透明

AZUMA Tomo

透明

 僕にとって君は強烈な実在感を伴った宝石のような人だ。

 きらきらと輝きを放って、俺を見ろと言わんばかりの挑発的な視線で、こちらを捕らえて離さない。そういう人だ。そしてその感覚は間違っていないと思う。


 その日、君はいつも通り電子タバコをふかし、ミルクと砂糖で十分以上に甘くなったコーヒーを飲んでいた。週末昼間のユートピアは本来であれば混みあっているはずなのに、今日は僕達以外誰もいない。マスターの用事で閉店していたためだ。従業員である千葉くんはまだしも、閉店しているユートピアに僕がいる理由はなぜだか思い出せなかった。なんでもない会話をしながら千葉くんの淹れたアールグレイティーを少しずつ飲んでいた。

 閉店札の掛けられたユートピアの店内は客を入れないために照明は着いておらず、僕たちのいるバーカウンターの暗めの間接照明と窓から射し込む陽光が店内を照らしているだけだった。

 話好きの僕たちは次から次に話題を見つけてはそれについて感想を述べたり時には議論をしたり、喉が嗄れるのではと思うほど話をする。僕はその時間がとても好きだ。

 だが、それ以上に、会話の途切れ目にもたらされる沈黙の心地良さ。僕たちの言葉と言葉にぴたりと寄り添う空白。この感覚があるから僕は君といることが楽しいと思えるのだろう。

 沈黙が流れる時間には紅茶を飲んだり、電子煙管に新しいカートリッジを差し替えたりするものだが、その日はふと、君の瞳を見てみたいと思った。

 そっと盗み見るように、カップに落としていた視線を隣へ逸らす。いつも通り、君は煙をふうっと吐き出しながら、しかし遠くを見つめる目でバーカウンターの棚を眺めていた。

 焦香の宝石のように輝く瞳が、いつもの光とは違うように見えた。きらきらと輝いていることには違いない。だがいつもの閃光のような強烈な光ではなく、太陽光を水面に反射させるような、揺らぎのある光。どこまでも透き通った煌めき。

 君は自然体で目の前に確実に存在している。しかし、僕を置いてどこかへ行ってしまったのだろうか。

 日の下の幻。陽炎。白昼夢。いつまでも見ていられる美しい幻覚なのに、掴みどころのない不安感。

「千葉くん」

 思わず君の名前を発してしまった。透き通った光を眺めていたいという気持ちを抱いていたはずなのに、それよりも君がどこかへ行ってしまったかもしれないという予感を断ち切ることを優先してしまった。そんなことはありえないのに、僕は愚かな男だ。日常では見ることのできない輝きは一瞬にして失われ、君の苛烈な光が再び瞳に宿る。

「――どうしたん、そんな顔して」

 僕は余程間抜けな顔をしていたに違いない。君はまばゆい茶色の目を楽しそうに可笑しそうに弓形に歪ませて、電子タバコのカートリッジを唇の間に挟んだ。

 いつもの鮮烈な眼差しを目の当たりにすると、少し残念なような、安心したような、相反する気持ちが胸中で完全に混じり合わない状態で存在し、居心地が悪くなった。

 そして、思った。年貢の納め時なのかもしれない。

 君は僕を捕らえて離さないのに、君は僕から離れていこうとしてしまうのか。心を捕らわれることと、その人が己のそばに居ようとしないことは因果関係がまったくないものなのに、僕はそんな子どもじみた思いを抱いてしまった。否、今までもずっと抱いていたのかもしれないがはっきりと自覚した。

「いや……少し迷っているんだ」

「何に?」

「僕のままならない思いをどのように言語化するか」

「気難しいこと言うなあ。中途半端に体裁なんか気にするからそんなことで迷うんやろ」

「……その通りだと思うよ。自分が子どもなら、あるいはもっと成熟していれば、こんなことで迷わないんだろうね」

 君は煙を吐き出して、くっくっと喉の奥で笑う。使用済みのカートリッジを本体から外して灰皿の中へ放り込むと、頬杖をついて改めて僕の目を直視する。直に注がれた鮮やかな光は僕の瞳を灼くのではないかと思うほどいつでも眩しい。

「俺やったらそういうとき――面白い方を選ぶ」

「……なるほど」

「てっきり祥ちゃんも面白いことが好きな人間やと思ってたけど」

「基本的にはそうだよ――もしかして、こんな風に迷う僕にがっかりした?」

「うーん……内容によるとしか言えんなあ」

 面白い方を選ぶ。シンプルな人生観だ。そして僕も強く共感を覚えるものなのに、どうしてそんな簡単なことを忘れていたのだろうか。いや、理由はいくらでも挙げられる。今の関係性が心地良いとか、拒まれたらどうしようだとか、そんな腰抜けの並べ立てる理由はいくつでも。

 僕はそんな腰抜けだっただろうか。逃げを打つだけの面白くない人間だっただろうか。

 いいや、そんなわけはない。そう否定したくなった。僕は『東雲祥貴』だ。

 

「――実は、君の瞳を見て思い出したことがあるんだが」

「俺の目?」

 僕の悩み相談だと思っていただろう君は少しだけ目を見開いたが、可笑しそうに笑う表情を引っ込めることはなく、まだまだ挑発的な輝きで僕の心を射止め続ける。しかし、捕らわれ続けるだけのやられっぱなしは僕らしくないだろう。


 君の鮮烈な光も、揺らいで儚くなってしまう輝きも、どうか僕のそばで見せてほしい。そんな贅沢で我儘な欲求を君はどこまで受け入れてくれるだろうか。

 不安はある。しかし、もしかすると『面白いこと』が起こるかもしれない。何もしないままに酸っぱい葡萄にしてしまうのは『東雲祥貴にはありえない選択肢』だ。


「出会ったときからずっと、今も。綺麗に明るく輝く、美しい瞳だと思っているんだ」

「……ふうん? 続き、聞こか?」

 ――勝機はある。君の顔を見て、声を聞いて、確信した。

 ここからどう駒を運ぶか、問題はそれだけだ。そうであるなら、何も恐れることなどない。

 

「僕は今から君を――」


<完>

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透明 AZUMA Tomo @tomo_azuma

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