或る平凡な失踪

群司 一青

第1話

 岡山均。おかやまひとし。世俗を謳歌する私に、不要不急の悩み事を作り上げた人型生物は、そんな名前をしていた。

 実につまらぬ名前である。私の預かりしらぬ僻地で、そのつまらぬ生と死とを全うしてくれればどれだけ良かったことだろう。

 そう思っていたら、つい先日失踪した。私に怪文書を送りつけて。


 それっきり。もう一週間になるだろうか。彼は私が所属するゼミの先輩で、正直なところ特筆すべき関係があったわけじゃない。であるのにも関わらず、だ。彼が書いた怪文書の送り先が私であったがために、私は「岡村均と親しかった人物」「失踪の第一必見者」「発見の手がかりをもつ人」的な役にされてしまっている。

 失踪届。警察。大学。研究室の教授。親。友人。兄弟。事件性の有無。事情聴取。


「では、樋口さんは本当に心当たりがないのですね?」


はい。先ほど言ったとおり、私と先輩とは、ゼミが同じという以上の関係はないです

「……他の人と比べて、特に多く話したりとかは?」


ないです。他のひ

「別に、彼と関係があったからと言って、樋口さんが責められることはありません。」


ですから、彼とはそんな

「友人関係ではなく、より深い関係であれば……この場で言いにくいかもしれませんが、彼を救う手がかりになるのです。どんなことでも大丈夫ですので安心して……」




 ……はぁ。

 しらねーっての。あんな変人。勝手に物語を作るなマスコミか? 


 あぁ、変人なのは確か、、だと思う。でも、

人とは変わった趣味嗜好を持ってる、とか。クラスに馴染めず浮いてる、とか。そういう類いのそれじゃない。

 もっとこう……凡人の輪の中で、他の人と同じようにニコニコ笑いながら、心はここにあらず、というような。

 なにか根本的なものがずれていて、彼と私は致命的な勘違いをし続けているんじゃないか、そんな不安感を与えてくる。私は幸運にも、この類いの変人を他にしらない。


 頭が痛くなってきた。クーラーの聞いた自室の窓から、お盆前のブロック塀がよく見える。無愛想なコンクリートの上で、干からびたミミズのようにくたばっている先輩の姿。ぼんやりと浮かんできた。彼は生きているだろうか。

 

 今ごろ、世間の人は必死になって先輩の怪文書から事件の真相を探ろうと頑張っているのだろう。だが、先輩は愚かだ。浅はかな怪文書をそれっぽく意味ありげに書くことに、目を背けたくなるほどの情熱を発揮してしまった。

 そのことを皆に伝えても良かったと思う。でも、どうせ無意味だ。前途ある若者を救う唯一の手がかりは、本人の言葉遊びではない方がみんな嬉しい。先輩はそんなに周囲から大切にされるひとではなかった。それはみんなうっすら分かってる。それでも、みんな人を助けることがしたい。


 私は先輩の何者でもない。先輩のことなど何一つわからん。ただ、私の部屋のくずかごには先輩が丁寧に書き散らした怪文書がグシャグシャと押し込まれている。

 彼が人間として気を抜いたとき、そのつまらぬ笑顔から絶望が漏れる。その諦念が言葉を伴って私にも認識出来るものになったとき、私は一体どんな顔をしていたのだろうか。肯定も、否定もした覚えはない。その時にもし、私の表情に悲嘆があったのだとしたら、先輩にとって私は特筆すべき人間として見えたのかもわからない。

 

 本当に傍迷惑な話だ。私がやったことは偽証になる。先輩を彼自身の人生に戻す試みに協力しなかったことは、一般の倫理が受け入れられるものではない。これでもし彼が遺体として見つかるようなことがあれば、私が彼を見殺しにしたようなものだ。本当にありえない。


 だから。思慮深い彼がどうしようもないほど世間に絶望してしまった時、私は人間社会の一員として彼を捕まえて説教し、思いとどまらせて現実に連行しなければならなかったのだ。

 先輩がもっと人間社会に希望を持ってくれるように、一生懸命セールスポイントを力説して、世間が見捨てられないように、粘り強くアピールするべきだった。人間同士の連帯がいかにかけがえのないものであるか弁護し、先輩もその一翼を担っているんだと、おだてないといけなかった。


 そんな残酷なことはできなかった。私は先輩が牢獄から脱出しようとしているところを目にしたけれど、彼が必死の思いで開いた鍵を締め直す気にはなれなかったと言える。


 陽が傾いてきて、私は部屋のクーラーの設定を上げた。先輩は死後に希望を抱けるほど整えられた人ではなかったから、自死に魅力など感じてはいないと思う。路傍で折れ曲がったアイスの棒のように、消えるでもなく、参加するでもなくこの世に滞在しているのだ。そう思う。それをわざわざ拾い上げ、叱りつけて「君は社会に貢献できる人材だ」とリサイクルの手立てを議論することに、一定の正当性があるだろう。

 

 先輩は私に、まぁ確かに多様な説を語ってきたかも知れない。私はそれを聞いて、常に

「はぁ、そうですかね」

 程度の返答をしていた。今思えば、返答以前に先輩のくだらぬ考察を、ひとしきり最後まで聞いていた時点でよろしくなかったのだ。

 

 心配なのか、プレッシャーなのか、ここ数日どうにも頭痛が続いている。家の外が暑いのは十分承知しているが、クーラーに当たりっぱなしというのも良くないだろう。

 先輩に見捨てられた街を、先輩に見捨てられた人々が騒がしく歩いて、多分先輩に見捨てられてはいない太陽が傾いていく。はぁ、世界はこんなに綺麗なのに。

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