第25話 かつての三人

 暖炉の火は窓から差し込む夕焼け色よりも鈍く、それでいて激しく煌めいていた。

 カシラギはどんなふうに話を続けるかを考えている様子だった。エルダ曰く、これまでに数多くの候補生たちがモデルにしてきた逸話があるその顔は、沈黙の中でまさしく彫刻のようだ。


「あなたもよく知っているとおり、今の神彫院はたとえば国教会管轄下の修道院とは違い、そこに属する少女たちは厳格な規律に縛られていない」

「二十年前には縛りつけるルールが?」

「いいえ。今よりも人数が多かったせいか、職員の面倒ごとを減らすために候補生の行動制限が多少あった程度だ」


 回り道になるが、とカシラギは前置すると当時いた一人の候補生の話をした。

 彼女は北西部の出身で神彫院に入る前、とある女子修道院にいた。スクルトラにおける国教会の規定では原則的に十四歳未満は入れないが、例外として関連孤児院からの申請があって面接試験に合格すれば十二歳から許される。


「早くに入れたからと言って何か優遇されるわけではない。むしろ、誰にも引き取られないままだった孤児院上がりの年少者は、周囲から不遇な扱いを受けるのが常だと彼女は話していた。院内で地位のある人物に気に入られることができればいいが、それも難しかったとな」

「その人はどうやって神彫院に入ることになったのですか」

「はじまりは悪意、そう聞いた」

「悪意?」

「彼女を修道院から追放しようとした周りが、彼女の木彫りの腕を過剰に褒めそやして、神彫院への入学試験に向かわせたのだ」


 修道院側は、その時十四歳を迎えたばかりの彼女が神樹の里に無事で辿り着ける諸々の手配を怠ったという。悪意ある者たちの思惑どおりに事は進み、彼女はほとんどその身一つで修道院を発つこととなったのだ。


 誰が少女の旅路を助けたのだろう、どんな幸運が彼女をこの地へと導いたのだろう。


 それがカシラギから語られるのを期待した。けれど、カシラギはなかなか続きを話さない。彼女がその少女の件を知っている以上、少女はここへと辿り着いたのだ。決して旅の途中、志半ばで絶命などしなかった。


「リラ、私は決して余談や脇道に逸れた話をする気はないんだ」


 カシラギにとって、件の少女は同じ時を過ごしたかつての候補生の中の一人。それだけで済むような間柄でないのが表情でわかった。それはダフネの名前を口にするときのとは違う、険しさが浮かんでいる。


「回り道でも、彼女の素性を前もって明らかにしておくべきだと考えたんだ。――彼女の名はソレイユ。私とダフネの友人だった」


 ダフネが大鷲を彫った夏が終わる頃、ソレイユは神彫院にやってきたのだという。


「あの夏の木陰以来、もとより一人でいるのが多かった私は、同じく一人でふらふらと院内を歩き回るダフネと交流を始めた。最初からうまくいったわけではない。ソレイユがいなければ仲を深められなかっただろうな」


 素性を聞くに、ソレイユがダフネとカシラギの仲を取り持つことのできる少女であるようには思えない。それとも、語られずにいる修道院から神彫院への道中でソレイユは卓越な社交術か何かを身につけたのだろうか。


「ソレイユがやってきた数日後、私はダフネからソレイユが何者なのかを聞いてくるよう頼まれた。他の候補生に興味を抱く彼女は新鮮で、しかも頼み事なんて初めてだった」


 ひょっとして、なぜか付き纏うカシラギを遠ざけたかっただけでは。

 そんな憶測が頭をよぎったが口にはしない。本当に嫌だったらまず近づけさせないだろうから、そこまで邪険な態度をとっていなかったと考えるほうが自然ではある。


「何かが動き出した気がしたんだ。当時のダフネに倣って言うなら、運命が」

「運命……」

「それで私はソレイユに頭を下げてお願いし、ダフネのもとまで来てもらった。そして二人がどんな会話をするかを見守った」

「はい? あの、ダフネさんが頼んだのはそういうことだったんですか。ただ単に連れて来いって?」


 こくりと頷いたカシラギだったけれど、どうもダフネの意図は違ったみたいだ。


「ちょうどあの時のダフネも今のあなたと似た反応をしていたな。知りたい本人が相手に直に会って聞くのが筋なのに、どういうわけか驚き、不満気だった」

「……えっと、それでどんなやりとりを?」

「ダフネが貴族の令嬢だと知ると、ソレイユは唾を吐き捨てた」

「えっ」

「理屈から言えば、スクルトラの各地を治める領主たち皆が善良だと考えるのはお気楽もいいところだ。そしてソレイユは貴族全般に憎悪を抱いていた。彼女曰く、家族を死に追いやったのが他ならぬ貴族だったからだ」


 これにはどんな反応を示せばいいのわからずに、ただ固まっていると、カシラギは「すまない」と謝った。


「あなたにも貴族の友人がいるんだったな。たしか綺麗な金髪で青い瞳の」


 外面しか知らないのはしかたないとは言え、少しもやっとした気持ちになる。

 ユウについても、歌姫呼ばわりするだけで普段の彼女を知ろうとしない候補生は一定数いる。皆に知ってほしいと思わないし、二人に比べると私は地味で目立たないのは相変わらずだ。


「誤解しないでほしい、私がこうも躊躇いなくソレイユの憎しみを話すのはそれが後になって解消されたからなんだ。彼女自身がそう認めた。思い違いをしていたとな」

「それって、ダフネさんとの交友を経て、貴族に対する偏見がなくなったということでしょうか」

「いや、そうではない。ああ、ないと言い切れないか。とにかく、決め手となったのは別にある。ダフネがスフォルツァ家の力で再調査し、明らかとなったソレイユの家族の死の真相だ」

「……原因は貴族ではなかったと証明されたのですね?」

「それだけだったら足りなかっただろうな」


 深刻な口調で踏み込んだつもりが、こうもあっさり返されると私は聞き手に徹するべきなのではと煩悶する。訊きたいことは増えていく一方なのに。

 

 今だってたとえば、スフォルツァ家というのがどれだけの家柄なのか私は知りたくなった。察するに、貴族の中でも上位。そうでなければ、過去に起きた貴族絡みの事件か何かを再調査し、真相を暴くなどできないと思うから。そして今はもうダフネはそこのお嬢様という立場ではないらしいが……。


 魔女と邪神像。失われた右手。

 それらはどう関係する?


「話を戻そう。唾を吐き捨て、立ち去ろうとしたソレイユにダフネは勝負を挑んだ」

「勝負って、木彫りでってことですよね」


 そこでいきなり腕力頼みの、取っ組み合いに発展するのは想像できない。ただ、もしそうなっていてもこの人は当時も澄ました顔で見物したのだろう。闘いたい者同士が闘う、それが筋だから。


「ああ。勝負に際してダフネが要求したのは、ソレイユが神彫院を出ていくことだった。神樹の彫り人には絶対に選ばれはしないのだから、と」

「なぜですか。身分は無関係ですよね」

「年齢だ」

「年齢?」

「そうだ。私たちと出会った時のソレイユは既に十九歳目前だったんだ」


 その事実から私が組み立てた筋書きはこうだ。十四歳で修道院を追放されて神彫院の試験を受けに向かったソレイユだが、実際には直行せずにどこか、誰かのもとで修行を積み、そして……十九歳近くになってから神彫院へと入った。代替わりまで二年足らずという時間が残されているにもかかわらず。


 でも……。


「女神像の代替わり後、二十歳を迎えるまで候補生が残留を許されるのは知っています。ですが、そもそも代替わり前に二十歳になる人を迎え入れているのですか?」

「平たく言えば特例だったんだ、ソレイユは。文献によれば先例はあった。数人のみだが。百五十年より前になるとそんな特例は、少なくとも記録に残っていない」

「彫り人には絶対に選ばれずとも、候補生になるだけの何かを持っていた……?」


 カシラギは「ああ」と肯き、壁時計をちらっと見やった。夕食前に職員としての用事が入っているそうで、今日はここまでにすると言って立ち上がる。


「上巻を読み終えたのに下巻がどこにあるかわからない、そんな心境です」

「あなたに悪気はなくてもその喩えは不快だ。なぜなら、これは私たちに起こった現実の話なのだから」


 立ち上がった私が、謝罪しようとするのをカシラギは手で制して首を横に振りもした。


「謝らなくていい。今日は聞いてくれてありがとう、リラ」


そう言うとカシラギは、不意に私へと近寄りその右頬を私の左頰に軽く当て、音を鳴らした。それが空気に接吻した音だと気づいたのは彼女が離れてからだ。


「……カルメンが教えてくれた、相手へのお礼や敬意のしるしなんだが、その表情だと伝わらなかったのだな」

「それ、カルメンさんは誰にでもするものだって言っていました?」

「どうだったかな。明日、確かめておく」

「あ、いや、いいです」


 そして私は促されて先に部屋を出た。


 あの形の整った唇が直に触れたわけではないのに、どういうわけか私の頰は仄かに熱を帯びていた。

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