第2話 黒竜と白昼夢

 ノクイエに住む人々は、魔姫率いる乙女騎士たちをひと目見ようと、大通りに集まっていた。摘みたてのマクアの花が振り撒かれ、乙女騎士たちの黒馬と黒い装束に、雪のような白い飾りがほどこされる。


 街を抜けると、開けた野が眼前に広がった。黒い森と岩峰が国土のほとんどを占めるリヴレグランだが、そのぶん要所へ続く道はいたって分かりやすく、また敷石の整備も行き届いている。ディアボリカたちは冠雪の残る尖峰を眺めながら、新芽が芽吹いたばかりの野を下った。


「あっ、見て下さいディアボリカ様っ!」


 馬上でモイラが声を上げ、上空を指さした。

 白い雲のあいだを縫うように、数匹の銀の竜が飛んでいる。竜がゆっくりと羽根を動かすたびに、ごうと春嵐のような風が立つ。

 ディアボリカも手綱を引いて馬を止め、薄い色の空を見上げた。


「見事な渡り竜だな。おそらく冬籠りを終えて、餌を求めて南下しているんだろう」

「ほんっとすっごい! おっきいですね~! ノクイエからも遠目で見たことありますけど、あれは麦粒ぐらいの大きさでしたもん、ぜんぜん迫力が違いますねっ!」


 モイラがはしゃいでいると、彼女の隣にターニャが並び立った。


「騒ぐのはいいが、馬から落ちるなよモイラ。ここに捨て置くぞ」

「何よ、いさめるにしても言い方ってものがあるでしょ!」


 頬をふくらませる侍女と騎士団長を見て、ディアボリカは微笑んだ。二人のかけあいに、騎士たちもくすくすと鈴のような笑い声を転がす。


 春の巡礼という堅苦しい名目はついているものの、この旅は乙女だけのものだ。首都ノクイエから出るのが初めての者も多く、皆、春の旅路に自然と心が浮きたっている。


 目的地である黒竜の墓までは、馬の足で二日かかる目算だ。ときおり休息をとり、馬に水を飲ませ、干した肉や果物、堅く焼いた黒パンや葡萄酒などで軽い食事を摂りながら、ディアボリカ一行は南へ向かった。


 宿泊には王族専用の小さな別荘を使う。別荘では心得のあるものが楽器を奏で、賑やかで楽しいものになった。


 乙女騎士たちが夜話に花を咲かせるのを背後に聞きながら、ディアボリカは窓辺に腰掛け、夜空を眺めた。空は澄み渡り、冴え冴えとした双月が浮かんでいる。ふたつ並んだ月は満ち欠けが対になっており、片方が満月になると、もう片方は新月を迎える。ふたつの月が同時に満月を迎えることも、新月を迎えることもない。


 もうすぐ新月と満月を迎える双月を見上げていると、楽器を奏でていた乙女騎士が、あの月はディアボリカ様の双眼のようですね、と言った。抒情じょじょう的な比喩ひゆをあてられて、ディアボリカは、君は吟遊詩人の才があるな、と笑った。


 澄んだ夜空はそのままに、二日目の朝も天候は崩れなかった。太陽が中天に昇るころ、一行は黒竜の墓の入り口、洞窟の前に辿りつく。


「天幕の準備を。準備が出来次第、みそぎの水と着替えを持ち込んでおくように」


 ターニャがてきぱきと指示を飛ばす。


 すぐに洞窟の前に天幕が張られた。ディアボリカは天幕のなかで水を使って身体をそそぎ、旅装から黒のドレスへと装いを改める。最後にマクアの花束を持てば、さながら竜の花嫁のような出で立ちになった。


 同じように正装したターニャとモイラとともに、洞窟に足を踏み入れる。ここから先は竜の聖域だ。王族と、ごくわずかな従者しか入ることを許されない。


 ひんやりとした鍾乳洞を歩いてしばらく、大きな広間のような空洞に出る。空洞のなかほどには、竜がうずくまるほどの大きさの黒曜岩が据え置かれていた。これがリヴレグランを守護したと言い伝えられている、黒竜の墓だ。


「お前たちは、ここで待っていてくれ」


 二人に告げて、ディアボリカは一人、黒竜の墓に歩み寄る。


 夏の巡礼で献花と祈りの役目をになっていたのは父王であったけれど、今のモイラやターニャのように、いつも父の側で儀式を見ていたディアボリカは、手順と作法を見て習っていた。マクアの花束を黒曜岩の前にそなえて、指先で自身の額に触れ、次に黒曜岩に刻まれた文様に触れる──


 文様に指が触れた瞬間、意識が遠のく。


「……っ!?」


 我に返り、あわててかしいだ身体を立て直す。知れず閉じていたまぶたを開けると、二対の青い宝石が、ディアボリカの視界に映った。

 何度か目をしばたたく。

 それは、黒竜の双眼だった。


 黒竜は、じっとディアボリカを見つめている。何が起こったのか分からず、身じろぎすら忘れて、ただその金と青の瞳で黒竜の視線を受け止める。


 黒竜が前肢を持ち上げる。大きな鉤爪かぎづめが地を踏みしめて、ディアボリカのもとへ一歩、歩み寄る。ズン、と重い地響きが洞窟を震わせた。

 竜が鎌首をもたげて、ディアボリカに顔を近づけてくる。青い宝玉のような竜の瞳が眼前に迫った。


「……っ!」


 ディアボリカは思わず硬く目を閉じる。


 そのとき、青い光が弾け、すさまじい突風が巻き起こった。風圧でまぶたを開けることすらできず、呼吸もままならない。


 やがて光も嵐も鳴りを潜める。そろそろと瞼を開けると、そこに黒竜のすがたはなく、意識が遠のく前と同じように、黒曜岩の墓が目に映った。


「ディアボリカ様?」


 モイラが不思議そうに呼びかけてきた。ディアボリカは二人を振り返る。


「今、ここに黒竜が……」


 そうつぶやくと、ターニャとモイラは首をかしげた。竜の出現だけでなく、さきほど巻き起こった嵐や青い光すら、二人は認識していないかのようだった。


 黒竜が、いたんだ。そう言おうと唇を開いて──頬を濡らす熱さに言葉をなくす。

 ディアボリカの瞳から、涙がこぼれ落ちていく。


「あ……」


 あわてて目じりをぬぐう。それでも涙は次から次へとあふれてくる。どうして泣いているのか自分でも分からない。


 喉の奥に熱い塊を押し込められたみたいだ。息が苦しい。胸がつかえて、今にも嗚咽おえつを漏らしてしまいそうになる。


 胸の奥から沸き上がる感情に耐えかねて、ディアボリカは両腕で自分の身体を抱きしめた。

 胸が焼き切れてしまいそうなほど、悲しい。かなしい。戻りたい。帰りたい。……会いたい。

 ──誰に?


「ディアボリカ様、どうされたんですっ!?」

「どこかお怪我をなさいましたか!? それとも体調が思わしくありませんか」


 モイラとターニャが不安げな顔で駆けよってきた。

 従者たちに心配をかけてしまっている。ディアボリカは小さくかぶりを振った。


「……何でもない。大丈夫だ」


 言葉にした通り、徐々に感情の嵐が収まってきている。

 二人はまだ納得がいかないようだったが、ディアボリカが「大事だいじないから、下がっていてくれないか」と頼むと、渋々もといた場所に戻っていった。


(白昼夢でも見たんだろうか)


 気持ちを切り替えようと呼吸を整えて、黒竜の墓に向きなおる。


(とにかく今は、儀式をやりきってしまわなければ)


 ディアボリカは手を組み、こうべを垂れて、黒竜に深い祈りを捧げた。

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