第5話 神樹の里での邂逅

 役場の地図上で確認できた、神彫院がある神樹の森は王都の東方、私たちの村を基準にすると北東の彼方にある地だ。幸運にも、そこまでの道のりは、覚悟していたよりも安全な旅となった。


 まず、村に月に一度来てくれている行商人夫婦の厚意で、兄が暮らす町まで荷馬車で送ってもらえた。

 到着後、人探しをする予定だった。十五歳の少女が一人で山脈地帯や広大な草原を含む道程を平穏無事に抜けるのは知識と経験が叩き込まれていて、かつ運がないと無理な話だ。だから、兄のつてを頼りにするか、町役場に相談するかして、どうにか適切な同行者ないし先導者を探し当てるつもりだったのだ。

 正直、分のいい賭けではなかったが、結果としては労せずに勝つことができた。


 というのも、例の行商人夫婦が町の商会に話をしたところ、そういうことならと名乗りを上げた商人がいてくれたからだ。

 十数人でスクルトラ各地で特産品を仕入れては他所で売り捌き回っている商団で、奇しくも鳥の名前を冠している。一団を取り仕切っている頭領が、故郷で慣れ親しんでいた鳥に由来するのだという。そして彼の妻もまた同行していたのだが、彼女が木彫りの目利きであった。

 

 長身で赤い髪の彼女はとても四十手前とは思えない若々しい容貌で、左右に煌びやかな耳飾りをつけていた。

 私が例の彫刻、果実を啄む小鳥たちを見せにいくと、彼女は私の腕を信じ、神彫院へと送り届ける手配を少額で引き受けてくれた。パン一個ぐらいの額であったが、その商団との関係において正式で責任が伴う契約とするには不可欠だそうだ。


「親切心半分、将来の見込み半分といったところだ。リラ、あんたが有名な木彫り師になった暁には、私腹を肥やしている貴族や狡猾な美術商を相手取るんじゃなくて、その腕を世に広く知らしめるやり方を選ぶべきだ」


 商会が拠点にしている建物の一室にて契約を結び終えると、彼女はきびきびとした口調で私にそう言った。

 けれど、そのやり方というのがたとえば彼女たちのような旅をする商人に作品を委ねることだとは、言われるまで思いつかなかった。


 きょとんとしていた私に彼女はじとっとした目線を向けてくる。


「まぁ、早くても数年先の話だ。それよりも今のあんた……まともな服を持っていないの。若き天才彫刻家って肩書きがついてからだったらまだしも、今そんなんじゃ、ただの泥臭い田舎娘だ」


 やれやれといった雰囲気で肩を竦めた彼女に頭が上がらない。どう返したらいいか困っていると「大荷物にならない程度に見繕ってやるから、ついてきて」と言われ、それに従った。

 

 その後、どういうわけか今度は贈り物という体で私は彼女から数着の洋服を贈ってもらった。いかにも町娘らしい小洒落たものだ。


「生きてれば、今頃あんたぐらいの年だったんだけどね……」


 着替えを済ませた私を眺め、彼女がしみじみと呟くのが耳に入る。

 いたずらに詮索しないでおくことにしたが、今の自分の格好を見たら家族やミカエラはなんて言うかなと思いを馳せるのだった。




 かくして、頭領が依頼者となって商会が発行した紹介状兼委任状を一種の身分証に、私は各地の商会所属の行商人たちに身柄をリレーされる形で神樹の森へと近づいて行った。 

 純粋に移動するためだけの馬車を乗り換えていくよりも時間はかかるが安上がりで、私という「荷物」を気にかける人もいてくれて助けられた。


 旅の中では石やブロンズでできた彫刻を目にする機会があり、初めて出会う風景や町並みと合わせて新鮮で刺激的だった。題材もさまざまだ。動植物以外だと、神話や民話にまつわる像であったり、その地で偉業を成し遂げた実在の人物であったり、中には抽象的な概念を体現するかのような作品もあった。


 その一方で、立ち寄った町や村の家々には私の村と同じように、魔除けや守り神としての木彫りがほとんど置かれていなかった。一軒一軒を見て回ったわけではないが、少なくとも軒下に狼を見ることは一度もなかった。


 土地が違えば、人が異なり、彫刻に対する価値観もまた別だというのを理屈としてわかっていたものの、旅の中でその事実は時に痛みとなった。

 突き詰めていくと、木で家を建てたり、生活に役立つ道具を作ったりするのと比べて、彫刻なんてのは別になくても生きていけると痛感したのだ。

 彫刻がいつでも必ず人の心を支えると主張するのはさすがに烏滸がましい。


 ――――女神像はどうなのだろう?


 ミカエラはかつてそれをスクルトラの歴史だと評した。

 私にとってその姿はまだ夢に見ることもなく、深い霧に覆われている。それはこの国を守護すると、すべての民が信じられるような姿をしているのだろうか?

 私は信念を持って木彫りした覚えはあっても、信仰を抱いて彫ったことはまだない。




 ミカエラの話から、そして旅している間に収集して得た情報によれば、神彫院に神樹の彫り人候補生として入学するには条件がいくつかある。

 一つは、未婚かつ二十歳未満の女子であること。掟にある純潔や清廉という語句は当代ではこれを前提にしているらしい。そして、木彫り師としての力量を示す作品の持ち込み。これは私の場合は例の小鳥たちだ。

 さらに現地での実技試験もあり、それに合格しなければ候補生として入ることはできない。


 なお、肝心な女神像の代替わりについては、二年後にまで迫っていると聞いた。

 十八歳以上の候補生が今から神彫院に入るのを拒まれるか否かはわからない。もし女神像の代替わりの周期の関係で候補生になるのを諦めた人が多くいるなら、なんだかもったいない。

 神樹の彫り人には、この世に生を受けるタイミングをも最良が求められるとすれば、それはもう本当に神頼みするほかない領域だ。




 村を出発して二十日目、私はついに神樹の森の近くの集落に到着した。そこは神樹の里と呼ばれているようだ。


 神彫院に話を通すには、つまり持ってきた木彫りをしかるべき人物に鑑定してもらい、試験を受けさせてもらうには里の長に会う必要があった。王家の管轄下にある森へと無断で踏み込めば、誰であろうと厳しい処罰は免れない。


 送り届けてくれた商人と別れ、いざ一人きりで丘の上にある里長の家に向かっていると心細さに襲われた。

 ここには私の村と似た空気が漂い、それが深くまで浸透している。けれど暮らしている人々の格好、言葉の訛り……そこにある自分との違いばかりが目につき、耳に響く心地だった。

気を強く持たねばと深呼吸してみると、やはり郷里とよく似た匂いがした。改めて、立ち並ぶ家屋に視線をやれば、木彫りの装飾品が屋根や壁に取り付けられていたり、吊り下がっていたりしている。それを意識すると足取りが不思議と軽くなった。


 やがて長の家に着くと、その立派な門の両脇に立つ、威風堂々たる木像に圧倒された。

 どちらも私の身の丈の二倍は優にあり、片方は筋骨隆々とした凛々しい顔つきの男性の像で、もう一方は顔面から踝にかけてどの部位も異様に豊満な女性の像だった。


 ところが人間の門番の姿がない。

 門は開かれている。少しの間迷ったが、ここまで来ておいて何か起こるのをぼんやりと待つのもいけないと思い、自分を鼓舞して中へと進む。

 運良く、休憩中の庭師に呼び止められ、長に取り次いでもらえることになった。


 しばらく待たされた後で、使用人に広間を案内された。スクルトラの伝統的な模様が見事に織られた絨毯が部屋いっぱいに敷かれ、背もたれと肘掛けのついた椅子が数脚あるだけの、落ち着いて話し合うための空間だった。権力を誇示するような装飾類はまったくない。


「おお、これはまたえらく可愛らしい子が来たものよ」


 部屋の奥に腰掛けている里長は小柄な男性で、私を見るやその真っ白で長い顎髭を揉みながら人懐っこい笑みを浮かべた。前歯が一本欠けているのが遠目でもわかった。

 二体の木像から予想していた厳粛な風格は彼になかったが、理不尽に追い払われることはなさそうで安心した。


「いやぁ、面白いのう。まさか同じ日に、それぞれ遠方からここに至り、神樹の彫り人を志して神彫院の門を叩こうとは。これもまた女神様がもたらした稀なる巡り合わせかもしれん」


 そう、先客がいたのだ。

 二人組だ。大人と子供。並んで座っている。


 そのうちの一人は美しい狼だった。

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