参ノ巻 意地悪爺の夢と現実

 遡ること半日前。


「何故あいつにばかりいつも良い事が起こるんだ」


 隣の爺は、長年の偏屈ですっかり歪んでしまった口元を更に歪めた。彼は枯れ木の翁と同年代で、昔馴染みだ。隣同士の家で育ち、何かと比べられて育ってきた。


 親に厳しく躾けられ、畑仕事に多くの兄弟の世話にと忙しくしていた隣の爺に比べ、枯れ木の翁はのびのびと育っていた。彼はいつも明るく友人に囲まれ、隣村で評判の美人を嫁にし、子どもには恵まれなかったが数年前に嫁が亡くなるまでの間、夫婦は仲睦まじく暮らしていた。


 反対に、隣の爺の生涯は散々なものだった。嫁には逃げられ、子どもは家を継がず遠方に引っ越していき、便りのひとつも寄こさない。親から継いだ財産も弟妹にとられて残ったのはこの荒れた畑と独り暮らしには広すぎる家だけ。訪ねてくる友人もおらず、いつもひとりだ。


 同じ独り暮らしだというのに、枯れ木の翁の家には今でも訪問客が絶えず、多くの人に囲まれて楽しそうに笑っている。一体何が違うというのか、隣の爺には理解できなかった。


「畑に埋まった宝物、か」


 夜も更け真っ暗な家の中、ひんやりとした布団の中で、隣の爺は畑の宝について考えた。万が一、自分の畑にもあのような宝が埋まっているという事はないだろうか。幼いころから散々家の事を手伝ったご褒美に、はるか昔に病で亡くなった両親が、この家を継ぐ自分にだけこっそり残してはいないだろうか。


(そんな事あるわけない。あるわけないが……少しくらい探してみてもいいかもしれん)


 微かな希望は願望に変わり、夢が膨らんで一夜のうちに現実と混同していく。金があれば、貧乏な生活に嫌気がさして出て行った元嫁を迎えに行くことも、遠方に引っ越した息子夫婦宛てに、風の噂で病気だと聞いた孫娘が医者にかかれるだけの金を送る事もできる。そうしていずれみんなを呼び戻せば、自分の周りは枯れ木の翁の周囲のように、少しはあたたかくなるかもしれない。


(金さえあれば、きっとみんな戻ってくる。壺いっぱいの小判があれば、儂は独りじゃなくなるんだ)

 

 古い家の隙間から忍び込んでくる冷たい夜風から身を護るように、隣の爺は頭の先まで布団を被った。その晩彼は、枯れ木の翁以上の小判を手にする夢を見る。その夢の中では、妻も息子夫婦もこの家に戻り、見たことの無い孫娘が元気な姿で走り回っていた。


 その中心で、爺は誰にも見せた事の無いような笑顔で笑っている。それは偏屈で頑固で貧乏な爺が人知れず描いた、誰も知らない密かな夢だった。


 

          ◇



「さあ。早くこの畑に眠っている宝を見つけるんだ!」

「たからもの?」


 翌朝。シロは手伝いに訪れた隣の爺の畑の隅で、大きな瞳をぱちりと瞬かせた。昨日といい今日といい、この集落の人々は畑に宝を埋める慣習でもあるのだろうか。


「おじいさんの奥さんも、畑に何か埋めたんですか?」

「知らん。だが探せば何か出てくるはずだ。隣からも出てきただろ」


 爺は片手で鍬を担いでもう片方の手に鋤を持ったまま、顎で隣の畑を示した。シロは困惑気味に隣を見る。確かに昨日は、隣の畑で小判を見つけた。しかしそれを探したのは、亡くなった奥方が宝を埋めたという話を聞いたからだ。


「埋めてないものを見つけることは、出来ないですけど……」

「うるさいっ! さっさと探せ!」


 隣の爺は鍬を振り下ろして怒鳴った。鋭利な鍬の先が固い土に刺さる音が、シロの身を縮ませる。彼女の言い分は至極真っ当なはずなのだが、爺に逆らった瞬間に鍬で惨殺されそうな雰囲気が、早くも畑に漂っていた。彼女は生存本能に従順だ。以降は一言も口を開かず、犬の姿になって言われた通りに畑を歩きまわった。


(お願い、何か埋まってて……!)


 隣を歩く爺からの重圧に潰されそうになりながら、彼女は必死に金目の物の匂いを探した。軽く弾んだ気持ちで宝を探した昨日とは違い、今の足取りは死刑囚のように重い。


「あの……」


 たっぷり時間をかけて畑中を歩きまわってから、シロは意を決して爺に話しかけた。この畑には宝はないという事を、そろそろ理解してもらわなければならない。代わりと言ってはなんだが、今立っている縁側の端の辺りには、土以外の香りが微かにする。昨夜の小判の匂いとは違うが、代わりのものが埋まっている可能性は僅かにあった。


「この辺に何かが……でも、小判じゃな……」

「宝か!? よくやったぞ!」


 爺はシロの言葉を最後まで聞かず、意気揚々と鍬を振り下ろした。シロは、説明の順番を間違えた事を後悔しながら後ろに下がる。一番先に「無い」とはっきり言わなかったせいで、変に期待を持たせてしまったかもしれない。


 ザクザクと固い土が掘り返される。やがて鍬が固いものにあたり、爺が掘り出したのは割れた陶器の欠片や蛇の抜け殻のようなもの。とても宝とは言えないそれらを前に、爺が怒りで全身を震わせながら持っていた鋤を握り直すのをシロは見た。しかし、恐怖で一歩も動けない。震える彼女の眼前で、爺が振り上げた鋤の平らな先が鋭く光った。


「おのれ、この役立たずの犬っころめ! 儂の事を馬鹿にしやがってぇ!!」

 

「危ないっ!」


――ガキンッと固い金属音が大きく聞こえ、鋤が遥か後方へ吹き飛ぶ。黒い長髪と白い鉢巻の両端が風に靡くのを呆然と見ながら、シロはその男の名を呟いた。


「桃太郎さん……」


「なんだお前は!?」

「「日本一の桃太郎」だ」

「何だと?」


 隣の爺は鋤が飛ばされた衝撃で痺れた手首を抑えながら、桃太郎を睨みつけた。今にも殴りかかりそうな形相だが、鋭い刀を前に、丸腰の爺はなすすべもない。代わりに精一杯の嫌味を込めて彼に言った。

 

「何が日本一だ。大の男が桃の鉢巻きなどしおって、格好悪い」

「何だと!?」

「桃太郎さんダメですっ! おじいさんは鬼じゃないんですよ!」


 桃太郎は思わず刀を振り上げそうになり、慌てて娘の姿に戻ったシロに止められた。渋々刀を鞘におさめて爺を見ると、彼は横の地面に刺さっていた鍬を代わりに持っている。


「おい爺さん、若くないのに無理するなって」

「うるさいっ! 宝を見つけるまでその犬は返さんぞ!」

「だから埋めてないものはみつけられないんですってばぁ!」


 桃太郎は再び鞘から剣を抜き、シロはその後ろで今まで我慢していた分叫んだ。桃太郎がいるから強気である。


「だから何だ。儂が知らんだけで、誰かが埋めたかもしれんだろう」


 爺はそう言って、今度は鍬を両手に構えた。農作業の構えではなく、他者を害しようという意志が見える構え方だ。桃太郎はその鋭い刃から少しも視線を外さず、刀を両手で握り直した。爺に怪我をさせるつもりはないが、やられるつもりはそれ以上にない。


「儂は今まで苦労して来たんだ。幼いころから面倒を見てきた弟妹に根こそぎ金目の物を持って行かれ、嫁も息子も一緒に住めないと去っていった。残った畑には一つの芽も出やしない。せめて宝のひとつでも出ないと、割に合わないだろう」


「芽を出すには種をかなきゃいけない。そんな事も知らないのか?」


 恵まれない自身の境遇を嘆く爺に、桃太郎は言った。人も金も作物も同じ。畑を耕し種を蒔いて水をやり、十分な時間をかけてからようやく芽が出てくるものだ。


「あんたの心はこの畑と同じだ。からからに乾いてる癖に、固くて水もしみ込んでいかない。だから金も人も寄り付かねえんだ。少し小判を持ったって同じことさ」


「この、若造が! 桃の癖に儂に説教など百年早いわ!」


 爺が再び鍬を振り上げた。しかしその両腕が降りる前に、鍬の先端がぼとりと爺の足元に落ちる。


「あ?」


 ただの木の棒を両手でしっかり握ったまま、爺は土に突き刺さった鍬の先端を見た。鋭い刃が通った跡は真っ直ぐで、彼の一太刀に微塵も迷いがないことがわかる。そして爺が下を向いている間に桃太郎は刀を鞘に納め、故郷の村で近所の年寄り相手に相撲大会を開いた時を思い出しながら、絶妙な手加減で爺の背中を地面につけた。


「ぐはっ!」

「はい、俺の勝ちな」


 爺に怪我はなく、どこも痛くはないはずだ。しかし圧倒的な力の差に闘争心が打ち砕かれたのか、爺はもう、立ち上がって再び棒を振り上げようとはしなかった。


「くそう……何も知らない癖に……」


 爺が悔しそうに身体を起こすと、先ほど掘り当てたガラクタが目についた。宝かもしれないと期待した時の喜びと、それが打ち砕かれたときの悔しさが同時に思い起こされ、爺の頬を一筋涙が伝う。


「何故、儂はいつも上手くいかないんだ」


 爺の視線の先には、紐で綴じた紙の束。妻がそこに家計の収支を書き留めていた事を、爺は唐突に思い出した。


(そうだ、儂の前で書くなと怒鳴って、それであいつは出て行ったんだ……それにあの湯飲みは、息子が初めて嫁を連れて来たときの……)


 爺は這ってガラクタに近づき、ひとつひとつをじっくりと見た。割れて汚れた陶器の欠片、息子とあげた凧の切れ端。よく見ればその全てに覚えがある。


(思い出した。湯飲みこれも、儂が割ったんだ)


 息子の嫁の態度が気に入らず、二度と来るなと投げつけた。爺は湯飲みの欠片を手に取った。への字に曲がった口は今は偏屈を言うためではなく、こみあげる感情を抑えるため。


「実らなくて当然か……種は、ずいぶん昔に捨ててしまった」


 爺が後悔を滲ませながら「宝」を胸に抱いた、その時。


 隣でシロの鼻がひくりと震え、彼女の耳がピンと立った。


「火事だ!」

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