第7話 ラブホ討ち入り



チン、と軽快な音がして、エレベーターの扉が開いていく。エレベーターの前は直線の廊下になっており、正面奥が非常階段に繋がる扉で、右側に三部屋、左に二部屋ある。四○一号室は、右手の一番奥の部屋だ。扉の前には二人の男が立っている。まだ暑い時期なのに、上下黒のスーツをピッチリ着ているが、安っぽく見える。


「てめぇら、何の用だ!」

 相手が此方に気がつくと、モアイ坊主さんが走り出した。エレベーターの床がグッと沈み込んで揺れた。怖くて、夕太郎の腕を掴もうとしたら、もう彼はそこに居なかった。茶色に変色しかけている赤い絨毯を擦る足音が、二つになった。モアイ坊主さんが敵に辿り付く前に、軽やかに追い越していた夕太郎が高く跳んだ。僕はエレベーターから降りて、思わずポカーンと口を開けて天井を見上げた。


「なっ⁉」

「へぇい!」

 高く跳びすぎて、夕太郎は顔を横に倒し、天井を手で押し、踏みつけるように男の胸に着地した。倒れた男は衝撃で息が出来ず、頭も打ち付けて、瞬間的に意識を失った。まるで飛んでいるみたいだった、と僕が場違いな感動をしている間にも、夕太郎は、横を向いてのびている男の頭を踏んで降りた。そして、流れるように、もう一人の男の懐に素早く飛び込んだ。男に防御する暇も与えず、鳩尾、喉元に素早い打撃を与え、衝撃で崩れ落ちそうになった男の股間を蹴りつけた。

「うぐぁああ」

 男のうなり声が耳に刺さる。股間を押さえ廊下の壁に凭れた男に、夕太郎は微笑み、踊るように高く右足を振り上げ、相手の首元を捉え、なぎ払った。男のキョトンとした顔が写真のように僕の脳に刻まれる。床に転がった男はピクリとも動かない。


「よわーい」

「……」

 なんだ、コレは。これが喧嘩? 格闘技? 怖いという気持ちよりも、好奇心が圧倒する。僕は、自分が興奮している事を後ろめたく思いながらも、夕太郎に熱い視線を送ってしまう。

夕太郎の動きは、まるで演劇の一幕のように華麗で魅せられた。

男として、抗う事の出来ない、強者としてのカリスマ性を感じた。そんな熱に浮かされたような僕を呻き声が正気に戻した。


「ぐっ! ごほっ! やっ、めろ……うう!」

最初に倒された男が、モアイ坊主さんにマウント状態で、ボコボコに殴られている。

顔は血だらけで、鼻は曲がり、口の中に留まった血と折れた歯で、噎せ返りモアイ坊主さんの股の下で跳びはねている。


 目の前で行われる、圧倒的な暴力に、僕は、リュックの肩紐を握りしめた。


「何の騒ぎだ!」

 部屋のドアが開いて、男が一人、半身を覗かせた。先ほどの二人よりも場数を踏んでいそうな、オールバックの中年男だ。無駄をそぎ落としたような出来上がった体をしている。身長も夕太郎と同じくらいの高さだ。

 モアイ坊主さんが、開いたドアを右手で掴み勢いよく開き、夕太郎が気絶させた男を、ドアストッパー代わりに投げた。男が舌打ちをして一歩下がると、ドアは殆ど開いた状態で止まった。


「お前ら、橋本の所のか?」

 男が小ぶりのナイフを右手で構えた。

「ぶっぶー、サヤカの彼氏で~す。迎えに来たよ」

 頭上で大きく×を作った夕太郎が、口をタコのように尖らせている。


「ふざけるな。来いガキ」

「やだよ。えーい」

 ドアの内側でナイフを構えた男に向かって、気絶している男の靴を脱がせ一足投げつけ、相手が反応している間にもう一足を顔に力一杯投げつけた。靴は腕で塞がれたが、隙が出来た一瞬のうちに、モアイ坊主さんが飛び込んだ。


「遠藤、下がれ!」

「っ!」

 部屋の奥からの指示で、遠藤と呼ばれたオールバックの中年が慌てて後退し、飛びかかって来たモアイ坊主さんを避けた。後ろから部屋に走り込んだ夕太郎は、奥にいた眼鏡の若い男に殴り掛かったが、奇襲には失敗し、ガードされた。


「アンタが、無銭飲食のタジマさん?」

「……」

 夕太郎の問いかけに、男の眉が顰められた。


 さして広くも無い一室の奥には、円形のベッドが置かれている。その上には裸の女性が座っていた。彼女は、驚く素振りもなく、ブラジャーを手にしていた。おそらく、この人がサヤカさんだろう。夕太郎の質問に彼女が、うんうんと頷いている。


「……」

 廊下で部屋を覗き込んでいた僕は、倒れている男二人が目覚めるのが怖くて、壁に背を当てながら、ソロリ、ソロリと部屋の中に入った。

「夕太郎、その男、はぐれのリーディング能力者だってよ」

 サヤカさんが、ブラジャーのホックを留めながら夕太郎に話しかけた。


生まれた子の能力に親が気がつくと政府の機関に登録する必要があり、その後も子供共々、監視下に置かれると聞いた事がある。警察に色々探られたくない親は、子供を売ったり捨てたりすることもあると養護施設で聞いた。

はぐれ能力者の半数以上が、そういった経緯があることが社会問題としてクローズアップされはじめている。もしかして、この人もそうなのだろうか――僕が思考していると、タジマが一瞬、冷たい目で僕を睨み付けた。


「っ⁉」

「お前らが考えている事なんて、お見通しだからな」

 タジマは、眼鏡を押し上げ、笑いながら、手を叩いた。


「そりゃあ、めでたい」

 タジマに合わせるように、夕太郎も笑いながら手を叩いた。タジマの目が据わり、笑うことをやめた。

「うわぁ、心が読まれちゃうよぉ、怖いよ! やめて、俺を丸裸にしないでぇ」

 夕太郎は、自分の体を抱きしめて言った。


「じゃあ、こっちは読まれないように外に行くぜ」

 モアイ坊主さんは、そう言うと、落ちていた誰かのジャケットを腕に捲いて、遠藤に向かっていった。そして、ナイフで斬りかかってくる遠藤を、力で押し出して行き、段々と遠ざかり、消えていった。


「よし、行くぞぉ」

 軽やかにステップを踏み、両腕を上げて構えた夕太郎は、タジマと真剣に向かい合った。そして、先ほどよりも単調で遅い攻撃を仕掛けた。もちろん、タジマは簡単に夕太郎の攻撃を躱し、受け流し、合間に夕太郎に打撃を与えていった。


「お前、馬鹿なのか。こんなに思考を読みやすいヤツは始めてだ!」

「夕太郎!」

さすがに攻撃を読まれてしまうと、戦いにくいのだろうか。僕は、何か、夕太郎の助けになれないかと、部屋の中を見回した。すると、着替えの終わった、サヤカさんと目が合った。タジマを警戒しながら円形のベットに向かい、躓きベッドに飛び込んだ。

「うわっ」

「大丈夫?」

 サヤカさんが、髪を耳に掛けながら微笑んだ。


「だ、大丈夫です。それより、あの! 一緒にあの男の悪口を、心の中で叫びませんか。ちょっと、五月蠅くすれば夕太郎の助けにならないかと」

「なにそれ、面白そう。まかせて」

 サヤカが親指を立てて笑った。彼女は、外見も綺麗だが、こんな状況でも動じない強さが素敵だった。

「お願いします」

 僕は勢いよく頭を下げ、余計な事をして彼女が攻撃されないよう、サヤカさんの前に両手を広げて立った。その手が微かに震えているのが恥ずかしい。サヤカさんが、小さく笑ったのを感じる。


眼鏡のオジさんの馬鹿! ばーーーか! 格好つけ! ばーか!


 今まで、喧嘩もした事が無い僕の悪口の語彙力は低かった。必死にタジマを見つめて、馬鹿を連呼した。


「うるせぇぞ、ガキ」

 タジマが、僕を振り向いて言った。その様子を見て、夕太郎が目を丸くしている。


「……お、おい! このアマ! 何言ってやがる!」

「ふふふ」

 サヤカさんの方を見て、タジマが驚愕している。一体どんな悪口を言ったんだろう。隙だらけになったタジマの鳩尾に夕太郎の蹴りが入った。鈍い音がした。見るだけで痛そうで、僕は目を細めた。夕太郎は、蹲ったタジマに、あえて攻撃を続けなかった。


「やめろっ……余計な事を言うな……っう……お前、あんなに……」

 腹を押さえたタジマが、脂汗をかいて、サヤカさんを見上げている。その目は、縋るような、情けない目をしてた。

「昨晩は、アンタのような寂しい男が望みそうな、女になりきったの。ちゃんと、頭の中までね」

 トコトコとコミカルに歩く夕太郎が僕の横に立って、耳を手で塞いできた。


「女は、自分だって騙せるんだよ。言っとくけど、お前のセックス、アレが思いやりたっぷりのサイズで、痛くも無いし気持ち良くも無い。何してんだろうなって思いそうで大変だった」

 タジマが、土下座ホーズでピクリとも動かなくなった。


「サヤカ、言い過ぎだよ」

「だって、ほら。読めちゃう系の能力のヤツでしょ。だったら正直に全部口にした方が良いかと思って。馬鹿なくせに眼鏡インテリっぽくしようとしているのも、痛々しいとか」

「こいつ多分、能力者的にもカスだから、読まないと聞こえないから黙っててあげなよ。こんな都心で能力を使えば、高確率で特殊能力捜査班の探知網に引っかかる。さすがに、セックスに能力使うほどは馬鹿じゃ無いでしょ。この戦闘もすぐに終わらせて、逃げる算段で力を使ったはずだよ」

「え? じゃあ、セックスの時、心読まれてなかったの? うそー、思考まで演技して成りきったのに! じゃあ頭の中は、正直な感想言ってればよかったわぁ」

 サヤカさんが、顎を仰け反らせて、鼻から大きく息を吐きだした。僕は、耳を塞がれてはいるけれど、間近で話しているので、聞こえている。気まずくて体を縮こまらせた。


「じゃあ、警察くるから、アイツ縛ったら俺達逃げるけど、どうする?」

 僕の耳から手を離した夕太郎は、僕の背負っているリュックを開けて軍手を装着し、予め切ってきたビニール紐を取り出した。


「そうねー、警察で余計な事話さないように、調教しておくわ」

 サヤカさんは、親指を立てて、少女のように笑った。夕太郎は、タジマを見下ろして合掌し、後ろ手に腕を縛ったけれど、魂が抜けたようなタジマは抵抗しなかった。僕は、将来、女性を敵に回さないようにしようと心に誓った。


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