第32話 推しの幸せ

「もう一度言う。ここで手を引け巻村。もうこれ以上手を汚すな」


 真っすぐに巻村を見つめる。


「さもないとお前……本当に取り返しがつかなくなるぞ」


 巻村は紙を1枚1枚めくり、最後まで読み終えると薄笑いを浮かべた。


「すごいね……どうやって調べたの?」

「否定、しないんだな……」

「ここまで証拠を出されたらさすがに否定できないよ」

「それでも……俺は否定して欲しかったんだよ!」


 巻村がやったことを全部知らされた。腸が煮えくり返るくらいの怒りが湧いた。だけど、それを信じたくない俺もいた。だって……巻村の星宮を想う心は本物だと思っていたから。まさかそんなことしないよな……そう思いたい心が残っていた。


 だけど、巻村はいつも通り爽やかに微笑むだけだ。


「お前……自分のしたことがわかってるのか!?」

「もちろん。ひかりの孤児院に寄付をしている企業に圧力をかけて寄付を取りやめさせた。そして、孤児院を救うことを条件に僕と付き合ってもらった」

「え……それ……どういうことなの……巻村君?」


 まるで初めて聞いたことがあるかのように、星宮は戸惑いを隠さずに巻村を見つめる。おそらく、前半の部分を巻村は秘密にしていたんだろう。マッチポンプを自ら暴露するアホなんていないからな。


「ごめんねひかり。実は、孤児院の寄付を止めさせたの、僕なんだ」


 謝っているけど、まるで悪びれる様子はない巻村。


「な、なんで……そんなことを……」


 信じられないと言った様子で星宮は呆然として立ち尽くす。


「そうすれば、ひかりは僕のものになってくれるでしょ?」

「どう……して……そんな酷いこと……」

「酷い、か。僕だって本当はここまでしたくなかったんだよ」


 目に大粒の涙を浮かべた星宮に、巻村は申し訳なさそうに笑いかけた。


「でも、そうしないとひかりは僕のものになってくれないでしょ?」

「そんなことのためにここまでしたのか……?」

「僕にとってはそんなことじゃないんだよ」

「巻村……お前……」

「言ったはずだよ御門君。僕は使えるものはなんでも使うって」

「その結果がこれか?」

「そうだよ」

「お前が俺に語った想いはなんだったんだ? 本気で好きならこんなことしないだろ!」

「本気で好きだから、ここまでしてるんだ」

「巻村……!」

「……御門君。君はひとつ勘違いしている」

「勘違い?」


 巻村は横目で星宮を一瞥する。


「この状況を受け入れたのはひかりだ。全部、彼女が決めたんだよ」

「……」

「僕は、なにひとつ強要していない」


 瞬間、俺の中で何かが切れた。


「こんの……バカ野郎が!」


 気づいたら、俺は巻村の顔面を全力で殴っていた。


 全身の力を乗せるように、本気の拳で。


「お前! 自分が何を言ってるのかわかってんのか!」

「そう怒らないでよ……事実、選んだのは彼女だ」


 そのまま胸ぐらを掴んで叫べば、巻村は苦しそうに口を開く。


「選ばせたんだろ! お前が!」


 怒りで燃える脳内に浮かび続けるのは、孤児院で話した星宮の姿。


 どこか儚げで、間違っているとわかっていても切実だった彼女の本音。


「星宮がどんな思いでその選択をしたのか、お前本気でわかってんのか⁉︎」


 自分と孤児院。それを天秤にかけて、どちらかしか選べなくて、彼女は答えを出した。失うことを恐れている彼女が取れる、唯一の選択。選ばざるを得なかったその選択を。


「嫌なら断ればよかったんだ。その選択だってあった」

「星宮はそれができねぇんだよ! 本気で好きならそれくらい知っとけよ!」


 投げ捨てるように巻村を突き放す。


 失うことを極端に恐れている星宮が孤児院を見捨てられるわけがない。失いたくない場所を自分のためだけに捨てられるわけがねぇんだよ。


「お前は……やっていいことと悪いことの区別すらできねぇのかよ⁉︎」

「むしろそれなら好都合だったよ。確実に僕の物になってくれるんだからね」


 乱れた制服を整えながら、巻村は闘志の籠った目で俺を睨み返す。


 自分の正しさを疑わない、純粋な目だった。


「なぁ……頼むからこれ以上俺を失望させないでくれ……」

「失望? 御門君が勝手に僕を決めつけただけだろ? 僕は欲しいものを手に入れるためなら、使えるものは何でも使う」


 お前……それは本気で言ってるのか? 証拠を突き付けられて自暴自棄になってるだけなのか? 落ちるところまで落ちたら、お前本当に終わっちまうぞ?


「……大馬鹿野郎が。なんで一番大事なところに気づかねぇんだよ……」


 でもそれは、俺も一緒か。


 今は巻村に何を言っても無駄だ。なら、先に星宮を救い出す。


「星宮……もう一人で頑張らなくていい。無理しなくていいんだ」

「でも……私が頑張らないと孤児院が……」

「そうだよ。ひかりを僕から解放するなら、僕は孤児院への寄付をやめる。そして、孤児院へ寄付をする企業には圧力をかける。ひかりか孤児院、両方を救う手段は僕が潰す」

「お前は黙ってろ……俺は星宮と話してんだよ」

「……」


 そんな不貞腐れた顔もできんだな巻村。こんな時でもイケメンなのが鼻につく。


「……巻村君の言う通り。どっちも救えるなんて、そんな奇跡みたいなイベントそう簡単に起こらない。だからね、これは仕方のないことなんだよ」

「全部巻村に仕組まれていたとしてもか?」

「正直、かなり堪えたよ。でも、どの道結果は変わらないもん」


 星宮は諦めたような儚い笑みを俺に向ける。


 星宮の中で、この状況は自分で決めた最善手なんだ。全部を手に入れられないなら、最小限の犠牲で大切なものを守る。その犠牲を自分がやれば、誰も悲しむ必要がないから。星宮以外。


 そして、その背中を押したのは俺だ。


 あの日、星宮に決心させたのは、間違いなく俺の言葉だった。だから、


「なら……それでも俺は星宮を助ける方を選ぶよ」

「そうしたら孤児院は守れないよ……」

「べつに、星宮だけが孤児院を守らなきゃいけない理由もないだろ?」

「え……?」

「自分にできないことは誰かに任せればいいんだ。全部お前が抱える必要はない」

「でも……」

「見切るのが早すぎるんだよ星宮は」

「だったら……私はどうすればよかったの!?」


 目に涙を溜めた星宮が苦しそうに叫ぶ。


「朱姉だって、シスターだって、必死に色んな所へ掛け合ってるのを見ちゃったんだよ! でも、結果は変わらなかった! なら、私が頑張るしかないじゃん! あの場所を守りたいって気持ちは私も同じなんだから!」


 必死に、星宮は自分の想いを吐露する。


「自分を犠牲にしてもか?」

「そうだよ! それしかないなら私はそれを選ぶ! 大切な場所を失うくらいなら、私は私を犠牲にできる! 大切がなくなるより、そっちの方がいい!」

「それは間違ってる」

「そんなの私もわかってるよ! でも、もうこれしか道はないの! 簡単に言わないでよ! 私だって考えて選んだんだよ! それに、後悔しない方を選べって言ったのは御門君だよ! だから私は……!」

「そうだな……だからこうして俺は自分の言葉に責任をもって助けに来たんだ」

「御門君は何が不満なの!? これは私が選んで、望んだ結果なんだよ!?」

「それだと、星宮が幸せになれない」

「っ……」


 俺の言葉を聞いて星宮がたじろいだ。


「それだと、星宮が幸せになれない」


 もう一度、そっと優しく寄り添うように星宮へ語りかけた。

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