第6話 決意と脱出

 夜が明けるころに青年の容態は安定した。熱が下がり、寝息も穏やかなものになる。


「もう大丈夫です。あたしが見てますから、ディアボリカ様はお身体を清めてきてください」


 全身泥だらけですよ、とモイラに苦笑されたので、言われた通りに散水室を借りて、体を洗うことにする。水をかぶると、泥と一緒に余計な熱が削ぎ落されていく気がした。


 腹の底でたぎる怒りは、今は穏やかに、けれど変わらずディアボリカと共にある。

 身を清め終わるころには、ひとつの決意が固まっていた。


(モイラに話そう。……あの男のことも)


 なりゆきで看病を手伝ってもらったものの、モイラには何も説明できていない。ディアボリカを全面的に信頼してくれているのはありがたかったが、さすがに人間を拾ってきた主人に驚いているだろう。


 洗い髪を拭きながら寝室へ向かっていると、村長に呼び止められた。


「ディアボリカ様……すこし、よろしいですかな」


 村長は、ひどく渋い顔をして口ごもっている。


「あの男のことか?」


 察して話の水を向けると、村長はぐっと息を飲んだ。声量を抑えつつ、非難の声を上げる。


「そうです、人間をこの村に連れ込むなど、何を考えてらっしゃるのですか、ディアボリカ様! 人間は、我々を魔族を裏切ったのですぞ!」

「もちろん承知している。意識が戻り次第、あの人間を尋問する。あいつがエタンセルの兵なら、情報を全部吐かせてから殺す。けっして楽になど死なせるものか」


 村長がゾッとした顔で後ずさった。


「話はそれだけか」


 問いにいらえは返ってこない。ディアボリカは彼に背を向けた。


「……貴殿やルサールカには迷惑を掛けない」


 それだけ言い残して、寝室に向かう。


 歩くにつれて、人の話し声が聞こえてきた。モイラと、もうひとつは男の声だ。


(目を覚ましたのか)


 足早に廊下を歩き、寝室の扉を押し開ける。

 部屋に入ると、今にもべそをかきそうなモイラの顔が、ディアボリカの眼に飛び込んできた。


「はぅ……デ、ディアボリカ様ぁ……」


 モイラは片手を、寝台で半身を起こした青年に握られている。

 カッと頭に血がのぼった。


不埒ふらち者! その手を離せ!」

「っ!? 痛てっ、ちがうちがう、誤解誤解!」


 男の手首をつかんでじり上げると、彼はあわてて声を上げた。


「助けてくれたお礼を言いたかっただけだってば!」

「礼を言うのに手を取る必要などないだろうが!」

「ごめん、軽率だった、あやまるから、手を離し……いてててて!」


 男が情けない悲鳴を上げる。


 しばらくして、ディアボリカは男の手首を離した。視線は油断なく、彼をじっとにらえる。

 そんなディアボリカの鋭い視線など気にもせず、青年は手首をさすりながら「助けてくれてありがとう」と笑った。


「流れの激しい渓流に突き落とされたんだ。なんとか川岸にたどり着いた途端、意識が遠くなってしまって。あなたが助けてくれなかったら、おれはあのまま死んでたと思う」


 青年の乾いてさらさらになった金の髪が、窓から差し込む朝の陽に輝く。


「おれはアルセン。よろしく、優しい死神さん」

「し、死神っ!?」


 モイラが裏返った声を上げて、アルセンの視線の先にいるディアボリカを見た。

 あらぬ誤解が生まれたようだ。溜息を薄く吐いて頭を抱える。


「……私は死神じゃない」

「そうなんだ? じゃあ、呼び方を改めないとだね」


 まるで少年のような、あどけない様子でアルセンがつぶやく。


「ディアボリカって名前で呼んでいい? それとも魔姫の方がしっくりくる?」


 世間話のような口調で問われて、場が静まりかえった。

 さきほどモイラがディアボリカの名を口にしたのだから、それをなぞっても不思議ではない。けれど、ディアボリカの名前と魔姫を結びつけるのは、リヴレグランの王族のことを熟知していないとできない。


 ディアボリカは部屋のすみに立てかけていた銀の剣を取り、鞘から抜き放った。鋭い光を放つ切っ先をアルセンに向ける。


「やはりお前はエタンセルの人間か」


 アルセンは剣を向けられても動じなかった。変わらず微笑を浮かべている。


「私の通り名を知っているということは、エタンセルの王族に近しいものか、あるいは王族の従者か。お前は、セシル王子と共にノクイエを滅ぼしたのか?」

「んー……」


 あいかわらず、緊迫した空気にそぐわない、間の抜けた声でアルセンはうなった。彼は腕を組んで小首をかしげる。


「半分あってて半分違う、かな。たしかにおれはセシル王子の従者みたいなものだけど、ノクイエに向けて軍を進行しようとする王子を、争いはよせって、説得しようとしたんだよね。で、リヴレグランにまでついてきた口やかましい従者を、王子はうとましく思って、ついには渓流に突き落とした」


 ディアボリカは眉をひそめた。アルセンが口にしているのは真実だろうか。


「……セシル王子は、なぜリヴレグランに突然刃を向けた」

「そんなの、おれが聞きたいくらいだよ。王子に尋ねても答えてくれなかった」


 アルセンは溜息をついて、それから改まった様子でディアボリカに視線を向けた。


「それよりあなたはどうするんだい、ディアボリカ。ノクイエが滅ぼされたって言ってたけど。よその国に亡命するつもりなら、助けてくれたお礼に手を貸すよ」


 ──亡命。その響きに、ディアボリカは唇を噛みしめる。


「不要だ」


 短く言い切り、刃を突き出す。

 喉元に切っ先を当てられても、アルセンは笑みを崩さない。


「じゃあどうするの。自害でもするつもり?」

「自害? 私がか? なぜそんな真似をしなければならない」


 鼻先で笑い飛ばして一笑にすと、アルセンは目をまるくした。


「姫君ってそういうものじゃないの」

「人間の姫君の話など知るか。──私はセシル王子を討つ」


 ディアボリカの言葉に、モイラもアルセンも目を見張った。


 一夜明けたのちに固めた決意だ。誰に反対されても、無理だと笑われても、このこころざしを覆すつもりはない。父王は生きよと言いのこした。ディアボリカが心を殺さずに生き延びるには、父と兄と故郷のかたきを討つほかない。それだけが、その目的だけが、ミリを見殺しにしたという自己憐憫れんびんかせを外し、絶望にひんした心を燃え立たせ、血潮を熱く巡らせてくれる。


「……本気?」

「本気だ」


 アルセンの視線を跳ねのけるように言い切る。

 ディアボリカは、ちらとモイラの方を見た。きちんと話そうと思っていたのに、こんなかたちで切り出すことになってしまって残念だ。


「だから……君とはここでお別れだ、モイラ。最後まで付き従おうとしてくれてありがとう」

「え」


 モイラがぽかんと口を開ける。


「え……え? 嫌ですっ! モイラはずっとディアボリカ様と一緒ですっ!」

「聞き分けてくれ」


 取りすがってくるモイラに、眉をひそめて言い聞かせる。


「私は君が思い描くような姫じゃない。ゆうべ、この男を助けたときに思い知ったんだ。私のなかには激しい怒りが……復讐心があると。きっと私はこれから、いばらの道を歩む。君を巻き込むわけにはいかない」


 怒りに飲まれる醜いすがたを見て、失望されたくなかった。復讐心に抗えないならせめて、モイラの目に映るディアボリカくらい、綺麗なままでいさせてほしい。


 モイラが身体を震わせて、ディアボリカを睨みあげた。その眼には、涙が溜まっている。


「ディアボリカ様のばかっ!」

「…………ば、ばか?」


 不意を打たれて、間抜けな声で鸚鵡おうむ返しする。

「ばかですっ!」と、さらに追い打ちを掛けられた。


「あたしだっておんなじです……っ、故郷を、ミリを、ヴラド様や王様を亡くして、気持ちがぐちゃぐちゃのまっくろになってますっ! どうしてご自分ひとりだけ、怒りに飲まれてるなんて思うんですか! どうしてあたしを、ディアボリカ様のお側から離そうとするんですかっ……!! そんなに、あたしは頼りないですかあっ……」


 モイラの目からぼたぼたと大粒の涙が落ちる。

 ディアボリカはぎょっとして、おろおろとモイラの顔を覗きこんだ。


「ち、違う。そうじゃない。泣かないでくれ」

「うぅ……っ、モイラを、置いていかないでください……!!」

「……っ」


 モイラの言葉が胸を抉った。それは、ディアボリカが今際いまわの父王に投げた願いと同じだ。息が詰まりそうになる。


 ディアボリカはたまらず、張りつめていた身体の力を抜いた。昔からこの侍女に泣かれたら勝つことはできない。モイラにゆっくりと語りかける。


「……すまなかった……一緒にいる……一緒にいるから……」

「ディアボリカ様ぁ」


 モイラがはなをすすった。


「……あー、話がひと段落したみたいだし、そろそろいいかな」

「っ!?」


 蚊帳かやの外にしていた、アルセンの存在を忘れていた。モイラも同じように失念していたのだろう、顔を真っ赤にして口をぱくぱくと開け閉めしている。

 ディアボリカは剣を構え直した。


「あ、ごめん。もうちょっと待った方が良かった?」

「うるさい、私達を侮辱ぶじょくするつもりか!」

「いや、本気で悪かったかなって思ったんだけど……」


 アルセンが気まずそうに頬を掻く。

 彼は自分の胸に手を当てて、表情をあらためた。


「ねえ、あなた達がセシル王子を討つつもりなら、おれも協力しようか?」

「な……」


 あっけにとられるディアボリカにかまわず、アルセンは言葉を続けた。


「リヴレグランの王族を討ったなら、セシル王子はノクイエを臣下に任せて、エタンセルに凱旋がいせんするだろう。兵力を蓄えて戦を仕掛けるにしろ、少数精鋭で攻め込むにしろ、エタンセルに行くなら、土地に詳しい案内人が一人くらいいた方がいいんじゃないかな」

「……何が目的だ」

「目的なんて。命の恩人を助けたいって思うだけだよ」


 ディアボリカはアルセンの顔を見た。

 少年よりは大人びて、青年と呼ぶにはあどけない彼は、隙のない微笑みを浮かべている。ひどく整った容姿も相まって、その表情からは何を考えているのかが見えない。


「信用できない」


 短く告げると、アルセンは困ったように眉を下げて笑った。


「はは……まぁ無理もないか。あなたが納得できる理由を足すなら、セシル王子の暴挙を見過ごすわけにはいかないっていうのもある。これはこれで胡散臭うさんくさいって言われそうだけど」


 そこで言葉を切ると、アルセンは寝台から身を起こした。剣を構えるディアボリカに構わず、彼は部屋の隅に立てかけられていた、自らが腰に差していた剣に手を伸ばす。


「まあ、信頼はこれから勝ち取るよ」


 鞘から剣を抜き、アルセンは部屋の扉を蹴破った。

 部屋の外から悲鳴とも困惑ともつかない声が上がる。


 ディアボリカは目を見張った。村長をはじめとする村の男達が、武器を片手に部屋の前に陣取っている。アルセンが剣の切っ先を向けると、彼らは怯えるようにざわめいた。


「立ち聞きとはいい趣味じゃないか。その武器、どういうつもり?」


 アルセンが問う。村長は、へつらうような視線をディアボリカに向けた。


「誤解なされませぬよう。我々は姫の御身をおもんばかって集まったのです。この人間が、ディアボリカ様に無体を働くのではないかと……なあ?」


 話の水を向けられた男たちは、みな口々に村長の言い分を肯定したが、どうにもやましさのような薄暗い空気がぬぐえない。眼を配ると、村の男達は荒縄を三束も持っていた。どうやら彼らはアルセンだけでなく、ディアボリカとモイラをも拘束しようという腹積もりらしい。


 村長が一歩前に歩み出て、仰々ぎょうぎょうしく両手を広げた。


「……ディアボリカ様。あなたは父である王を亡くし、錯乱さくらんしておられる。このような人間の命を救い、さらにはエタンセルの王子に復讐をくわだてるなど。あなたには休息が必要です。しばらくルサールカで療養なさいますよう」

「──話を聞いていたのか」


 ディアボリカは歯噛みした。

 亡命ならまだしも、王子に復讐を企てる姫を見過ごしたなら、いずれ訪れるエタンセル軍にとって、ルサールカは反乱因子だと見なされかねない。それならディアボリカを拘束して、エタンセル軍に引き渡した方が、ルサールカの印象が良くなる。エタンセル軍がむやみにルサールカの村人を傷つける可能性だって低くなるだろう。


(私が姫ではなく王子だったなら……)


 もし生き残っていたのがディアボリカではなくヴラドだったなら、村長はこんな強行手段に出ただろうか。復讐を企てるのが無力な姫でなく、力強い王子だったなら、彼らは王族にリヴレグランの復興という夢を見出していたのではないだろうか。

 ディアボリカが何も言えずにいると、アルセンは村長を鼻で笑い飛ばした。


「療養だなんて聞こえがいいね。要するにおれたち三人を軟禁する腹積もりなんだろ」

「あなた方が混乱していらっしゃる以上、致し方ないことです」

「おれたちは正気だよ。おかしいのは、自分たちの王族を敵国に売り飛ばすお前らの方だ!」


 アルセンが床を蹴って剣を振るった。村長の前に大柄な男がおどり出て、アルセンの剣を斧で受け止める。金属音が響く。剣を弾き返されて一歩後ずさったアルセンは、着地と同時にまた跳躍ちょうやくし、斧を握った男の手に剣戟けんげきを叩きこんだ。

 ディアボリカは息を飲む。


(こいつ、強い……!!)


 苦悶の声を上げながら男が倒れる。男に向かって剣を振りかぶるアルセンを見て、ディアボリカはハッとして声を上げた。


「待て、殺すな!」

「えぇっ!?」


 思わず振り返ったアルセンの隙を突いて、村人達が突進する。ディアボリカは剣をさやに滑らせて、刀装具で村人の胴を打った。


 姫が加勢したことで一気に混戦になる。動揺した男達が武器を振りかぶって襲い掛かってくる。アルセンは剣の柄で敵のあごを打ち、ひじを腹部に叩きこんで、次々と村人達を昏倒こんとうさせた。


「まったく、お人好しすぎるよディアボリカ!」


 アルセンのあきれ声に構わず、鞘を振るい、戦意を削いでいく。モイラも「えいっ! えいっ!」と、部屋に置かれていた壺やまくらや丸めた布団を投げて加勢してくれる。襲い掛かってきた男を打ち払い、ディアボリカは声を上げた。


「うるさい! 国をつくるのは民だ! 民をまもらず、何が王族か!」


 村人らに動揺がはしった。

 その一瞬の隙をアルセンは見逃さない。


「突破するよ!」


 端を発した彼を筆頭に、ディアボリカとモイラは村人らの群れに突っ込み、部屋を出た。追いすがる村人達を振り払って、そのまま野外へと駆ける。


「馬舎へ! 私達の馬がいるはずだ!」


 ディアボリカの言葉通り、村外れの馬舎にはブライアーと、モイラの馬が繋がれていた。主人を見つけていななくブライアーに飛び乗り、モイラの馬と村の馬の繋ぎ紐を、剣で一閃する。


「乗れ!」


 ディアボリカが叫ぶ。

 アルセンとモイラは、それぞれ自由になった馬に飛び乗り、馬の腹部をかかとで打った。

 三頭の馬が砂煙を上げて駆け出す。ディアボリカ達を追いかけて野外に出た村長や村の男達は、駆ける馬を前に成すすべもなく立ちすくむ。


 ゆうべよりずっと老け込んで、疲れ果てた顔をした村長に、ディアボリカはすれ違いざま声を張った。


「魔姫はルサールカを訪ねなかった! 良いな!」


 村長がどんな表情を浮かべたのかは分からない。

 三人は村を出て、馬を南へと走らせた。

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