第5話 あの日の真相

「リュノ、その、黒い翼はどうしたの?」


 尋ねた瞬間、リュノの顔があきらかに険しくなるのが分かった。地雷を踏んでしまったかと顔をしかめる。蛇に睨まれたカエルのうに、体がきゅっと固まってしまう。この状態がずっと続いたら、重圧で押しつぶされてしまいそうだ。


「あ、ご、ごめん。もし話したくなかったら――」

「いや、気にするな。これについては、どのみち話さなきゃならないんだ」


 そこで話を切ったリュノはぐっと紅茶を飲み干す。

 空になったカップが軽い音と共に小皿に載せられると、それらはひとりでに台所へと飛んでいき、自らの体を洗い流し始めた。


「その髪留めを置いた日のことだ」


 カップたちに吸い寄せらた視線をリュノに戻す。雨足が強まり、うつむき加減な彼の目に暗い影が落ちた時、一段と低い声が両耳を貫いた。


「俺は、天界から追放された」

「……!?」


 何か良からぬことが起こったというのはすぐに分かった。

 その証拠に、リュノの表情はドンドン曇っていき、握られた拳が僅かに震えていた。出会った時に感じた負のオーラがますます強くなっていくように感じる。


「追放、ってどういうこと?」

「文字通りの意味だ。追放された天使は堕天使となり、二度と天界へは戻れない。本来であれば、この世でもあの世でもない場所に連行されるはずだった。それを、あのばあさんに救われたんだ」

「そんな……。どうして追放なんか」

「それは、俺が天界の禁忌に触れたからだ」


 禁忌、という言葉に呼応するように、轟音を伴った雷がピカッと光る。窓の隙間から入り込む雨音がやけに大きく聞こえた。


「正確には、『禁忌に触れたことにされた』といった方が正しいか。俺は、大天使ラディアのとんでもない野望を知ってしまった」

「大天使ラディア……。それってどんな人なの?」


「奴は天界を統べる、いわば女王。品行方正で才色兼備。誰もが憧れる存在だ。特に天使からの支持はとても厚い。そのおかげで、彼女の望むものは基本的に何でも手に入る。そんな彼女はもはや天界だけでは飽き足らず、この煉獄界や冥界、ゆくゆくは現世までをも手中に収めようとしている。それを許してしまえば、世界の均衡が崩れることは間違いない。何が起こるかは分からないが、とてつもなく嫌な予感がするんだ」

「っ……」


 拳を開いたリュノは自らの黒い翼にぎこちなく触れた。同時に漏れた静かなため息が雨音にかき消されていく。


「だから、それを阻止するために、俺はどうしても天界に帰らなくちゃならない。……ユイ、いきなりこんなことをいうのもなんだが、協力してはくれないか?」

「え?」


 予想外の申し出に、頭が一瞬真っ白になった。

 たしかに旧友の頼みなら、水臭いこと言わずに応えてあげたいし、髪飾りをくれたお返しもいつかはしたいと思っていた。でも――


「協力っていっても、私なんかにできることなんて」

「ある」

「……!!」


 そのひと言がやけに印象に残った。真面目に言っているのは彼の表情から明らかだ。無茶を言っているようにはあまり見えない。


「もちろん、無理はなるべくさせないし、嫌になったら離れてくれても構わない。古い友人の頼みだと思って、ここはひとつ頼めないか?」


 真剣な眼が私の目を貫いてくる。刃物を向けられるような緊張感にごくりと喉を鳴らす。

 正直、話の全容を掴めた訳ではなかった。もしかしたら怖い思いをするかもしれない、と見えない不安がささやく。でも、だからといって、目の前の困っている友人を放っておけるほどの薄情さを持ち合わせてはいなかった。


「うん、分かった。協力する。髪飾りのお礼もいつかしたかったしね」

「っ、すまない。この恩は必ず返す」

「もー話聞いてた?お礼をしたかったって言ったでしょ?むしろ、私の方が恩返ししなくちゃいけないのに」

「あ、ああ。そうなの、かもな」


 さっきまでどこか強気だったリュノは少々身をたじろがせた。なんか変なこと言ったかな?と首をかしげていると、扉の奥からおばあさんの声が聞こえてきた。


「あんたら、風呂が空いたよ。どっちか先に入りな」



 順番にお風呂を済ませてさっぱりした後、私は2階の一室に案内された。一組の机と椅子に本棚とベッドが1つずつ置かれたごく簡素な部屋だ。クロはさっそくベッドの下に潜り込み、そのままのんきに寝転び始めた。


「今日からはここを使いなユイ」

「は!?ばあさん!ここ俺の部屋だぞ!?」

「あいにく、部屋が少なくてね。それに、わしの部屋には危険物も多くしまってある。何か文句でもあるかい?」

「っ……」

「ま、仲良く使うんじゃな。ほっほっほ」


 おばあさんは悪い笑みを浮かべながら、扉をゆっくり閉めた。扉がぎーっと軋む音をわざと長く鳴らしているようにさえ思えた。


「ど、どうしよう」

「ちっ。あのばばあ……」


 リュノがそう呟くと、扉がバンと勢いよく開かれた。思わず体全体がビクッと跳ね上がる。


「誰が、ばばあだって?」

「ひっ!!」


 扉のすぐそばにはおばあさんが立っていた。その表情はまさに、鬼そのものだった。


「い、いや、なんでもありません!」

「ふん。余計なこというんじゃないよ。じゃ、おやすみ♡」


 落雷の音をもかき消すほど勢いよく扉が閉められた。その衝撃で、机の上に置いてあったカレンダーがパタリと倒れる。

 リュノはため息をつきながらそれを直すと、部屋の扉に近づいた。


「リュノ?」

「俺は下のソファで寝るから、ここは自由に使ってくれ」

「いやいやいや、そんなの申し訳ないよ。私が下で」

「ユイは客人なんだから、その立場に甘えとけ」


 そう言葉を残すと、そそくさと部屋から出て行ってしまった。


 ぽつりと佇んでいた私はとりあえずクロの様子を確認するためにベッドの下を覗くことにした。なんだか友だちが隠し持っているやましいものを探すような、ある種の後ろめたさを感じた。

 これはクロの様子を見るだけだから、とかけられてもいない疑いを心の中で晴らしながらかがみ込む。その視線の先には、穏やかにスヤスヤと眠る1匹の黒ネコの姿があった。


 一応念の為、クロをベッドの下からそっと引きずり出し、机の下に移動させる。近くにあったブランケットをそっと被せると、心地よさそうに小さく喉を鳴らした。


 それにつられてか、ふわっとあくびを誘われた。まだ雷雨が収まらない中、カーテンを閉じてランタンの明かりを消す。ヒンヤリとするベッドに潜り込むと、自分の翼が細い腕に触れた。


 まだ慣れない翼の感覚に、本当に死んだのだと改めて思う。リュノの言う通り、生き返りたいとはなぜか思えなかった。クロがいるから、寂しいとも思わなかった。だから、目を閉じた時に涙が流れたのは、きっとあくびをしたせいに違いなかった。

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