第21話 裏切りの末路
ジュリアンが石撃ちを執行されている処刑台からさほど遠くない場所に、リシュコフ公爵軍の本営となっている大きなテントが張られていた。
その中にはリュドミラとアレクセイが立っていた。
そして、2人の前に裏切者のドナートが這いつくばるように跪いている。その3人の他に人影はなかった。
リュドミラがドナートに声をかける。
「よくやったわね、ドナート。
私は、あなたの人間性については全く見誤っていたけれど、能力は正しく評価出来ていたようだわ」
リュドミラはそう告げた。
王太子ジュリアンらを罠にはめたのは、やはりドナートだった。妹のジェシカを人質に取られた為に行った事だ。
それも、策自体を考えたのも全てドナートだった。
ジェシカを誘拐した後まもなくして王都スコビアを脱出したリュドミラ達には、ドナートに詳細な指示を出す余裕はなかった。
ただ、ジェシカの命を助けたければゲオルギイらを滅ぼすために全力を尽くせ、という置手紙を残しておいただけだ。
ドナートはその指示に従う他なかった。そして、全力を尽くして策を練り、全ての伝手を使ってリュドミラ達に連絡を送って、自分の計画を伝えた。そして首尾よく国王軍を壊滅させ、ジュリアンらを捕えるという結果を得た。見事な手腕だったといえるだろう。
実際のところ、ドナートの行動が無くても、国王側不利という大勢は変わらなかった。
リュドミラも、ドナートの行動にそれほどの期待はしていなかった。成功すれば運がいいくらいの気持ちでいただけだ。
しかし、ドナートの策は図に当たった。その結果、国王軍は速やかに壊滅し、その上怨敵の片割れであるジュリアン達に直接手を下す事が出来た。これは、リュドミラにとって望ましい事だった。
ここまでの結果を得られたのは、幸運に恵まれた故でもあったがドナートの働きが中々優れたものだったのも事実だ。
リュドミラがドナートの能力を褒めたのはそういう理由からだった。
ドナートは這いつくばったままリュドミラに応えた。
「どうか、ジェシカの命だけはお助けください」
「ジェシカの命だけは、ね。そう言うからには、あなたも自分の立場は分かっているのね」
「……」
確かに、ドナートは理解していた。自らの行いを省みれば、自分が許されるなどあり得ないという事を。
だから、ドナートはもう一度告げた。
「ジェシカだけは、どうかお助けを」
「ええ、良いでしょう。私は、約束は守る。あの子の命は助けてあげましょう」
ドナートは、思わず顔を上げ、感謝の言葉を述べようとした。
「ありがとうござ…」
だが、その言葉を途中で途切れさせた。リュドミラの顔に、余りにも邪悪な笑みが浮かんでいるのを目にしたからだ。
リュドミラは、ドナートに向かって改めて告げた。
「実際、私も随分な目にあったけれど、こうして生きてはいるのだから、ジェシカも、私と同じように命は助けてあげるわ。私と、同じように」
その言葉の余りにも悍ましい意味を察し、ドナートは震え始めた。
「ま、まさか、そんな事を……」
動揺するドナートを見て、リュドミラは更に笑みを深めた。
その笑みは、ドナートに自分の考えが間違いではない事を教えていた。
「や、やめてくれ! そんな、そんな酷い事は、ジェシカは、まだ8歳なんだぞ」
ドナートはそう叫ぶ。
リュドミラは平坦な口調で答えた。
「酷い事? その酷い事を、随分と楽しそうにしていたのは誰だったかしら?」
口調は平坦だったが、しかし、そこにははっきりとした怒気が感じられる。
ドナートは、自分が失言を口にしてしまった事を悟った。
リュドミラは言葉を続けた。
「でも、そうね。確かに、ジェシカは私の半分くらいの歳でしかないわね。それじゃあ、それを考慮して、人数を半分くらいにしてあげましょう。6人ね」
ドナートは首を左右に振って拒絶の意志を示すが、そんな行為には何の意味もなかった。
「ジェシカが、どんなことになるか想像しなさい、ドナート。当然できるでしょう? あなたは、私がそうされるのを笑って見ていた上に、自分でもそれをしたのだから。
まあ、ジェシカの身体は小さいから負担はとても大きくなるでしょうけれど、大丈夫よ。良い回復薬を沢山用意してあげるから。絶対に死なせないわ。どんな状態になっても、命だけは助けてあげる」
「やめてくれぇ!!」
ドナートはまた絶叫した。
「そう、そこまで言うなら、あなた次第では止めてあげてもいいわよ」
「何でもする。俺に出来る事なら何でもするから、ジェシカだけは」
リュドミラは、そう告げるドナートの前に短剣を放った。
そして告げる。
「自害なさい。もちろん、ただ死ぬだけではだめよ。自分で自分の身体を切り刻んで、あなた自身が、これ以上悲惨な死に方はないと思うほどの無残な死に方で死になさい。
それを見て、私がこれ以上の復讐は必要ないと思えたなら、それだけで満足してあげる」
「あ、ああ」
ドナートは、そんな声を上げながら奮える右手を短剣に伸ばす。そして、どうにか手に持つと、その切っ先を左手の親指の先にあて、突き立てた。
「ぐ、うあぁぁ」
苦痛の声が上がる。
しかし、ドナートは短剣を動かすのを止めず、親指の爪を抉り取った。
ドナートが顔を上げると、リュドミラがまるで感情を感じさせない冷たい表情を顔に張り付けていた。
そして、軽く顎を動かし、ドナートに続きを促す。
「う、ううう」
ドナートは呻きながら、短剣を左の人差し指にあてる。そして、強要される自虐行為を繰り返した。
しばらく時間が経ち、我が身をずたずたに切り刻んだドナートは出血多量で動けなくなっていた。その命が消えるのも時間の問題だ。
その死にかけのドナートに、リュドミラが輝くような笑みを向けて声をかける。
「残念ね、ドナート。私はまだ、全く満足できていないわ。やはり、ジェシカにも苦しんでもらいましょう」
「や、やめて……」
もはや満足に体を動かすことも出来ないドナートは、そう言いながら首を振った。
「だめよ、ドナート。止められないわ。
これは全てあなたの決断と行動の結果。その責任はあなたにある。あなたは選択を誤った。だから、こんな事になっているのよ。
想像してみなさい。あなたが私たちを裏切らなかった場合の事を。
私も、お父様も、あなたの事を買っていた。もしも、あなたが国王や王太子の企みを私たちに告げていたならば、私たちはあなたを更に高く評価したでしょう。
少なくとも、あなたに騎士の位を送るくらいには。そして、そのまま功を上げたなら、正式な爵位に付かせてあげたわ。そうすれば、ジェシカも貴族令嬢の一員。何不自由なく、幸せな生涯を送った事でしょうね。
想像しなさい、その時のあなた達の姿を。貴族として礼儀作法を習うのを、ジェシカは嫌がるかも知れないわね。でも、私が優しく教えてあげるから、きっとどこに出ても恥ずかしくない令嬢に育ったはずよ。
そして、美しい服や宝石を身に付ければあの子も喜んだことでしょう。幸福な人生を送ったはずよ。
その、ジェシカの幸福な笑顔を想像しなさい」
リュドミラはそこで一旦言葉を切った。
そして、ドナートの近くに屈んで、その顔を間近で見ながら、また語る。
「それを、あの子の幸福を、あなたが壊した。そのあなたの手で。
想像しなさい、ドナート。この後ジェシカの身に起こる事を。あの看守たちが私にした事を思い出せばいいのよ。
悍ましい欲望に駆られた男たちは、最初にどこからジェシカを犯し始めるのかしら?
あの子は泣き叫ぶでしょうね。きっとあなたを呼んで助けを求めるわ。『助けて、お兄様、助けて』と。その時のジェシカの声を想像しなさい。
あの子があなたを呼んだなら、私はあの子に教えてあげるでしょう。このような目にあっているのは、全てその兄のドナートのせいなのだと。あの子はあなたの事を恨むでしょうね。
想像しなさい。あなたの事を恨み、呪いの言葉を叫びながら嬲られ続けるジェシカの事を」
ドナートはもう声も出せない状況だった。彼は先ほどから、涙を流しながら僅かに首を振る事しか出来ていない。そして、その動きも徐々に鈍くなり、そして、止まった。
彼は、絶望そのものを想像しながら死んだ。
ドナートの死を確認したリュドミラは立ち上がり、アレクセイの方を向いて声をかけた。その顔には随分久しぶりになる、心からの嬉しさを表す笑みが浮かんでいた。
「少しだけ、溜飲が下がったわ。ほんの少しだけ嬉しさも感じている」
「ようございました。公爵様」
アレクセイはそう返した。そして、少しだけ逡巡してから問いを発した。
「ところで、あの娘に、本当にそのような事をなされるのですか?」
「まさか。そんなはずがないでしょう。ジェシカは何も悪くはないのだから。今言った事は、これを苦しませるためだけの言葉よ。
けれど、そうね。あの子には本当の事を教えてあげましょう。
ドナートが私に何をしたか。私がドナートに何をしたか。その全てを。
それを聞いてあの子がどう思い何をするか。私たちはそれ次第で対応すればいい。どうかしら?」
「良いお考えと存じます」
「ありがとう。
それでは、進軍の準備をして。明日には王都へ迎えるように」
「畏まりました」
アレクセイはそう答えて退出し、命令通りに進軍の準備を始めた。
そして翌日。まる一昼夜に及んだジュリアンの処刑執行を終えると、リシュコフ公爵軍は王都へと向かって進軍を開始した。
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