外伝:吸血鬼の友人が語る、過去の物語②

「穏健派と過激派の吸血鬼に、敵対する人間との争い、か」


 寂しそうに呟くグラッドは、我らの住まう土地についてをほとんど知らなかった。

 だからこそ解せぬ。この人間は何故そんな表情をするのか。赤の他人の国や土地など、どうでもいいと考えるのが普通ではないのかと。


 当時の我はそう思っていた。


「助けてもらったことには感謝する。だが、ここは貴様のような人間がいるべき土地ではない。不幸な目に遭う前に去るがいい」

「……そうさな」


 妹を救ってくれた者が死ぬのは忍びない。

 吸血鬼の不毛な争いに巻き込むなど以ての外だ。一刻も早く、遠ざけるべき――。


 そう考えながら休息を取っていた。

 その思考が甘すぎるということに気づかずに。結果的には他の誰かではなく、自分たち自身がグラッドを巻き込むことになるというのに。


「うぅ……」

「ルビィ?」

「お、お兄様……」


 隣で苦し気にうめく妹に異変が起きたのは、すぐだった。

 瞳孔が開き、その宝石のような瞳が血のような色に染まっていた。呼吸は荒く、口元からは牙が覗いている。


 しばらく血を取っていない吸血鬼に見られる絶食症状。

 この状態の喉の渇きや飢えは、吸血鬼にとっては何よりも辛い苦しみのひとつと数えられている。


「……すまない、耐えてくれ」

「うん……ぐぅっ」


 手持ちの血などありはしない。

 念のために所持していた物はとうに使い切っている。自分ならまだしも、大切な妹が苦しむさまは何よりも心を抉るが耐えるほかなかった。


 ――そのはず、だった。


「おいおい、そんな様子の妹に耐えてくれってのは酷だろ」

「悪いが口を挟まいでもらおう。コレはお前のためでもある」

「なんだと?」

「今すぐ我らから距離をとれ。渇いた妹にとってお前の存在は甘美な毒に等しい」


「意味が分からないぞ」

「吸血鬼は生まれた時から血を飲むことを強いられている。今のルビィは、狂いそうな程に渇いていてなお、水が飲みたくても飲めないのと一緒だ」


 わかるだろう。

 水はお前だ。


 そうやって言外に伝えたつもりだった。

 だというのに、グラッドレイという男は距離を取るどころか。


「それならそうと早く言え!」


 妹の傍に駆け寄って、ナイフで自らの手首を切った。

 我は驚くしかなかった。


「馬鹿な!? 貴様は何を――」

「血が必要なんだろ」

「…………バカな」

「おい、どうしたらいいんだ。このまま直接口から飲ませればいいのか? それとも手からじゃなく、水筒や器にでも移してからか?」


「………………直接吸い付かせるのはまずい。我が押さえておく。ひとまず、空中から妹の口に垂らしてもらえるか」

「よし」


 グラッドの血を口に含んだルビィがコクリ、コクリと命を繋ぐ源を嚥下していく。

 みるみると肌の血色が良くなっていき、瞳の朱が元の鮮やかな赤へと戻っていった。

 我の手元に、とめどない涙の雫が零れ落ちる。


 妹のものと、我のものだった。

 人間に。忌み嫌われているはずの人間から、こんな形で助けられるのは当時の我らにとってはそれだけの事態だった。


「……すまない、恩に着る」

「違うぞ、ダスカービル」

「?」


「こういう時はすまないじゃなく、ありがとうって言うんだよ」


 こんな人間がいるのか。

 あまりの衝撃に、我は絶句した。


 ただ妹は、我よりもずっと素直な性格だったゆえ。


「あの……」

「ん?」


「ありがとう……ございます」

「どういたしまして」


 泣きながら、最上の礼を尽くしていた。

 思えばあの時から既に、妹はグラッドに惹かれていたのだろう。


 そしてそれは。

 我も同様だった。


 ◇◇◇


 しばらくの間、グラッドは我らと共に行動するようになった。


「不毛な争いが起きてるなら見過ごせないんでね」


 ただの正義漢かと思いきや、どうやらそうでもないらしい。

 その瞳が見やる先には誰かの背が映っていた。


「俺の知り合いなら、何とかしようとするからな。確実に」


 幾日も過ごせば、種族が違う相手であろうとも互いに知るようになる。

 人間とそれだけの積み重ねをするのは、我も初めてだった。


 襲い掛かってくる吸血鬼を倒し、時には人間を助けることもあった。

 人間であるグラッドが人間を救うのは分かる。吸血鬼の中には下種な輩も存在しており、ただ悪戯に弱者をいたぶる者もいた。


 そんなクズが同じ吸血鬼なのは腹立たしい。

 くだらない争いの発端に繋がるのは、そんな輩の言動に他ならない。

 見つけ次第始末することに躊躇いは必要ない。ただ、そういったことをグラッドと共に繰り返している内に、人間の子供から感謝されたことがある。


「お兄ちゃんは良い吸血鬼なんだね。お父さんやお母さん、僕と妹を助けてくれてありがとう」

「…………礼は不要だ。同胞が怖い想いをさせた」

「ううん、大丈夫だよ。ありがとうカッコイイお兄ちゃん!」


 繰り返される礼に、不思議な気持ちになった。

 だが悪い気はしない。


「良かったな、カッコイイお兄ちゃん」

「ぬかせ、たわけが」


 からかってくるグラッドは気に入らなかったが……。

 我は人間に少しずつ触れていっている感覚があった。長年生きておきながら今更と思うところもあったが、重要なことだ。


 いつしか我らは人間からも吸血鬼からも注目されるようになった。

 いわく、弱者を救う正義の味方。

 いわく、敵対種族を助ける愚か者の同胞殺し。


 敵は、増えた。

 だが同時に、密かに味方として立ち振る舞ってくれる者も、また居た。

 特に吸血鬼における中立派の中でも大きな力を持った大貴族に気に入られたのは幸運であった。


 大切な妹を安全な場所に匿うことができたのは我にとって大きい。コレで自分の大それた行動でルビィを危険にさらす可能性は著しく減った。


 つまりは、何だ。

 我とグラッドは、更なる無茶ができるようになったわけだ。


「さあ、ダスカ。今日は威張り散らしてる大馬鹿者に一発くれてやろうぜ」

「ならん」

「ん?」

「どうせくれてやるなら二発だ」


 気づけば我とグラッドは愛称で呼び合うのが自然になった。

 我は正義の味方を気取るつもりはない。

 ただ、グラッドという人間は目の前で起きる惨状を見過ごせず、困った者を放っておけない騎士だっただけの話だ。


 気に入らないことがあればぶちのめすのみ。

 こう考えてしまう時点で、随分と我はグラッドの影響を受けてしまっている。だがそれも悪くない。

 いつまで続くとも知れぬ暗澹たる気持ちのままでいるよりも、ずっといい。


「父上、母上。もしかしたら……いつの日か叶うやもしれぬ」


 穏健派だった父と母が望んだ未来。

 空想とあざ笑われた夢物語の実現。人と吸血鬼の共存。


 大それたことだ。

 しかし、グラッドにはそれを見させる何かがあるように感じた。


 人間の癖に吸血鬼と同等以上に強く、その姿には眩しくも温かな光がある。

 まるで――お伽噺の英雄のように。


 そんな存在と肩を並べて戦えることが誇らしい。

 たとえこの先に地獄の業火が待ち構えていたとしても、グラッドとであれば怖気づくこともなく飛び込めるだろう。


 僅かであろうとも、この地を安息の地へ変えるのだ。

 夜の闇と昼の光が混在する場所へ。


 ――――密かにそんな想いを馳せていたある日。

 我は勝手にグラッドを強き光と信じていた、浅はかな自分を恥じた。

 

 眩い光は、昏き闇をも抱えていたのだ。


 ◆◆◆


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