第29話 優雅な神官
イエンウィアが起こした一騒ぎを気分転換代わりに、資料探しは再開された。
全員が黙々と蛇の魔物に関する文献を漁り、対魔戦に役立ちそうな方法を求める中、メンフィスの地図を見ていたカエムワセトが、街の南の外れにあたる部分に、気になる表記を見つけた。
「これは?」
確認するために、メンフィスに在住するイエンウィアに訊ねる。
イエンウィアはカエムワセトの人差し指の先にある神殿の印を見て「ホルス神殿だ」と答えた。
「バツがついてるぞ」
横から覗いたアーデスが指摘する。
それに対しイエンウィアは、三年前に火事が起こり、御神体が移されたからだと説明した。石造りであるため建物自体は残っているが、御神体はここプタハ大神殿で保管されているため至聖所は空で、今は神殿の機能を成していないのだという。
「その廃神殿なら俺らも知ってますよ」
ジェトが手を上げた。
「建物はキレイなまんまだから、今じゃ地元のゴロツキの溜まり場になってるとこっしょ? メジャイも怖がって近づかないから、やりたい放題っすよ」
「その通り」
イエンウィアが答えた。
「廃神殿か……」
カエムワセトは呟いた。
御神体の無い神殿は魔物の侵入を拒まず、街外れであれば多少派手に暴れても住民に被害は出ない。
カエムワセトの中で、戦法が整った。
★
腕に覚えのある神官を集め、必要とあらば援軍を要請する。
確実に魔物の力を削ぐ為、武具を全て聖水で清める。
メルエンプタハとイシスネフェルトを乳母と共に避難させる。
ホルス神殿のならずものを一掃し、魔物をおびきよせる罠を張る。
カエムワセトはパピルス紙に、この四項目を書き連ねた。これらを、夜までに成さねばならない。
「敵を閉じ込める罠を張りたいんだ。餌を用意し、閉じ込めて、一気に叩く。その為の準備が必要になる。檻はここ、ホルス神殿だ」
「見え見えだぜ。やっこさん、罠に入って来るか?」
アーデスは難色を示した。
聞いている分には気持ちの良い策戦だが、相手は詐欺行為ができるほどに頭が良い。野生動物相手の罠を大きくした程度の仕掛けに、わざわざかかってくれるとは思えなかった。
「大丈夫だ」
カエムワセトは自信ありげに頷いた。
「相手には檻じゃなく交渉の場を設けた程度に見せる仕掛けを作るよ。ハワラが仕掛けの中から動かなければ、接触をとるには相手も自分から入るしかないし」
「ならば重要なのは、餌に噛みつく前に動きを封じることだな」
冷静な意見と共に一瞥をくれたイエンウィアに、餌役のハワラは「よろしくおねがいします」と引きつった笑顔を返した。
「ハワラの話では、相手は闇の中でしか行動できない。その性質を利用して、神殿内にあえて明暗を作り、魔物の行動範囲を制限する」
用意すべきは、一晩中神殿内部を照らせるだけの、ありったけの松明と油。
「相手は少なくとも人一人生き返らせる事が出来る力の持ち主だ。もし本当に多量の蛇を投入してくるのであれば、応戦できるだけの武器と兵力は揃えておきたい」
加えて、外周を守り、内部で敵を叩けるだけの戦力である。
「やる事は分りましたけど、夜までに全部用意すんのか……。大変すね」
指を折りながらやるべき事を数えたジェトは、その項目の多さに眉を寄せた。それに対しカエムワセトは、担当を決めて動けば間に合うだろう、と言った。
イエンウィアとカカルとハワラが参戦可能な神官を集め、彼らと武器を選びそれら全てを聖水で清める。
ライラとアーデスとジェトはホルス神殿に向かい、ならずものを一掃する。
カエムワセトとリラは王宮へ戻り、メルエンプタハとイシスネフェルトを逃がす。
各々役割を終えたら必要物品を持ってホルス神殿に集まり罠を準備する。
話がまとまり、各々が役割を果たすため動き始めた中「少し待ってくれ」とイエンウィアが制した。
「武器はアーデスの方が詳しいし、腕に覚えがある神官は私の知る限り三名だけだ。名前と所属を教えるから、あたってくれ。代わりに私が神殿へ行こう」
「ゴロツキの集団だぞ? 大丈夫か?」
訝るアーデスに、イエンウィアは「問題ない」と答えると、書庫に持ちこんだ荷物の中からケペシュという湾刀を二振り取り出した。一キュービット(約五十二,五㎝)に満たない小ぶりのものである。
「剣、使えるようになったの?」
ライラが目を丸くした。
「身につけた。以前君にからかわれたのが悔しくてね」
言いながら、イエンウィアは流れるような所作で帯に鞘を通してゆく。そして最後に頭巾を手に取ると、「それでは私はフイ最高司祭に外出の旨を報告してくる。西門で落ち合おう」と残し、一足先に書庫を出て行った。
「優雅な神官さんスね~」
イエンウィアの綺麗に伸びた
出会ってから今まで、イエンウィアは頭の先から床まで一本筋が通ったような姿勢を崩さず、常に冷静で声を荒げる事もなかった。動きも流動的で無駄が無い。
滲み出る人の良さと育ちの良さはカエムワセトが上回っているが、優雅さに関してはイエンウィアが圧勝である。
王家よりも雅な神官の存在など、ともすれば王族の面目が潰されかねない事態である。しかし、そういった見栄に無頓着なカエムワセトは、気にする様子もなく、むしろ誇らしげにカカルの意見に同意した。
「私の先輩でね。努力を怠らない人だよ。フイ最高司祭の補佐を無理なく務められるのは、彼くらいだ。私の目標だよ」
「アホみたいに肝が太いっつーのは分ったよ」
狂人寸前の上司相手に全く怯まない他にも、カエムワセトすら使用を躊躇う魔術書をいとも簡単に朗読して天変地異を起こしかける。
イエンウィアの常人離れした度胸のお陰で、出会って半日もたたない間に心臓が止まる思いをさせられたジェトは、皮肉を込めてそう言った。
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