第13話 安らぎを探して

 エルダが教えてくれたことには、神彫院側が候補生たちに達成を求める課題すべてが、抽象的なテーマを掲げているわけではない。

 むしろ、今回の「安らぎを与えるもの」のような具体像を伴わない設定は彼女がここで修行してきた二年間のうちで数度しかなかったそうである。


「新たな神樹の彫り人の選出が近づいているのと、関係あるのでしょうか」

「ええ、リラさんの見立てでおそらく合っているわ」


 この短時間で私に一定の信頼を置いてくれたのか、一から十まで言わずともエルダはすんなりそう応じた。


「ねぇ、どういうこと?」


 ユウが私とエルダの顔を交互に見て言う。そして、今度はエルダが咳払いを軽くしてから、ユウのために説明をし始める。


「前提として、神樹の女神像はこのスクルトラの千年間の中で、まったく同じ姿形で代替わりしたことなんてないそうよ。つまり、選ばれた彫り人たちは皆、彼女たちだけの女神を造ったの。ユウさん、ここまでいい?」

「うん。誰かとまるっきりいっしょの像を彫るのはつまらなさそうだもん。自分にしか彫れないぞ、っていうのを造りたくなるに違いないよ」

「ええ、そうね。でも、技術的な面よりも精神的な面がより重要なの。女神像にはこの国の守護という大義がまずあるにしても、どんな想いを込めて刻むかは彫り人しだいで変わるだろうから」


 たとえば――。

 

 十数年を小さな村で過ごしてきた少女と大きな町で暮らしてきた少女。

 

 本当の親を一切知らずに孤児として育った少女と大家族の中の一人として育った少女。

 

 宗教的行為が日常にある少女と信仰する神を持たない少女。


 相反する二項の例を挙げればきりが無いが、とにかく、選ばれた乙女それぞれに別の人生があるのだから、彼女だけの女神が生まれるのは確かだと思う。


「女神様は、わたしたちの心の中にいるんだってことだよね!」

「そう。それでね、考えてみて。たとえば『ここにいる一羽の黄色い蝶を彫ってみなさい』と言われるのと『羽をその身に持っている像を彫ってみなさい』と言われるのとでは、どちらが彫る人間の心をより映し出した作品になりそうかしら?」


 以前にエルダが、神彫院にいる講師から実際に問われたものらしかった。


「うーん……後のほうだと、蝶じゃなくてもいいんだよね。あ、そっか。その人の心しだいで何をどんなふうに彫るかが決まるんだから、そっちのほうかな」

「ええ、私もそう思うわ」


 穏やかな笑みを浮かべて頷くエルダに、ユウがはにかんで頰を掻く。


「ユウさん、私たちはまだ時間に余裕があった頃は木彫りの技術を磨き上げるために、本物そっくりの蝶を彫るような課題を多くこなしてきたわ」

「でも、そういう時間はもう終わっちゃったんだ?」

「そうね、そろそろ心を形にすること、きっと女神像を彫る心を造り上げるのが求められているのよ」


 二人のやりとりを見聞きしながら自分の今までを振り返ってみていた。


 エルダが口にしたような木彫りに挑戦した経験があるかを考えてみると、おそらくなかった。おそらくというのは、引っかかるものがあるからで、すなわちあの軒下の狼のために彫ろうと夢見ている番いの相手である。

 あれはあれで特殊な心理と動機に突き動かされてのモチーフだ。


「ねぇ、それでリラとエルダは何を彫るか決まった?」


 エルダがぎょっとする。いや、私もだ。

 先の会話に納得がいってしばらく満足するかと思いきや、ユウはすぐさま本題を切り出してきたのだ。


「それともエルダは彫り終わっている?」

「……いえ、まだよ。今回の課題は二十日間の期間が設けられていて、締め切りは九日後。調べによれば、半数近くの候補生は既に提出が済んでいるみたいだわ」

「そっかー。リラは何か思いついた?」

「昨日から悩んでいるけれど、まだ形にできそうにないかな」


 来たばかりの私とユウとが今回の課題を見送ってもいいのは職員から聞いている。

 ただ、期限まで一週間以上あるのに挑まないのは臆病で怠慢な気もする。それにユウは最初から見送る選択肢はないだろう。


「よーし、いろいろ話を聞いて、新しい友達もできたから、やる気は十分だよ。ねぇ、二人とも! とりあえず、木材を選びに行こうよ。わたし、彫りたくてうずうずしちゃってるんだ」


 ユウがそう言って立ち上がる。

 瞳に深き森を宿す彼女は、神樹の森の中にあるこの場所で、いっそう心を湧き立たせているのだ。


「えっ、まさか新しい友達というのは私のこと……?」


 狼狽え、ユウを見上げる表情に動揺がありありと出るエルダ。やっぱり根が素直な人だ。


「エルダさん。この三人で共同制作するわけではないですし、競い合う相手なのも変わりません。時々こうして集まって話すぐらいは受け入れられませんか」

「あっ! どうせならエルダもこの部屋で寝泊まりしない?」


 座っているエルダに向かって、上方から飛びかかるようにして距離を詰めるユウがそんなことまで言い出す。そのままだとエルダは返事しにくそうなので私も立って「こらこら」とユウをエルダから引き離す。


「し、しないわよ。でも……リラさんの提案なら前向きに検討する。だから、貴女もくだけた話し方でいいわよ」

「それは助かるよ。ええと、こういう時は握手すればいいのかな」

「じゃあ、三人で手のひら重ね合わせようよ!」


 そうしてユウに促されて私たちは片手を重ね合い、それをユウがもう片方の手も使ってぎゅっと包む。満面の笑みだ。


 ……ユウが歌いながら彫るのを聞いたら、エルダはどんな顔をするだろう。ふとそんなことが頭をよぎるのだった。




 木材の保管室には職員が常駐しており、個人あるいは一派が良質な木材を独占できない体制がとられている。

 候補生であっても、素材として神樹が使用できるのは女神像を除くと選出課題のみであるそうで、保管室で提供しているのは代表的な四種の木だった。エルダが言うには課題によってはそれら以外の木も素材として配布されたことがあるのだとか。


 下絵を用意するつもりのないユウは、必要な木材を野生の勘でさっさと選び取った。

 エルダは構想を下絵として描き出してから木材を選ぶことにしているそうだが、同行はしてくれた。

 そして私はというと、木材からインスピレーションを得ようと思い、何を彫るかは定まっていないけれど、惹かれる木材をひとまず入手したのだった。


 私たち三人は誰もいない作業室に木材と道具を持って入る。


 エルダが「鑿は無理でも、下絵用の筆記具なら貸してあげなくもないわ」となぜか照れ臭そうに私に言ってくる。ざっと見た感じ、彼女の持つそれらはたしかに私のと比べると高級そうだ。

 でも、慣れ親しんだ道具がいい。

 そんなわけで断ると「あら、そう」と今度はなぜか落胆していた。道理は通っていると思うのだが。


 ――さて、安らぎとは何か。

 それを与えるとは?


「『自分に』なのか、それとも『誰もに』なのか。解釈しだいでアプローチの仕方が変わるわよね」


 これまでは一人で考えていたことなのだろう、エルダが画用紙を作業台上に広げながら私たちの反応をうかがう。


「理想的には自分を含めたすべての人に安らぎを与える彫刻、かな。でもこれってもう、女神像を造るようなものだよね」

「そう! そうなのよ、リラさん。私の頭を悩ませているのがまさにそれよ。自分でも理想家だとは思うけれど、妥協したくないから十日間ずっと停滞中なの」

「えー? エルダ、それはよくないよ? 職人はね、頭じゃなくて手で、道具で考えるんだって。わたし、難しいことはわからないけど、それが正しいって信じてる」

「ぐっ……もっともなことを言うわね」

「ええと、参考までに二人が安らぎを感じるものって?」


 私は所在無げにしていた両手で、選んだ木材の感触を確かめつつ、二人に訊ねた。果たしてすぐに返事があったのはユウのほうだ。


「お日様のぽかぽか! 優しい風、花や果物の甘い香り。そうだ、リラの匂いも好きだよ。抱き締めて眠ったらすごく気持ちよかった!」


 昨夜のことだ。

 夜が思いのほか寒く、貸し与えられた布団ではどうも頼りない。そんなふうに私が話すと、ユウが私のベッドに潜り込んできたのだ。身を寄せ合うと寒さは緩和されたが、正直、途中からユウの絡みついた腕は寝苦しかった。


「風や香りを彫刻にするのは大変そう。花や果物を彫るなら……。えっと、エルダさん?どうかしました?」

「いいえ、なんでもないの。ちょっと、思い出しただけ。小さい頃、私もお姉様に抱きつくようにして眠った夜があったなって。たしかにあの時は安らぎを感じていたわ」

「ふうん……そうだ! それなら今夜は三人でいっしょに――」

「ごめんなさい、それは遠慮しておくわ」


 肩を竦めたエルダが私へと品のいい苦笑を向けてくる。私もそれに倣って呆れたふうに微笑み返すのだった。

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