第16話 諜報員としての訓練

アマーリエが非公式な諜報員になることに決定してから数日後、彼女はジルヴィアと共に公爵邸の裏手にある森に初めて立ち入った。


森は、王都の王宮に近い公爵邸の広大な敷地内にある。鳥がさえずり、時折リスが木から登り降りする以外は静かで人影は見えない。この森は諜報員の訓練場所であり、諜報部隊の連絡場所でもあるので、一般立ち入り禁止となっており、公爵の娘たるアマーリエさえも今まで近づくことは許されていなかった。


アマーリエとジルヴィアが森の奥へ歩いて行ってしばらくすると、射撃やナイフ投げの練習場として使われている木造の家が見えた。中には練習場らしく、壁に何重もの円が描かれた、傷だらけの的がいくつか掛かっていた。ジルヴィアはアマーリエにナイフを渡し、床に引かれた3本の線のうち、一番的に近い線の後ろに立ってナイフを的に向かって投げるように伝えた。


アマーリエは利き手の右手でナイフを投げたが、ナイフは的のかなり前に落ちてしまった。右手を負傷したら左手を使わなくてはならないので、アマーリエは後遺症のある左腕でもナイフを投げてみたが、ナイフはもっと手前、彼女のたった1メートルぐらい前でガシャンと音を立てて落ちてしまった。


アマーリエは、左腕と左肩の機能回復訓練を再開し、侍医が機能回復をある程度認めて右手でナイフが的に届くようになってから、左手での訓練を始めることになった。落馬事故からしばらくの間、アマーリエは公爵家主治医の下で左腕と左肩の機能回復訓練を行っていたが、あまり効果が見られず、王妃教育が開始されてからは忙しくて完全に中断していた。だがジークフリートのために何でもできることはすると決めた以上、何が何でも弱点を克服すると決意を新たにした。


アマーリエは右手で10回ほどナイフを投げたが、いずれも的には程遠かった。仕舞いには右腕が痺れてきてしまい、最後の投擲では初回よりもナイフがずっと前に落ちた。


その後、ナイフと拳銃を入れるホルスターをそれぞれ太腿に着用し、歩いて別の家に移動したが、ホルスターの重みと違和感でアマーリエは疲労困憊してしまった。


別の家に到着後、ジルヴィアは拳銃を壁の的に向かって撃ってみせ、見事に真ん中を撃ち抜いた。深窓の令嬢であるアマーリエだけでなく、現代の女子大生アメリーも拳銃など触ったことすらなく、アマーリエは銃身と銃倉の間から漏れる煙と射撃の轟音に怖気づいてしまった。


この時代には、まだ排莢や次弾装填を自動化した半自動銃(セミオートマチック)は発明されていないので、ジルヴィア達諜報員が使うのは回転式拳銃、別名リボルバーである。使用している拳銃はダブルアクションなので、トリガーを引くと、撃鉄が通常位置から撃発準備位置まで後退してそのまま射撃できる。


ジルヴィアがアマーリエに右手で拳銃のグリップを持たせ、試し撃ちさせると、撃った反動で銃身が上に跳ね上がってしまった。アマーリエの拳銃には、弾丸の入っていない空包が入っており、反動がなくなるまでは空包を使うことになった。だが空包でも怪我の危険が全くないわけではない。


両手でグリップを持つと拳銃が安定して命中率が高まる。しかし諜報員は素早く撃たなくてはならないことが多く、その場合は両手でグリップできないこともある。だからアマーリエは両手だけでなく、右手でも左手でも片手グリップでも的に当てられるように射撃練習することになった。ただし左手での練習は、左腕と左肩の機能回復訓練の後に開始する。


2人は上階のロフトへ移動し、ジルヴィアは家の入口に立てかけた人型にナイフを投げたり、射撃したりして見せた。だがここからの訓練は、立ち姿勢でナイフ投げや射撃ができるようになってからになる。


これで今日の練習は終わりと聞き、アマーリエは緊張の糸が途切れて突然身体が鉛のように重くなってその場に崩れ落ちた。気が付いた時には、公爵邸の自分の寝室で横になっていた。


アマーリエは、その後もジルヴィアと訓練を続ける一方、侍医の下で左腕と左肩の機能回復訓練を行い、数ヶ月後にアマーリエは左腕を肩よりほんの少し上に持ち上げることができるようになった。そこで左手でのナイフ投擲や射撃の練習を開始したが、苦手意識は拭えなかった。その他、アマーリエは武器を使わない体術での攻撃や守りの練習も開始し、暗器や拳銃の手入れも自分でするようになった。


諜報員には攻撃や守りだけではなく、情報収集も重要だ。その手段としてアマーリエは、野営や食料の入手方法、変装の仕方、鍵の開け方など色々身に着け、乗馬も上達した。人に不信を持たせずに雑談から情報を引き出す話法も、アマーリエはジルヴィアと練習し、訓練開始から1年後には立派な諜報員に仕立て上げられた。


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文字数の関係で取り下げた話があります。何度も訂正したり、投稿済みの話を入れ替えたりして読みづらくなってしまってすみません。


幕間3「お忍び旅行」、幕間4「運命の出会い」、幕間5「王妃と愛人」の代わりに、この3話をまとめた幕間3「王妃の侍従」を投稿しました。取り下げた3話は、コンテスト終了後にヘルミネの番外編として公開する予定です。


当初第11話「高級娼婦カトリン」と第12話「ツヴァイフェル伯爵令嬢」として投稿していた話を第11話「ジークフリートの情報収集法」としてまとめました。


閑話「ルプレヒトにも春が来る?」は文字数の関係で取り下げました。コンテスト締め切り後、できたらルプレヒトとジルヴィアの番外編として他のエピソードも加えて公開したいと思います。

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