第10話 友達のために

 やがて丸太でできた木の家が見えてくると、赤い傘を差したおばあさんが家の前に立っていた。その手に持った2本の傘がリュノと私のところへと飛んでくると、頭上でひとりでに開いた。


 一足先に家前の庭についたリュノの元におばあさんが近づく。その場で言葉を交わした後、リュノは家の中へと入っていった。


 そのまま私の方を見ると、「おいで」というように手招きした。誘われるように近づくと、おばあさんの優しい笑顔が曇った心を少しだけ晴らしてくれた気がした。


「おかえり」

「おばあちゃん。あの」

「話は後だ。替えの服を用意してるから、わしの部屋に来な」


 私に喋らせる隙を与えずにおばあさんは家の中へと押しやった。頭上をついてきた傘は勝手に傘立てへと向かっていった。


 おばあさんの部屋に入ると、机の上にシンプルな桜色の浴衣が置かれていた。髪留めを外し、ふわふわのタオルで全身を拭いた後、おばあさんに手伝ってもらいながら浴衣を脱いで寝巻きに袖を通す。結構雨に降られたはずなのに、着物が水を一切吸っていないのには驚いた。


「下の暖炉で体を温めておきな」


 そう言うとおばあさんは着物を持って部屋を出て行った。その時にようやく、おばあさんの背中にも翼がないことに気づいた。この人も冥界とやらにいたのか、はたまたリュノのように翼を隠しているだけなのかは分からない。


 だが今は、そこに頭を回せるほどの余裕もない。風邪をひく前に体を温めるほうが先決だった。

 タオルを雑に被って1階に下りると、スープの落ち着いた香りが漂ってきた。


 扉を開けると、暖炉前のソファに腰掛けるリュノの姿があった。さきほどのリュノの言葉がフラッシュバックし、近づくのが一瞬ためらわれる。


「大丈夫だ。ここなら近づいても問題ない」

と言われても、まだ足が動くのをためらっていた。


 リュノはしびれを切らしたように立ち上がると、冷ややかな剣幕を崩さぬまま静かに近寄ってきた。思わず2,3歩後ずさるも、背後にあるのは扉のみ。開けたところで逃げ場はない。


 得たいのしれぬ恐怖が胸を突き上げる。また突き放されるのではないかという不安が足を縛る。

 正面に立ったリュノから背けるように目をつむると、やや乱暴に手を掴まれた。


「いつまで突っ立ってんだ。風邪ひくぞ」


 そのままソファの前まで引っ張られ、無理矢理座らされる。握ったその手は相変わらず生気のない冷たさに満ちていたが、黒いもやが出るといったことはたしかになかった。


 ひとつ間を空けてリュノもソファに腰掛ける。未だに目を向けることはできず、握られた手に残る冷たいぬくもりを放せずにいた。


 橙色の炎がパチパチと燃える。そのそばですやすやと眠っているクロは夕焼けのように赤く照らされていた。ソファにもたき火の放射熱が届くおかげでとても温かい。温かいはずなのに、心の芯はずっと冷えたままだった。


「……いよ」

「ん?」

「ひどいよ。ケガの手当ても手伝って、感謝までしてたのに、堕天使だからって全部リュノのせいにして」

「それは仕方のないことだ。原因が分からないものほど不安なものはない。何かのせいにしたがるのは当然だ。そして今回は、その矛先がたまたま俺に向いた。それだけのことだ」

「っ、それだけって」


 ギュッと握られた拳に力が入る。


「リュノはほんとにそれでいいの!?」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。背中の翼がぞわっと逆立つ。それでも、リュノは一切表情を崩さない。それがまた琴線の一端に触れた。

 さらに声を上げようと詰め寄ったが、リュノの突き刺すような眼を前に怖じ気づいた。


「いいも何も、これが現実だ」

「そう。でも、私は嫌だよ。もう友達がひどい目に遭ってるのを、黙って見ていたくないの!」

「……」

「ねえ、ほんとにいいの?」


 目頭に熱いものがじんわりとたまり始めたその時、台所横の扉がガチャリと開いた。


「2人とも。スープができたからテーブルの方に来な」


 きっとリュノの方を睨むと、ソファから離れて木製の椅子に腰掛けた。目の前には、ミネストローネのような赤いスープが白い湯気を立てながら鎮座していた。


「リュノ、スープが冷めちまうよ」

「悪いが、俺はパスで。少し横にならせてくれ」


 そう言うとリュノは空いたソファの上で仰向けになり、羽根をたたんで目を閉じた。


「困った子だね、まったく。それで、何かあったんだね?」

「……はい」


 かすれるような声で言葉を返す。両手を添えた木の器は寂しく震える手をじんわりと温めいく。


「村を歩いていたら、大きな風見鶏が突然落ちてきて。それで、村の人たちと一緒に手当てしたんです。もちろん、リュノも手伝ったし、お礼も言われました。けど今度は、急に風見鶏が暴れ始めたんです。逃げようとした時に転んじゃって、リュノが助けてくれなかったら、今頃どうなってたか」

「ふんふん」

「でも、その時にリュノのローブがびりびりに裂けちゃって、黒い翼が出てきたんです。そしたら、風見鶏も、村人も、化け物を見るような目になって、っ、それ、で、」


 言葉が詰まり、思うように声を出せない。大粒の涙が次から次へと溢れだし、スープの中にこぼれ落ちていく。

 正面からは上品にスープをすする音と「ほっ」と小さくため息をつく声が聞こえてくる。きっとぐちゃぐちゃになってるであろう顔をそっと上げると、口角をほんの少しだけ上げたおばあさんと目が合った。


「あの子にとっちゃ、それが普通なんだ。理解しておくれ」

「っ、でも……」

「その上で、だ」


 しわの刻まれた人差し指がピンと立てられる。


「これからも、あの子のことを気にかけておくれ。あんたは齢も近いし、素性も知ってる。今のあの子には、そういう存在が必要だと思っていたんだ。思うとこはあるかもしれないが、あの子の支えになってくれると助かるよ」

「支え、に……?」

「ああ。そうすれば、いつかきっと、あの子にも温かい光が差すだろうよ」


 この距離でギリギリ聞き取れるくらいまで声量を絞ったおばあさんはくしゃりと微笑んだ。その言葉と柔らかい笑みが、雨上がりの雲の合間から差し込む陽光のように私の心を照らす。

 涙を拭い、震える唇を噛みながら、ただ小さく頷いた。


「さて、それじゃ今日はいろいろと手伝ってもらおうかね。やることがたんまり残ってるんだ。スープを飲み終わったら、わしの部屋に来るんだよ。いいね?」

「はっ、はい!」


 威勢良く返事すると、おばあさんは一足先に台所横の扉の奥へと消えていった。


 湯気の薄くなったスープを急いで口に運び、席を立つ。扉に手をかける直前に、リュノのほうをちらりと見ると、相変わらずソファで横になったまま目をつむっていた。



 その後はおばあさんのお手伝いやクロの世話などをして1日を過ごした。

 その最中、部屋の窓を掃除をしているときに海岸へと向かうリュノの姿が見えた。何をしに行ったのか気になったが、彼が帰ってきたのは夜、ベッドにちょうど入った後だった。


 ベッドの中で、おばあさんの言葉をもう一度思い出し、何度も咀嚼する。

 リュノのために、私にできることをしよう。

 そう決意しながら、忙しない1日に別れを告げた。 

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蒼穹の堕天使 杉野みくや @yakumi_maru

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