第4話 奪われたもの
「なーに? またこんな辛気臭い場所で死人に縋っているのかしら」
「……」
たったひと声で気分を悪くさせる言い回しに、イリゼはゆっくりと振り返る。
オフィーリアの墓場に入るには、腰の高さになる茂みの間を通らなければならない。
そのちょうど通路になる場所に、意気揚々と含み笑いを浮かべる少女が立っていた。
両側には、いつものお付の侍女が二人揃っている。
上から下まで真っ赤な色のドレスを身に包み、贅沢な装飾品をこれ見よがしにつけている少女など、この領主城にそうそういない。
「……エティナさま」
なぜここに、と問うまでもない。
彼女は飽きもせず「卑しいものを虐げる行為」を楽しみにして来たのだろう。
本当に暇な人だなと思いながらも、イリゼから言葉を発することはない。
どうせ何かにつけて文句を言うに決まっている。
「まあでも、あなたにはお似合いの場所ね。なんならあなたもお揃いにしたらどうかしら。ふふ、大好きなお母様とずっと一緒にいられるなんて、嬉しいでしょう?」
「まあ、お嬢様ったら。本日は一段と冴えていらっしゃいますわ」
「よい提案でございます」
簡単に訳せば、さっさとこの世から消えろ、と言いたいようだ。
なにが面白くて笑っているのか、イリゼは彼女たちの人格を疑った。まったく面白くない嫌味である。
事実を知らないエティナからすればイリゼは異母妹なのだが、事ある毎に「私生児」や「妾子」と罵っている。
イリゼの存在事態を認めておらず、家族とも思っていない。
父親を籠絡した女の娘と目の敵にしているのだ。
(いつものこと。気にしていたらきりがないもの)
こんなときはエティナに好きなだけ罵倒させ、頃合いを見て退散するのが平和的に終われる。
少し、いやものすごく腹立たしいけれど、我慢だとイリゼは自分を納得させていた。
「……私は仕事に戻らないといけないので、これで失礼します」
もういいだろうと、イリゼは頭を下げその場を去ろうとする。
背中を丸めてとぼとぼと歩けば、エティナは勝ち誇った表情で鼻を鳴らすのだ。
これがエティナの満足時に出る無意識の癖だった。
「ちょっと、待ちなさいよ。これ、なんだと思う?」
しかし、今日ばかりは違った。
エティナは隣に目配せをすると、侍女から小さな箱を受け取る。
藍色の、手のひらに乗るぐらいの角に丸みのある小箱だ。
(また、贈り物自慢?)
イリゼはじっとエティナの持つ箱に注目する。
意味深に笑みを浮かべるエティナは口端を釣り上げると、焦らすようにゆっくりと蓋を開いた。
「これをあなたが、知らないわけないわよね」
小箱の中には、見覚えのある指輪が収まっている。
何色にも染まっていない透き通る宝石が真ん中に嵌め込まれ、特徴といえばそれだけのもの。
だが、不思議と惹き付けられる何かがあり、見た瞬間にイリゼは歯の奥を噛み締めた。
(お母さまの、指輪……)
それは記憶を失くした母オフィーリアが、唯一所持していたという品。
あれは確かに棺の中に供え、母の体とともに土に還したはずで、エティナが持っているなどあり得ないことだった。
(まさか……取った? 棺から、指輪を?)
表面上はなにがあっても動じず、理性的に。
「お母さまの指輪を、なぜ、エティナさまが持っているのですか……?」
それを毎度守ってきたイリゼでも、さすがに許容できない一線というものがある。
生前、母オフィーリアはその指輪を小さな布袋に入れ保管し、普段指に嵌めることもなかったと思う。
自身の記憶に繋がる唯一の手がかりではあったものの、どこで手に入れたのかも、買ったものなのか贈られたものなのかけっきょく最後までわからなかった。
しかし、オフィーリアにとっては無二の品であり、イリゼが触れるのも躊躇してしまうほど大切にされていたものだ。
実際、直接触れたことはない。
オフィーリアが亡くなったとき、イリゼはこの指輪を遺品として貰い受けるはずだった。
一人残されてしまう最愛の娘にあげられるたった一つのものだと、オフィーリアはイリゼに貰って欲しいと事前に言っていたのである。
なにかあれば売って生活の足しにしても構わないと聞かされていたが、指輪は母と共にあるべきだとイリゼは考えた。
あれだけ大切にしていたものを、何が起こるかわからない自分の身に置いておくのは不安で、それならば誰の手に渡ることもないようにするのが一番だと決めたのだ。
(……なのに、どうしてエティナが持っているの?)
考えられる可能性は、きっと少ない。
しかし少ないながらも思いつく可能性はすべて軽蔑に値するものである。
(棺を埋める前に回収したか、棺を掘り返したか)
あまり聞きたくはない内容だけれど、指輪をエティナが持っている以上は、いまにも話したそうに唇を開きかけている彼女の話に付き合わなければならないようだ。なんて面倒なんだろう。
「お父様がくださったのよ。ほら、もうすぐわたくしの誕生日だからね。もちろん贈り物はほかにもたくさんあると言っていたわ。けど、これもいいでしょう?」
「それは私のお母さま――母の指輪です」
「ええ、前はね。でも今は、わたくしのものよ」
常に平常心でいたイリゼの顔色が変化しはじめ、エティナは勝ち誇った表情をうっすら浮かべた。
(……ここで無理やり取り返したら、どれくらい体罰を受けるんだろう)
日頃エティナは気に入らないことがあるとすぐにレディナ夫人に言いつけ、イリゼに体罰を与えていた。
折檻、食事抜き、許容を超える労働……どれを与えても涙の一粒も零さないイリゼが、エティナは目障りなのだ。
イリゼもそれがわかっているので意地でも泣こうとはせず、そもそも泣くほどではないと思っているので、涼しい顔を浮かべるばかりだった。
イリゼが理性に反して泣いてしまうのは、母を思ったときだけである。
それも三年前、亡くなった日の一回きりだ。
以降イリゼは心を強く保つことで、付け入る隙を与えずにいた。それほどに母親が居なくなった領主城はイリゼにとって敵地と変わりないのである。
(領主さまが、棺から指輪を取ったの? なんのために……ううん、そんなことどうでもいい)
イリゼはどうすれば指輪を返してもらえるのかを考えた。
頼み込んだとしても、エティナが素直に渡してくれるとはまったく思っていないけれど。
「……それは、母の大切な指輪です。お願いします、それだけはお返しください」
両手を揃えて深く頭を下げる。
瞬間、顔が見えなくなったエティナからは、声高い笑い声が聞こえてきた。
「ぷっ、あはははっ。なんてざまなのかしら。いつものあんたが嘘みたいねぇ。そもそも相手に頼みごとをするときは、もっと頭を下げるべきじゃないのかしら。ねえ、違う?」
「……」
すでにイリゼはこれ以上にないほど下げている。
くすくすと彼女のお付の侍女からも嘲笑が聞こえ、イリゼはエティナが何を言いたいのか理解した。
(ほんと、ぶん殴りたくなるわ)
心に反して、イリゼは頭をさらに低くする。
膝を地面につけ、両手をつけ、額を土に合わせ、なんとも惨めな体勢でエティナに懇願した。
「……エティナさま、どうか指輪をお返しください」
「気に入らないわね、その言い草。そもそも返してってなによ。これはわたくしのだと言っているのに」
地面すれすれのイリゼの顔がこの言葉によって引き攣る。期待はしていなかったものの、本当にその通りだったことに落胆してしまった。
初めからエティナは指輪を返す気がなかったのだろう。思う存分イリゼに見せつけ、行動で示させ、そして落とす。こうしてエティナは自身を優位に立たせるのだ。
「……では、譲ってくださいと言葉を変えれば、渡していただけますか」
ふう、と顔をあげたイリゼがため息混じりに問う。
いくら媚びへつらっても無駄なのだから、どんな態度でいたって変わらない。
イリゼはイリゼのやり方でこの場を進めることにした。
「誰が頭をあげていいと許可したかしら。本当に生意気ね」
表情を歪めたエティナは、左右に立つ侍女二人に目配せをする。エティナの意思を読み取った侍女たちはひとつ頷いてイリゼの両脇に素早く移動すると、腕を掴んで身動きが取れないよう拘束した。
「ほら、違うでしょ。あんたは、わたくしにお願いする立場なのよ。わたくしが良いと言うまでこうべを垂れるのが筋でしょ」
「申し訳ございません。私、頭が足りないので"筋"の意味がわかりません。あ、もしかして……エティナさまの眉の間にくっきりある皺のような線のことでしょうか。奥様とよく似ていらっしゃいますね」
「……っ、この、私生児が!!」
瞳孔を開いたエティナは、これでもかと顔を真っ赤に染め上げる。
そして自由を奪われ動けずにいるイリゼの腹めがけて力強く蹴りを入れた。
「うっ、ごほっ」
こんな風に、つい言ってしまうのがまずいのだろう。わかってはいても気づいたときにはもう口の外から出てしまっているので阻止しようがない。
これでもいままでは散々、固く唇を結んでいた。
今回は特別である。
母の指輪が関わっているので、イリゼも逸る気持ちをうまく扱いきれていなかったのだ。
ただこのときばかりは、考えなしに突っ走ってしまった行動が痛恨事だったと断言できる。
「本当に気に入らないわ。あんたも、あんたの姿も、その声すらもね!」
イリゼが怒り狂ったエティナを視界に収めたときには、もうすべてが終わったあとだった。
なにが起こったのか、一瞬の出来事すぎて呆然としてしまう。
(いま、なにか――)
いつの間にかエティナの手には指輪のほかに見慣れない小型の水晶玉が握られていた。紫がかった水晶玉の中には、霧のような黒い靄が渦巻いている。
そこで、イリゼははっとした。
(声がっ)
喉に感じた抜けるような喪失感は気のせいではなかった。
いくら発言しようとしても声は出てこない。
ぱくぱくと空気だけが漏れる口の動きは水面から顔を出す魚のようで、エティナは耐えきれなかったのか笑い声をあげた。
「あは! あははは! すごいわ、本当に声を吸い取っちゃった! この特異物、本物だったのね」
エティナは握った水晶玉をまじまじと見て言う。
特異物と聞いたイリゼは、まさかと同じく水晶玉を凝視した。
(特異物って、楽園で作られているっていう不思議な力が込められた道具?)
楽園とは、大陸の中央に位置し空に浮かんだ大地のことを指す。
天空の大地――デアテゾーラ。
そこには異能力者という摩訶不思議な力を宿した人々が集い暮らしている。
特異物というのは、楽園に住まう者たちの手によって作られる産物だということをイリゼは知っていた。
そして、地上人が所持することが違法行為にあたるということも、住む場所生きる場所は違えど地上の人間であれば周知のことだ。
(どうしてそんなものをエティナが。だめ、やっぱりが声でない)
そういえば、前に酒場で耳にしたことがある。
どんなルートを通っているのか定かではないが、かの楽園から地上に特異物が流れていると。
(だからってこんな、声を奪うなんてまるで魔法みたいなこと)
「あんたにはちょうどいいんじゃない? 存在すら疎ましいんだから、声くらいなくなっても誰も気にしないわよ」
イリゼの困惑した様子にエティナは余裕綽々の笑みを浮かべる。
指輪と水晶玉。両手に一つずつそれらを載せ器用に転がしていたが、風が吹いて手元が狂ったのか指輪が地面に落ちた。
(指輪!)
自分の声が奪われようと、イリゼが優先するのは指輪である。
侍女たちの拘束から逃れて土の上にある指輪に手を伸ばす。
指先が透明な宝石の表面にかすったところで、イリゼは己の心音をじかに感じた。
「……っ」
どくん、と全身が脈打つような心地。
肌が熱を帯びて、言いようのない何かにイリゼは支配された感覚があった。
(色が――?)
「エティナ様の私物に触れようとするなんて」
「まさか盗る気じゃないでしょうね!」
無色透明の指輪の宝石がこの瞬間だけは色づいた気がした。しかし、確認する暇もなくイリゼは再び侍女の一人よって押さえつけられる。
もう一人は指輪を拾ってエティナに渡し、それを箱に戻すとエティナは居住まいを正した。
「どちらも返して欲しかったら、今後はわたくしに生意気な態度をとらないことね。そして、わたくしの命令に動いて、どんなときでも最優先にしなさい。いい、命令よ」
声はともかく、指輪を返す気はさらさらないくせに。
一度私物となったものをエティナが他人に譲ったことなどない。自分の手から離れたときは、飽きて処分するときだけである。
その後、エティナと侍女たちは墓場からいなくなった。
残されたイリゼは呆然と立ち尽くし、思い悩む。
(ああ、最悪。どうしよう、指輪)
身体に異常が生じたとして、イリゼが心配するのはまず指輪のほうだった。
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