第2話

「まあ、お前らしいな。それで私にその頭部なしの死体の身元を探して欲しいというわけか。なんだ、その死体に恋でも落ちたか」

 カリカは冗談まじりに笑った。


「あれ以降、あのような味の血液には一度も出会ったことがないんだ。あの血液をもう一度味わいたい」

 トーマスは少し熱が入った口調で言った。

 

「死人を探してどうするんだ。私達のように人外の可能性などほぼないと分かっているだろう。まあ......子孫がいれば似た血液を探し出せるかもしれないが」


「それでもいい。血液もそうだが、最近その人物自体に興味が出てきたんだ。何故だか分からないがどうしても気になって仕方がない。金なら幾らでも払うからその人物を探し出して欲しい」

 

 カリカは煙草を吸いながら無言のまま少しの間考え込んでいたが、暫くして口を開いた。


「いいだろう。1億だ。前金は半分の5000万」


「分かった」

 持っていたトランクケースから、トーマスは金塊を何本か取り出した。


「随分準備がいいな。流石人気小説家といったところか。調査結果は6ヶ月以内には出して見せよう。しかし私が十分な証拠を集められなかったら、もう5000万は払わなくていい。まあそんなことは今までないがな。1ヶ月ごとに調査の過程を報告するよ。何か思い出したことや、気になることがあればいつでも来て貰って構わない。まあ相談手数料に10万貰うがな」


「了解した。それでは失礼するよ」

 トーマスはトランクケースを持って立ち上がり、その場から去った。


 彼がいなくなってから、カリカは呟いた。


「また面倒な依頼が来てしまったな。酒がないとやってられん」


「いつものことだろう」

 フィアはグラスを片付けながら返した。


 屋敷に戻った後、トーマスはいつもと同じように書斎にあるデスクで小説を書いていた。書斎の壁は床から天井まで本で埋め尽くされている。それらの本は作家のアルファベット順で並べられていて、最近のものから随分古いものまであった。定期的に清掃が行われているのでトーマスがいくら書斎を滅茶苦茶にしても、翌日にはとても綺麗に整頓されていた。部屋は茶系統で纏められていて、装飾品の類はない。トーマスは基本一日の全てをこの部屋で過ごしている。

 血族に睡眠は必要なく、食事は基本的に血液の摂取で行う。頻度は人それぞれで中には1日に5回ほどの者もいるが、トーマスは一週間に1回で良かった。血族は基本的に人間を雇って血液を摂取する事が多い。トーマスも例に倣って人を雇っていた。


「失礼致します」

 ノックをした後、一人の使用人が入ってきた。トーマスは執筆に夢中で、彼女が部屋に入ってきたのに気づいていない様子だった。使用人はトレイを持って、向かい合わせに置いてあるソファの中心に置いた。トレイの上には注射器と小さなグラスが置いてある。彼女は徐に注射器に針を取り付けると、慣れた手付きで血管を軽く調べ、自分の腕に突き刺した。注射器で血液を吸い上げてグラスに注ぐ。使用済みの注射器を小さなケースにいれ、グラスをトレイの中心に置いた。


「どうぞ、トーマス様」

 使用人はそのトレイをトーマスが作業しているデスクの端の方に置いた。そこには文字が乱雑に書かれた紙が何枚も置いてあった。


「ああ......ありがとう」

 トーマスは礼を言って作業を中断し、グラスを手にとり少量の血液を口に含んだ。そのグラスを空にするまで、一連の動作を使用人は眺めていた。


「美味しかったですか?」

 使用人は微笑みながら聞いた。彼女は毎回トーマスが血液を飲み干した後、この質問を投げかける。トーマスには彼女の意図は読めなかった。自分の感情の変化は比較的分かりやすいが、他人の思考は所詮推測でしかなく、当たっている事もあれば全く異なる事もあることを彼は知っていた。これは当たり前なことだが、昔は自分が推測する事全てが正しいように思えてしまい、相手にその推測を押し付けてしまうこともあったが今は違う。一人一人それぞれの考えがあり、その考えは時に自分の思考を超越している事がある。


「いつも通り美味しいよ」

 トーマスは当たり障りないように答える。あの時味わった死体の血液に比べてしまうと、他のどの血液の味も霞んでしまう。しかし、それを口にできることはもう無いのだろう。


「良かったです。そういえば、今日は探偵事務所に行かれたんですよね。どうでしたか?」


「無事依頼を引き受けてもらうことになった。紹介してくれて助かったよ」

 あの探偵事務所を紹介してくれたのは彼女だった。名前はラリといい、数ヶ月前に屋敷に来た新人だった。屋敷の使用人は人外が多く、彼女も例に倣って獣人だ。人間でいうとまだ10代頃の年齢であり、まだ若かった。そのラリが何故カリカの探偵事務所を知ったのかは不明だが、古い知り合いであるカリカが依頼を引き受けるのであれば安心だった。基本的に小説のことしか興味がないトーマスは、カリカがいつの間に探偵事務所を開いたことなど全く知らなかったのだ。


「何か少しでも彼女の情報が分かるといいですね。私も何かできる事がありましたらお申し付けください。執筆の邪魔をしてしまい申し訳ありません。ではこれで失礼致します」

 ラリは柔らかい物腰でそう言うと、トレイを持って部屋を出て行った。トーマスは彼女と話をすると毎回少し罪悪感を感じてしまう。彼女が望んでこの屋敷にきて、仕事内容にも同意し生涯契約をしたといえ、純粋な彼女を利用している気になってしまうのだった。


 今までラリと同じ立場の使用人を何人も雇ってきた。しかし多くがただ金の為にやっていて、中には金目になりそうな屋敷の装飾品を盗む者、契約に同意したのに自分の躰を傷つけたくないからと、家畜の血液を代わりに渡してくる者もいた。だがトーマスは一度も彼らを解雇したことはなかった。それらは彼にとって大きな問題ではなかったからだ。この職種は本当に人が見つからない。人間界に住んでいる以上、表立ってこの求人を出すことは当然できないし、好んで自分の血液を差し出す者など本当に少ない。

 それを考えてトーマスはあまりにも深刻な問題以外は目を瞑っていた。もし血液を調達できなくなってしまったら。それこそ一番恐れるべき問題であり、理性が保てなくなって人間界で生活することは不可能になってしまう。


 しかし、今現在トーマスはその問題を心配しなくて済んでいる。それはラリのお陰だった。彼女はとても協力的だったからだ。血族という人外でも少数派の種族により、恐れられる事も多いが彼女は友好的に接してくれる。この屋敷に来てから目立った問題行動などは全く無く、仕事もきちんとこなす為トーマスは小説に以前に比べて集中できるようになり助かっていた。


 ラリは母親の病気の治療費のため、この屋敷で働くことにしたようだった。それ故、トーマスは罪悪感を感じてしまうのだ。自分のためではなく、他人のために働くラリを少しでも助けたいと治療費の肩代わりを申し出た事もあったが、彼女に断られてしまった。トーマスは考えた結果、ラリの給料を増額することにした。それさえ彼女は最初渋っていたが、仕事内容を考慮すれば妥当な物、今までが少なかったのだとトーマスが説得し最終的に合意した。


 このような行動をトーマスがするのは初めてだった。ラリの給料の増額の噂がどこからか流れ、他の使用人はこれまで以上に仕事に精を入れるようになった。

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