第16話 決起

 リュドミラは、跪き身を震わせるアレクセイを黙って見ていた。そして、アレクセイの様子が少しは落ち着いたようだと見て取ると、アレクセイの近くまで歩き、ゆっくりと言葉を発した。

「身を起こしなさい。アレクセイ。いつまでもそうしていても、何も始まりません。私が、あなたにこの事を告げたのは、当家のこれからを相談する為です。

 当家と、私の事を思うなら、私の考えを聞いてください。

 顔を上げ、こちらを見るのです」


 その言葉を受け、アレクセイは我に返った。リュドミラが言う通り、このような事をしている場合ではない。

 そもそも、最も辛いのはリュドミラ自身だ。そのリュドミラが、既に今後の事を考え、怨敵に対して反撃する意思を示しているではないか。それなのに、リュドミラの手足となって働くべき自分が、打ちひしがれ思考を止めてしまうなどあってはならない事だ。

 リュドミラが言う通り、今後の事を考えねばならない。今後の事とは、当然怨敵ゲオルギイを如何にして討ち果たすか、ということである。

 そう思い至ったアレクセイは、気力を奮い起こした。

「はッ、畏まりました」

 そう告げて、身を起こし、顔を上げ、リュドミラを仰ぎ見る。


 リュドミラは、己を見上げるアレクセイに向けて静かな口調で話し始めた。

「私は、リシュコフ公爵家最後の生き残りとして、公爵家当主を継ぎます。そして、必ずやゲオルギイを討ちます。

 であるならば、その後の事も考えねばなりません。

 リシュコフ公爵家を盛り立てる為、私は伴侶を迎える必要があります。ですが、汚れ果てたこの身では、真面な縁談は無理でしょう」


 その言葉を聞き、アレクセイはまた奥歯を噛み締め、憤激に耐えた。

 リュドミラの言葉は続く。


「格下の貴族なら、縁談に応じるかもしれませんが、そんな相手と縁を結んだところで当家に益はありません。しかも、そのような者ですら私を蔑むでしょう。私もそんな境遇をよしとしません。

 とするならば、家中から相手を選ぶべきです。当家の忠臣を伴侶とすべきだと思うのです。

 例えば、当家の軍をまとめ上げ、ゲオルギイを討つのに功を上げた騎士団長などを」

「……ッ!」


 アレクセイは息を呑み、その目は驚きに大きく見開かれた。

「そ、それは……」

 それ以上言葉を続けられないアレクセイに、リュドミラが告げる。

「事が成った暁には、私の傍らで、私と共に立ってくれますか? あなたの考えを聞かせてください」

「私などが、そのような……」


「あなたは、それに相応しいと考えます。当家の為を考えただけではなく、私の感情に従っても。

 これは、私が死ぬまで秘しておくつもりだった事です。しかし、今となっては隠すつもりもありません。私は、幼いころから、あなたの事を憎からず思っていたのです。

 もしも、叶う事ならば、私の隣に立つのはあなたであって欲しいと。そう夢見ていました。

 こうなっては、その気持ちを抑えることは出来ないし、その必要もないと思っています。どうか、あなたの気持ちを教えてください」

「……」


 そのリュドミラの言葉もまた、アレクセイにとってこれ以上にないほどの衝撃だった。混乱し、にわかに答えを返せないアレクセイに対して、リュドミラが続けて語る。

「私は、密かに思っていました。あなたが、妻を迎えず、恋人もつくらずにいるのは、或いは私を思ってくれているからかも知れないと。私たちは、互いに叶わぬ思いを抱いているのかも知れないと。それは、私の思い込みでしたか?

 それとも、あなたも、今の汚れ果てた私などは、嫌ですか?」

 そう言って、悲しそうな様子を見せるリュドミラに、アレクセイは慌てて告げた。


「そ、そのような事は、けして……。

 ……ぶ、無礼を承知で申し上げます。誠に恐れ多い事ながら、お慕いしておりました。

 元より私は、公爵家の皆様に人生をかけてお仕えするために家庭を持つまいと思っていました。

 ですが、いつしか私の心は、リュドミラ様への思いに満ち、他に目を向ける事などできなくなっておりました。

 不遜、不敬と思いながらも、リュドミラ様のお慕いする気持ちを無くす事はできなかったのです」


 リュドミラが、微かな笑みを見せながら言葉を返す。

「嬉しく思います。では、私の考えに賛成してくれますか?」

「お、畏れ多い事です。私などには、余りにも過ぎたお話しです。

 ですが、望外の喜びでもあります。もしも、お許しいただけるなら、リュドミラ様に相応しい者になるべく、いっそう粉骨砕身励みたいと存じます」

「ありがとう、アレクセイ」


 そして、リュドミラは自身も床に膝をついて、アレクセイに身を近づけ、更に告げた。

「私を、愛してくれているのですね?」

「はい、リュドミラ様」


 リュドミラは、アレクセイに顔を近づけ、その耳元でささやいた。

「それならば、どうか、あなたの愛で私を包んでください。そして、あなたの手で、私のこの身の汚れを、全て払って欲しい。全身からくまなく。それが、私の望みです」


「リュドミラ様……」

 アレクセイの手が、我知らずリュドミラへと伸ばされる。だが、その手はリュドミラの次の言葉を受けて止まった。


「ですが、全ては、怨敵ゲオルギイを殺してからの事。それを成さねば、私たちは一歩も進むことは出来ない。そうですね?」

「その通りです」

 アレクセイは、そう答えて手を戻し、表情を引き締め、再度頭を下げた。


 リュドミラは立ち上がって告げる。

「では、今からリシュコフ公爵は私です。そのように遇しなさい。そして、為すべきことを成すのです」

「畏まりました」

 アレクセイは、そう言って立ち上がり、首を下げたまま後ろずさり、後ろに向きを変えて退出した。

 彼の胸中には、いくつもの激しい感情が混ざり合った、消える事のない業火が燃え盛っていた。




 アレクセイが去った方に目を向けていたリュドミラに声がかけられた。

「上手い事をしたな、ご令嬢殿」

 リュドミラが声のした方を向くと、素顔を晒した“伝道師”がソファーに座っていた。彼女は姿を消してリュドミラとアレクセイのやり取りを見ていたのである。

 “伝道師”は、例の灰色のローブを着ているが、ソファーに座る様は優雅で、どこか風格すら感じさせる。地下牢でリュドミラに治療を施している時とは随分印象が違っていた。


(きっと、こちらの方がこの方の本来の姿なのだろう)

 リュドミラはそう考え、恭しく答えた。

「お目汚しをいたしました。

 あの者の今迄の行動は、当家に忠誠を尽くすものに見えました。ですが、やはり裏切りを避けるためには、報酬も提示した方が良いと思いましたので、あのように振る舞ってみました。

 もっとも、今の私などがあの者にとって報酬になれば、の話ですが」


「ふふ、私には、十分に効果があったように見えたぞ。

 忠誠心と、憤激と、そして欲。その全てが、あの男の中で混然一体となっている。最早何一つ迷いはあるまい。今やあの男は、ご令嬢の言葉には無条件で従う事だろう。

 やはり、上手く焚きつけたものだ。中々、迫真の演技だった」


「……演技、とも言えません。彼の事を憎からず思っていたというのも、事実ですから」

 リュドミラは、視線を落としてそう告げた。

 その言葉に嘘はない。死ぬまで秘するつもりだった思いをこのような形で告白する事になり、彼女の心中も複雑だった。


 “伝道師”は気軽な様子で言葉を返す。

「ならば、尚の事良い。そなたの真実の言葉は、きっとあの者の心に強く響いているはずだ。

 恐らくあの者は、ご令嬢殿が、今は何者になっており、何を成せるのか、それを知っても裏切る事はあるまい。早めに試してみるべきだろう」

「そうだと良いのですが……」


 信頼していた者に手痛い裏切りを受けた今のリュドミラは、心秘かに思いを寄せていた相手であるアレクセイに対してですら、全幅の信頼を置くことは出来なかった。

 だが、案ずる必要はなかった。リュドミラの前を辞したアレクセイは、そのまま近衛騎士達が居住する建物へ向かい、激情のままに近衛騎士を皆殺しにした。

 そして、騒ぎを聞きつけて集まって来た者達に向かって、血まみれの鬼気迫る姿で宣言した。復讐の時来たれり、と。


 そして“伝道師”のアレクセイへの評価は全て適切だった。

 アレクセイは確かに、現在のリュドミラが何者であり、何が成せるかを知らされても、心を揺るがせることはなかったのである。


 こうして、改めてリシュコフ領を指揮下に治めたリュドミラは、新たなリシュコフ公爵を名乗り、その名の下に軍を招集し、公爵家旗下の貴族らへ檄文を送り参集を命じた。

 我こそリシュコフ公爵を継ぐ者である。我ここにある限り、リシュコフ公爵家は健在なり。心あるならば、公爵家累代の恩に報じ、今こそ先代の復仇に立つべし、と。

 ほとんどの貴族がその激に応じた。

 リシュコフ公爵家は、一族郎党をあげての総決起に及んだのである。

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