第9話 僕の記憶



「うわ……でかっ!」

 僕らがアパートに帰り、軋む音と共に玄関を開けると、台所と夕太郎の部屋を仕切る壁側に、大きなテレビが置かれていた。


「親父、合鍵持ってるからなぁ、俺らが出て行った後に業者と来たな」

 夕太郎がテレビの近くをウロウロして、見て回っている。

「あーあ、土壁ボロボロ落ちてんじゃん。壁に設置しようとして諦めて床に置いたんだな」

 テレビは、台などなく、ドーンと床に置かれているので違和感が凄い。そしてテーブルには取扱説明書や、リモコンが置かれている。


「大きすぎて逆に見にくいわぁ、あの人、本当に適当だわ……絶対、店で、直ぐ持って帰れる一番良いやつ出せって言ったんだよ」

 夕太郎は金髪を掻き上げ、腰に手をあてると天を仰いでため息をついた。

 僕は、怖々とテレビに近づき「うわぁ……薄い、折れちゃいそう」と思わず呟いた。テレビとダイニングテーブルの距離は一メートルちょっとで、椅子が倒れれば、もれなく画面にぶつかりそうだ。


「どうすっかなぁ、テレビ台。つーか、もう、見られるのか?」

 夕太郎がテーブルのリモコンを手に取って、テレビをつけた。

「うわぁ綺麗ですね! 最新のテレビ、全然違う」

「確かに」

 テレビは、昼下がりのワイドショーを映し出し、最近の話題のアーティストについて紹介されていた。僕らはテレビの真ん前に立って首を垂れて見入った。


「……どれも知らないです」

 僕は、紹介されている曲に首を傾げた。表示されている一位から十位、どれも耳慣れないものだった。養護施設で暮らしていた時は、一緒に暮らしている子供達の口から話題の曲を聴くことも多く、何となく流行を耳にしていた。しかし、兄の灯馬と二人暮らしをするようになって、勝手に入ってくる情報量は極端に少なくなった。


「わかる。最近って流行が動画配信とかから出てくるから、俺も全然ついていけない」

「ですよね」

「トレーニング中にワイヤレスイヤホン踏み潰してから曲を聞く機会減ったんだよね。新しいの買ってぇ」


 夕太郎が、隣に立つ僕の腕に抱きつき、肩に顎をのせた。長い睫毛に縁取られた、少し茶色い瞳が僕を見つめる。顔が、綺麗すぎて男でもドキッとする。


「あー、僕、歌いましょうか?」

「マジで⁉ 何歌ってくれるの?」

 夕太郎が目を輝かせた。

「えっと……童謡とか?」

 夕太郎から笑って顔を逸らし、画面に目を向けた。番組の音楽コーナーは終わり、ニュースが始まっていた。


『二○二三年度、国際能力者人権会議が、アメリカで開かれ……』

「にせん、にじゅうさん年」

「どうしたの、理斗?」

 夕太郎が腕から離れ、一気に軽くなった。


「いえ、あの……今年って、二○一三年ですよね?」

「ん? いや、二○二三年だよ」

「……いやいや、いや! そんなはずない」

 変な冗談はやめてくださいよ、と僕は右手を振りながら、冷蔵庫に貼られているゴミ出しカレンダーを見た。そこには、二○二三年と書かれている。


「はぁ⁉」

 ドクンと心臓が爆ぜた。そのまま勢いで冷蔵庫を開いて、中にあったウィンナーの賞味期限を探した。

「二十三年! うそっ」

「り、理斗どうしたの?」

 僕は、ウインナーの袋を投げて冷蔵庫を閉めた。振り返ると、夕太郎が心配そうにしている。グッと近づき、つなぎを掴み、背伸びをして目を合わせた。


「い、今って、本当に本当に、二○二三年ですか⁉」

「そうだけど……理斗⁉」

 僕は、崩れ落ちるように膝をついた。驚いた様子の夕太郎もしゃがみ込んで、僕のおでこに手を当てたり、背中をさすったりしている。


「あの……僕、無くした記憶、事件の事だけじゃなかった……かもしれません」

「どういうこと?」

「僕、十年分の記憶がありません!」

「まじで⁉」

「僕、ど、どこで、何をしてたんだろう! 全然思い出せない」

 パニックに陥って、呼吸が荒くなり、髪を掻きむしって目を彷徨わせた。


「理斗、理斗。どー、どー、大丈夫、落ちついて」

 興奮する僕を、夕太郎がギュッと抱きしめて、頭をポンポン叩いた。

「で、でも!」

「よくある。俺も、酒飲んで知らない所にいることあるし。借りた記憶も無い金の借用書とかあるし、知らない女が、元カノ名乗るし。年齢は、都合良く操作するよ。それに良く言うじゃん、年取ると、十年なんて一瞬って」

 夕太郎の頭が、僕の頬にスリスリと擦られた。


「そういうんじゃないです! ふざけないで下さい!」

 的外れな事を言いだした夕太郎に、イライラが爆発して、逞しい背中を叩いて怒った。

「あ、すいませんでした。理斗にいちゃん」

 夕太郎の言葉に、ドキリと心臓が高鳴った。

「……なんですか、それ」

「いや、理斗の方が年上かと思って」

「え? 僕、十八歳じゃなくて、まさか二十八歳⁉ うそ」


 夕太郎の腕から抜け出し、小走りで玄関の壁に掛かっている楕円系の鏡を覗き込みに行った。

 鏡の中の僕の肌は、瑞々しくハリがある。黒髪も艶がありサラサラしていて、十八歳の僕の認識と何一つ違いが無い。見覚えの無い黒子とか、シミとか無いし。

 でも、最近の人は、幾つになっても若々しいっていうし。


「見えないよね。肌も目も綺麗だし、赤ちゃんみたい。十六でも行けるよ。理斗、顔は割と凜々しいのにね。でもまぁ、何時までも中学生くらいに見える童顔な人もいるよねぇ」

 鏡に映る僕の後ろで、夕太郎が左右に揺れている。

「僕の十年分の記憶、何処行ったんだろう」

「探して来ようか?」

 夕太郎が、手で双眼鏡をつくった。


「今すぐ、探して来て下さい」

 僕は、玄関のドアを指さして言った。冗談で言ったであろう夕太郎が、えっ、えっと困惑している。

「早く、見つけてきて」

「えー、理斗にいさん、本気?」

 睨み付ける僕に、夕太郎が困惑している。


「本気! 行って!」

 僕は、一人になりたかった。理不尽な事を言っている事は分かっていた。僕らは無言で見つめ合った。

「はい、喜んで! ジャラジャラ銀色の玉が溢れてくるユートピアに落ちているに違いない!」

 ビシッと敬礼をした夕太郎は、頑張って探してくる、と言い残して部屋を出て行った。

 

 夕太郎が出て行くと、部屋はシーンと静まりかえった。僕は、フラフラと自分に宛がわれた部屋に向かい、擦り切れた畳の上にうつ伏せで横たわった。チクチクする頬のかゆみを感じながら、ぼーっと目の前に飛び出ている、畳のささくれをブチッと引き抜いた。


「……僕、この十年。何をして生きてたんだろう」

 失った記憶は、半日くらいだと思っていた。だから、自分は相手を故意に殺したわけではないと思えた。しかし、十年となると、自分でも分からない。

「……兄さん」

 たった一人の家族である、兄の灯馬の事を考えた。五歳年上の兄は、僕の最後の記憶では二十三歳だった。高校を卒業して警察学校に入り、地域警察として市民の為に働いていた。


「兄さん、今、三十三歳? 結婚とかしているのかな? 僕達一緒にくらしてた? 僕は一人暮らし? 思い出せない一緒に居た人って、僕の恋人?」

 僕は目を閉じて、昨日の事を想いだした。


「そういえば、あんな森に僕もあの男の人も、どうやって行ったんだろう。車? 僕、約束があって人と会う予定だった。その人も一緒にいたはず。その子は逃げられたのかな?」

 ブツブツと独り言を言いながら、頭の中を整理しようと試みた。


「僕、仕事は? 相変わらずフリーター? ああ~、全然思い出せない。なんで!」

 うつ伏せにひっくり返り、畳を叩くように手足をドタバタと動かしたら、「夕太郎、うっせぇぞ!」と下の階から怒鳴り声が聞こえた。ピタリと動きを止めて、今度は水平に手足を動かした。


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