそんなに構うの? 皇太子殿下も恋人も居て、守る人がたくさん居るのに、わざわざ私の面倒なんか見て何の得があるの?」

「何……? 恋人?」

 とロマンは違和感のある言葉が聞こえて一度首を傾げた。が、すぐにリヴとのことであると理解した。

「あの綺麗な人。一昨日、噴水広場で……」

「ああ。だが、あれは違う」

「え……!?」

 今度はアリサが驚き、背けていた身体をこちらへと向ける。

「で、でも、噴水広場で……キ、キスして……」

 アリサは真っ赤にした顔で見上げて言う。

 ロマンは深くため息を吐いた。

 リヴの学内での用事は一旦終わったこと、さらに調査のためにアリサに残ってもらいたい状況などを鑑みて、恋人偽装のことを話すことはやむを得ないと判断する。

「……違う。あれは演技だ。事情は詳しく言えないが、あの女が士官学校内に入れる口実が欲しいと言うので付き合ってやったに過ぎない。因みに、これも他言無用で頼む」

「え、じゃあ……私のことは?」

「お前は、俺にとって(仕事のために)ここに居てもらいたい人だった。だから、こうして……」

「……りたい……」

「……ん?」

 ロマンはアリサの声がよく聞こえずに首を傾げる。

「私、ここに残りたい!!!」

「!?!?!?」

 訳もわからず急に状況が好転したものの、ロマンの頭の中は混乱している。

(一体どっちなんだ!? やはり、俺に女の考えは理解できん……)

 

 結局、その日の内にリヴから教わった「第十二条第三項」の規定に基づき、アリサ・ブランドードは相手を指名のうえ、決闘を行うことを申請した。

 

 帝都士官学校。

 教員居住区付近。

 帝都士官学校は今日を最後に一か月の長期休暇へと入る。教師たちも一度故郷に帰るなどして、士官学校を離れることが多い。

 ロマン、リヴの師であり、帝都士官学校の代表であるラディク・ポドホルカは、訓練場から見える巨大山脈へと目を向けていた。彼はあの山脈の麓の村で生まれた。村で最後の住人だった彼は、毎年、帝都士官学校の夏の長期休暇の間にかつての暮らしを偲ぶように村落跡地を訪れている。

(さてと、今年も時期だな)

 あの村に一人で暮らしていた若者の人生はなんの因果か、今では皇帝の側近として仕え、この帝都士官学校で将来を担う後進たちの育成にいそしんでいる。

(……思えば、随分と遠くに来たもんだ)

 ラディクは遠い目をしながら、かつての故郷に思いを馳せている。

「ラディクさん」

 彼の名を背後から誰かが穏やかな声で呼んだ。

「ん? ああ、ゲオルギーさん」

 管理課の職員、ゲオルギーだった。

 人当たりの良さそうなこの初老の男性職員は、帝都士官学校で最も古い。ラディクよりも年長である唯一の人物である。

「これを見てください」

 ゲオルギーは手にした書面をラディクに見せる。

「ん……? なんだ? 前期の書類仕事は全て片付けたと思ったんだが……」

 ラディクは怪訝な顔で書面に目を通す。

「他の教師の面々は今日から既に長期旅行へ出ているようでして、あなたしか……」

 目の前で申し訳なさそうにゲオルギーは言う。

「な、何ぃ!? 『決闘』の名指し申請だと!? 前期はもう全日程終了しただろうが!」

 ラディクは慌てて目の前の困り顔で微笑む初老の男に目を向ける。

「いいえ、規定では、申請を無効には出来ません。第十二条第三項によると……」

「は……!? アレ、まだ改定してなかったのか……!?」

「え、ええ、規定の改定には士官学校代表の正式な申請書面が必要です。管理課では、受理していませんが……」

 ゲオルギーの記憶力はラディク自身も信頼を置くほどである。帝都士官学校の規定や細部のことで分からないことは、この男に聞けば大抵教えてくれる。その彼が言うのであれば間違いない。

「てことは、俺の申請漏れか……」

 ラディクは痛恨のミスに目頭を押さえながら言った。無理やり「決闘」の予定を休暇にねじ込まなければならなくなった。ちなみに彼が休暇となるのは士官学校の方だけで、彼の配下の帝国軍精鋭、魔神部隊は常に動いており、基本的に休みはない。

 帝都士官学校の長期休暇に入り、尚且つ魔神部隊に関する管理が落ち着くわずかの時間で旅行をする筈だったのだが、その予定は中止になりそうだ。

(どこのどいつだ……畜生め)

 苦虫を嚙み潰したような顔で、ラディクは書面を手に教師居住区へと向かう。速やかに準備に取り掛からねばならない。

「決闘」の予定は急ピッチで進められ、対戦を指名された生徒にはその日のうちに通達された。

 

 神楽の国、オオサノミヤツカサ家は、軍務の一切を司る「左之宮さのみや」筆頭の家系である。その長男にあたるアキト・オオサノミヤツカサは家中でも歴代最強との呼び声が高い。若年にして、神楽の国「左之宮さのみや」戦闘達人集団、磐石衆ばんじゃくしゅうの頭目たちから訓練で一本を取るほどである。

 そんな彼の興味は常に

 

――誰が天下にて最強か。

 

 ということにある。

 前期の「決闘」三戦を難なく圧勝で終わらせていた彼は、勉学の成績がそれほどではなくとも黒の勲章をその身に帯びている。

 前期も終了と思っていた頃に、もう一戦「決闘」の日程が組まれたと士官学校の職員より通達を受けた。

 戦いこそが自らの存在を高めてくれると信じて止まない彼は、通達を聞いてほくそ笑んだ。わざわざ名指しで勝負を仕掛けてくるのだ。よほど腕に覚えがあるに違いない。

 人気ひとけのない帝都士官学校の校舎掲示板の前にアキトは出向き、対戦相手の名を確認した。

「アリサ……ブランドード?」

 アキトは眉をひそめて名前を読み上げる。ひとまず記憶にはない。

(まあいい。誰が相手であろうと、勝つのは俺だ)

 不敵な笑みを浮かべると、彼は掲示板の前から姿を消した。

 

 翌日、帝都士官学校の長期休暇初日。ロマンとリヴは師であるラディクの元を訪れていた。場所は例のラディクのお気に入りの場所である。

「お前、これをどこで?」

 ラディクは封筒の中身の書面を神妙な顔で目を通した後に、リヴに聞いた。

「士官学校の管理課で」

 リヴは自信に満ちた笑みを浮かべながら言う。

 ロマンはリヴの隣からラディクの表情を伺っていた。

「まじかよ……」

 ラディクは苦笑いを浮かべながら呟いている。

「ラディク様、内容はどのように?」

 ロマンが聞くと、ラディクはひげの生えた顎を掻く。

「こいつはややこしいことになったぞ。この書面は、帝国軍の軍部からの手紙だ」

「軍が皇帝陛下が直接管理されている帝都士官学校に介入ですか?」

 ロマンの言葉にラディクは首をひねる。

「書面の内容は何というか……当たり障りのない内容だが、軍が関連のない士官学校に送るには不自然だ。間違いなく暗号文の類だろう。解読には時間がかかるな」

 ラディクは手にした書面に眼を落しながら言った。

「何にせよ、軍部のどこまでが関わっているか不明な以上、表立って行動を起こすわけにはいかねぇ。首謀者を取り逃がす可能性が高いからな」

「なら、また私たちの出番ですね。師匠」

 リヴが自信に満ちた表情で胸を張っている。

「……ああ、本来は規則違反だが、事が事だけにそうも言ってられねぇ。リヴ、お前を士官学校に自由に出入りできるように取り計らうから、徹底的に内部を調べろ。くれぐれも俺たち以外には口外するなよ。関わっている人物の地位によっては、最悪、帝国の情勢がひっくり返る。正直、嫌な予感しかしねぇよ」


 おおよその話が終了し、解散を告げられるかと思いきや、ラディクは腕組みしたまま黙って立ち尽くしている。まだ何か話したい事があるようだ。

「師匠……?」

 リヴが不思議そうにラディクの顔を覗き込む。

「お前ら……付き合ってんのか?」

 ラディクは弟子二人の顔を見回した。

「は……?」

 ロマンが思わず間の抜けた声を出す。

「いや、そういう噂を聞いてな……」

 ラディクは苦い顔で視線を逸らす。

「それは……ぐっ!」

 否定しかけたロマンの脇腹をリヴが肘で小突き、息が止まった。

 彼女を見ると、何か言いたげな目をしていた。どうやら意図があるらしい。

「……本当です」

 ロマンと一瞬視線で会話した後、代わりに彼女が回答した。

「そうか……。まさか、お前らがな」

 ラディクは複雑そうな表情をする。

「いいか、個人のことをとやかく言う気はないが、仕事に恋愛感情は持ち込むな。俺たちみたいな仕事は特に、だ」

 師は言った。

 ラディクには妻子が居ない。彼自身、その話をしようとしないが、こういう話をする時はいつも言葉の端々に重みを感じる。過去に何かがあったことは聞かずともわかった。

 忠告を伝えると、ラディクは返事も聞かずに二人を残して去った。

 

「おい、何のつもりだ」

 ラディクが去った後、ロマンはリヴに聞いた。

「敵を騙すにはまず味方からって言うじゃん。今後も学内の調査をしないといけないかもしれないし。恋人の方が何かと周りも納得させやすいでしょ? 師匠、嘘が顔に出るタイプだし、もう少し黙っておこうよ」

「ふざけるな! いつまで皇太子殿下に向かって嘘を吐かせるつもりだ」

 ロマンは言った。実際、最近、レオニートはほとんど口もきいてくれない。護衛を任された身として、この状況はかなりまずかった。

 しかし、リヴは目を細めて意地悪い顔をする。

「あっそ。じゃあ、私に協力して欲しくないワケ? 今回だって二人でやったから色々と上手く行ったんじゃないの?」

「……」

 ロマンはアリサのことを思い返した。

 確かに、リヴの助け舟がなければ、重要な証人になりうるアリサをここに残すチャンスは見つけられなかっただろう。

 師まで騙すのは気の引けることだが、リヴの言うことも最もであるかもしれなかった。

 とは言え、最近のことを思うと、先が思いやられた。

「……はぁ、分かった」

「ありがと。もし、あんたも困ったことがあったら私に言って。『恋人』として協力してあげる」

 リヴがウインクする。何故か少し楽しんでいるようにも見えた。

 

 リヴと別れた後、ロマンは腰に訓練用の剣を携えて、近くの訓練場へと足を向ける。

 長期休暇とあって、他の生徒たちの姿はない。

 訓練場に、ぽつりとアリサが待っている。

 来週に行う生き残りをかけた「決闘」に向けて、今日から一緒に対策を講じる予定だった。

 

 これまでの人生でいつもそうだったように、悩みの種は尽きない。

 守るべき存在の皇太子とは関係がこじれたまま、同僚に国の重大な事件に巻き込まれ、その重要な証人となり得る生徒は今、退学の危機を迎えている。

 しかし、めげているような時間はない。悲観するような精神は皇帝陛下と出会ったあの戦場へと置いて来た。

 地べたに這いつくばって泥に塗れようとも、未来へと歩みを進めなければならない。

 ロマンはアリサの元へと向かいながら深呼吸した。

 

「よろしく、ロマン」

 気がついたアリサが笑顔を向ける。唯一の救いは、彼女が「決闘」に向けてやる気を出してくれたことだった。

「……ああ、始めよう」

 本当の戦いはまだ、始まってすらいないのだから。

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Story From The Horizon 鳴セ カイ響 @Hibiki_Naruse11

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