参ノ巻 仲を深める枕投げ
「で。この先どうなるんだ?」
「読んだのでは?」
「途中で脱線した」
「成程……この先は、助けられた鶴がお礼に
その夜、桃太郎と猿衛門は客間の隣の物置部屋にいた。一気に四名も泊めることになったので流石に部屋も布団も足りないとの事、それならここに身を置かせて貰えれば充分だと申し出た結果だ。
老夫婦は自分達の寝室を使えと言ってくれたが、そんな事が出来るわけがない。猿衛門は若者とはいえないもののまだ気力も体力も充分にあるし、桃太郎は言うまでもなく若くて丈夫な男だ。布団の無いこの物置部屋でも、雪や風が防げるだけ上等である。
明かりだけを借りて、お互いの表情がやっと見えるくらいの暗さで、男ふたりは声を顰めて話していた。
「そういやこの奥に機織り機があったな」
「奥方が昔使っていたそうで」
「いつの間にそんな話を」
「抜かりはないで御座るよ」
猿衛門は涼しい顔でふたりの間にある
「お前やっぱやるな」
「年の功といいますからな」
「で、つうって女はどうなるんだ? 暗くて読めねぇ」
「この家の娘になって、布でひと財産儲けるので御座るよ」
「なら、俺らの出る幕は無いな」
何もしなくて幸せならばそれで良し。明日の朝には出発しようかと言いながら早々に寝転がった桃太郎に、猿衛門は首を振る。
「つう殿は、作業中は絶対に開けないでと約束させて布を織るので御座る。しかしだんだん痩せていく彼女を心配した老夫婦はある日襖を開けてしまい……」
「正体がバレるのか?」
猿衛門は頷いた。人間に正体が知られてしまった鶴は、もう一緒には暮らせないと哀しそうに飛んでいってしまうのだ。
「開けさせなきゃいいのか」
「そうなので御座るが……」
「何日滞在すれば防げんのかわかんねぇな」
桃太郎は再び身体を起こして考えた。ある日、というのは厳密には何日後に来るのだろう。数日なら何かしら理由をつけて見守る事も出来るだろうが、数ヶ月後の事なら介入するのは無理な話だ。
「絶対開けるなよって助言するのも難しいしな」
「彼女の正体については、知らぬふりを通さなければならぬで御座るよ」
「当然だ。俺らがバラしたら意味ないだろ……あいつはわかってるんだろうな」
桃太郎は振り返って、隣の客間に繋がる襖を見た。この襖一枚隔てた隣の部屋では、シロがつうと一緒に泊まっているはずだ。話し声はしないのでもう眠っているのだろうが、シロがうっかり彼女の正体について口走らないか、とても気がかりである。
「シロ殿もわかっているで御座ろう」
「いや。あいつは危ない」
「心配性で御座るな」
「お前はまだあいつの恐ろしさを分かってないんだ」
「まぁ確かに、桃太郎殿には及ばないかも……」
「笑うなよ」
声を抑えたまま笑った猿衛門の息が僅かな灯りにかかって揺れる。桃太郎は一抹の不安を抱えながら、今宵が襖の向こうの二人にとって平穏な夜となるように祈っていた。
◇
「ねぇ。つうさんって、鶴に変身出来るの?」
客間の布団の上に仰向けに寝転がって開口一番、シロはいきなりそう言った。寝支度を終えて隣の布団に入ろうとしていたつうの動きがぴたりと止まる。薄暗い夜の寝室にも映える漆黒の瞳がわかりやすく泳いでいるのがシロにもわかった。
「いっ……やだわシロさん……どうして、そんな事……」
「ふふっ、なんとなくわかるんデスよ。だって、私も犬だから」
犬は鼻が効くのだと、シロは得意げに言った。無闇に
「そう、匂い……気をつけなくてはいけないわね」
「何で? あの時の鶴ですーって言ったらダメなの?」
「駄目なのよ。私は天から力を借りて、特別に人間になった身。人間に正体が見破られたら、私はただの鶴になってしまうの」
「うそ」
悲しそうなつうの声を聞いて、シロは両手で口を押さえた。シロが獣人だったから良かったものの、人間だったらつうをただの鶴にしてしまうところだ。
「あ、危なかった……」
「あなたが獣人でよかったわ」
「他の人にはバレないようにしないとね」
「よろしくお願いね」
ふふ。と、つうは上品に笑って布団に入った。枕の上からさらりと流れる艶やかな黒髪を眺め、シロは自分の軽率な言動を改めようと反省した。今まで感じるままに話し、思いつくままに行動してきたが、少し改めた方がいいのかもしれない。
「つうさん、ごめんなさい。私、今度からもう少し考えて話すことにする」
「素直なところは貴女の魅力ね。見習いたいわ」
白い髪にペタリと貼り付くほど下を向いた耳を見て、つうは微笑んだ。その後も他愛の無い話をしているうちに、ふたりはすっかり仲良くなっていた。
「それでね。しばらくここに置いてもらうかわりに何をしようか考えているんだけれど、布を織るのはどうかしら」
「え。つうさん布織れるの? すごいっ!」
「数少ない特技なのよ」
「おじいさんもおばあさんも、きっと喜ぶね」
「そうだといいわ……それにあの方も」
つうは一度上半身を起こし、枕元に置いていた手ぬぐいを手に取った。綺麗に畳んだ手ぬぐいは、罠にかかって傷ついた足首に巻かれていたものだ。そしてそれが猿衛門の持っていたものであることを、シロも知っている。
(あれ?……もしかして、つうさんが本当に恩返ししたいのって……)
綺麗に畳まれた手ぬぐいを見ながら物思いに
しかし、態度に滲み出ていたのだろう。つうはシロのそわそわした態度を不思議に思って首を傾げた。
「どうかしたの?」
「あの。その手ぬぐいって」
「私の命の恩人からいただいたの」
「恩人……好きなの?」
「えっ!? あ、あのっ。そそそんなつもりじゃ」
やはり少し反省したところで、人はそう簡単には変われないのだろう。シロは我慢できずに直球を投げ、動揺したつうは手ぬぐいで顔を覆った。暗くて良くは見えないが、おそらく顔は丹頂鶴の頭のように真っ赤になっているのだろう。シロは衝動の赴くままに、つうの身体を抱き締めた。
「つうさんかわいいっ!」
「やだ。お願い誰にも言わないで」
「言わない言わない」
「本当?」
「もちろんっ!」
いつの間にかシロはつうの布団に潜り込んでいた。その後も色々話し、女ふたりの夜はあっという間に更けていく。やがてシロが「枕投げ」について話し出すと、つうが興味深そうに相槌を打った。
「不思議な慣習ね。聞いたことが無いわ」
「やってみる? ここの木のところを外すと、当たってもそれほど痛くないと思うの」
「え……でも、人様に向かって投げるなんてそんな……」
戸惑っているつうには、ものを投げるという発想自体がなさそうだ。シロの悪戯心に火が付いた。この純真無垢な優等生の羽目を外してやろうとほくそ笑む。
「いいじゃないですか。私、つうさんと仲を深め合いたいの」
「シロさん。ええ、私もよ」
そっと手を握るシロに、つうは頷いた。
「……よしっ、いくよ! 鬼は外!」
「きゃっ! シロさん、ちょっと待っ……」
「ほら。つうさんも」
「ええと……鬼は、外?」
「そんなんじゃ鬼入ってきちゃいますよ」
「え? 駄目、待ってっ! 鬼は外!」
「きゃー」
「うるせぇっ!」
「「ごめんなさいっ!」」
襖越しに桃太郎に叱られて、ふたりは揃って謝った。そのあと顔を見合わせてひとしきり笑い、ぐっすりと眠りにつく。僅か一夜でふたりは、姉妹のように仲良くなった。
童話渡りの桃太郎~ネタバレ本で人助けしながら鬼退治に向かいます~ 夏目 夏妃 @natsumeki86
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