本編 #03 -「黄金色の瞳」

日が沈み西の水平線に王墓のシルエットが見えなくなると、いよいよ狩人達の儀式が始まった。キヴィー、シーシャという名の痩せた男と小柄な少女は里の広間に作られたかかり火を囲うようにサークルに加わっていた。アタルヴァはそこに大きな白色の杯と、赤く塗られた女神像を宝物庫から持ってきた。それに加え、彼女は背中に全長1mはあろう巨大な黒鉄色の儀礼刀も引っ提げていた。


「みんな、よく集まったな」

アタルヴァが口にした。サークルの中央にはアタルヴァとスジャータが立っている。サークルの中央のキャンプファイヤーのようなたき火は、仄かな灯りで里の家々を照らしていた。


「いつもの儀式と踊りの間にこの子のちょっとしたスピーチを挟むことにする。何でも『求道』とかいうありがたい教えと今の世界情勢について語ってくださるそうだ」


ひゅうう、という歓声と拍手に混じってブー、という家畜のぶたれる声のような雑言が飛んできた。やはりスジャータは狩人の間では不評だ。


「穀潰し!」

「ちゃんと狩れるんだろうなあ~、コラァ」

声の主にはシーシャ、キヴィーも混じっている。彼らの後ろでは、大男のバイソンも彼女に睨みを効かせていた。


「あの狩人様… やはり皆さんのお時間を取らない方が」

「言えと言ったからには言うんだよ」

「わかりました」


「まずは儀式からだ」

アタルヴァが言うや否や、彼女は自分の両手のひらを舌でペロ、ペロと一回ずつ舐めた。そうすると狩人のサークルは一転して静まりかえり、彼らも一矢たがわず同じようにした。


「狩人様、儀式とはー」

彼女はキッとスジャータを見て口の前で人差し指を立てた「黙ってろ、もう始まってる」と言わんばかりだ。スジャータは首を縦に振って下手に回り、両手を舐めてからサークルに敷かれた一番右端の藁に正座した。


サークルの中から、今日狩ったばかりのカモシカを棒に吊るした2人の狩人が現れた。2人の狩人は白い杯の前にカモシカを置き手を火に向かって合わせながら去っていく。まるで炎を崇める戦士階級の儀式ような作法だ。


アタルヴァがカモシカの角に手をかけた。それから逆手に持ったガットフック(狩猟用のナイフ)でカモシカの首をグッと引き裂いた。彼女は生贄の角と両足を持ち、杯に首から滴り落ちる血を注いだ。スジャータは驚くことなくこの儀礼を見ていた。リグの信徒の掟では食肉の解体は奴隷階級の仕事であり「穢れが移る」と庶民以上の人々が忌避する生業でもあった。生きた動物の屠殺は見慣れているはずだった。しかし生物の本能か、今でも大量の鮮血を見ると頭に血が上り手足が痺れ出してしまう。アタルヴァの体に鮮血がしたたり落ちる。彼女の腹と脚に血の川が流れ、その先の大地に帰っていく。

 

「変わらぬ狩りの恵みを」

 アタルヴァがそう言うと、今度は生贄を元の位置に戻して首と胴体を繋ぎ合わせた。血まみれになった彼女は、膝をついて女豹のようなポーズを取った。彼女は目を瞑りながら、夜空の月に向かって狼のようにあおーん、と吠えた。それに合わせて、サークルの狩人たちがあおーん、あおーん、あおーん、と吠えだした。まるでホンモノの狼の群れだ。

 

「すごい」

 大地がビリビリと揺れるのが伝わってくる。魔力の力か、奇跡の力か?狩りの動物になりきる ー それは原始的だが、より本来の形に近い魔力を発揮するのだ。

 

「ふう。それじゃあ次は... 」

アタルヴァは魔力を使い切った魔導兵士のように、びっしょりと汗に濡れている。儀式にはやはり相当の精神力を必要とする。彼女は生贄の肩に刃を入れ、大きな四角い肉を切り取った。その肉を儀礼刀の先端に刺し、たき火の中に差し出した。

 

「命が繋がれていくよう」

 彼女がまた月に吠える。あおーん、あおーん、あおーんと狩人の群れが続く。たき火に魔法の力がそそがれ、その色はバル神の様な緑色に ― 続いて青白い炎に変化した。何て美しいのだろう。炎はらせん状に飛び上がり、空にねじ巻きの形を描く。まるで狩られた獲物の命が空に還っていくかのようだ。


「... よし、終わった。皆、これで次の狩りも上手く行くはずだ。んじゃあ食べていいぞ」

 アタルヴァが言うと、儀礼刀から肉を引き抜いてサークルの前に置かれていた大皿に差し出した。皿には小さなジャガイモ、ニンジンが数個、どこから拾ってきたのか切ったリンゴ等々も置かれていた。狩人たちは肉を切り分けて食べ出す。儀式の台の上に残った生贄にも狩人らが集まり、ナイフで切り分けて肉を集め出した。


「おっと... スジャータ、頭と脊柱は食うなよ。そこには精神が宿っているからな」

「私は大丈夫です。求道者さまの教えに従い、地から生えるものだけを食べます」

「やっぱ菜食主義も教えにあったか... んじゃあ好きにしな」


 狩人の中には肉には目にもくれずにアタルヴァに歩み寄ってきたものもいた。大男のバイソンだ。

「これがいるだろう」

「ああ、サンキュー」


 アタルヴァはバイソンが差し出した白い木綿で血をぬぐい、着ていたイタチの皮の服を脱いだ。バイソンは彼女の胸や股を見ないよう、視線を脇にそらした。

「あ、あの...狩人様?」

「こうしないと服が川で洗えないだろうが。それじゃあ、皆が食い終わったらスピーチをしとけよ」

 アタルヴァは血まみれになった服と木綿のタオルを片手に里の脇に流れる小川へと向かった。彼女はてっきりアタルヴァの脇でひっそりとスピーチをするものかと思っていたようだ。

 


「皆さん、それでは私が求道者様より頂いた教えを紹介させていただきます」

 狩人の祝祭が終わると、勢いの影った炎を背にスジャータが説教を始めた。

 スジャータは私物の砂を入れた皿を手に持っていた。


「世界には2つの力があります。物質を操る魔法の力、もう一つは精神を操る奇跡の力です」

 彼女がそう言うと手に持った皿の乗った砂がボコっと盛り上がり、王墓の形の様な正四角柱となった。

 キヴィーとシーシャがひそひそ話を始めた。


「あいつ、奴隷のクセに魔法を使いこなしてやがる」

「ウチらのなかで使えんのは... アタルヴァだけじゃなかったっけ?」


 魔法の力を使いこなすには多くの鍛錬を必要とする。リグの教えの世界では、魔法の熟達は優れた戦士や王侯の証しとされている。10人に1人はほんの少しでも元素が手のひらの上で動けば良い方、一騎当千の戦士や僧侶のみが敵の手足を断ち切り戦車をも阻む様な優れた魔法の使い手になれるのだ。


「これが魔法の力です。しかし、これは物質の動きのみを変える表面的なものです」

「真の魔法は物質の流れだけでなく... 我々の精神、心をも変容させます。例えば―」


 スジャータが手を前に掲げる。彼女の袖の下が盛り上がったかと思うと、そこから二匹の緑の蛇が顔を出した。狩人の間に動揺が広まる。清純で物腰柔らかな奴隷の子、その正体は穢れを振り撒くまつろわぬ神々の信者だ。


 キヴィーは目を見開き、腰に下げたナイフを手に取り飛び上がった。

「そいつはまつろわぬ神々の化身!」

 ナイフを突きつける狩人にシーシャが加わる。

「この腐れカルト野郎!いよいよ馬脚を現したわね」


「そのように言われても仕方ありません。私は...かつてこの力で過ちを犯しました」

 スジャータの顔が悲しみに染まった。

「私にはどうしても許せない人がいました。それは私を引き取ったリグスの領主... 彼に一矢報いようと、私は黒魔法を身に着けました。この蛇はその過ちの証です」

 彼女は手を下げ、蛇を袖の下に引っ込めた。

「しかし、私を闇の魔術から救ってくださった方が居ました。まつろわぬ神々をも打ち負かす真の光 ー それこそが命の中に輝きを見出した私の師、求道者様です」


 スジャータがそういうと、今度は彼女の左胸 ― 心臓のあたりが光り出した。心臓からは2対の光の束が現れ、空へと向かって流れ出した。スジャータの胸から流れ出た光は絡み合う蛇の様に動き出し、その頂点で蓮華の花のように舞って散った。

 キヴィーとシーシャはナイフを構えるのをやめ、その光に魅入っていた。

「これは... オレたちの儀式と同じ、ヤツなのか?」

 

「命の輝きは目に見えません。この光の深奥にある目に見えない精神の力、それこそが命の輝きです」

「あなた方は命の輝きを本能で知っています。しかしこれからその輝きを見失ってしまった、かつてのリグの信徒たちと出会うことになるやも知れません... ですから、その輝きを分け与えてください」

「魔法や奇跡をも超える真の光、それは愛です」


 緊張が一転して解きほぐれ、狩人からは拍手が上がった。


「ありがたい教えをありがとう!真の光、愛に乾杯!」

 冷やかしか冗談半分ながら、スジャータの説教と魔法に感銘を受けた狩人もいるらしかった。ひゅーひゅーと更なる歓声が上がり、広場に再び熱狂が広まり始めた。狩人たちはそのまま、フォークダンスの様な踊りを始めた。


「おやおや... ずいぶんとスバラシイ教えだったらしいな」

 そこに服を着替えたアタルヴァが戻ってきた。彼女の髪と脚からは小さな水滴が滴っていた。狩人の時の格好とは打って変わり、白い木綿の服を着た彼女からはかつての上の立つものとしての気品が感じられた。


「狩人様、申し訳ございません。私が求道者様の教えを説いたらこのように... 」

「フッ、たまにはいいじゃないか。愛ってのは、こういうことだろ?」


 狩人たちからは朗らかな笑いと歓喜が満ち溢れていた。踊る群衆の中には、両手を互いに握るキヴィーとシーシャの姿も見られた。

「...そうですね」


 アタルヴァとスジャータはたき火の脇に立ちながら、ウサギ族の踊りを見ていた。そこに大男のバイソンがやってきて、アタルヴァの脇に腰かけた。

「アタルヴァ、踊りたいか?」

「そういう時は『月がキレイですね』とか、言うもんだろ?」

「ペルズではそうなのか?俺、そういうのよく分からない」


 スジャータは驚いて口の前で両手を合わせた。無骨で表情の読めないこの人は、実はアタルヴァを愛して止まないらしい。

「好きなんですか、狩生様を?」

「悪いか、求道者」

 バイソンはスジャータをキッと睨んだ。スジャータは目を思わず下に伏せた。

「あの... 申し訳ございません」


「あっはっはっは... いや、確認してくれてありがとう。私たちの仲は求道者サマの証明書付きだ」

「それじゃあ、踊ってくれるか?」

「ああ、ほら立て」

 アタルヴァは大男の手を取り立ち上がった。すると今度はウサギの様に飛び上がり、大男の両腕に抱き上げられた。彼女はそのまま男の頭に顔を近づけ、唇にキスした。


「ああーっ!?ずりぃぞバイソン、この野郎!」

 踊りの中からキヴィーが怒号を挙げ、大男を指さした。


「アタルヴァのことは前から俺も狙っー」

 シーシャがキヴィーの脇腹を蹴り飛ばした。


「いっ... てえな!何しやがる!?」

「私と踊っておきながら何言ってんのよ、この浮気野郎!」

シーシャが甲高い声でキヴィーを叱った。狩人たちからは大爆笑が巻き起こった。


「そいつでガマンしときなキヴィー!お前にはお似合いだ」

「もう夫婦喧嘩かよ?」


「夫婦じゃねえっ!」

「夫婦じゃないっ!」

再び大爆笑が巻き起こった。笑いには求道者のスジャータも思わず加わっていた。


「キヴィーさんも狩人様のことが好きだったんですね。シーシャさんとも良さそうですけど」

「ああ。皆、私には良くしてくれているよ。あそこまでスキとは思わなかったが」

 アタルヴァはバイソンの腿の上の座り彼の腕を抱きながら、求道者の話に耳を傾けた。

 

「私... 皆さんに求道者様の教えを伝えるつもりでここに来ました。でも... 私が皆さんから学ぶことの方がまだ多いみたいです。」

 スジャータが朗らかに笑いながらそう言った。

「えらく謙虚になったな。何ならここに第七の女神・アタルヴァを称える像を立ててもいいぞ」

「滅相もない」

 最初の出会いから時が経ち、アタルヴァとスジャータは軽口を言い合える仲となっていた。スジャータは踊る狩人たちを眺めていた。ここに求道者様もいたら... 束の間の幸せを感じながらも、彼女は今は亡き師に思いを馳せていた。


「なあ、バイソン。私が好きだからって、キヴィーを恨まないでやって欲しいんだが...」

「何でだ?」

「色々あるだろ?シーシャみたいにさ」

「別にいい。お前が幸せなら」



 黄金色の瞳が狩人達の儀式を眺めている。彼らは切り立った崖の木陰から、木製の単眼鏡を使って夜な夜な行われる儀式を観察していた。血をまき散らす儀式に狼の真似事、そして偽りの神々を崇める少女... 未だ忠実なリグの信徒である彼らにとってその儀式はおぞましき背徳としか思えなかった。彼らは狩人達とは対照的に、闇夜に溶けるような黒き肌をしていた。

「なんとおぞましい... この様なものがあってよろしいのでしょうか、ヘルーガ殿下」

「いつも通り”公主”でいい」

「では公主様」

 

 公主と呼ばれた女、それは今は亡き国・ペルズの正統後継者-ヘルーガ=ペルズだ。ヘルーガが継ぐはずだった国は今や遊牧民の子とその郎党に焼かれ、彼女と率いるごく少数の親衛隊たちは荒野でキャンプを張る流浪の民になり果てたのだ。


ペロ族の中でもヘルーガは飼いならされた犬ではなく、森を駆ける狼を思わせる凛とした姿をしていた。ヘルーガは部下に造らせた即席の重装鎧に身を包み、戦士らと同じ格好をして威厳を放っていた。彼女のおもむきはもはや王侯の物ではなく、あまたの死線をくぐりぬいた勇士のそれと化している。闇夜のなかで鋼鉄の鎧が月の光を鈍く照り返していた。


「ペルズの復興、唯物論者どもの一掃... その為にはまず周辺の領土を盤石としなければならない」

「では、あのリグにかしずかぬ者どもを打ち滅ぼしましょう」

「ああ。だがその為には準備が必要だ」

 ヘルーガは目を細め眉を狭めながら狩人の一人に単眼鏡の焦点を合わせた。戦士でありながら国への忠を捨てた女、アタルヴァ=ヴェーダ... ヘールガには狩人たちの歓喜の舞いは眼中になかった。ただアタルヴァの手首に刻まれた三本線と火の記しだけが目の奥に像を結んでいた。


「アタルヴァ=ヴェーダ、まずは貴様の首をリグに還してやろう」

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命の唄 二無 @nymn-wales

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