第3話

 トーマスが死体を発見したという裏路地にカリカとフィアは訪れた。まだ昼で外は明るかったが、その場所には光一筋差し込まず肌寒い。地面には廃棄物などが転がり、腐った食物や鳥の死体に多くの虫が集っていた。何年もこのような状況なのだろう。確かにこのような場所であれば人に見つかりにくいし、殺人には打ってつけの場所だ。

 カリカは暫く裏路地を歩いていると、地面に座り込む老人を見つけた。何枚もの新聞紙に包まってただ壁を見つめている。手入れされていない髪は白く、肌は皺だらけで濁ったその目に光はない。カリカはその老人に近づいた。


「どうも。少しお尋ねしたい事があるのですが、今よろしいですか」

 カリカは蹲んで、優しげに微笑みながら老人と目線を合わせた。しかし老人は目も合わせようとしない。カリカはポケットから札束を数十枚取り出して見せると、老人の目が変わり札束に手を伸ばしたが、その手が届く前にカリカは札束を自分の背に隠した。


「質問に答えていただけたら、こちらを差し上げます」


「なんだ、質問って」

 老人はぶっきらぼうに答える。その声はひどく掠れていた。長い間声を出していなかったのかもしれない。


「この裏路地で何か事件があったと耳にしたり、目撃したりしたことはありますか?」

 そうカリカが尋ねると、老人は腕を組んだ。


「私はもうこの裏路地に40年以上いるから、お前が欲しい情報を教えてやることはできるだろう。対して報酬がそれだけだったら、私が教えられることは何もない。他を当たってくれ。まあ私以外に、この裏路地に長年居るものなどいないがな」

 老人は自慢げにそう答える。


「そうですか。では言われた通り他を当たってみます。失礼します」

 カリカは老人に背を向けて去ろうとした。その様子を見た老人はカリカの足を、細く皮しかない腕で掴もうとしたが、フィアがそれを阻止した。勿論老人の目には彼女は見えない。


「おい、待て!」

 

「質問に答えないのならお前に用はない」

 カリカは冷めた目で老人を見下ろした。その変わりようと迫力に老人は手を離して退いた。


「すまなかったよ、それでいいから。質問に答えたらちゃんと報酬をくれよ」


「勿論です」

 カリカは微笑んで答えた。老人は警戒しながらまた腕を組んで、口を開いた。


「俺は記憶力がいいんだ。最近だと、2週間前だったな。男が何人かの女に連れて来られて、殴られていたな。あれは浮気か不倫か、二股でもしたんだろう。いや、あれは四、五股か?俺の推測だがな。まあ、そういう事があった。ほら情報をやったんだから報酬をくれよ」

 するとカリカは先程の札束を老人に渡した後、数倍以上の札束を取り出した。

「おいおい何だよ、今度は臓器でも売れってか?」

 先程と打って変わって、老人は札束を見て喜ぶのではなく怖気付いていた。


「貴方の臓器を売ったとしても一円にもならないでしょうね。代わりにもっと情報を頂きたい」


「分かったよ、全部話してやるから」


「貴方がとても協力的で助かりました。因みにこれには口止め料も含まれていますのでお忘れなく」

 カリカはその大量の札束を老人に渡した。老人は驚いた表情で札束を眺めている。


「もっと具体的にお尋ねします。今までにここで殺人事件などはありましたか?」

 そういうと老人は眉を顰めてカリカを見上げた。


「殺人か?殺人は数件だな。一番新しいのだと.....。あれだ、女が包丁を持って男を刺したやつだ。あれは痴情のもつれだろうな。間違いない。胸辺りを包丁で四突きだとさ。強い殺意があったんだろうなあ。可哀想な女だ。どうせ男の方が浮気でもしたんだろうよ」


「一番印象に残っている事件は?」

 カリカが尋ねると、老人は少し考え込んだあと、顔を上げた。


「それはあれだ。何十年も前に一人の女が殺されたんだ。あれは警察が何人も来て、新聞にも取り上げられていたから覚えてるよ。俺が目撃した訳ではないが、その死体には頭がなかったらしい。

 人外の仕業じゃないかって噂されていたな。あの時事件現場にいた一人の男が逮捕されたが、後から犯人じゃないと分かって釈放されたんだ。そうだ、確か新聞を取っておいたはずだ。この路地裏に関することは全部取ってあるんだ。どこだったかな......」

 老人は周りに乱雑に置いてある大量の新聞紙を一枚一枚確認している。カリカが手伝おうとしたが、老人は自分の住処を他人に荒らされるのを嫌がった。数十分して老人は写真付きの一枚の新聞を見つけ出した。


「これだ、ここに路地裏の写真が写っているだろ。この新聞はお前にやるよ」

 老人がその新聞紙をカリカに手渡した。彼女は軽く目を通したが、特に目新しいことは書いていなかった。


「他にこの事件について知っていることは?」

 

「そうだな......。その事件の後、あの女の婚約者が一度訪れた事があったな。あいつはいいやつだったよ。その時も何か知っている事がないか聞かれてな。だが俺は新聞以上に知ってることは何もなかった。だから何も知らないと答えたが、ケーキを何個かくれたんだ。二人でそのケーキを食べながら話したよ。

 あいつはあの女の婚約者で、デートの約束をしていたが女が来ず、警察に捜索を頼んだら殺されていたってな。可哀想なやつだったよ。その後もあいつは俺のとこに来て女との思い出話をしていたよ。あいつはケーキ屋の見習いだったからケーキとか菓子を手土産にな。いつも泣きながらケーキを食ってた」


「その男の名前は覚えていますか?また、その男の所在とか」


「ロビンだ。何処に住んでいたのかは知らないな。ただ、この辺じゃないことは覚えてる。いつも電車で来ていると言ってたよ。あ、でもあのケーキが入ってた箱に店の名前が書いてあったんだが、金色で、花の絵で名前が縁取られていた。それくらいしか覚えていないな」

 

「沢山の情報に感謝します。どうかこの事は他言しないようお願いしますね。ではこれで失礼します」


「ああ、こちらこそな。これで久しぶりに美味い飯が食えるよ」

 老人は札束を大事そうに抱えている。カリカはその場を後にした。


「いつものことだがあんなに金をやらなくても、私が少し脅かせば情報を引き出せただろう」

 裏路地を歩きながらフィアは後ろから不満を言う。


「私は人間界が少しでも平和になるようにと願っているんだよ。そのためには小さなことから始めなければ」

 酒を口にしながらカリカはそう返す。


「酒を飲みながらいう台詞かそれが」

 フィアが溜息を付くと、カリカは大袈裟に笑った。

 二人は裏路地の奥に進んでいき、漸く事件現場に辿り着いた。そこには裏路地には不相応な目を惹くものが置いてあった。白い花束だ。枯れた部分が少しあるが、そこまで期間は経過していなさそうだ。

 カリカは花束を調べてみたが、メッセージカードなどはなかった。もしかしたら女性の親族か婚約者が今でもここに時折やって来ているのかもしれない。そう思いながらカリカは花束の包装を解くと、どうやらその推測は外れのようだ。花の茎と共に、何本もの細く小さな針が刺さっていた。何か女性に因縁があったのだろうか。その人間が、今でもこうして事件現場に来ている。いや、もしかしたら人間でもないのかもしれない。ますます謎が深まるばかりだった。

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