02

 夏だというのに、酷く身体が冷たい。

 足先から侵食していた氷は、じわりじわりとその範囲を広げている。少しだけ氷化した指先は、真冬のかじかんだ感覚と似ていた。

 とにかく、何とかして宮地とキスをしなければ、死ぬ。

 毎朝泣きそうな顔で氷の部分を見つめる菜奈に、まだまだ大丈夫だと気丈に振る舞うものの、足の感覚はもう殆ど無かった。



 体育の時間。氷化の影響か冷えきった手は動きが鈍り、緒麦の打ったバドミントンのシャトルはあらぬ方向へと飛んでいった。

「わ、ごめん」

 菜奈にひとこと謝り、小走りで落ちたシャトルを拾いに行く。

 その時、緒麦の足元に別のシャトルが落ちてきたので、ついでにそれも拾い上げて顔を上げた。

「ごめん、それ俺の」

 駆け寄ってきたのは、宮地だった。

 何とかして宮地と接触をはからねばと思ってはいたが、こんなタイミングで来るとは。緒麦は思わずシャトルを握りしめる。

 なかなかシャトルを渡してくれない緒麦に、宮地は怪訝そうな顔を向けた。

「沢村?」

「あ、ごめん」

 慌ててシャトルを手渡す。宮地はそれを受け取ると、ぎょっとした顔で緒麦の手を凝視した。

「沢村、それなに?」

 緒麦は耳を疑った。

 まるで見えているかのような宮地のその表情に、思わず氷になった指先を広げてみせる。

「見えてるの!?」

「見えてるって言うか……氷? どうなってんのそれ、なに?」

「えっと、なんて説明したらいいんだろ」

 見えているのだとしたら、こんなに絶好のチャンスは無い。

 だがしかし、今は体育の時間であるし、人の密集している体育館で話すような内容でも無い。

 先程から、菜奈や、宮地とペアを組んでいる男子生徒が、チラチラと心配そうにこちらの様子を伺っている姿も見えていた。

 それならばと、緒麦は宮地の顔を見つめて言った。

「宮地君、今日の放課後ってあいてる?」



 一台の机を囲んで緒麦と宮地が向かい合い、その横側に菜奈が座る。

 放課後になり誰もいなくなった教室で、三人は緒麦の氷化の話をしていた。

 占いをしに行ったこと、占いが当たり菜奈が好きな人から告白されたこと、そして、緒麦が占い師に言われた言葉。

 その言葉通り、身体が徐々に氷となって来ており、ほとんど感覚も無いこと。

 普通ならばこんなとんでもない話、到底信じられないものだ。

 現にこうして氷のように透き通っている緒麦の指先が見えなければ、なんの冗談かと一蹴していただろう。

 まじまじと緒麦の指先を見つめ、それから宮地は真剣な面持ちで「そうだったのか」と唸った。

「信じてくれるの?」

「さすがにその手を見ればな」

 緒麦はほっとしたような、少し複雑な気持ちで、自分の手を見つめる。

「あれだな、なんか、映画に出てくるプリンセスみたいだな」

 ポツリと、宮地が呟いた。

「…………え、なんて?」

 緒麦と菜奈は、信じられないとでも言いたげな顔で宮地を見る。

 よもや『プリンセス』なんて単語が宮地から出てくるとは思わず、深刻な状況と相まって緒麦は呆然と口を開けた。

「確かに、プリンセスみたいだけど」

 菜奈も同調するも、宮地から飛び出たメルヘンな単語に目を点にさせている。

 どちらかと言えば、賑やかな友達の中でも落ち着いた様子の、クールな印象を受ける宮地である。

 宮地は自分の発言が二人を困惑させた事に気が付き、照れくさそうに頬をかいた。

「あー、すまん。年の離れた妹がいて、家でプリンセスごっこに付き合わされてるからつい……」

「あ、そうなんだ。妹さん、何歳なの?」

「五歳だ。幼稚園の年長組に通ってるんだが、まだちょっと子供っぽくて」

「結構離れてるんだね、じゃあすごく可愛いんじゃない?」

 宮地と菜奈の世間話を聞き流しながら、改めて緒麦は冷静に事を考える。

 宮地のいうプリンセスとはまさに言い得て妙で、言わばこれは呪いだ。氷になって死ぬ呪い。

 呪いを解くカギは、運命の人との、真実の愛のキス。

 そんな映画があったよな、と思いを馳せながら宮地のことを見る。

 まだキスの事は伝えられていないのだが、どう打ち明けるべきか緒麦は考えあぐねていた。

 すっかり話が逸れていたが、宮地がふと「沢村のその呪いも、王子とのキスで解けたりしてな」なんて言葉をこぼす。

 それを聞いて、緒麦は微妙な表情で目をさまよわせ、菜奈は感心したように目を瞬かせた。

「宮地君、ほとんど正解だよ、それ」

 宮地は目を見開いた。

 考え込み暗い表情をした緒麦を励ますつもりの冗談だったのだが、二人の反応からして、どうやら本当に『キス』で呪いが解けるらしい。

 そうなってくると、解決策が分かっているのに何故それを実行しないのかという部分が気になってくる。

「ほとんど、ってどういう意味だ?」

「なんて説明すればいいのか……」

 困ったように唸る緒麦。

『キスの相手はあなたです』なんて、とてもじゃないが言い難い。

 この話の流れで打ち開ければ『私の愛する運命の人はあなたです』と言っている様なものだ。

 全く持って事実無根なのだが。

「……もう言っちゃおうよ、緒麦」

「いや、でも、」

「なりふり構ってられないよ、死ぬんだよ?」

「…………」

 菜奈の真剣な眼差しに、緒麦は押し黙る。

 そうだ。キスしなければ死ぬ。恥も外聞もかなぐり捨てて、言うしかないのだ、宮地に。

 キスを、して下さいと。

 いま、このチャンスを逃せば、全身が氷になって、死ぬ。

 緒麦は一度大きく深呼吸をして、それから改めて宮地に向き直った。

 不思議そうな顔で、深い黒色をした二つの瞳が、真っ直ぐに緒麦を射抜く。それを見つめ返し、緒麦はゆっくりと言葉を紡いだ。

「――宮地君」


「私と、キスしてくれませんか」


 数秒の間。……のち、赤面。


「はぁ!?」

 がたた、と立ちあがり椅子を揺らす。

 宮地ははくはくと口を震わせ、緒麦の言葉を反芻する。

 ――キス? 誰が誰と? 俺が? 沢村と?

「ごめん! 急に言われてもって感じだよね……」

「あ、いや、それは……全然……いやめっちゃ衝撃だけど」

「占い師が、宮地君とキスしなきゃ死ぬって、言ってきてて、あの、別に宮地君が私の運命の人だ、とかは思ってないから、全然」

「お、おお」

「待って!」

 机を叩き、菜奈が静止をかける。

 固まる二人に、右手を小さくあげて「いったん私どっか消えるね」と言明した。

「え、な、なんで!?」

「いや、キスするってなったら私邪魔かなって」

「しない! キスしない!」

 首を振り、行かせるまいと菜奈の腕をしっかり掴む緒麦に、宮地は「キスしないのか?」と声を上げた。

 緒麦はさらに混乱し「するの!?」と半ば絶叫に近い形で宮地を見る。

 ほとんどパニック状態の緒麦を見て幾分か冷静さを取り戻したらしい。

 宮地はとりあえず椅子に座りなおしてから、改めて緒麦へと言葉をかけた。

「運命がどうとかはいったん置いとくとして、とりあえず俺とキスすることで沢村は死なずに済むって事だろ。じゃあキスするだろ」

「で、でも、私なんかとキスしてもらうの、申し訳ないって言うか……恋人とかいたらもっと悪いし」

「恋人は居ないし、申し訳なさとか感じる必要は無い……ていうか、普通逆じゃないのか?」

「逆?」

「その、沢村こそ良いのかよ」

 言いづらそうに口よどむ宮地に、どういう事だと目線で訴える。

「だから……いくら死なない為とはいえ、俺とキスするの、イヤだろ」

「へっ」

 予想もしていなかったその言葉に、思わず呆けた声が出た。

 緒麦は改めて考える。宮地とキスすることに疑問はあれど、イヤかと聞かれればどうだろうか。

 緒麦にとって宮地はただのクラスメイトであったし、こういう状況でも無ければ今後も関わることは少なかっただろう。

 ちらりと宮地の顔を見上げる。

 三白眼で切れ長の目元に、ちょっと口角の下がった薄い唇。好みのタイプなど考えたことも無かったが、どちらかと言えば、好きな顔だ、と思った。

 なにより、こんな突拍子もない話を、こうして真剣に聞いて、考えてくれる宮地は、とても良い人だと分かる。

「……今は、宮地君で良かったと思ってる、かな」

「は?」

 結論付け正直に答えると、今度は宮地が呆けた声を出した。

 それからじわじわと頬が赤くなるその様に「ねえやっぱり私邪魔じゃない?」と菜奈が口を挟む。

 そもそも、菜奈は初めからこの場に残ることを断っていたのだ。

 トントン拍子に話が進み、キスの流れに向かった場合、見られながらキスをするのは流石に気まずいだろうと考えての事だったが、宮地と二人きりの方が気まずいと緒麦が言ったのだ。

 元々占い師のところへ付いてきてもらったことが発端でもあるので、その贖罪の意味も込めて一緒に残っていた。

 そして現在、緒麦も宮地もお互いキスをする事に関しては納得しているのならば、もう今からひと思いにした方がいいだろう。

「とりあえず今からキスするよね? 時間かけるほどキスしにくくなると思うけど……キスの間だけでも私目閉じるか外でとくよ? キス終わったらまた呼んでよ」

「キスキス連呼されると余計に羞恥心が……」

 緒麦が真っ赤な顔で俯く。

 しかし菜奈の言うことも最もなので、覚悟を決め、宮地を真っ直ぐ見つめた。

「宮地君、ごめんね。よろしくお願いします」

 宮地も緒麦を見つめる。

「こちらこそよろしくお願いします」

 菜奈は、念の為目を閉じ、二人に背を向けた。


 宮地の右手が緒麦の頬に触れる。

 片手で支えるようにして机から身を乗り出し、そっと顔を近づけると、そのまま流れるように一瞬触れるだけのキスを、唇にする。

 そのから直ぐに手を離して、緒麦を見た。

 余韻に浸る間もなく、緒麦はじんわりと身体中に血液の流れる感覚がした。

 パキパキと音を立て、氷となっていた指先が割れて剥がれ落ちる。

「手が……足も戻ってる」

 指先や、スカートから覗く膝やふくらはぎは、すっかりと元の肌色を取り戻していた。

 両手を見つめて確認する緒麦に、宮地も「うそだろ」と呆気に取られる。

 雰囲気を察知し、菜奈も目を開けて振り返った。

 そこにはいつも通りの緒麦の姿を認め、菜奈は思わず涙が溢れた。

「良かったぁ!」

 号泣する菜奈に抱きつかれ、緒麦までもが泣きそうになる。ぽんぽんと菜奈の背中を撫でながら、緒麦は宮地へと顔を向けた。

「宮地君、本当にありがとう。……あと、ごめんね」

「いや、気にすんな。沢村が死ななくて良かった」

 照れくさそうに小さく笑って、宮地が緒麦の頭を撫でる。

 その瞬間、緒麦が大きく目を見開いて顔が紅潮していくのが見て取れ、今更ながらにキスをしたことの実感や、恥ずかしさが二人を襲った。

 菜奈は緒麦から離れて、緒麦と宮地を交互に見やる。

 占い師のことや、身体の氷化のことなど疑問は山ほどあるが、結果として緒麦は死なずに済んだ。

 顔の熱を手で仰いで冷ます緒麦と、そんな緒麦の頭に手を乗せたまま、同じく真っ赤な顔で固まる宮地。

 なんとも言えない空気の中、菜奈は「まあ、とりあえず、一件落着かな」と小さく笑って呟いた。

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氷像にて瞑目 @q8_gao

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