地上の涙、海中の覚悟
◆◆◆
その日の夜。
地上の天気は、パラパラとした雨に変わっていた。
グラッドは間借りした部屋から外に出る。
少しだけ髪や服を濡らしながら、ウレイラに割り当てられた部屋へ向かった。
軽くノックをしてから入室しようとすると、中からは「どうぞー」の声もない。
「……ウレイラ。入るぞ」
改めて声をかけても返事はなかった。
訝しみながら扉を開けると、大きな木窓の縁に座って外を眺めているらしきウレイラの姿があった。
「…………?」
部屋の空気が湿っぽいことに、英雄騎士はすぐに気が付いた。
雨が降っているからだけではない。もっと違う理由がソコにある。
こんな時どうするべきか。彼には考える必要はなかった。
お転婆だけど優しくもあった、あのお姫様であればこう言っただろう。
『一人で悩んでいたって答えはでないわよ」
競い合い続けた親友の騎士ならこうしたはずだ。
『何があったか話してみなよ。力になるからさ』
どっちも似た者同士のお人好しだった。そんな彼女と彼の背中を追っている内に、いつの間にか英雄騎士となったグラッドもまた同類になっていた。
だから、彼は口にするのだ。
湿っぽい部屋の中、小さくぐずついている少女に向けて伝えるべき言葉を。
見なかったフリをして去るような選択肢を捨てて、すぐそこにいる少女へと手を伸ばすのだ。
「――オレで良ければ、なんでも言ってくれ」
「……ぐすっ、ぐすっ」
確認するまでもない。
マーメイドの少女が泣いている。
「グラッドぉ……っ」
あの夢見がちな少女の周りを明るくさせてくれる灯火はすっかり消えてしまっていた。ぽろぽろと下に零れ落ちる雫が、彼女の悲しみを物語っている。
「助けて……」
「何?」
「皆が……マジョ様が死んじゃうかもしれないよぉ……」
マーメイドの少女が嘆く。
それでようやく、グラッドは現在何が起ころうとしているかを知ることになった。
◆◆◆
――時は、グラッドとウレイラが出発した直後に遡る。
「…………済まないね、頼んだよウレイラ」
遠ざかっていくウレイラ達を見送りながら、アルサーはぽそりと呟いた。
そこには安堵のような物があった。
彼女の傍に控えている側近でなければ気づかない程に静かな想い。だが、その想いに含まれた優しさに触れられて何人かが穏やかな笑みをこぼす。
「マジョ様。それでは」
「……ああ。あんたらも覚悟はいいかい?」
「ハッハッハッ! 今更何をおっしゃいますか!」
「我ら一同、マジョ様に鍛えられた身です。そのご意思に従って、どんな苦難も乗り越えてみせましょう」
精悍な男も線の細い女も関係なく、マジョを慕うマーメイド達が偽りの無い本心を見せていく。その言葉のどれだけ力強きことか。
たくさんの子供達が居なければ、アルサーは人目も憚らず涙を滲ませながら肩を震わせてしまったかもしれない。
だが、今という時にそんな暇はない。
それをよく理解している海のマジョは「泣かせるじゃないか……」と誰にも聞こえないように呟いてから、大事な号令を発した。
サンゴの街全域に、音を届ける魔法を利用したアルサーの大声が響き渡る。
「ご苦労だったね、あんた達! 我らが見送るべき大事なお客人は地上へと戻った! 彼の騎士の記憶には平和なサンゴの街だけが刻まれただろう。これでもう海の中の出来事に丘の人を巻き込む心配も無ければ、気を遣う事も、足を引っ張られることもない!!」
各マーメイド達が静かにアルサーの言葉に耳を傾ける。
大事な大事なその声を、ひとつ足りとも聞き逃さぬように。
「戦えない女子供や年寄りは避難を始めな。槍を振るえるヤツは事前に通達した場所に集まれ。なぁにビビる必要はどこにもないよ、これから来る奴らなんざ所詮はただデカイだけの魚や亀に過ぎないって教えてやるからさぁ!!」
頼もしいマジョの檄に、マーメイド達が反応する。
ある者は強く頷き、ある者は安堵し、ある者は叫んだ。
自分にとっては子供や孫も同然。
そうとしか思えない程に共に長き時を過ごしてきた者達の呼応に、アルサーは満足げに頷く。
しかし、同時に。
近づいてくる脅威への対抗策を実行に移そうとする中で、マジョは――普通よりもただ長く生きれただけの魔法使いの女は、心の中で頭を下げた。
……ごめんなさい。こんな時にだけ力を貸りて。
でも、何があっても必ず……この街を壊させはしません。
随分と長く生きていく内に、彼女の精神性は常人を凌駕する事もあった。
けれどいつの間にかその精神も摩耗し、気が付けば大した意味もなく過ごす日々を悪くないと感じつつも渇き始めていたのかもしれない。
いい加減に老人は隠居して、若い者達に後を継がせよう。
そんな風に思っていた矢先に緊急事態が二つも起きた。
ひとつは可愛い弟子が連れてきた、不老不死の青年。
ロクな答えもあげられはしなかったが、彼との接触や語り合いはアルサーの老け込んだ心を瑞々しく若返らせてくれた。
もうひとつはこれから出会う、嵐が連れてきてしまったモンスター達だ。
放っておけばサンゴの街はマーメイドが暮らせない場所に変わり、数多くの犠牲者が出てしまうだろう。
それは避けねばならない。仮に避けれないとしても、被害は最小限に抑えなければならないのだ。
グラッドと出会う事がなければ今の自分はこんな風に考えられただろうか。そんな思考が、実は色々とぶきっちょだったアルサーをこっそり微笑ませた。
「ありがとうございます、遠き日の英雄。同類のあなたに出会い話せたのは至上の喜びでした」
「ん、どうかされましたか?」
心の中だけで口にしたつもりが、表に出てしまっていたらしい。
最も近くにいたマーメイドの確認に、アルサーはちょっとだけ恥ずかしくなって誤魔化した。
「大したことじゃないよ。泳ぎの上手くないグラッドは無事に地上へ行けるのかねぇーと心配になっただけさ」
「…………マジョ様。今更な話ではありますが、あの人に助力を求めないのですか? やろうと思えばまだ間に合います。ほぼ単身でクラーケンを倒した実力者とくれば、得難い戦力になってくれたのでは……」
「地上から来た旅人に向かって“どうかお願いします、命を賭けてください”ってかい? さすがに図々しすぎるってもんだろ」
「でもグラッドさんなら……」
アルサーは「それ以上は言わなくていい」と首を振った。
彼女も対抗策を考える過程で、グラッドの力添えは何度も考慮したのだ。
だが、結果的には思い留まった。
はるばる地上から訪れた人間。自分と同じ不老、正確にはより上位の不老不死になった同類。人の身ではなくなった呪いを解くための旅を続けながら、きっと誰よりも人間として生きようとしている青年。
そんなグラッドだからこそ、アルサーは力を貸して欲しいとは言えなかった。
超常の力を持つ存在が助けを求められるのは無理なきことで、若き日のアルサーも幾度となく人々を救った事はある。
――その大半は、都合のいいものを利用してるに過ぎなかった。
中には感謝すらせず「化物には化物をぶつければいい」と嘲笑っていた者達すら居た。その言動は不老不死となろうが、消えない傷を残せる凶器となりえる。
アルサーは、そんなモノになりたくなかったのだ。
決してマーメイド達をないがしろにしたわけではない。
自分よりも過酷な運命を迎えた青年に、奇跡の出会いを果たした不老仲間に、余計なナニカを与えたくは無いという想いが勝っただけの話だ。
それと――――
「まあ、アレだ。ちょっとした我儘だと思っておくれよ」
「我儘、ですか?」
ええ、そうですよ。
今度こそ声にはせずに、マジョは口にする。
「ここらでいっちょ、海のマジョのかっこよさを皆に披露してやりたくてね」
そう発した彼女には、敗北も諦めもなく、未来へ繋がる道筋だけが見えていた。
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