第9話 魔獣

 帝国の大地に、季節外の雪が降り続いている。草原は見渡す限り真っ白になり、その上に幾重にも続く足跡や馬車の轍が続いていた。

「さ、寒い……」

 雪の上に膝を抱えて座り込むアリサは、防寒着の手袋を外して冷たくなった指先に白い息を吐きかけた。ちいさな鼻先も赤みを帯びている。

「森に近づいて来たみたいだね」

 訓練用の魔術師ローブに身を包んだアルマが一面の雪景色を見ながら言った。視界はしきる雪であまり良くないが、遠方に森林地帯の輪郭が見えている。

「夏だっていうのに、信じられないわ」

 ヒルデグントは言った。彼女もまたアルマと同じ、丈の長い魔術師のローブを着ていた。

「この異常気象も近年、帝国領内で増えた魔獣の影響なんだろうね」

 アルマは言った。

「休憩終わり! 全員隊列に戻れ!」

 兵士が馬を駆りながら、休憩する生徒の一団の周囲を通り過ぎていく。

 アリサとアルマ、ヒルデグントは腰を上げると、急いで別々に戻っていく。

 

 現在、帝都士官学校の生徒一同は、帝都から東にある広大な森林地帯を目指している。徒歩で行けば数日かかるところにあり、その広さはこの国の首都である帝都全体の面積に匹敵する。この広大な森が、近年大量に発生している魔獣という生物の格好の棲家となっている。

 この魔獣は魔力によって生まれた生命体とされ、普通の獣とは別の生態ピラミッドを持つ。独自のコロニーを形成し、その頂点に君臨する魔獣は「特異級魔獣」と呼ばれる。その影響力は地域の天候を変えてしまうほどと言われている。

 という説明が、出発前に魔術学専門の教師兼医務室の臨時治癒士であるルシアン・デューリクによって為された。

 これらの魔獣を狩ることを「魔獣狩り」と呼び、帝都士官学校では集団戦闘訓練の一環として行われる。

 集団戦闘訓練には正規軍も加わるため、万が一の事態にも対応できるようになっているが、基本的には生徒たちだけで押し寄せる魔獣を討伐する。

 

「止まれ! 全軍停止!」

 馬に跨った正規軍の兵士が生徒たちの最前列を通り過ぎながら口々に伝達する。

 森の付近に武装した生徒たち三百名の一団は布陣した。

 近接戦闘の武器を扱う生徒は最前列に配置された。特に防御力の高い大きな盾を持つランス隊の三十名弱は最前線中央に配置され、真っ先に魔獣の攻撃を引き受けることになっている。

 アリサは、この一団に加わっていた。

 森の樹木はどれも全長数十メートルはある巨木である。その森の樹木の根本あたりから十騎の馬が駆け出て来て散らばった。そして、その後ろに無数の黒い影が動くのが見えた。

 駆け出てきた十騎は正規軍で、訓練のために先行して森に入り、魔獣の群れを惹きつけて来たのである。

 木の根本から湧き出すように現れた黒い影は、コロニーの最下層の魔獣たちで、今日の訓練の相手だ。

 

「全軍、戦闘用意! 前線ランス隊は突出して迎撃準備!」

 正規軍からげきが飛ぶ。

 生徒たちのランス部隊は一斉に穂先を森へと向けた。

 遠くから魔獣たちがこちらへ押し寄せて来るのが見える。

 数は生徒たちの倍かそれ以上居るが、知能の低い魔獣たちに連携するような能力はないらしく、まばらにこちらへと向かって来ている。

 漆黒の体毛に覆われた狼のような魔獣。人よりは全長が小さいが、下顎の一部の牙が異様に発達しており、鎌の刃のような形状の歯が口から上に向かって飛び出している。

 醜悪な見た目の魔獣たちは、目が血走り、口から唾液を撒き散らしながら衝動のままに突っ込んでくる。

 生徒たちは各々武器を構える。

 

「よ〜し、しっかり引きつけろよ」

 少し離れた小高い丘の上から、前線の様子を眺めている指揮官役のラディクは呟く。

「まぁ、あんな下等な魔獣は勢いだけで知能も能力も低い雑魚だからな。防御さえしっかりしてれば……ん?」

 ラディクが眉をひそめた。

 まだ接敵してすらないのに最前線の戦列が崩れている。

 

「お、おい! どこに行くんだ!?」

 最前線のランス隊の一人の生徒が後方に引っ込んだアリサの背中に向かって言う。

 その欠けた場所から魔獣が入り込み、ランス隊の陣形が崩れ、あっさり戦線が瓦解した。

 ランス隊が崩れ、惹きつけ役として機能しなくなったことで、そこに群がるはずだった魔獣は分散し、戦線を次々と抜けて部隊の中へと入り込んで暴れ、部隊後列、遠距離攻撃を放つ準備をしていた魔術師部隊や弓隊の生徒もパニックとなり、大乱戦となった。

 

「あ〜あ、­何やってんの……」

 リヴは呆れた顔で言いながら、周囲の正規軍に向かって手を振り、救援の合図を出す。現場を指揮するため、正規軍に混じって精鋭魔神部隊の雷鳴グローム隊も帯同していた。

「ま、死人は出ないと思うけど、こりゃ大変だ」

 リヴの合図で正規軍の騎馬隊が、生徒たちに襲い掛かろうと森から続々這い出て来る魔獣たちに向けて隊列を組んで突撃を開始した。

「隊長、いかがしますか?」

 馬に跨って背後に控えていた雷鳴グローム隊の兵士が聞く。

「私たちは、生徒たちの中に混じって魔獣を掃除するよ」

 とリヴは馬を飛び降りると、乱戦の中に向かって駆け出した。

 

 部隊前列付近。

 乱戦の中で背を向けて逃げるアリサの前に、シエルが立ち塞がった。

「待ちなさい! 一体何考えてるの!? 逃げるなんて恥晒しも良いところよ!」

「だって、怖かったんだもん……!」

 アリサが涙ぐんだ顔をシエルに向ける。

「はぁ、この間見せた度胸はどこへ行ったの……。もう良いわ! 私の後ろに居なさい!」

 シエルは頭を抱えながら、アリサを背にするとハルバートを構えた。

「マリアナ!」

 シエルの呼びかけに後ろで控えていたマリアナは一歩進み出る。

「お任せください、お姉様」

 手にしたレイピアの細い刃を、決闘を前にした騎士のように顔の前に立て、刃の向こうから向かって来る魔獣を睨みつける。

 マリアナの身体の周囲に風が渦を巻く。

 前方から三匹の黒い魔獣が、鋭い牙の生え揃った顎を大きく開いて、同時にマリアナへと飛びかかる。

 マリアナは瞬時に身を沈めて、地面を蹴る。

 レイピアの細い刃が刹那にキラリと閃いたかと思うと、マリアナは既に魔獣の背後に立っていた。三体の魔獣は口の中からどす黒い体液を空気中に撒き散らしながら、絶命して地面に転がった。

「お姉様の花道を開くのは、このマリアナの役目ですわ!」

 マリアナは左手を天高く突き上げて演劇じみた仕草をする。

「……恥ずかしいから止しなさい」

 シエルは呆れたように言って背を向けると、アリサの背後側へ回った。

「そっちは任せたわよ、マリアナ!」

「承知致しましたわ、お姉様!」

 シエルとマリアナはアリサの前後に立ち、近づく魔獣を蹴散らし、まるで嵐のように魔獣の黒い血が周囲を舞った。

 

 さらに別の場所では神楽の国から来た、アキト・オオサノミヤツカサが十字槍を手に、悠々と戦場を歩いてむしろ魔獣を求めている。

 魔獣が周囲を取り囲んだ。

 一匹が飛びかかるが、アキトは手にした槍でその魔獣の腹を貫く。

 そして、十字槍の先に魔物を突き刺したまま、軽々と槍を旋回させて周囲の魔獣を切り裂いた。

「ぬるすぎる……もっと、強いのは居ないのか」

 中心でアキトは黒い血を体に浴びながら、じろりと周囲を見回す。魔獣は彼の放つ異様な威圧感に怯えて、むしろ別の場所へと散っていく。

 

「おりゃっ!」

 部隊中列あたりではオレクが両手持ちの長剣を振りかざし、飛びかかって来る魔獣を真っ二つに切り捨てた。

「ふぅ……。ま、良い感じの運動にはなるかな」

 オレクが額の汗を拭うその向こうで、レオニートは腕を組んだまま直立している。そのレオニートへ一匹の魔獣が飛び掛かる。が、途中から軌道が逸れて地面に着地した時には身体が縦に真っ二つになっていた。先ほどからレオニートの周囲に来る魔獣は近づくこともできずに倒れていく。

 一通り魔獣が片付くと、ロマンがレオニートの前で停止した。ロマンの身に纏っていた風がヒュルヒュルと音を立てて吹き抜けて行く。

「おい、ロマン。部隊の右翼が手薄だ。右翼へ回れ。ここはオレクで十分だろ」

 レオニートは指示するのみで微動だにしない。

「承知した。すぐ戻る」

 ロマンの姿が消える。風の魔術を取り入れた高速移動で、猛然と右翼に向かって行ったらしい。

 

 後列、弓隊のルフィナは弓をつがえたまま、真っ直ぐに突っ込んで来る一体の魔獣を横に回避し、通り過ぎざまに背後から狙いをつけて矢を放った。

 魔獣の横腹から矢が命中し、絶命した魔獣はその勢いのまま地面に転げた。

「はぁ、しんどいわね」

 立ち止まったルフィナは深く息を吐いて周囲を見渡す。部隊は至る所で大乱戦になっている。

 

 後列の別の場所ではヒルデグントがロッドを手に魔術師隊の一員に混ざっていた。魔術師隊は近接戦闘が専門ではないが故に怪我人も出ていた。乱戦となり、アルマもどこに居るのわからない。生徒たちの一団の中に助けに入った正規軍も僅かの人数で別の場所に気を取られており、期待ができない。

 ヒルデグントは魔獣が集中しそうな場所を避けて周囲を見回しながら、より安全そうな場所を探した。

 魔獣は防御を突き破って人の多い隊列の奥深くに集中している。前線に目をやると、既に正規軍の騎馬隊が魔獣の湧き出る森の入り口に向かって突撃しており、むしろ隊の前方の方が魔獣が少ないことに気が付いた。

「あっちなら敵が少ないわ! 一緒に移動しましょ!」

 ヒルデグントは周囲で戦っている味方を呼び、前線の方を指差す。ヒルデグントは周囲の数人の魔術師たちと一緒に移動を開始した。

 

 それからほどなくして生徒たちは残りの魔獣を殲滅し、混乱は収束した。

 大混乱に陥りはしたものの、低級の魔獣だっただけに被害は軽傷者が数十名出ただけで済んだ。

 その日の集団戦闘の演習は終了し、正規軍と生徒の一団は、森の境目から数キロ離れた一帯にテントを張ってキャンプを設営した。

 生徒たちは数人ずつに分かれて火を起こし、自炊することになった。アリサは疲れた様子で夕食のスープを口に運んでいた。

 戦線の崩壊の原因となったアリサの噂は広まり、周囲の生徒たちの視線が冷たい。

 隣に座るアルマは周囲のその視線に気が付いて、アリサの縮こまった背中を軽く叩いた。

「アリサ、大丈夫だよ。怪我人は殆ど出てないし、練習なんだから、次、がんばろ! ね、ヒルデグントもそう思うでしょ?」

 アルマはアリサの背中を叩いて励ましながら、アリサと反対側へ振り返る。しかし、ヒルデグントの視線は別の方を向いている。

 視線の先には遠くで立ち話をするレオニートとルフィナの姿があった。ここ最近、学内でも二人で話す姿を度々見ていた。

 家から捨てられ嫁いだ今の自分が婚約者からも捨てられれば、縁もゆかりもない帝国で目も当てられないほど惨めな人生を送ることになる。

 不安が胸の内を支配しかけていた。

 ヒルデグントは思わず胸元に手を伸ばし、使用人のエリカが別れの時に渡してくれたペンダントを握りしめる。

「ねぇ、ヒルデグント……?」

 とアルマの顔が横から覗き込んで来て、我に返る。

「あら、ごめんなさい。何の話をしていたかしら?」

 ヒルデグントの端正な微笑を焚火の炎が紅く照らす。

 

 ロマンは鍋にかけた火の加減を見ている。

 隣のオレクの腹の虫が鳴く。鍋からは獣肉を煮込んだスープの香りが沸き立っていた。

「あ~、早くしてくれロマン。一日中歩いて、戦闘もして、もう腹減りすぎて死にそうだよ」

「子供かお前は。あとは煮えるのを待つだけだ、静かに……」

 と周囲を見回すとレオニートが居ないことに気が付いた。行先は大体、想像できる。

 ロマンは舌打ちする。

「オレク、火を見ていてくれ。つまみ食いするなよ」

「ほんとにガキ扱いかよ……」

 ロマンはオレクに火を任せると、自分たちのテントを離れた。

 

「本当は直接店に買いに行きたいんだが、周りの連中が色々とやかましくてな」

 ルフィナとテントの影で向かい合うレオニートは言う。

 レオニートはルフィナのパンの味が忘れられないらしく、あれから何度か彼女の作るパンを使用人に買いに行かせている。

「当り前よ。バレたら色々と大騒ぎになるでしょ……」

「まぁ、そうらしいな……」

 とレオニートは苦い顔をする。

「そんなことより、なぜ毎回金を受け取らない?」

 耳が痛んだのでレオニートは話題を変えた。

 ルフィナはパンの代金の受け取りを拒否していると使用人から伝え聞いていた。

「前の制服のお礼だから、まだ当面はタダよ」

「そうなのか? 服なんぞ、腹の足しにもならんのに随分と高いんだな」

 レオニートは不思議そうな顔をする。

「アンタ、それ、制服を買えなかった私に対する嫌味……?」

「い、いや、違う。自分で払ったことがないから詳しく金額を知らないだけだ。それになぜ帝都士官学校の学費は無償なのに制服や教材はそんなに高いんだ?」

「ホントよね……。アンタが皇帝になったら変えてよ」

 ルフィナは思いため息を吐く。

「……レオニート、食事が出来た」

 突然、別の方から声が飛んで来た。レオニートが声の方を振り返るとロマンが居た。

「おっと、すまん」

 レオニートは返事をするとルフィナに向き直る。

「そういえば、お前のところはどんな食事を作ってるんだ? もしかして、お前が作るのか?」

 レオニートは興味津々に聞く。帝国の片田舎の娘は、すっかりこの皇太子の胃袋を掴んでしまったらしい。

「おい、レオニート」

 ロマンは遠まわしに注意するように声量を上げて呼ぶ。レオニートは結局、ロマンに連れられて戻る。

「……レオニート、今はよせ」

 自分たちのテントへと戻る途中、ロマンは苦々しい顔で言った。

「なんのことか分からんな」

 レオニートは、顔を背けながら敢えてとぼける。

 名だたる才色兼備の名門貴族の娘でさえ寄せ付けなかったレオニートが、片田舎出身の平民の娘と懇意にしていることは少なからず噂になっている。

 皇帝は帝国の頂点に君臨する存在であるとはいえ、地方の貴族たちとの関係が保てなければ国は成り立たない。

 過去に起きた辺境伯らの起こした内乱は、帝国にとっては苦い思い出である。その時代を子供として過ごしたロマンも、それは身に染みている。

 皇帝一族を守ることを絶対とするロマンには、この皇太子の色恋がどんな敵よりも苦悩の種だった。

「……あの娘のことに決まっている。前にも言ったが、お前の婚姻には多くの利害関係が絡む」

「別に結婚したいなんて言ってないだろ……」

 レオニートは嫌な話題に、鬱陶しそうに顔を背ける。

「そうだとしても、だ。他の有力貴族の娘に会わないのにあの娘にだけ会うのはまずい。彼女自身も巻き込まれて……」

「わかった、わかった! もう会わん。この話は終わりで良いか?」

 レオニートは不機嫌そうに言い、それ以降口を閉ざした。

 気まずい雰囲気に沈黙したまま、二人はひしめくテントの間を歩いていく。


 森の郊外に拠点を置いたまま、生徒一同と正規軍による集団戦闘の訓練は一週間にわたり行われた。初日は大騒ぎとなったものの、その後は順調に進み、演習も最終日となった。

 最終日は大規模な集団戦闘ではなく、定員四人の小隊単位で魔獣狩りを行う訓練があった。討伐する対象は自由となっており、小隊のメンバーも各々が自由に組むようにとのことであった。

 

「アリサ、私と来なさい」

 早朝、全生徒が一斉に小隊を組むメンバーを決め始める中、シエルが真っ先にアリサの元に現れて言った。

 当然ながら拒否権はなかった。無条件でマリアナも加わり、三人は決定した。

「目標は特異級の魔獣の討伐よ」

 シエルは言った。

「え!?」

 近くで聞いていたアルマは仰天する。

「本当ですか……!? 普通は中隊規模で討伐する相手ですよ?」

「ええ、本気よ。アリサの成績を挽回するには圧倒的な結果が必要なの」

 と話すシエルの後ろで、怯えたアリサが震えている。

 初日の訓練の際にアリサが怖がって逃げた魔獣が生態系で最下層の魔獣だったのに対し、特異級の魔獣は生態系の頂点に君臨している。

 魔獣のコロニーはこの特異級の魔獣を中心に形成されている。この魔獣は「災害」として扱われ、討伐のために本格的な軍隊を派遣するのが通例である。

 もっとも、全員で討伐にあたるのではなく、悪天候の中を行軍するための後方支援や予備人員も含めての軍隊ではあるが、少なくとも小隊規模で討伐に行くような相手ではない。

「わ、私はヒルデグントと他の人を探すね」

 アルマはそそくさと近くに居るヒルデグントの手を取ると行ってしまった。

 アルマだけではなく、他の生徒もシエルの掲げた高すぎる目標に遠ざかってしまい。なかなか定員の四人小隊が編成できない。

 しかし、一人の生徒が自ら進み出て来た。先日、アリサと「決闘」で一線を交えた神楽の国の生徒、チカコ・オオウノミヤツカサだった。

「私を連れて行ってくれないか?」

「チカコ!」

 アリサは彼女の顔を見ると顔を輝かせた。

 チカコは涼やかな顔で微笑み返す。

「大丈夫なの?」

 アリサの隣からシエルが聞く。

 先日の「決闘」で最下位のアリサに負けたことで、チカコの成績は大きな痛手を負ったはずである。シエルが尋ねたのは、心情的に割り切れるのかどうかと言う意味なのだろう。

「過去に刃を交えたからと言って、いつまでも敵である必要はない。もちろん、あなたたちさえ良ければだが……」

 チカコは三人を見回して言う。

 シエルは、ふっと表情を緩めて手を差し出す。

「……ありがとう。助かるわ」

「ああ」

 チカコはシエルの手を取った。

 

「ああ! 君たちが特異級の魔獣を討伐に行くと言ってる子たちだね? 君たちには、僕が同行させてもらうよ」

 一人の男が出発前にアリサたちの元へと来た。

 各小隊には採点や万が一、生徒が危機的状況に陥った際の対応のため、実戦経験のある正規軍の一人が同行することになっている。が、アリサたちの元へ来た男は兵士ではなく、教師だった。

 金髪で青い瞳。白の衣装に包まれた、ほっそりとしたしなやかな身体。貴族よりもよほど優雅な外見をしているこの男は、帝都士官学校で魔術全般の教師をしているルシアン・デューリクだった。ベテラン揃いの教師陣の中では最も歳が若く一部の生徒に人気が高い。

 そして、アリサは大怪我をした際に医務室で何度かお世話になっている。

「何度も講義で顔を見てるとは思うけど、まさか特異級の魔獣を討伐に行くと言う生徒が出るとは思わなくてね。本当は医療班として同行したんだけど、特別に僕が行かせてもらうことにしたんだ」

 とルシアンは明るい表情で言った。

 教師を務めながら、彼の探究心は止まるところを知らず、士官学校内では講義の傍ら、魔術研究もこなしているという。

 魔獣という存在は魔術生体学の中でも研究が非常に困難な分野であり、得意級の魔獣を目の前で観察できる機会はそうそう巡って来ない。

 探究心旺盛なこの男は無理を言ってアリサたち一行に同行を志願したそうだった。

 

 そして、アリサ、シエル、マリアナ、チカコの四人と、このルシアンを含めた五名は森へと入った。

「特異級の魔獣を見つけるには森の深部へ向かうと良いだろうね」

 一行が雪道を踏みしだきながら進む中、ルシアンは言った。

「魔獣のコロニーは、頂点である特異級の魔獣を失うと消滅することが分かっている。大抵の魔獣のコロニーは下等の魔獣が外側を取り囲んでいて、中心に近いほど強い魔物が活動していると相場が決まっている」

 ルシアンは言いながら、深い雪に足を取られてよろける。

「っとと……それにしても凄い雪だな」

 ルシアンは踏みとどまって空を見上げる。空を覆う分厚い雲からは絶えることなく大粒の雪が降り続いている。かなり森の深部へと向かっているため、異常気象の影響も強くなっているらしい。

「これは、近づいて来ているようだね」

 雪にはまった足を引っこ抜いてルシアンは言う。

「天候の変化で追えるのだから、思ったよりも早く見つかりそうだな」

 近くを歩いていたチカコがルシアンに言った。

「ああ、特異級の魔獣の位置を予想することはそれほど難しくない。難しいのは、実際に辿り着くことと、仕留めることさ」

 ルシアンは再び雪の上を歩き始める。

 一行はさらに森の奥へと進んでいく。

「さ、寒い……」

 アリサが白い息を吐きながら身を震わせる。その息も強い雪風に吹かれてあっという間に散っていく。

 全員防具の上に厚手の防寒着を着てはいるものの、寒さに悪天候が重なりどんどん体温が奪われていた。

「大丈夫か?」

 チカコは顔に吹き付ける風雪を手で防ぎながら言った。

「お姉様! まだ進みますの?」

 吹き荒れる風雪の中で、マリアナは叫ぶように聞いた。

「当然よ! 特異級の魔獣を倒さないと……」

 と言いかけてシエルは強い風に煽られて、雪の上に体勢を崩す。

「お姉様!」

 マリアナは駆け寄ろうとするが、自身も足が深く雪に埋まり思うように動けない。

「どうだい? 特異級の魔獣を討伐する難しさが分ったかい?」

 ルシアンは四人の中央に立って言う。

「特異級の魔獣の討伐は、この異常気象を乗り越え、厳しい環境下で最も手強い魔獣と戦わなければならない。だから、討伐には後方支援や物資運搬の人員を確保できる中隊規模で当たる。君は、知っていた筈だろう?」

 ルシアンは、マリアナに助け起こされたシエルの方を見る。

「ええ、それでも、行かなければ。ブランドード家の誇りのために」

「素敵ですわ、お姉様! 私もどこまでも参りますわ!」

 頑なに雪をかき分けて進むシエルにマリアナも続いて行く。

「ふぅ、全く、頑固なんだから……」

 ルシアンは肩をすくめる。

「先生、本当にこのまま進み続けて大丈夫なのか……?」

 尋ねながら、チカコは携帯していた飲み物を震えるアリサに手渡している。

「まぁ、とりあえずはね」

 ルシアンは天を見上げながら答えた。また雪の勢いが増したようにみえる。

「でも、危険と判断したら僕は無理やりにでも君たちを連れ帰らなければならない。それが、僕の役目だからね」

 と言いつつも、シエルたちが無理矢理にでも特異級の魔獣へと辿り着くことを期待している。彼の進める魔術の研究において、魔獣の生体メカニズムを解き明かすことほどの近道はなかった。

(……それにしても思った以上だな。これは僕も見たことがない大物かもしれない。是非ともその生体をこの目に焼き付けておきたい)

 ルシアンは険しい顔つきで考えていると、隣で「ぶふぉっ……!?」とアリサが真っ赤な液体を口から噴き出した。

「何だい、それは……?」

 何よりも音に驚いたルシアンは、アリサの方を向いて怪訝な顔をする。

「暖を取るために携行した飲料に香辛料を入れていたのだが……。少し入れ過ぎたようだ」

 チカコは気まずそうに悶え苦しむアリサの背中をさすりながら言った。

「はは……。敵はどこに居るかわからないものだね……」

 ルシアンは苦笑を浮かべながら冗談を言う。

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