私がここにいる理由

 あの夜を最後に、九重さんはぱったりといなくなってしまった。

 フラワーロードに出かけて、占い屋の多い地下の辻を歩いてみるけれど、あの怪しげなお香の匂いも、しゃらしゃらと派手な紫色のドレスを着ていた彼女の立ち姿も、どこにも見受けられなくなってしまった。

 それに対して、四月一日さんはひっそりと言う。


「不死者はね、死にません。ただ急にどこかに行ってしまうんです」

「どこかって……どこに、ですか?」

「わかりません。九重さんは天に帰ったのでしょうし、無為さんはあの世で死神を続けているのでしょう。不思議なことに、これだけ長いことこの国を行脚していますけれど、不死者だらけにはならないんです」

「そういえば……七原さんみたいに、人間を食料扱いするひともいらっしゃるのに、不死者だらけになったりしませんね?」

「はい……年を取らない、寿命は尽きない、でも未練がなくなったら、急にいなくなってしまうもののようです」


 イルミネーション能の帰り道に聞いた話を思いながら、誰もいなくなった占い屋の店先を眺める。

 九重さんの未練は、どうも子孫の私のことが心配だったからみたいだけれど、私のことを四月一日さんと一さんに預けたら安心していなくなってしまった。

 そのことを思いながら、私は首を振った。

 四月一日さんの願いが、八百比丘尼さんとの再会が、二度と叶いませんようにと祈るのは、傲慢にも程がある。

 私は肩の鞄を背負い直して大股で歩き出した。

 休憩終わり。今日はいよいよ最終面接だ。

 私はフラワーロードの中のビルの最上階を目指して、エレベーターに乗った。


****


 基本的にフラワーロードのビルは、どこもかしこも地下一階から地上四階までは、ショッピングエリアとなっている。

 地下には占い屋の他に、ビルで働いている人々が食べに行けるような食堂があちこちに軒を連ね、地上から四階までは、ビルによって服屋だったり美容院だったりゲームセンターだったりとまちまちだ。

 そしてそれより上。五階以降はオフィスエリアになっていて、私が最終面接を受けに来たのもここだ。

 今までの面接は三人以上をまとめてだったにも関わらず、待合室に入っても誰もいない。

 私はリクルートスーツの裾を掴んで、唇を噛みしめた。

 やがて、「それではどうぞお入りください」と呼ばれ、私は鞄を掴んで中に入った。


「失礼します」

「はい、どうぞ席にお着きください」


 入ったときにパイプ机に並んでいる顔を見て、小さく息を飲んだ。

 普段からお世話になっている、阪神間の有名喫茶チェーン店の社長が座っていたのだ。

 そこはチェーン店だから安いものでいいという投げやりなコーヒーの売り方はしておらず、接客厨房含めて、基本的に教育を終えた正社員のみ。味もサービスも妥協しないということで、モーニングからティータイムメニューまで満足度が高い。

 阪神間でしか汲めない湧き水の宮水で淹れたコーヒーは絶品で、不死者カフェでアルバイトしていたこともあり、ここで働きたいと思ったんだ。


「八嶋初穂です。どうぞよろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします……先日の面接のときから、とにかくコーヒーについて詳しいとお伺いしていましたので、楽しみにしておりました。うちで働きたいと思った動機を、私にもぜひともお聞かせくださいますかな?」


 穏やかな顔をして、お客だったら和むだろう。でも面接を受けている私からしてみれば、無言の圧力をかけられているように思ってしまう。

 この中は冷房で涼しいくらいなのに、ジャケットの下のワイシャツは冷や汗でぐっしょりと濡れてしまっている。


「はい、御社のチェーン店には、こちらに帰ってきたときからずっとお世話になっておりました。こちらの店で飲んだコーヒーの味の素晴らしさもさることながら、接客のきめ細やかさ、出されるメニューの素晴らしさに感動し、私もこのようなお客様を見る接客をしたいと思いました」

「ふむ……ですが、昨今は様々なチェーン店が存在しております。なにもうちでなくともよかったのではないですか?」


 来た。面接で聞かれる意地悪質問ナンバーワン。うちでなくてもよかったんじゃないの。

 私は何度も何度もひとりで考えてきたことを、口に出した。


「いいえ。ここの素晴らしさは、お客様を見る接客だと思っております。たしかにマニュアルが存在し、マニュアル通りにすれば誰でも接客が可能な店も存在しておりますが、接客業にはいつも、厄介な問題が付きまといます。それこそマニュアルには書かれてないような問題が出てくることがあります。御社のチェーン店は、その問題に柔軟に対応する姿勢を見ました。私も、ここで働き、お力になれたらと思います」

「そうですか……話は変わりますが、現在は別の喫茶店でアルバイトとして働いてらっしゃるのでしたね。そちらではいかがでしたか?」


 履歴書に経歴書を見たら、そりゃ職歴はわかっちゃうもんなあ。こんなところで大嘘書く訳にもいかないし。

 どう答えたものかと考える。

 あそこで経験したことは、あまりにもファンタジーが過ぎて、全部をそのまんま口にしたら、なんだこいつ寝ぼけてるのかと、そのまま落とされかねない。

 でも無難が過ぎても、なにも刺さらない。

 私は、ここで面接を決めないといけない。

 そう心に決めてから、口を開いた。


「ここでは私の常識が一切利かないお客様がたくさんいらっしゃり、その接客に毎回四苦八苦しておりました」

「常識が、利かないですか」


 社長さんは興味ありげに、細い目をできる限り大きく見開いて、こちらを見た。

 私は大きく頷いた。


「はい、そこで私は自分が井の中の蛙であったこと、既成概念の狭さについて、嫌というほど思い知りました。その中で、手探りで関わっていくことで、お客様にとって、気持ちのいいサービスを提供できるよう心掛けました」

「なるほど。たしかに、様々なお客様が存在しますからね。では、もしモーニングを希望のお客様が五分モーニング提供のお時間からずれて来客された際、あなたでしたらどう対応しますか?」

「……まずは厨房にメニューを提供できるか確認を取り、そのあとに提供致します」

「仮に無理だと言われた場合は?」

「謝罪した上で、ランチで限りなくモーニングに近いものを提案致します。値段はモーニングと同じに設定できるか、上に掛け合います」

「なるほど……本当に、いろいろなお客様に出会ったのですね」


 社長さんは笑った。

 本当に。不死者カフェは滅茶苦茶だった。

 出てくるメニューは一さんの気分で全然変わるし、時には提供できないメニューもあって、ひたすら謝り続けた。

 不死者のお客は不死者のお客で、ときおり物騒なことを言い出すのを、どうにか四月一日さんは宥めすかせてお帰り願った。時には危ない客を出禁にして。

 不死者は時間感覚も人間と違うし、思い出補正なんて物がない。忘れてしまえば楽なことだって後生大事に覚えているから、ずっと悩んでいるひともいれば、あっけらかんと楽天的に生活しているひとだっている。

 あそこでひと夏働けたのは、私の中で血となって肉となって、今、ここにいられるんだ。

 社長さんは満足げに、「わかりました、面接は以上です」と言って、私を帰してくれた。

 心臓がまだバクバクしている。自分の中のものは全て出し切った面接だったと思うけど。これで落ちたらどうしよう。そう思いながら、私は今はまだ大丈夫かなと時計を見た。

 不死者カフェは、まだ開いているはずだ。

 フラワーロードを出て、トアロードの坂を登ると、不死者カフェ八百比丘尼は通常運転で営業していた。

 今は夕方で、もうしばらくしたら閉店時間。お客さんが掃けている中、四月一日さんは食器を拭いていた。


「いらっしゃいませ……おや、八嶋さん。面接お疲れ様です」

「こんにちはー……まだ営業時間中ですよね。コーヒー注文しても大丈夫ですかあ?」

「どうぞ……ずいぶんと疲れた顔をしてらっしゃいますね。コーヒーはどうなさいますか?」

「ブラックで……豆や焙煎方法はお任せします」

「かしこまりました」


 私がぐったりとカウンターに腰掛けていたら、四月一日さんは冷蔵庫で豆を選んでくれた。選んだのはエチオピアの浅煎りで、それを挽いてサイフォンに仕掛けてくれた。ふんわりと漂うコーヒーの香りはフルーティーで、たしかにこれだったら疲れた体に優しそうだと思う。

 四月一日さんは淹れたコーヒーをカップに注ぎ、ソーサラーになにか付けて私の席に置いてくれた。


「お待たせしました。エチオピアコーヒーの浅煎りです。こちらはサービスのマドレーヌです」

「わあ……ありがとうございます……これは一さんの焼いたものですか?」

「いえ、これは自分が焼いたものです。疲れている八嶋さんのお口に合えばよろしいんですが」

「いただきます」


 私はまずは軽くコーヒーをひと口飲んだ。挽き立てコーヒーの強い香りと一緒に優しい甘みと酸味を感じて、ほっとひと息つく。そのあとマドレーヌをひと口囓った。神戸は喫茶店激戦区と同時に、スイーツ激戦区でもある。当然マドレーヌのおいしい店はいくらでもあるのだけれど、これだけ優しく軽い味わいのマドレーヌを、私は知らない。

 どちらも面接で心底くたびれてしまった私を、精一杯甘やかしてくれる味だった。


「おいしいです……コーヒーも、マドレーヌも」

「それはよかったです。面接、本当にお疲れ様です」

「はい……最終面接なんですけど、これどうなるのかわかりませんけどね」


 私はまたコーヒーを飲みながら言うと、四月一日さんはにこりと笑う。

 日が落ちるのが早くなったから、この時間の窓の外は金色だ。金色の光に照らされた美丈夫の笑顔なんて贅沢なものを独り占めしているのかと思うと、少しだけ胸が苦しくなる。


「いいえ。八嶋さんはここでも立派にやっていけたじゃないですか。ですから、きっとどこでだって大丈夫ですよ」

「そう……だといいんですが」

「大丈夫ですよ」


 その言葉は、いなくなってしまった九重さんの言葉を思わせた。

 ……ああ、このひとは本当にずるいなと思いながら、口の中の苦みをコーヒーのせいにしてしまうことにした。

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