渋柿の長持ち

三鹿ショート

渋柿の長持ち

 私は悪事に手を染めることはないが、だからといって善良なる人間でもない。

 日常生活における不満は多く、怒りを抱くばかりの日々だったが、八つ当たりをすることはなかった。

 特筆すべき長所もなく、かといって他者から責められるような短所も無い。

 つまるところ、私は平凡な人間だった。

 事件と呼ぶことができるような事件に遭遇することもなく、ただ寿命が尽きる地点まで同じ速度で歩き続けているだけである。

 つまらぬ人生ではあるが、最も幸福な人生と言うこともできるだろう。

 才能に恵まれながらも早世してしまった人間は、私のことを羨んでいるに違いない。

 私のような人間が生きるよりも、優秀な人間たちが長生きするべきであることは、当然だろう。

 私の寿命を分けることができるのならば、喜んでそのように行動している。

 だが、そのようなことは、出来るわけがない。

「可能です」

 私にそのような言葉を告げたのは、見知らぬ女性だった。

 彼女は胡散臭い笑みを浮かべながら、

「私は、一人の人間の寿命を別の人間へ与えることができるのです。勿論、あなたが分けた年数に応じて、報酬も良いものと化します」

 そのようなことを突然告げられたとしても、にわかに信ずることは不可能である。

 私が正直に伝えると、彼女は首肯を返した。

「それは、当然の反応でしょう。では、証明しましょうか」

 彼女と共に向かった先は、自動車の行き来が激しい場所だった。

 何をするつもりなのだろうかと彼女を見つめていたところ、彼女は不意に、道を歩いていた女性を突き飛ばした。

 突然の出来事に驚きながらも、自動車に撥ねられてしまった女性に駆け寄ると、息も絶え絶えといった様子だった。

 まごつく私に向かって、彼女は笑みを浮かべながら、

「このまま何もしなければ、この女性はこの世を去ることでしょう。ですが、あなたが寿命を与えれば、生き延びることが可能となるのです。どうしますか」

 まるで、私が行動しなければならないというような口ぶりである。

 しかし、迷っている場合ではない。

 助けられるのならば、助けるべきなのだ。

 私が寿命を与えると告げると、彼女は頷いた。

 彼女は私と女性の額を人差し指で同時に触ってから、

「これで、この女性はあと一年生きることができます」

 彼女がそう告げると同時に、救急車がやってきた。

 やがて救急車が姿を消した頃には、何時の間にか、彼女も何処かへと行ってしまっていた。


***


 くだんの女性が運ばれた病院へと向かうと、あれほどの大怪我を負ったにも関わらず、女性は生きていた。

 あと数分ほど遅れていれば、この世を去っていた可能性が高かったらしい。

 それは、彼女の言葉が正しかったという証明になるのだろうか。

 そのように考えながら病院を出たところで、彼女が声をかけてきた。

「これで、私の能力が本物だと理解しましたか」

 女性が助かったのは偶然という可能性も存在しているが、彼女を否定する材料も無い。

 とりあえず、私は彼女に首肯を返すことにした。

 彼女は笑みを浮かべながら、

「では、商売の話をしましょうか」


***


 彼女いわく、生きたいが生きることができない人間は、この世界には数え切れないほど存在しているらしい。

 中には、あと一年だけでも生きることができれば、常識を引っ繰り返すような発明品を完成させることができると悔しがっている人間も存在しているようだ。

 そのような人間のために、彼女はこの商売をしているらしい。

 彼女がわざわざ私に声をかけてきたのは、己の平凡な人生を少しばかり短くするだけで報酬を得られれば、その人生にも意味を見出すことができるようになると伝えるためだった。

 確かに、私がこのまま生きていたところで、世界を驚かせるようなことが出来るとは、考えられなかった。

 それならば、少しでも長く生きることを望んでいる優秀な人間たちを延命させた方が、この世界のためになるのではないか。

 凡庸たる私が他者に誇ることができる行為は、これしか無いのではないか。

 私は、其処でようやく、自分が生きている意味を見つけたような気がした。


***


 私が寿命を与えた人間たちは、漏れなく素晴らしい功績を立てた。

 人々は私に感謝の言葉を吐くことはないが、裏に自分が存在していることを分かっているだけで、満たされた。

 同時に、私は毎日のように贅沢をしたところで使い切ることができないほどの金銭を得ていた。

 怠惰な日々を送っているが、己の大事な寿命を与えていることを思えば、当然の生活だろう。

 其処で、私はとある疑問を抱いた。

 他者から他者へ寿命を与えることができるのならば、その人間が何時この世を去るのか、彼女には分かるのではないか。

 それを問うたところ、彼女は頷いた。

「知りたいのならば、教えましょうか」

 私は、即座に首を横に振った。

 己の生命が終わる時間を知ってしまえば、一日が終わるたびに、恐怖が強まってしまうからだ。

 私がそのように告げると、彼女は頭を下げた。

「では、これで失礼します。次なる素材を探さなければならないので」

 それは、単なる別れの挨拶だと思っていた。

 だが、それが永遠の別れを意味しているのだと気が付いたのは、家に押し入ってきた強盗に刃物で刺されたときだった。

 激痛に襲われながら、私は己を呪った。

 これほどの若さでこの世を去るくらいならば、寿命を与えるべきではなかった。

 そのように後悔していたとき、私は強盗の顔を見た。

 それは、私が寿命を与えた相手だった。

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渋柿の長持ち 三鹿ショート @mijikashort

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