理想の姿

髙木 春楡

理想の姿

 地元の繁華街、騒がしい店内に僕らの歌声が響き渡る。友人との癒しのひととき、酒を飲んで気持ちのいい夜を過ごしていた。隣の席には若い男女が僕らの歌う音楽にのって楽しんでくれている。そんな彼らと仲良くなるのに時間はかからなかった。楽しい楽しい時間を過ごす。ただ一つだけ悲しい事があったとすれば、彼らと一緒に飲んでいた、その当時はまっていたアイドルに似ている、可愛らしくてどこかかっこよさのある彼女は、僕の隣ではなく友人の隣で、楽しんでいる事だけだ。いつも僕はすみっこで生きている。


 一人で飲みに行くことも多い。ただ気分を紛らわせるだけ、そんな目的になってしまうが誰かと話すということは、精神衛生上いいことだ。そんな僕がよく行くBARにあの彼女が時々いる。SNSで出勤がわかるという現代的な利便さを感じながら、狙っていないように装いながらも彼女の出勤日に顔を出す。次の日が仕事だろうが知ったことではない。僕は彼女と話したいのだ。もちろん彼女が居ない日であっても、酒は飲みに行く。でも、どうせなら好意的に思っている人がいた方がいいと思うのは、人間的に正しい行いだと思う。

「あ、いらっしゃい!」

 歓迎するかのような声に思わず顔が綻びそうになるが、僕の顔はあまり表情が出ないらしくそんなことを気取られることはないだろう。

「どうも。」

「何飲む?」

「ウイスキーロックで。」

 いつものお酒、好きだが好きでもない度数の高いお酒。手っ取り早く酔えるし、嫌いではない。確か僕がよく読んでいる好きな作家も、このお酒を飲んでいたはずだ。時代問わず飲まれている酒だが、そう思っている方が格好がつく。お酒の銘柄なんて拘ることもない。ただ、この場で飲めればそれでいい。

 いつも騒がしい店内に、他の客はいなかった。店員三人といつものように会話する。そうやって、一時間近く話していれば他の客も入ってくる。僕は周りと話すわけでもなく、携帯を触りながら時々店員さんと話すような時間を過ごしていく。目で追うのはあの子のことばかり、だけどこれを恋と呼ぶには何か違う気がしている。ただただ、美しいものを見るようなそんな感覚、そこに少しばかりの感情が乗っているだけだ。そう、これはまた複雑なものなのだ。

「そんな見てどうした!」

「いや、かわいいなと思って。」

「またまたぁ、ありがと。」

 軽口を言ってるが、かわいいと思ったのは本当のことだ。きっと、素敵な彼女はこんな台詞聞き飽きて耳にタコまで出来ていることだろうが。僕らの会話は大きなことを語りあうわけではない、至極普通な会話だ。きっとこの言葉達には意味はなくても、話しているという事実が大切なのだと思う。天然で、突拍子もないことをいきなり言い出すような、思考回路の読めないそんな彼女が時々、ふと真面目な話をする時は夢を語るような時で、それを聞いて眩しい気持ちになってしまう。僕にはそんな真っ直ぐな気持ちがあるだろうか。忘れ去ってしまった、青春の日を思い返すような気分だ。

 彼女を目で追う、彼女は楽しそうに笑い皆を元気にさせるような、そんな人。悲しい気持ちになっても前向きに生きていそうな、強そうに見える人。僕の浅ましさ、自信のなさ、孤独とは正反対の人のように見える。でも、それはきっと僕が勝手に描いている理想像なんだろう。人は人に自分勝手な理想の姿を写す。

 勝手に描いているだけの理想と現実が違うことなんてわかっているのだけど、プライベートに突如現れた君は、理想とする彼女のままだった。

 仕事も休みで、何もすることのない僕は散歩日和な晴天の中、地元にある大きなショッピングモールへと来ていた。何をするわけでもなくぶらぶらと歩き、店を覗いては試し着してみたりと時間をつぶしていた。

「なにしてるの?」

 メガネ屋に入って、試着していると突如、目の前の鏡に映ったあの子が声をかけてきた。理想のまま、想像通りの仕草に想像通りの服装をした、女神とも言っていいような、それくらい理想通りの姿だった。

「いや、暇つぶしですよ。サトミさんは?」

「私は、ネイル終わりの暇つぶしかな。」

 指先は、綺麗な色をしていて、光に当たると光沢感が見てとれる。ネイルに興味のない僕だが、綺麗だと思える爪をしていた。

「いいですね。ネイル。」

「でしょ!」

 ただその言葉だけで、僕らの会話は終わってしまう。お酒を飲んでいない場所、仕事と関係のない場所で会ってしまうとこんなにも変わってしまうことに驚いていた。何も話せない。いつもどうやって話していたかも忘れてしまう。

「プライベートは無口なんだね。」

 責めているような口ぶりではなく、ただ穏やかに微笑んだ。

「かわいくて、理想のサトミさんって感じでなに話していいやら......」

「照れてての反応なんだ。意外!」

「いや、照れる時くらいあるよ。初めてプライベートで出くわしたわけだし。」

 言い訳として苦しいのではないかとも思ったが、今の僕には余裕なんてない。思い浮かんだ言葉が脳を介さずに出てしまう。焦ってしまった人とはこんなにも、正常な判断が出来ないのかと、自身の言葉を耳に入れながら思う。

 これを恋と言わないなら、なんと呼ぶのだろうか。それでも、恋とは違うなにかな気がしている。僕がこの人に向けるのは尊敬なのか、恋慕なのか。分からなくてもいいように思う。どんな形だろうと好きなのには変わりないのだから。

「こっちまで照れそう。」

「詩でもサトミさんに贈ろうかな。」

「え、詩なんて書けるの?」

「いや、書けないけど。書ける気がしたから。」

「楽しみにしてる。」

 自分の気持ちに答えすら出ないけれど、言葉が浮かぶならその言葉を送りたかった。キザなことを言ってしまったなと後悔する気持ちもあるが、そんな後悔は未来の自分がどうにか解決してくれるだろう。今、自由に言葉を言えて好き勝手に生きれている。その事実だけが愛おしい。

 携帯のバイブ音が聞こえる。仕事終わり家に帰ろうかと思った時、その通知を見て足を止める。

『少し辛い。』

 その文字に、店まで駆けつけるべきか考える。僕なんかでは力にならないのはわかっている。それでも、少しでも気持ちが楽になるならと思いながら、給料日前でお金がないことに気付く。

 お金がないことをここまで恨んだことはない。真面目に働いていればよかった。人生流されるがまま、適当に過ごしていると、このような時に自分に返ってくるのか。

「すいません。行けなさそうです。行きたいんですが。」

『残念。無理しなくていいよ。』

 こんなにも自分の無力さを恨む時はない。今日だけで何度人生を悔やんでしまうのだろうか。だが、あのサトミさんにもこうやって悩む夜があるのかと当たり前のことを思う。彼女はいつも元気で、悩みさえも吹き飛ばしてしまうような人間だと思っていた。きっと皆同じようなものなんだろう。自分の無力さに悩み、未来に不安を覚え、それでも前を向いて生きていく。そうやって繰り返し壁にぶつかりながら生きていくのだろう。人は結局どこまでいっても似たようなもので、特別な人間と言われるような存在でさえ、同じようなことで悩む夜があるのかもしれない。

 人は弱い。一人では生きていけない。生きる目標がなければ生きていくのさえ億劫になる。それでも、これをやりたいという小さな目標、大きい目標を得て生き続けるのだろう。何も変わらない人間に、人は僕は理想を押しつける。理想を押しつけて神のように崇め、好きだという。それを重荷に思って人は潰れることもある。きっと人はそうやって、誰かを理想の存在として期待しながら生きていくものなのだろう。

 あなたが私を守ってくれる。

 あなたを守ってあげる。

 あなたなら全てをわかってくれる。

 あなたなら、あなたなら、と繰り返し、人は理解から程遠い理想というフィルターを通して人を見る。そうやって、自分が生きやすい世界を生きたいと願ってしまう。それではきっと、皆疲弊してしまう。僕もそんな人間の一人だったんだと気づいてしまった。なんて酷いのだろう。それでも、きっと僕は変わらずこの思いを胸のどこかに秘めて生きていくのだろう。

 彼女に贈る詩はどんなものがいいだろうか。彼女への謝罪なのかな。それとも、彼女への感謝?どんなものでもいい。理想を押し付けてしまった彼女に、自分勝手な好意を送りたいと思う。僕はきっとそうやって、理想を押し付け、それでも人の弱さを抱きしめながら生きていく人間だから。



『日常の隙間、埋める貴女への思い達、僕が描く理想の貴女は、きっと貴女の努力の成果。貴女の深層を抱き締めて、僕は離れたところから見守る鳥となる。』



 書いた詩を読み返すこともなく、その時の想いだけで書き殴ったそれを胸にしめ、僕はいつもの道を歩く。何も変わらない日常の一幕、貴女とアルコールを目指して歩いていくけれど、僕は彼女の姿を見て、酒を飲みながら笑い合えればそれでいい。元気な側面だけ見て、時々弱音を吐いてくれるならそれを抱きしめて生きよう。僕はそうやって人と関わっていくよ。いつの日にか、貴女だけに捧げたいと思える人が現れるまで、それまで僕は遠くから理想を見て生きていく。

 何も変わらぬ顔で、何も変わらぬ気持ちで、僕はBARのドアを開ける。

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理想の姿 髙木 春楡 @Tharunire

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