海の中にある書庫

 ◆◆◆


「……ふわぁ」

「なんだいなんだい、いい若いもんが昼前に大欠伸なんかしてからに。昨晩はお楽しみでしたってかい?」

「ウレイラが寝かせてくれなくてな」


 アルサーのおっさん的冗談に対して、グラッドが意味深なカウンターを繰り出す。

 ぼかされた真相は、元気はつらつなマーメイド少女は夜な夜なグラッドに対して「もっと話が聞きたい!」とせがんできた、である。


「仲がよろしくて何よりだね。あんまりよろしくやりすぎてあの子が“もっと一緒に居たい!”なんて言いだしたら責任とっておくれ」

「偶然出会った旅人にそこまで入れ込むとしたら、外への憧れが強いからだろ。俺がどうこうとかじゃない。誰が相手でも似たような感じになるんじゃないかな」


「それはギャグの一種かい?」

「いや?」

「やれやれ、クラーケンを倒せる力を持ってる地上の人間ってだけでも珍しいのに、不老不死の元騎士なんざレア中のレアだよ」

 

 己の価値を軽んじて話す素振りの旅人に対して、彼の希少さをしっかり重くみているアルサーが首を横に振る。その意味合いがグラッド本人に通じたかどうかは、ほがらかな苦笑からは読み取れない。


 このような雑談をいくつかしている間に、グラッド達は街の奥にある滑らかで美しい模様の建物(貝)に到着した。


「綺麗な建物だな」

「この街で唯一の書庫だからね。知識は宝、みんな大事にしてるのさ」


 アルサーが何やら呪文を唱えると、殻口の扉からガチャリと鍵が外れた音が聞こえた。初見のグラッドからしてもそれなりに厳重に施錠しているのだと分かる。


「魔法の鍵ってヤツか。手がこんでるな」

「意外とそうでもなかったりしたんだけどね。昔は誰でも使えるように開放してたし、その後は地上にもあるような錠前を使ってたんだ」

「だったらなんで今はこうなってるんだ? まさか泥棒でも出たか」


 珍しい書物はちゃんと求めている者に売ろうとすれば高値がつく。

 知識は宝とは何一つおかしくない真実なのだ。


「この街で本を盗むようなヤツはいないよ。そもそもバレずにどこに売るっていうんだい?」

「ああー、確かに」

「原因は時代の流れ――とカッコつけたいけどね。真実はもっとくだらないのさ」


 当時を思い出したアルサーがクックックッと悪そうな笑いを漏らす。


「すぐに錆びちまったんだよ。やっぱり塩気かねぇ」

「塩気……」


「そもそも鍵をかけたのだって、当時ラクガキ好きの悪ガキが貴重な本をいくつかダメにしちまったのが発端さ。さすがにソイツみたいなのが今後出続けると、本が何冊あっても足りないってね」

「そりゃまた、深刻なのか判断しかねる発端だ」


「懐かしいね」


 郷愁たっぷりにマジョはぼやく。


「本をダメにしたのもあの子なら、基本は鍵をかけておいた方が書物を大事に管理できると言い出したのは成長したあの子だった。最終的には自分がダメにした本の何倍もの蔵書を増やして、保存・保管のルールも作って、絵も上手な学者になったのさ。人は何がキッカケで変わるかわからんね」


 所狭しと本棚が並ぶ書庫に足を踏み入れたアルサーが、近くにあった一冊の背表紙を撫でる。きっとそれが“あの子”が残した本の一冊なのだろう。その手つきは大切な物を扱うかのように優しい物だった。


「今は……半分くらい私の物置と化してるけどね」

「皆で大切にしてる書庫の私的利用はルール違反じゃないのか?」

「職権乱用ってかい? なーに問題ないよ。この場所の管理は基本的に私任せになってるからね」


 それは間違いなく職権乱用である。

 アルサーはなにひとつ悪ぶれた様子もなく愉快そうにしているだけだ。


「コメントしづらいなぁ」

「別に含蓄のある言葉を求めてるわけじゃないんだ、気にするんじゃないよ」

「分かった。それじゃあ、急かさない程度に本題をお願いしようかな」

「ああ。ついてきな」


 するすると棚と棚の隙間を抜けて上層への階段を昇っていくマジョに、グラッドはついていく。移動している間に物珍しい海中書庫をキョロキョロと見まわしたが、壁や床は白い砂色で、触れた感触はやはりというべきか硬い貝と変わらない。


 水の中に浸っているはずなのに本が全く濡れていないのは、グラッドがこの場で普通に動けるのと同様にマジョの魔法によるものか。もしこの魔法が各地の本好きや司書に広まれば、本が濡れてダメになってしまう悲劇から救われる者も多いだろう。


 ――本が濡れない魔法か。


 使えたら便利だなーとグラッドでも思うものの、自身に魔法使いの素養があまりない自覚はあるため本気で習得しようとまでは意識がいかない。

 水中の書庫なんて洒落た幻想的な場所がたくさんあるのも何か違う気もするので、この場所や魔法について自主的に広める気もさらさらなかった。精々誠実そうな人に請われたら伝えるか、旅先の話のタネにするぐらいだろう。


「はてさて……確かこの辺りの棚に……」

「手伝うか?」

「それには及ばないよ。……ああ、コレだコレだ」


 アルサーが取ってきた本――ではなく、古そうな巻物をテーブルの上に広げていくと大きな地図が姿を現した。


「先に言っとくけど、地図は随分と昔の物だよ。実際の地形や国、人が住む町や村の位置だって変わっているはずさ」

「分かってるさ。それでも何の情報もないよりずっといい。そうだろ?」

「まあね」


 相槌を打ちながら、アルサーが地図の一点を指さす。


「このサンゴの街があるのは、大体この辺の海だね。ウレイラがあんたを引き上げたってゆー島は、このちょいと上にあるヤツだ」

「……大きな陸地からは結構離れてるな」


 グラッドの言う通り。

 大陸と呼ぶべき地から、現在地は大分遠い。少なくともありあまる体力を駆使したとて泳いで辿りつけるような距離ではなさそうだった。


「どこか船を出してくれる港が近くにあったりは?」

「港じゃないが、私らと交流している人間達の漁村がある。そこの連中に上手く頼めればもっと大きな町にも着けるだろうさ」

「十分だよ。教えてくれてありがとうな」


「……なぁに、似た者同士の縁さ。大したことじゃぁないよ」


 不老不死仲間。

 そう呼ぶには遠いが、まったく親近感がないわけでもない。

 今のこの街で二人だけが共有できるものに対して、どちらからともわからず微笑がにじみ出てくる。


「あんた」

「ん」


「気が向くなら、好きなだけこの街に居ついてもいいんだよ。何日でも何カ月でも、何年でも。ついでにウレイラを貰ってくれるとありがたいねぇ。あんなんじゃ嫁の貰い手が無さそうだから、心配で死にそうなんだ」

「大事な子を出会って間もない旅人にほいほい託そうとするのはどうなんだ」


「年寄りの戯言に対して正論で返すなんて、なんて冷たい男だい」

「ウレイラなら自分で相手を見つけるさ。下手したら本当に王子様の一人や二人捕まえてみせるかもしれないぞ」


「何を根拠に言ってんだいまったく」

「何がキッカケで変わるか分からない。そういうことだよ」


 自身がした昔話を含ませた物言いに、海のマジョは「やれやれ確かにね」と返す他なかった。


「長年生きて世界を股にかけた旅人のお墨付きだ。その予想、当たりそうな気がしてきたよ」

「単なる勘をあてにされ過ぎても困るけどな」

「なるべく早く頼みたいところだ。孫の顔が見れるうちにね」

「ウレイラはあんたの子供じゃなくないか?」


 グラッドの素朴な疑問に、アルサーがキメ顔を作って言い放つ。



「この街とは、長い付き合いなんだ。誰も彼もが私の子供みたいなもんだよ」



 後にグラッドは、サンゴの街で出会ったマジョの話を誰かにする時にはこう語った。


 その時の彼女に偽りや誤魔化しはなく、諦念も疲れ切った様子もない。

 ただ普通の人よりもずっと長く生きてきた女の、

 慈愛と親心に満ちていた、と。


 

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