サクマドロップス

彩葉

サクマドロップス

 ポロン ポロン

 カラン カラン

 小気味の良い音は耳を通り脳に響く。これは良くないことが起こる前兆だ。

 小学校の理科の授業だったか。日本の降水量は世界平均の2倍であると先生が言った。

 私は日本から出たことがないし、体感として雨が多いと感じたことは無い。けれどこの事実を知ってからは雨がより一層嫌いになった。

 雨が好きな人間はそう多くはないように思う。ジメジメするし、傘は不完全だし、いつもはチャリの人が雪崩のように公共交通機関に押し寄せる。

 私も大勢と同様に雨が嫌いだった。加えて私は何故か雨の音が他人とは違う聞こえ方をしているらしい。

 ポロンポロン、カランカラン。

 幼稚園の先生に、詩的な表現をするのねと微笑まれてから、これは何かが違うらしいと分かった。

 文字に起こしてみれば小気味よいように感じるが、雨が毎秒どれだけ落ちていることか。それは固いような、柔らかいような雑音へと変わる。

 だからザーザー、しとしとと表現できる人は羨ましいし、世界の約半分は日本より半分の雨しか降らないのだからもっと羨ましい。



 年末年始を母方の祖父母の実家で過ごしていた。

 来年は受験だから帰ってこられないが、今年は曾お祖母さんの三回忌ということで親戚一同が実家に揃うことになっていた。

 大きなお屋敷の広間に五十人ほどが会し、それぞれがご飯を楽しんだり、おしゃべりを楽しんだりしている。

 曾お祖母さんには7人の子供がおり、その三男の真さんが私の母方のお祖父さんだ。長男の真一さんと次女の愛惠さんは亡くなっており、長女の晴美さんの長男である秋晴さんがこの会を仕切っている。

 大人の聞き取りにくい滑舌で話される昔の思い出話を聞くのは退屈だったし、落ち着きのない子供のドタバタと駆け回る足音も鬱陶しかったが、何より雨が降っていた。

 この大広間と外界は襖1枚にのみ遮られており、音はダダ漏れである。

 ポロポロカラコロポロンカラン。雑音は雑音と混ざり酷い耳鳴りを引き起こす。

 1時間にも及ぶ演説もとい司会の言葉が終わった。内容のほとんどが少子高齢化とそれに対する国の政策の話であったからもはや曾お祖母さんは関係ない。

 司会の挨拶が終わり、自由時間が訪れると政治、宗教、野球の話をしてはいけないというのは私でも知ってるのに、酒で口が緩くなったジジイ共はやれ今のパ・リーグはどうだだの、あの政党はだめだだのをベラベラと語りだした。

 おばさんはおばさんで、何人かが怪しい情報商材の売り込みを始めた。

 本当に弟を連れてこなくて良かったと思う。

 ポロポロ、ドタドタ、ピーチク、カラコロ。

 だんだん耳が耐えられなくなり、情報商材を売られそうになっている母を連れて1度部屋を出る。

 本当に着いてきてよかった。

「あら、やっぱり駄目だった? どうしましょう。私、明日の朝ごはんを作る担当になってしまって……」

「帰らなくて大丈夫。ちょっと近くのコンビニまでって思ったけど徒歩じゃ行けないか……。まあ多分大丈夫だからお母さんは先戻ってて。あと、絶対にサインしちゃダメ。いいね?」

 話しながら母のカバンから財布を抜く。

 母は少しおバカだ。というより、耳から入る情報を疑うことができないらしい。

 以前、それを確認するためにわざと予定をダブルブッキングさせたことがある。

 結果、母はどちらもメモ帳にメモをしたが1つ目の予定のことを完全に認識できなくなっていた。

 父はその純粋さに救われたと話してくれたが、それは純粋さでもなんでもないと思う。単なる脳みその認識障害だ。

 お似合いの夫婦だとも思うし、愚かな両親だとも思う。このまま行けばいつか父の不満が爆発するだろうことは目に見えているが、私にそれを止める術はない。せめて弟が独り立ちできるようになってからその時が訪れるよう祈るばかりだ。

 本当ならこの会には父と母が2人で出る予定だったのだが、仕事が急に入った父は来られなくなり、私が代わりに行くこととなった。

 父が仕事で帰ってこられないから弟も連れていくべきなのだが、彼は彼で極度の人見知りだ。

 知り合いではないが他人でもない距離感の相手が何十人といるこの会に参加するのは難しい話だろう。

 かと言って情報商材を売るにはいい鴨の母を一人で行かせる訳には行かない。

 今日が晴れであれば、少なくとも曇りであれば情報商材のあしらいも愛想笑いも世間話もいくらでもやれたと思う。

 しかし雨は降っている。



「あら、佐久間さん? お久しぶりじゃな〜い。そちらお嬢さん? 大きくなったわね〜」

 でもだってを繰り返す母と別れようとしていたら、後ろから声をかけられた。

 全てをかき消すような大声で話す彼女は母の知り合いらしい。隣には私と同じぐらいの女の子がいた。

「あら桃ちゃん! ほんとに久しぶりね。出産以来? てことは隣は雲雀ちゃん?」

 あまり見ないその名前に聞き覚えがあり、思わず顔をのぞき込む。

「ん? え、いいんちょーじゃん!」

 やはり、気の強そうなおばさんの隣にいたのは同じクラスの桃澤雲雀さんだった。

 クラスでの彼女はいつもニコニコしていて声が大きいため存在感があるが、今はどうやらオフタイムだったらしい。いつもの緩いお団子ヘアではなく、髪を下ろしている姿は印象がかなり変わるため気が付かなかった。

「あら、2人とも知り合い?」

「うん、同クラ」

「あらあら世界は意外と狭いのね」

 そう言って2人は私たちを置いて話しながら大広間に戻ってしまった。

「えと、ウチはこれからスーパー行くけど、なんか欲しいもんあったら買ってくるよ」

「え、でも徒歩で1時間はかかるでしょ」

「ああそれは大丈夫。ウチ専属のタクシードライバーいるから。そうだ! いいんちょーも一緒に行こうよ! スーパー!」

 あの広間には戻りたくないし、元々スーパーは行こうと思っていたのだ。桃澤さんのお言葉に甘えて、私は買い物について行くことにした。

 雨はまだ降っている。



 二人でひとつの傘をさし表へ出ると水色のバンから青年が出てきた。

 専属のタクシードライバーなどと聞いたからすっかりセバスチャンみたいな老人を想定していたが、それは短髪の良く似合う好青年であった。

「あ、お兄ちゃん」

「おせえぞ雲雀。そちらは?」

「同じクラスの佐久間怜ちゃん。たまたま屋敷ですれ違ったんだ」

「そりゃまた世間は狭いね」

「初めまして佐久間怜です。あの、本当に私も着いていっていいんですか?」

「ああ、いいよいいよ。あんなジジババの巣窟いたって面白くないだろ。スーパーついでにどっかカフェでもよって時間潰すとかもありだけどどうする?」


 タクシードライバー 桃澤 隼


 これ一応俺の名刺ねと貰った名刺は職業と名前、それに電話番号のみが書かれているシンプルなものだった。

 水色のバンはかなり使われていて所々かすり傷や汚れが見える。誰かからのお下がりだろうか。

 桃澤さんと後部座席に乗り込むと、車が発進する。

 ここらは都心と比べたら田舎ではあるが、山の中の秘境という訳では無い。10分も車を走らせたらすぐに町の下道に出る。

 そこから更に車を走らせること10分、車はすぐにスーパーに着いた。

 車に乗っている間は桃澤さんと宿題が終わったかや私には弟が一人いるなど、当たり障りのない会話だけした。

 同じクラスと言ってもほとんど話したことの無い桃澤さんと何を話せばいいのかわからなかったというのが正直なところだった。

 それに私は会話そのものがあまり得意ではない。しかし流石陽キャと言うべきか、桃澤さんとの会話はスムーズだったように感じた。

 話すのはもちろんだが、話させるのも上手な桃澤さんは、だからいつも周りに人がいるのだろう。

 その間、隼さんは何も言わなかったがミラー越しに盗み見た顔は暖かいもので、やはり2人とも仲が良いのだろう。

 何を買うわけでもなくついたスーパーだったが、桃澤さんは目当てのものがあったらしく、一直線にそのコーナーへと向かった。

 残された私と隼さんは、顔を見合わせ笑い合う。

「ヤンチャな妹にこんなかっこいいお友達がいたとは、驚きだよ」

「あまりクラスで話したことはないんですけどね。でも桃澤さ、雲雀さんの周りにはいろんなタイプのかたがいますね」

「うちはコミュ力だけいっちょ前にあるからな。勉強の方はてんでダメ。よかったらこんど雲雀に勉強教えてやってくれ。ちょっといい茶菓子かって待ってるからさ」

 そうやって雑談で時間を潰していたら籠いっぱいに何かを詰めた桃澤さんが戻ってきた。

 よく見るとそれは全てサクマドロップスだった。

「おま、鞄にもいっぱい詰めてきただろ」

「だって、もうすぐ生産終了だよ? それにあれじゃ足りないし」

「はあ、金払うのは俺なんだぞ……。佐久間さんもなんか買う?」

「えっと、炭酸飲料とメイク落としを」

「メイク落としならうちの貸したげる。あ、それともこだわりあった?」

「ううん、じゃあお言葉に甘えて貸してもらおうかな」

 レジでお金を払おうと財布を出すと、これぐらい奢らせてよと言われ渋々財布をしまう。こういう時は素直に奢られておく方がいいと思っているが、それでもやはり申し訳なさが募る。

 そこから車で十分ほどのカフェで時間を潰し、夜ご飯ごろに私たちは屋敷へと戻った。一人で大丈夫かと心配したが、母はどうやら書類にサインをすることはなかったそうだ。その代わり明日の厨事を全て押し付けられたらしい。

 明日は幸い晴れの予報なので気分が悪くなることもなさそうだ。仕方がないので早起きして母の手伝いでもしようかな、と寝る準備をする。

 私と母はなぜか別の部屋を用意された。まあこんなに広いお屋敷だし部屋は有り余っているのだろう。

 私も一人で寝れないような年でもないのでシャワーを浴び、日付が変わるまで単語帳を眺めていた。

 桃澤さんは屋敷で解散してから見かけていない。どうせなら私の部屋に呼んでお泊り会とかも楽しかったかも、なんて思うぐらいには私は桃澤さんに心を開いていた。

 彼女は選ぶ言葉が、なんというか、いい意味で暖かくない。端々に興味の無さは感じられるが、それでも彼女がちゃんと話を聞いてくれているという信頼感が最初からあった。

 それに、途中まで気がつかなかったが桃澤さんはあまり自身の話をしない。それを不自然と感じさせず、私に話させるコミュニケーション能力が桃澤さんにはあった。

 とは言え、学校で私と桃澤さんが話すことはもうないだろう。桃澤さんからは話してくれるだろうが、私は今と学校では態度がや性格まで何もが違う。

 意識的にしている部分もあるが、とにかく学校という場所が嫌いなのだ。外で合う分には自然に接せられるし、楽しいのだが場所が学校となるとそうもいかない。

 まるで地縛霊でもいるのではないかと疑うほどに、私は学校という場所が苦手だったし、嫌いだし、怖ろしい。

 そろそろ日付も変わることだしと布団に入る。そんなに疲労感は感じていなかったのだが、体は確実に疲れていたらしく、布団に入ってすぐに私は意識を飛ばした。



「伶ちゃん、伶ちゃん」

 誰かが私の体を揺らしている。目脂でくっつく瞼をどうにか持ち上げても真っ暗で何も見えない。

 枕もとでスマホを充電していたはずだと電源を入れると時刻は二時三十二分だった。

「伶ちゃん、起きて」

「ん、桃澤さん?」

「雲雀でいいって言ったじゃん」

 なぜか桃澤さんが私の部屋にいる。徐々に意識が覚醒してきた私はそのことに違和感を抱き始める。

「え、桃澤さん? なんで?」

「今から私に付き合ってくれない?」

「え、こんな時間に? 何?」

「逃避行」

 暗闇に慣れた眼が桃澤さんの輪郭を捉える。彼女は昼と同じ服を着て、昼と同じ人懐こい笑みを浮かべていた。

「どこに? てかなんで?」

「母親を殺してきた。だから、逃げるの」

 さ、行こ、と手を引かれ布団から引き出される。桃澤さんは勝手に私の財布とスマホと充電ケーブルを自身のリュックに詰めると強引に私の手を引いて屋敷から出た。

「ちょ、さむっ。桃澤さん、まってどういうこと。殺してきたって何? どこに逃げるの? なんで私……」

 理解が追いつかず、思ったことを全て口に出し頭の整理をしていたので桃澤さんの顔が近くまで来ていたことに気がつかなかった。

 そのまま疑問ばかりの私の口は、桃澤さんの唇に塞がれる。

 何秒たっただろう。触れ合うだけのそれが離れたころには、私は桃澤さんと逃げる覚悟を決めていた。

 流石に寒すぎるので上着を取ってきてもいいかとたずねると、私が逃げ出さないと確信したのか桃澤さんから許可が出た。

 屋敷に戻ると、さっきまでは聴こえなかった人の声がした。もしかしてお母様の死体が発見されたのかと一瞬心臓が止まりそうになったが、よくよく聞いてみるとそうではないらしい。

 その声はどう考えても酔っ払いの声だった。

 昼間の大広場で大人たちが飲み会をしているらしい。これなら死体発見は早くとも明け方だろう。

 そう、この屋敷に死体があると信じて疑わない自分に思わず笑いがこぼれる。

 部屋からこの前買ったばかりのコートを引っ張り出し、また屋敷から出るが、桃澤さんの姿はない。

 予想外のことに一瞬動揺したが、桃澤さんは絶対に戻ってくる。

 案の定桃澤さんは一分もしないうちに戻ってきた。ごついバイクに乗って。

「おまた~」

「どうしたの、それ?」

「これ従弟の。昼のうちに鍵拝借してたんだ~」

 そういって桃澤さんは車体をポンポンと叩く。

「運転できるの?」

「免許は持ってんだ。さ、伶は後ろね」

 促されるままにバイクの後ろにまたがり、桃澤さんの腰に腕を回す。こんな時でも桃澤さんはいい香りがした。

 バイクが静かに発進する。

 そういえばどこに向かうのか聞いていなかった。

 しかし、それは関係ないような気もする。

 バイクを走らせること二時間、私たちは淡路島についた。

 いまや高速道路の料金所は無人だし、PAだって閉まっている。私たちの存在を認識するのは防犯カメラだけだ。

 自販機でコーンポタージュを二つ買い、頑張って舌を伸ばして残ったコーンを必死に掻きだそうとするもなかなか取れない。

 変な顔。そっちだって。

 そうやってひとしきり笑いあった後、どちらからもなく二人はバイクにまたがった。

 そこから私たちはいろんな場所を巡った。

 姫路城、鳥取砂丘、厳島神社、道後温泉、讃岐、道頓堀、金閣寺。それらに特に意味はなく、なんとなく聞いたことのある観光名所を回っているだけだったがそれなりに楽しかった。

 お金は全て雲雀が出した。どこにそんな財があるのか、気になったがそれを聞くのは何か違う気がして聞けていない。寝泊りは基本ラブホか満喫だった。

 ラブホテルは基本無人だし、満喫の人も未成年には慣れているのか何の反応も示さない。そのことに悲しくなったりしたけれども、今の状況ではそれがありがたかった。

 何日たったのだろう。多分、二週間は経っている。位置情報がバレたくなくてスマホはとうの昔に投げ捨てた。

 私たちは東北地方に来ている。

 今日は、雨が降っていた。

 ポロン、カラン、ホテルからも聞こえるそれに耳を塞ぐ。

「どったん?」

「雨が、ね。ちょっと苦手で……」

 そっか、今日はこのままここで休む? と聞く雲雀の眼には落胆の色が見える。それが、なんだかとても悔しくて、悲しくて。

 私は雲雀の唇を奪う。

 私たちの旅が、逃避行が始まった時の優しいフレンチ・キスではない。半開きだった雲雀の口に舌を突っこむ。

 上顎を擽り、歯列をなぞる。そのまま奥へと舌を進めると、甘ったるいレモンの味がした。

 いつも雲雀が舐めているサクマドロップスである。

 彼女は一日に一缶のペースでそれを消費する。いつもカランカランとなるそれに雨の音がリンクして、私はそれがあまり好きではなかった。

 でも雲雀にとってサクマドロップスは命綱みたいなものだったのだろう。

 ある日、雲雀の手が滑り飴玉を一つ、橋の下に落としたことがある。私にしてみたら、たかが一つぐらい、という感じだったが雲雀は今にも泣きそうな顔をしていた。

 母親を殺したときでさえ笑顔だったこの女がだ。

 その女と、甘ったるいキスをしている。

 私たちはその日、キスをするだけで一日を過ごした。ご飯も食べずに、シャワーも浴びず。

 雲雀は飴を介したキスがお好みだったのか、口の中から固形が消えるとまた新しい飴玉を舐め始める。

 いちご、りんご、すもも、メロン、オレンジ、パイン、レモン、ハッカ。

 最後の方になると味の区別なんてできず、ただ人工甘味料特有の甘さが舌をマヒさせた。しかし、そんな中でもハッカの清涼感だけははっきりと感じることができて、私たちはハッカを舐めるたびに顔を寄せ合って笑った。

 そうやって、缶二つを消費して今日が終わる。

 残る缶は三つだ。



 翌朝、雨はまだ降っていた。しかし、耳鳴りのするような音は聴こえない。

 代わりに、ぽたぽた、ぷつぷつといった風に聞こえる。

「雲雀!」

「どったん伶」

 喜びのあまり、まだ眠り眼をこする雲雀に抱き着く。

「東北でどっか行きたいとこある? 無かったら北海道まで突っ走りたいな」

「分かった。ちょっとトイレ行ってくる」

 支度をする雲雀を置いて外に出る。

 本当に、雨ってしとしとと聞こえるんだな、と思いながら近くの電話ボックスに駆け込む。そしてポケットの奥でくしゃくしゃになった名刺を引っ張り出した。

「もしもし個人タクシーの桃澤隼です」

「あ、佐久間伶です。お久しぶりですね」

「え……伶ちゃん……? もしかして雲雀一緒か?! 心配したんだぞ今どこにいるんだ」

「東北です。明後日ぐらいに北海道につく予定なので警察と一緒に迎えに来てもらえますか?」

「そりゃもちろんだが、なんで警察?」

「え? 雲雀が母親を殺したからに決まってるじゃないですか」

「……それは雲雀が言ってたのか」

「ええ……」

 私は、このままいくと雲雀が死んでしまいそうな気がして、お兄さんである隼さんと警察に保護してもらおうと考えていた。雲雀は私のことを嫌うだろうが、きっちり罪を償い生きて欲しかったからだ。

 でも、雲行きが怪しい。

「母親は、生きている」

「え?」

「多分、雲雀は死のうとしている。いいか、俺たちが保護に向かうまでこのことは絶対に雲雀には言うな。絶対に迎えに行くから」

 それだけいって隼さんは電話を一方的に切る。

 何かがおかしい。雲雀は母親を殺していないならこの逃避行は何の意味が。

 そして、今にも死にそうな雲雀の顔を思い出す。

 そうか、これは思い出作りの旅だったのか。本当にそうなのだろうか。

 分からない。しかしじっくり考える時間もない。そろそろ戻らなければ雲雀に怪しまれる。



 そこから二日、私は何も考えないことにした。

 そもそも覚悟は最初から決まっていた。ともに死んでもいいと、そう思って逃避行を承諾したのだ。

 雨の音が消えたことにより一時的に感性が普通に戻されただけ、あのときがおかしかったのだ。そう思えばいつも通りに雲雀と接することができた。

 雲雀が母親を殺していようが殺していまいが関係ない。私はこの女についていく。

「とーちゃく!!」

 雲雀がバイクを止めたのは大雪ダムとかかれたダムの駐車場だった。なんとなく、ここが最後なんだなと分かる。もうサクマドロップの缶は最後のひとつだ。

 流石に冬の北海道は寒く、山のふもとで防寒具をそろえた。

「たかーい」

 そうはしゃぐ彼女はかわいらしかった。

「ねえ、本当にお母さんを殺したの?」

 どうせ最後ならと、今まで聞かなかった、聞けなかった質問をする。

「首を絞めてから包丁を心臓に突き立てた。意外と堅かったから多分届いてないと思うけど」

「そっか」

「私の家ね、元々壊れてたの。お父さんの浮気が見つかって、私は浮気相手の子供だって分かった。よくある話でしょ? それにお母さんは怒り狂っていつも見えないところを傷つけられた。わけわかんない毒薬もいっぱい飲んだし、まんこから子宮をズタズタにされて、でも最悪だったのはそれを知った兄が私を強姦するようになったこと。感覚なんてないのにすごい丁寧に私のヴァギナをいじくりまわすの。すごい気持ち悪かった。

 でも、あの屋敷でお母さんのカバンから財布を盗む伶ちゃんを見て、なんだか馬鹿らしくなったの。だから殺した。お兄ちゃんは今頃普通に過ごしてるだろうね」

 そう話す雲雀の向こう側に、隼さんがいた。なんとなく、来るんだろうなと思っていた。

 雲雀の話を聞いて、そんなことする人だとは思わなかった、なんて思わない。

 私は私がやるべきことをするだけだ。

 隼人さんに向かって全力疾走をする。こちらが気付いていることに気づかなかったのか、先ほどまで健常者の顔をしていた隼さんの顔に脂汗が浮かぶ。

 しかし、もう遅い。

 そのまま隼さんに体をぶつけ、私たちはダムの底へと沈んでいった。



 その後、私は奇跡的に助かった。防寒着を着ていたおかげと言われたがあまりピンとこない。隼さんの死体は今も見つかっていないようだ。

 雲雀はあのあと家庭裁判所にかけられた。母親は本当に死んでいたのだ。その残忍性から当初は成人と同じように罰せられるとなっていたが、桃澤家からでた大量の毒薬と、身体検査の結果虐待が認められ罪は軽くなったらしい。

 私の方はというと正当防衛が認められた。

 襲われそうになったから抵抗したら落ちた。雲雀はそう証言したらしい。幸いあの時間帯はダムに人はほとんどおらず、また隼さんの死体も上がらなかったために争ったかどうかの事実確認は不可能だった。

 しかし、殺人を犯している雲雀の証言だったということもあり、私もしばらく少年鑑別所というところで過ごしていたのだが、桃澤家の惨忍な虐待の証拠が挙がったため、正当防衛が認められた。

 その一件で一番壊れたのは私の母だった。殺人者と行方不明になった娘の安否を案じていたら人を殺していたのだ。壊れるのも当たり前だろう。

 ただ、我が家も元々壊れていたのかもしれない。父は、私の行いには何も言わず、その間の母についての愚痴ばかりをこぼしてばかりだった。

 弟は母のせいで人間不信に陥りかけたが、私が無事だったということと、何をどう受け取ったのか分からないが、人ごろにの姉がいることで自信がついたらしい。

 姉よりましだ、というような自信の付き方ではなく俺には人殺しの姉がいるという事実が彼を勇気づけたらしい。

 分からない。

 結局私が戻ってから両親は離婚、弟は最寄りの学校に復帰し、学校を退学になった私は自宅で勉強しながら家事をこなした。もちろん私も弟も父親についていった。

 そうやって私は一浪して大学に行き今を過ごしている。

 なにより驚いたのは、雲雀が買い貯めたサクマドロップスはまだ発売しているということだ。生産停止したのはサクマドロップスではなく、サクマ式ドロップだった。

 私はそれを毎日一つずつ消費し、今日が雲雀の退所日だ。

 私は出口で雲雀を待つ。

 雲雀は私を見て何を思うだろう。

 裏切者と憎むだろうか、それともあの時と変わらず、温かくない言葉を投げかけてくれるのだろうか。

 楽しみではあるが、正直言ってどちらでもいい。

 雲雀は身寄りがない。

 なんのためにいい大学に行き、高い給料をもらって家庭教師をしているのか。

 全ては私の思春期をぶち壊してくれた、雲雀のためだ。

 私は、貴方についていく。

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サクマドロップス 彩葉 @irohamikan

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