第6話 風見鶏の羽根

 まぶた越しに差し込む光が目覚めの合図を告げる。それを鬱陶しく感じながら顔を逸らし、毛布を深めに被る。ドアをノックする音が聞こえた気がするが、きっとと気のせいだろう。


 しばらく目を閉じていると、今度はドアがガチャリと開けられる音が鳴った。しかたなく目を開けると、黒い翼を広げたすまし顔の天使が目覚めをお出迎えした。


「起きろ。もう朝だ」

「う~。もうすこしだけ」

「だめだ。もう朝ごはんもできてる。ばあさんにどやされる前に、早く下りて来いよ」


 そう言い残すと、リュノは部屋の外へと消えていった。それに続いて、クロも軽快な足取りで廊下に出て行った。


 1人と1匹を見送った私はとりあえず体を起こし、大きく伸びをする。そのついでに窓の方に目をやると、近くの木に止まった2匹の白い小鳥たちが仲睦まじくさえずっていた。その奥には朝日に照らされてキラキラと輝く海が、静かにどこまでも続いていた。


 昨夜は雷雨だったから気づかなかったが、なんてきれいな海なんだろう。とても神秘的で、美しい。思わず見とれてしまう。


「ユイ!早くしないと冷めちまうよ!」

「あ、今行きます!」

 反射的にベッドから下りると、髪留めを手に取って部屋の外に出た。


 1階に下りてリビングへの扉を開けると、パンの香ばしい匂いが胃を刺激してきた。ぐ~っと鳴る腹を抑えつつ椅子に座ると、2枚のお皿の上にそれぞれ焼きたての食パンと目玉焼きが舞い降りてきた。食パンにはイチゴジャムがたっぷりと塗られている。イチゴ好きの私にとってはこのうえない至福の光景だ。


「飲み物は?」

「えっと、水でお願いします」

「はいよ」


 おばあさんが指をパチンと鳴らすと、何もないところから湧き出た水がガラスのコップに注がれていった。「先に食べな」と告げられたので、水を一口飲んだ後、目玉焼きを口に運ぶことにした。


「いただきます」


 箸で目玉焼きを掴もうとすると、黄身の膜が少し破れてしまった。その中からとろりとした半熟の黄身が漏れ出す。慌てて目玉焼きを持ち上げ、黄身をこぼさないよういっきに口に運ぶ。すると、半熟に焼き上げられたたまごの香りがふわっと鼻を突き抜けた。くどすぎない濃厚な味わいが舌を優しく包み込み、白身のほどよい固さが黄身と絶妙に絡み合う。


 全てが完璧な目玉焼きを惜しげもなく飲み込むと、間髪入れずに赤くきらめく食パンへ手を伸ばした。

 そのときにふと、リュノの持つ新聞に目が行った。見出しに書かれていたのは、『天界行きの箱船列車 未だ復旧せず』という文言。


 当分、天界とやらには行けそうにないな、と思いながら食パンにかぶりつく。イチゴ本来の甘酸っぱい風味と食パンの香ばしい香りが口の中をあっという間に包み込み、至福のステージを作り上げ始めた。

 何これめっちゃうめぇ、と目を輝かせながら食べ進めていると、おばあさんが隣の席に腰掛けた。


「そういえばリュノ、あのことは話したのかい?」

「ああ。ユイは協力してくれるらしい」

「どうしてそんな他人事のような口ぶりなんだい、まったく」

「っ、ゴクン。そういえば、私は何をすればいいの?」

「あら、聞いてないのかい?」

「えっと、リュノについては聞きましたけど、具体的に何をするかまでは……」


 だんだんと消え入る私の言葉を聞くと、おばあさんは眉間に少しばかりしわを寄せた。昨夜の一幕と同じような雰囲気を感じたので、反射的に身構えた。


「リュノ?」

「いや、その、伝えようとはしたんだが、その時にばあさんが風呂から」

「余計な御託はいいんだよ。その後に伝えれば良かっただろ?」

「うっ。ハイ、ゴモットモデス」


 リュノの体が一回り小さくなったように感じられた。昔でさえ、こんなリュノは一度も見たことがなかった。

 昨夜も思ったが、おばあさんを怒らせるとろくな目に遭わなさそうだった。ちょっとだけ気をつけていこう、と心の中でそっと気に留めながら、食パンを平らげた。


 その間にコーヒーで口を湿らせリュノは、咳払いをひとつした後に口を開いた。


「堕天使が天界に行くには、いくつかの道具が必要になる。それを作るための素材を集めたいんだ。今までは基本的に俺ひとりで集めていたが、それだと限界がある。正直、人手がほしいところだったんだ」

「なるほど。その素材っていうのはあといくつ必要なの?」


 そう尋ねると、リュノは右手を控えめに開いてみせた。


「5つだ。そして、うちひとつの検討は既についている」

「それはいったい?」

「俗に"風見鶏の羽根"と言われる代物だ」

「風見鶏の、羽根?」

「ああ。さらに、その中でも親玉が持つ特上のものが必要だ」


 私の頭の中には、赤い屋根の上でくるくる回る鉄の鶏の姿が思い浮かんだ。

 それの羽根っていったいどういうことだろう?しかも特上ってなると、ダイヤモンドとかでできてるのかな?などと考えている合間に、次の言葉が飛んできた。


「手に入るのはそう簡単ではない。なるべく無理はさせないつもりだが、万が一のことがないとも言えない。それでもいいか?」

「う、うん。私にできることだったら、なんでも協力するよ」 


 こうなったら乗りかかった船だ。天界にはまだ行けそうにないし、何よりリュノとまたこうして一緒に行動できるのが嬉しかった。


「なら、さっそく準備しないとね。ユイ、顔洗って歯磨いたら、わしの部屋に来な。お召し物をこしらえてやるからね」

「は、はい!」


 水をぐっと飲み、「ごちそうさまでした」と呟くと、さっそく洗面所に向かった。

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