第3章 エンカウンターズ・オブ・ジ・アンノウン ー②

 黒い蜘蛛。

 アルマジロ。

 白騎士。

 花住綾香。

 家に帰ってからも、それら単語が久鎌井の頭の中をぐるぐる回っていた。


 夕食中も……

(黒い蜘蛛は、俺の見る白騎士の夢や、花住さんのアルマジロと同種のものなのだろうか)

(花住さんはもっと以前からこの夢を見ていていたようだが、いつからだろう?)

(彼女はこの夢についてどれだけのことを知っているのだろうか?)

(そもそも、この夢は一体なんなのだろうか?)

(俺の白騎士も、彼女のアルマジロも、どんな存在なのだろうか?)

(それにしても、花住綾香の猫かぶりっぷりは凄かった)


「友ちゃ~ん、友ちゃ~ん」

「……え? どうした?」

 妹の声ではっと正気に戻る。

「うわーん、友ちゃんが話を聞いてくれないよ~」

「珍しいわね」

 わめく舞奈。気にしながらも里芋の煮っころがしを食べ続ける唯奈。

「ああ、ごめん。少し考え事をしてたんだ」

 久鎌井は反射的に答えたものの、今の彼に妹の話を聞く余裕はなかった。再び思考の螺旋階段を下りていく。

「友ちゃんが話し聞いてくれないよぉ」

「しょうがないなあ、マミーが聞いてあげるから」

 むくれる舞奈、煮魚をつつきながら娘をなだめる唯奈。

「やだよ。ミイラになんかに聞いてもらいたくない!」

「おおっとマイマイ? そのマミーじゃないぞ? それとも何か? わたしが干からびてきたってか?」

 意識せずにタブーを口にしてしまった舞奈。味噌汁を啜ると箸を置いて娘の頬を引っ張る唯奈。

「うきゃー!」

 そんな騒々しさも、気にならないほどに久鎌井は考え込んでいた。

 だからだろうか、今日も気がつけば――

 久鎌井は白騎士になっていた。



 — * — * — * —



 二日連続で白騎士になるというのは初めての経験だった。

(よし!)

 黒い蜘蛛を探すためにも、これはありがたいことだった。

 久鎌井は早速、気合を入れて昨日回れなかった場所を重点的に、捜索を始めようと思ったのだが。

(ちょっと待てよ)

 花住綾香に会って話を聞いてみるのもいいかもしれないと久鎌井は考えた。


 彼女には邪魔するなと強く言われていたが、彼の方には聞きたいことが山ほどあった。あのきつい忠告も、まあいいかと流せてしまうほど、白騎士の久鎌井は大胆であった。

(よし、彼女に会って話を聞いてみよう)

 公園の茂みの中。彼女がどれくらいの頻度でアルマジロになっているのかは分からないが、一度行ってみる価値はあるはずだ。

 ふと、久鎌井の脳裏に、仁王立ちした綾香の姿がよみがえり、尻込みしそうになる。

(それでも……行くべきだ)

 今自分は、黒い蜘蛛のことも、自分の今の状態のことも何も分かっていない。昼間、彼女は自分も良く分からないと言っていたが、それでも自分よりこの夢については知っているはずだ。闇雲な行動よりも、意味があるのだ。そう久鎌井は自らに言い聞かせた。

 そして、久鎌井は彼女がいるかもしれない公園に向かった。


 しかし――


 久鎌井は公園には辿りついたものの、綾香がいるはずの茂みの前で腕組みをしていた。

 どう声を掛けようか悩んでいるのだ。


 再び、屋上で見た花住綾香の姿と言葉が思い出される。

 普段見る顔とは違う一面を見せた彼女の言葉。

(邪魔しないでよ、か……)


 テクテクテク――


(至福のとき……か)

 これも彼女の口から出た言葉だ。

(俺も、白騎士になっているときは何とも言えない開放感を覚える。それは彼女にとっても同じなのだろうか……)


 テクテクテクテク――


(いや……)

 あの剣幕は相当のものだった。彼女の『至福のとき』という表現は、自分が感じている高揚感とは少し違うように思えた。それ以上の充実を、価値を彼女は感じているのではないだろうかと、久鎌井は思った。

(それにしてもあのときの彼女は怖かった……)

 久鎌井は幼いころから人の言うことを聞く方だ。あそこまで他人に怒られたことは記憶にない。

(うーん、しかし、話を聞いてみたい……)


 テクテクテクテクテクテクテクテクテクテクテクテクテクテクテク――


「ええい、鬱陶しい!」

 突然、横から女性の声で怒鳴りつけられた。


「うおっ!」

 久鎌井は思わず身を竦ませた。しかし、その声が間違いなく綾香のものであることは分かった。

「邪魔しないでって言ったでしょ!」

 茂みの中から、花住綾香のもう一つの姿であるアルマジロが姿を現し、三白眼で久鎌井を睨みつけていた。

「いや、まだしてない!」

「そんな近くで何回も何回も小さな円を描くようにテクテクうろうろされてたら鬱陶しいことこの上ないわよ!

 すでに、十分、邪魔!!」

 綾香ことアルマジロはビシィっと音が聞こえそうな勢いで、久鎌井に人差し指を突きつけた。


 言葉一つ一つを強調し、さらに体言止めするほどに怒り心頭である。


 久鎌井はこのように怒られてしまうことを恐れていたわけで、結局その結末から逃れることはできなかったのだが、幸か不幸か、向こうから顔を出してきてくれた。これは好機だった。

「さっさと去りなさい!」

「ちょっと待ってくれないか?」

 再び茂みの中に戻ろうとする彼女を、久鎌井は引き止めた。

「話を聞きたいんだ」

 頭だけで振り返った彼女は、じっと久鎌井の顔を見て――

「いーや!」

 と、そう一言残してその場を去ろうとした。

「だから、待ってくれって!」

 久鎌井は思わず飛びついて綾香の体にしがみついた。といっても今の彼女の姿はアルマジロ。体長五十センチ弱しかなく、結果、久鎌井が両手で彼女の体を鷲掴みするような形になった。

「やっ、あ、ちょっと、何するのよ変態!」

 ガジッ!

「いてぇ!」

 指を噛まれ、久鎌井は思わず手を離した。

 アルマジロは白騎士の手から逃れると、そのまま脱兎のごとく茂みの中に飛び込んだ。

「待ってくれ!」

 久鎌井はすぐに立ち上がり、彼女が飛び込んだ茂みに突っ込もうと、無意識に手を伸ばした。しかし、ハッとしてその手を止めた。


 指先の齧られた傷が、視界に入ったからだ。


 昨日も同じように彼女を鷲掴みにして、同じように傷を負い、目が覚めると指先にはミミズ腫れの跡が残っていた。

 今朝、綾香は腕に包帯を巻いて登校してきた。それは久鎌井が鷲掴みにしてしまってできた青痣を隠すためだ。

 今、ここでは彼女の姿は人間ではないが、本来の姿はうら若き乙女である。


(俺は、知らなかったとはいえ、年頃の女の子の肌に傷をつけてしまったんだ)

 それは、間違いなく恥ずべきことなのに、また同じようなことをしている。

「……すまない」

 まるで頭から冷や水を掛けられたように、久鎌井は冷静になった。

「……」

 久鎌井の謝罪に対して、彼女からの返事はない。

 彼は、綾香がいる茂みを背にして、しゃがみ込んだ。

「聞き流してもらって構わない。少しだけ、独白をさせてくれ」

 この期に及んでずうずうしいと自分でも思ったが、それでも久鎌井は最後に彼女に聞いて欲しかった。


「俺、白騎士になってから一ヶ月と少ししか経っていなくて何も分からないんだ。でも、今までは細かいことは考えずに楽しんでいた。自分だけ特別な夢を見ているんだって、不安もあったけど、それ以上の開放感が湧き上がって、要するにどうでもいいと思っていた。でも、黒い蜘蛛の話を聞いて、もしかしたら俺の白騎士と同じようなものなのかもしれないと思い始めたら、一体この夢は何なんだろうって不安が再び湧き上がってきた。そんなときに君が現れたから、つい……」


「………屋上で話した通りよ、わたしは何も知らないわ」

 綾香の声が返ってきた。


「ああ、それは分かっている」

 ぶっきらぼうで、不機嫌で、まだ自分のことを許してくれていないことも伝わってきたが、その声を聞けただけでも久鎌井ほっとした。無視されるのが一番つらい。


「だから、君の事を聞きたいと思った」

「わたしのこと?」

「ああ、君がいつ頃からこの夢を見るようになったのかと、君もこの夢を楽しんでいるようだけど、どうしてそう思うようになったのかとか、そんなことを聞きたいと思っている。けど………」

「…………?」

「今日はこれで失礼するよ。君に失礼なことをしてしまった」

「……あ、そう」

 彼女の言葉は冷たかった。

「だから、また今度でいい。君の気分がいいときでいいから、是非話を聞かせて欲しい。それじゃあ」

 久鎌井は立ち上がった。

「少し街を見回ってくるよ」

 彼女は否定の言葉を口にするかもしれない。それが怖くて、久鎌井は足早にその場を立ち去った。



 — * — * — * —



「今、活動しているのは?」

「二つだけだ。公園でじっとしているのが一体。市内を駆け回っているのが一体。さっきまでは二体とも公園にいたようだ」

 夜の闇に紛れる黒い車内に、二つの人影。


「“アラクネ”か?」

 二人は、お互いに顔を合わせることなく、言葉を交わしている。

「恐らく違うな。あの女と、騎士もどきじゃねえか?」

「そうか」


 二人のうちの一人は女性で、懐からタバコを取り出した。

 窓を開け、同じく取り出したマッチで火を点ける。


「これを渡しておくぞ」

 女はついでに錠剤の入った小瓶を取り出して、渡した。

 もう一方は男性で、何も言わずにそれを受け取った。


ブーー、ブーー――


 マナーモードのスマホが鳴った。

 女は液晶画面を確認し、電話に出る。


『どうだ首尾は?』

 聞こえてきたのは、少し擦れた男の声だ。

「まだ、動きはありません」

『ふむ、まあ焦ることはない。とにかく、いつも通り頼むぞ』

「分かりました」


プッ――


 電話が切れた。

「“アラクネ”は、恐らくそろそろ動き出すはずだが……先に、彼に接触しておこうか、その方が、“アラクネ”が動き出したときに、都合がいい」

「そうだな。……くっくっくっ」

 隣の男からは、不気味な笑い声が漏れ出る。

「いっそのこと、そっちを戴くってのはどうだ?」

「勇!」

 女が大きな声をあげた。

「……冗談さ」

 そうは言うものの、男の口元から不気味な笑みは消えない。

 女は不愉快そうに眉根を寄せながら男に告げた。


「明日、彼に接触する」


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