公爵令嬢は悲運の王子様を救いたい

田鶴

本編

第1話 悲劇の王太子

 300人は入ろうかという講義室の最後列でアメリーは船を漕いでいた。


「……アメリー、アメリー!」


 隣に座った友人がアメリーを肘でつついて囁いた。


「ん……何?」

「ヤバイよ、教授がこっち見た!」

「大丈夫だよ。一番後ろなんだよ?」

「前から見たら、うちら丸見えなんだよ」


 講義室の席は段状になっていて最後列は一番高い。だから前にいる講師からはかえって見えやすい。


「もうどうでもいいよ。ソヌス共和国史なんて興味ない」

「でも必修だよ」

「そうだよね……」

「そこ! 私語は止めなさい!」


 2人がコソコソ話しているのが教授の癇に障って怒鳴られ、アメリー達は慌てて口を噤んだ。


 アメリーは出身地の旧アレンスブルク王国の歴史に深い興味を持っていても、王国を併合したソヌス共和国--当時はまだ王国だったが--の歴史には興味がない。でも今年入学したソヌス国立大学の歴史学科では、ソヌス共和国史が必修だ。これを落とせば、来年、希望するアレンスブルク王国史のゼミに入れない。それが分かっていても、アメリーは単調な教授の授業にどうしても興味が持てない。


 アメリーは、愛読書の『アレンスブルク王国史』をバッグから取り出し、授業を聞いている振りをしながら本を開いた。この本は高名な歴史学者が一般向けに書いた歴史書で、中身は王国の成立から始まり、150年前まで隣国だったソヌス王国の革命にアレンスブルク王国が呑まれるまでの歴史を扱っている。ソヌス王国は革命の後、アレンスブルク王国を併合し、ソヌス共和国と名を変えて現在に至っている。


 王国史を開くと、ある特集ページが自然に開く。アメリーはこの特集を何度も読んでいるので、本に開き癖が付いている。


『悲劇の王太子ジークフリート』


 白黒写真でも分かる色素の薄い髪と瞳、白い肌。すっと筋の通った鼻と微笑みをたたえた形のよい唇。勲章を沢山付けたうら若く麗しい王太子の正装姿は、アレンスブルク王国フリークでなくとも誰もが知っているぐらい有名だ。この写真が撮影された後まもなくジークフリートは心中事件で命を落としたとあって、写真を見る者の心に切ない感情を掻き立てる。


 ただ、彼の評価は相反している。彼は男女を問わず多くの浮名を流した末に、結婚直前に婚約者ではない男爵令嬢と『真実の愛』を見つけて心中した。恋愛面では、婚約者に不実な男性と彼を非難する意見か、政略結婚に囚われて『真実の愛』を生きて全うできなかった悲劇の主と考える意見に分かれる。


 アメリーはジークフリートをとてもかっこいい美男子とは思うものの、貞操観念に関しては共感を持てず、複雑だ。ただ、当時も一夫一妻制ではあったが、男性に求められる貞操は女性に求められるものよりもずっと低かったから、当時の価値観としてはあり得るのだろう。


 政治面ではジークフリートに対して厳しい意見が多い。当時の厳しい政治情勢や財政逼迫にもかかわらず、王太子がそのような放蕩に耽り、アレンスブルク王国は隣国に飲み込まれた。ソヌス共和国から今も分離を主張するアレンスブルク愛国主義者・懐古主義者達の中で特にそのような批判が多い。


 彼の心中事件をきっかけにアレンスブルク王国崩壊までドミノ倒しのように次々と問題が勃発した。唯一の世継ぎを亡くした国王は妾腹の王弟を王太子に据えたが、その王弟の評判は散々で国内で大反発が起きた。終いには王弟一家や王妃まで暗殺されてしまった。そこから隣国の革命派がアレンスブルク王国まで勢力を伸ばして王制を倒すに至るまで10年とかからなかった。


 その革命の混乱の最中、ジークフリートの父であった国王は革命軍に殺され、多くの貴族が、自称革命軍か革命に感化された領民に嬲り殺しにされた。生き残った貴族も新生ソヌス共和国で財産を没収され、ほとんどが没落した。


 当時のきな臭い政治情勢から、心中事件は革命派の陰謀だったのではないかと疑問視する見方もある。そういう視点からは、ジークフリートはことさら悲劇の王太子として強調して見られる。今も心中事件の真相は謎に包まれたままである。


 アメリーがジークフリート王子のことを考えているうちに、いつの間にか退屈な授業は終わっていた。隣に座っていた友人はアメリーに別れを告げて慌ただしく次の授業へ向かった。


 残されたアメリーは歴史書のジークフリートの写真に再び目を向けた。


「こんな若くして死んじゃって……どうして人生を全うしようって思わなかったの? 政略結婚だって死ぬよりましじゃない? 結婚してみれば案外打ち解けられたかもしれないのに……」


 アメリーは白く細い指でジークフリートの写真の頬をそっと撫でた。本を閉じて大切にバッグに仕舞うと、次のコマが空き時間のアメリーは友人達との待ち合わせ場所に向かった――まさかそこで事故に遭って意識不明になるとは思わずに――

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