第4話 実は、ちょっと前から


「ん……うぅ……」


 ユキは閉じた瞼の上から、明るさを感じて目を開けた。部屋に差し込む光が、ベッドの端を照らしていた。ユキは身体をごろんと仰向けにして、真上を見た。ユキは天蓋付きの大きなベッドに寝ているらしいと気づいた。


(ここはどこだろう……私、今、ふかふかのベッドに寝ている。何て幸せなんだろう)


 ユキは寝起きで動かない頭を、何とか働かせた。昨日、奴隷商から領主に売られて、そうしたらそこが襲撃されて、マヨイとサリアと出会って……マヨイ? そうだ、マヨイに連れられて……そこからユキの思考は、記憶を手繰り寄せるように素早くなる。お風呂で、身体を見られて、そこから記憶が無い。


(もしかして、倒れて、そのままここまで運ばれたのだろうか?)


 ユキは状況を確認しようと、身体を起こした。その時、ベッドについたはずの右手が、何か柔らかいものに触れた。


「んっ?」


 隣に、マヨイが寝ていた。そして、ユキの手が、マヨイの胸の上に乗っており、その柔らかい胸をぐにゃりと潰していた。


「つぁーッ⁉」


 人間の可聴域を超えた声……それは亜人のほとんどにとっては聞こえる音域だが……を出して、ユキは叫んだ。


(隣で寝ている⁉ なんで? 記憶が無い。でも隣で寝ているということは、何かあったということ? 何かって何だ⁉)


 ユキは必死で深呼吸をした。


(落ち着け、落ち着いて考えろ。もしかして、私が寝ている間に、あれやこれやそんなことを? いやいや、そんなまさか。一国の王女ともあろうマヨイが、寝込みを襲うなんてことをするわけがない。無いよね? じゃあなんで隣で寝ているの⁉)


 ユキはぐるぐると頭の中で考えを巡らすが、結局記憶が無いことには考えたところで何もわからない。ユキは現実逃避するように、ぽすんと再び上体を倒して、天井を見上げた。そしてふと、隣で静かに寝息を立てているマヨイを見る。


「本当に綺麗な髪の毛……」


 ユキは現実逃避しながら、そのさらさらと流れるような黒髪を指で掬いあげて、指の根元から指先までを滑らせる。何の抵抗もなく指の上を流れていく黒髪をぼんやりと見つめながら、ユキはそれを何度も繰り返した


「幸せそうな寝顔。ふふっ……」


 その髪の毛の奥の、マヨイの顔を見て、ユキは思わず微笑んだ。マヨイは普段は凛として、どちらかというと格好いい女性だったが、無防備な寝顔をこうしてみているのが自分だけだと思うと、ユキは誰に対して感じるでもない、妙な優越感を覚えた。


 しかしユキがマヨイの髪をいじりながらじっと寝顔を見ていると、マヨイは突然ぱちっと目を開いて、ユキと目を合わせた。ユキはびくっと身体を硬直させ、そっと髪の毛から手を離した。


「おはよ、ユキ」


「お、おはよう……マヨイ」


「実は、ちょっと前から、起きてた」


「へ、へーそう。いつから?」


 ユキは恐る恐るそう聞いた。


「『本当にきれいな髪の毛』って言ってくれたところだぞ」


「けっこう前!」


 それどころか、幸せそうな寝顔、とか言っていた時にはマヨイは既に起きていたことになる。


「ううぅ……どうしてマヨイはそうやって私のことを……」


 ユキは両手で顔を隠して、身体ごと翻してそっぽを向いた。


「ごめん、ごめん。ユキが倒れたから心配で……従者が隣についていようかと言ったんだが、それなら私が隣に寝てしまえば解決だと思ってな」


「普通そうはならないでしょ!」


「まあそう言うな。心配だったんだ。許してくれ……」


 マヨイはそう言って、ユキの頭を撫でた。ユキは心地よさを感じながらも、やはり思う。マヨイはユキに甘すぎると。


「マヨイは、どうして私にそんなに優しいの?」


 普通に考えれば、おかしなことだ。奴隷を一人保護したからって、王女がわざわざ城に連れ帰って、面倒を見るだなんて聞いたことが無い。それに、ユキに対する態度も甘すぎる。ここまで甘やかされるような理由が、ユキにはわからなかった。


「ユキは十分、不幸を味わって来たんだ。幸せになる権利がある。だから私がそれを叶えてやるんだ」


 つまり、憐みということだろうか、とユキは考える。でもそれにしたって、同じような境遇の亜人はたくさんいるはずだ。マヨイは質問に答えているようで、答えていないと感じたが、ユキはそれ以上は聞かなかった。


「もういいだろ。さ、こっちへおいで。髪をとかしてやる」


 マヨイはユキを椅子に座らせると、ブラシを使って髪をといた。すーっと子気味いい音を立てて、ブラシが上から下へと進む。長い髪をブラシが通り抜ける度に、ユキは心地よさを感じた。ユキは知らない間に、簡単な寝間着を着ていた。これは誰が着せたのだろうとユキは疑問に思った。


「私、倒れたんだよね……ごめんね、昨日は」


 前を向いたまま、ユキはそう謝った。


「いや、気にすることは無い。その、あんまり見ないように、したから……」


 消え入りそうな声でマヨイは言った。先ほどユキが抱いた疑問に、勝手に答えが出た。


 何よりも、風呂に入ろうとした時点ではあんなに裸を見せるのも見るのも気にしなかったマヨイが、今こんなに恥ずかしそうにしているのを見ると、ユキは自分と一度風呂に入っただけでマヨイの感覚すら変えてしまったのかと、羞恥で悶えずには居られなかった。


(忘れたい……忘れよう……)


 それはユキの得意技だった。嫌で嫌で仕方ないことや、恥ずかしくて思い出したくないことは、意識的に全く別のことを考えて脳から追い出す。奴隷生活に耐えて生きるために、身に着いた習慣だった。


 ユキはマヨイに髪を梳かして貰った後、女性の従者が部屋に入ってきて、身だしなみを整え、服を着せた。マヨイの服はサイズが合わなかったため、ユキはマヨイの母であるトバリが過去に着ていた比較的ラフなドレスを身に着け、化粧や髪飾りで身だしなみを整えてもらった。


 王家の従者だけあって、ユキが慣れずに居心地悪そうにしていても、従者は気にせず世間話を振りながらも素早く仕事を終えた。


「どうかな?」


 ユキは少し照れながら、部屋から出たところにいたマヨイにその姿を見せた。


「綺麗だ……とても」


 マヨイははっとしたように、ユキを見てそう言う。そしてユキからしばらく目を離さなかった。


「そ、そう。ありがとう」


 ユキはさすがに照れて、目をそらした。こういう時、誰しも社交辞令として相手を褒めるもので、ユキもそういう誉め言葉なら気にも留めず流していたかもしれない。


 しかしマヨイのその反応は明らかにそういうものではなく、未だにじっとユキに釘付けになっているのだからたちが悪い。


 ユキもそう真っ直ぐな反応をされると、真っ直ぐに受け止めざるを得ないのだった。

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