第5話 反攻を決める

(まずは、この牢から出ない事にはどうにもならない。その為には、あの看守達をどうにかしなければならない)

 それは間違いない。だが、今のリュドミラに看守達を倒す事など出来るはずがない。

 事実、最初の頃、全力で抵抗しても全く無駄だった。リュドミラの必死の抵抗は看守達を興奮させ、その行いをいっそう激しいものにしただけだった。


 抵抗するのではなく、倒すつもりで攻撃しようと思ったところで、結果は同じになるだけだ。

 本当に手段を選ばず抗うなら、看守の肉を噛み切って大きな痛手を与える事はできるかもしれない。だが、それまでだ。精々1人の看守に重傷を与える事しか出来ない。


(いや、ここから逃れる事を考えるなら、戦うよりもむしろ媚を売って懐柔するべきかもしれない)

 リュドミラはそんな事を思いついた。だが、それも非現実的な考えだ。

 リュドミラは貴族社会でも特に讃えられたほどの美しい令嬢だった。当時のリュドミラになら、微笑み一つで男に命をかけさせる事も可能だったかもしれない。

 だが、今のリュドミラが、そんな手法で看守達を動かす事が出来るはずがない。


 看守たちにとって今のリュドミラは、高嶺の花ではなく、既に自分達に与えられたものに過ぎない。

 それも、力ずくで散々に弄り尽くして、手折り、散らし、踏みつけ、枯れ果てる寸前にしてしまった、かつては高貴だった花に過ぎないのだから。

 そのくらいのことはリュドミラにも分かった。


(けれど、今の状態でここから逃れようと思うなら、その方がまだしも可能性が高い)

 リュドミラはそう考え、その思い付きを実行しようと決めた。

 そんな事をしても無駄に終わる可能性の方が圧倒的に高い事は分かっている。命惜しさに下賤な看守に媚を売ったとして、物笑いの種にされるだけだろうということも。

 それでも、全力を尽くすべきなのだ。と、リュドミラはそう決めた。


(全員を篭絡することなど出来るはずがないのだから、1人ずつ犯している時を狙って、私が悦んでいると思わせて、自分だけ特別だと思い込ませる事が出来れば……)

 そんな事まで考え始めたリュドミラに“治療師”が声をかけた。

「ご令嬢殿よ。早速何事か考え始めるのはよい事だ。だが、どうだ? とりあえず、目の前にいる人間を味方にしてみようとは思わないか?」


 その言葉に驚き、リュドミラは“治療師”の方を向いて聞いた。

「味方になっていただけるのですか?」

「それはそなた次第だな」

 “治療師”は値踏みするような口調でそう告げる。

 リュドミラも言葉を返した。


「もし、味方になっていただけたなら、何をしていただけるのでしょう?」

「とりあえず、そなたをここから出す事は出来る。それから、当面の隠れ家を提供する事も、金銭的な支援も期待してくれていい」

 リュドミラは大きく目を見開いた。それは正に彼女が最初の目標としていた事そのものだ。いや、それ以上だ。リュドミラは重ねて問うた。


「ここから出る事が、可能なのですか?」

 それが最も重要なことだ。だが、“治療師”はこともなげに肯定する。

「ああ、もちろん。実は、ここの看守どもには既にある薬を施している。その上で暗示をかけている。今や奴らは私の言葉一つで幻覚を見るような状態だ。ご令嬢殿を連れ出すなど造作もない」

「本当に?」

 にわかに信じられない話だった。


 そんな強力な効果を持つ薬など、そうそうあるものではない。

 しかも、対象は1人や2人ではない。看守たちは、リュドミラが知るだけで12人いた。その全員の正気を失わせ操ることができるとは、尋常な話ではない。


「本当だ。私は、こういうきな臭い仕事を受ける時は、依頼人に薬を施すようにしている。仕事が終わった後に口封じに殺されそうになる事も多いからな。

 逆に言えば、そうやって安全を確保できない相手の場合は、こういう依頼は受けない。

 そして、私にとっては、こんな看守どもをどうこうするなど容易い事だった」

 “治療師”は特に誇るでもなく、当たり前のようにそう告げた。


(この言葉を信じていいのだろうか?)

 リュドミラはそのことを検討した。

 “治療師”が真実を言っているとは限らない。だが、今の自分を騙す必要があるとも思えない。

 それに、先ほど自分が感じた激烈な恐怖は、“治療師”が只者ではない事を証明しているようにも思える。


 それに、改めて考えれば不自然な点がある。今この場に、“治療師”やリュドミラの行動を見張っている看守が誰もいない事だ。普通ならば、リュドミラのような重要な囚人の牢に誰かを入れるなら、その行いを監視するはずだ。

 ところが、監視者など誰もいない。これは、“治療師”が看守を操っている証拠のようにも思える。


 少なくとも、“治療師”を信じた方が、今の自分が看守を篭絡しようとするよりは、まだましなように思えた。

 そして、リュドミラは改めて口を開いた。

「それが事実なら、お力を貸して欲しいと思います。ですが、私次第とはどういうことでしょうか?」


「ふむ。そうだな。まずは試みに問おう。

 ご令嬢殿は、自分がこのような有様になった根本的な原因は何だと思う? 細かい枝葉の原因ではない。最も根本的な、本質的な原因だ。それは何だと思う?」


(情報収集に失敗したから)

 リュドミラは直ぐにそう思った。

 自分個人に限るなら、信頼していたドナートの裏切りに気付かなかったことが大きな失態だった。これも情報収集の失敗には違いない。

 だが、それ以上に根本的な失敗は、リシュコフ公爵家を滅ぼそうとする陰謀の存在に気付けなかった事だ。それがリシュコフ公爵家全体の致命的な失敗。今回の事態の根本的な原因といえる。


 オルシアル王国最大の貴族だったリシュコフ公爵家を滅ぼすとなれば、相当綿密で大掛かりな計画を準備する必要があったはずだ。

 ところが、リシュコフ公爵家は、そのような動きがある事に全く気付いていなかった。

 だからこそ、当主と跡取りが2人揃ってのこのこと罠の中に飛び込んでしまったのである。


 無論、リシュコフ公爵家も何の警戒もしていなかったわけではない。むしろ強く警戒していた。もしも、国王が権力を自分に集中させたいと考えたなら、その最大の障害となるのは、リシュコフ公爵家だったからだ。

 しかし、それでも事前に陰謀の存在を知ることは出来なかった。即ち情報収集に失敗していたのだ。


(王の、あの愚かなように見える言動も、きっと全て策略だったのだろう)

 リュドミラはそう思った。

 実のところ、リュドミラも父のロシエル・リシュコフ公爵も、国王ゲオルギイを愚かな男だと思っていた。そう思って侮った挙句の果てがこの有様だ。そう思えば、王の方が上手だったといわざるを得ない。

 とするならば、王と自分達の能力の差こそが、より本質的は失敗の原因とも思える。


 リュドミラは、今考えたことを端的な表現で言葉にした。

「私達が弱かったからです」


 一言で言えば、つまりそういうことだ。王と王国政府の情報隠蔽の能力よりも、自分達の情報収集能力のほうが弱かった。王の策謀よりも公爵家の洞察力の方が弱かった。だから、敗れ滅ぼされた。


「そうだ。その通りだ」

 “治療師”は、どこか満足気にそう返す。そして、言葉を続けた。


「己自身でその答えを導けたならば、そなたには見所がある。

 よし。私が味方になってやってもいいぞ。

 条件は2つだけだ。

 1つは私の考えを聞くこと。それに従えとまでは言わない。まずは聞いてくれれば良い。そして、2つ目は、そなたの行いをつぶさに私に見せることだ。

 私の考えを聞き、それでも尚、私を身近においてもよい、そして、己の行いを私に観察されてもよい。と、そういうならば、味方になってやろう」


「そのお考えを教えてください」

 リュドミラはそう告げた。わざわざ大げさに聞けというのだから、それは真っ当な内容ではないのだろう。だが、今更躊躇っても仕方がない。

「良いだろう」

 そう言って、“治療師”改めて語り始めた。




 “治療師”が語る言葉、それが表す思想は、確かに聞くもはばかられる内容だった。少なくとも、このオルシアル王国においては。

 最後に信頼できるのは己1人の強さのみ。

 己が強くなる事のみが尊く、他は全て些事だ。

 己の力は隠すべし、世の為に使う必要などない。

 他者に価値はない。他者は利用して不要となれば切り捨てれば良い。

 強者は己の強さの許す範囲において何をしても良い。

 “治療師”はそのように語る。それはオルシアル王国では信仰すること自体が犯罪とされている、暗黒神アーリファの教義そのものだった。


「さあ、どうする?」

 語り終わった“治療師”がそう告げる。

 リュドミラは答えを口にする前に一つの問いを発した。

「一つだけ教えてください。あなたは何者なのですか?」

 そう聞かずにはいられなかった。


 これほど堂々と暗黒神アーリファの教義を語った以上は、“治療師”が暗黒神の信徒であることは間違いないだろう。だが、只の信徒というだけとも思えない。

 本人の弁を信じるなら、“治療師”は12人いる看守全員の正気を失わせているのだという。それだけでも只事ではない。

 そしてそれ以上に、先ほど自分が感じた凄まじい恐怖。それを思えば、暗黒神を信じているだけの者とも思えなかった。


 暗黒神アーリファは、ある理由により神話の時代が終わる前に神としての力を全て失ってしまったといわれている。その為か、現代においても暗黒神の信徒は他の闇の神々に比べても極端に少ない。

 しかし、その数少ない信徒の中には、時折飛びぬけて強大な力を持つ者が現れる事がある。

 或いは、この“治療師”はそのような者なのではないだろうか。それも、その名を誰もが知っているような飛び切り強大な者なのでは……。

 リュドミラはそんな印象を持っていた。


 だが、ある程度予想できたことだが、“治療師”から満足な返答はなかった。

「私が何者なのか、それを教える事は出来ない。私は訳あって本名を隠している。だが、そうだな、これからは私の事は“伝道師”と呼んでくれ。私は道を伝える者だからだ」

「闇へと続く道を、ですか」

「そうだ」

 “治療師”改め“伝道師”はそう言い切った。


 しかし、リュドミラはもはや怖気づく事はなかった。例え恐るべき暗黒神の信徒の力を借りようとも、成すべき事を成す為に全力を尽くす。

 虜囚の身から、一国の王を打ち倒す。その、不可能とも思える困難な目標を目指すのに手段など選んではいられない。そう心を決めていたからだ。

 リュドミラは揺るがぬ意思を込めて告げた。

「分かりました。あなたの申出を受けます。どうか私に力を貸して下さい」

「よし、契約成立だな」

 そう言う“伝道師”のしわがれた声は、若干嬉しそうだった。

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