第19話 予知夢と疫病

のアマーリエがこの時代に目覚めてから4年間、何かを『予知』して当てたことはない。歴史書には未成年のアマーリエがこの期間に体験したような小さな出来事は載っておらず、何かを先取りしてタイムパラドックスを実現できたことはなかった。万一『予知』できたとしても、子供のアマーリエが何らかの対策をするには大人の助けが必要だ。でも彼女が160年以上後の女子大生の記憶があると言っても、周囲の人達が信じられたかどうか自信は持てなかった。


未来の記憶があることを言えない以上、アマーリエの父ルードヴィヒには娘の『予知夢』を信じてもらうしかない。でもルードヴィヒは、それを単なる夢として片付けたがる。ジークフリートの命を救うタイムパラドックスを実現するためにはルードヴィヒの協力は欠かせない。アマーリエは、ジークフリートの次に心配な王太后ドロテアの健康問題を予知夢に絡めて話してみることにした。


「お父様、最近、王国で疫病が流行していませんか?お身体が弱くなっている王太后陛下には特に危険です。実はこのままだと王太后陛下が流行り病でお隠れになると私に予知夢の警告がありました」


アマーリエがそらんじているアレンスブルク王国史では、今から2年後の王国歴451年に市井でコレラが蔓延し、寄る年波で身体の弱っていたドロテア王太后も感染死した。その頃、ほとんど離宮に閉じこもりだったドロテアが街中で流行しているコレラにかかったことは不思議と言えば不思議だが、汚染した水か衛生を徹底しない離宮の使用人を通じて感染したのかもしれない。文系の女子大生だったアメリーには、残念ながら公衆衛生学の知識も医学・薬学の知識もない。現代のようにインターネットで調べるわけにいかない以上、のアマーリエは覚えている限りの王国史の知識で当時流行した病名と大体の原因しか分からない。


「縁起でもないことを外では言ってはいけないぞ。確かに腹を下して脱水症状を起こす病があることは知っているが、流行しているとは聞いていない。それに王太后陛下は街に出ないから大丈夫だろう?」

「でも使用人は街の住民と接触があるし、離宮で使う水も汚れているかもしれません。王都は清潔な場所ばかりではありません。近いうちにそこから流行するはずです」

「滅多なことを言うものじゃない。一般人が預言をするのは教会が許さない。予知は神の範疇だ。大っぴらに預言のようなことを言うと、不敬罪か大衆扇動罪で捕まるかもしれないから危険だ。そんなことを言うのは私の前だけにしてくれ」

「不敬罪は分かりますけど、『大衆扇動罪』ですか?!何ですか、それ」

「不特定多数の人々に不安をもたらすようなことを言って煽ることだよ」

「でもそれが事実になれば、煽ることにはなりませんよね」

「でも預言は教会が…」

「では予知しなくても、さりげなく対策をすればいいと思うんです。公爵領ではお腹を下す病はまだ流行していませんよね?」

「特に報告は上がってないよ」

「じゃあ、お父様!私にアイディアがあります」


医療知識のないアマーリエには既に感染した患者を治療する術はない。せいぜい下痢と嘔吐で水分を失った患者に水分補給を提案するぐらいだが、そんなことはこの時代の医師だってやっている。アマーリエには、患者の排泄物や吐瀉物で汚染された水や食べ物がコレラ感染の原因だと現代の本で読んだ記憶がある。


この時代、下水道はまだどこにもできておらず、上水道だけは王都にあるが、貴族の住宅地区にしかない。上下水道の整備は一朝一夕にはできないし、王都で衛生観念の啓蒙活動をする独自の権限がオルデンブルク公爵家にはない。でも公爵家の領都の住民に衛生観念の啓蒙活動はすぐに始められるのではとアマーリエは思った。


アマーリエは、父を何とか説得し、衛生講習について領都の教会と学校に話をつけてもらった。調理と食事の前の手洗いの徹底、なるべく煮沸した水を飲むこと、排泄場所を水源から隔離すること、排泄物を道に捨てないことなどの重要性を事前に神官や教師に理解してもらい、信者や生徒に伝えさせた。


公爵家の領地の首都は結構栄えているが、その陰で小さな貧民街も郊外に存在している。貧民層は教会や学校に行くよりも、毎日生き延びられることの方が重要なので、食べ物で釣って講習会を開いた。


その他、公衆トイレを街に設置し、住民を雇用して街の清掃作業やトイレの維持に努めた。後は貧民街に共同炊事場と共同浴場を設置して、領都中に上下水道を張り巡らすのが目標となる。浴場は貧民街の住民以外も使えるようにするつもりだ。だがこれらの施設の設置は費用がかかるのですぐには実現できそうもない。


最初の衛生環境向上運動の成果がおおむね出た頃、アマーリエは15歳になっていた。彼女は父を説得して領地に行くことになり、どこから話が漏れたのか、ジークフリートも領地行きに同行すると手紙が送られてきて、アマーリエは意外に思った。

領地出発の日、アマーリエとジルヴィアの乗る馬車は王宮に寄ってジークフリートとルプレヒトを拾った。そこから王太子付きの護衛も騎乗で同行して4人はオルデンブルク公爵家の領地に向かった。


ジルヴィアはジークフリートをよく思っておらず、アマーリエもジークフリートの新しい愛人だという男爵令嬢の噂話に納得がいかない。一方でジークフリートはアマーリエに噂の真相をきちんと説明できないことがどうにもバツが悪くて話しかけづらい。馬車の中は不自然な沈黙が支配していた。見かねてアマーリエがジークフリートに思い切って話しかけた。


ジークフリートに領都の視察成果を王都の衛生環境向上に生かせないか聞いたところ、彼も同じ意見だった。ただ、王都の行政には色々と利権が絡んでいてジークフリートに全権がある訳ではない。どうすれば実現できるのだろうとアマーリエは考え始めた。


そこで話が切れ、馬車の中はまたガラガラと車輪が回る音だけが響く。アマーリエはふと思考から我に返ってまた口を開いた。


「王太后陛下と最近お会いしていませんが、お元気でいらっしゃるのでしょうか?」

「お祖母様には最近、お会いしてないな。お加減があまりよくなくてずっと離宮にいらっしゃって最近は王宮に顔を出されないよ」

「何かご病気でも?」

「いや、そうとは聞いていないよ。やはりお年だからね」


アマーリエは『お元気になるといいですね』と言って話を終えた。どうやって王太后を1年後のコレラ感染死から救えばいいのか、どのようにその可能性をジークフリートに伝えようか考え始めたので、アマーリエは馬車の中の沈黙が気にならなくなった。


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