第23話 二人の時間

「あっ……あっ……」


 片足が完全に機能不全に陥り、俺の動きは壊れた機械、または生まれたての小鹿のように歪な動きをする。つまるところ、足が攣った。


 普通に痛い! やばい! そうしてもう片方の足に全ての荷重がかかると、反対の足から悲鳴が聞こえて来た。


『ボス……俺はもう限界だ……』


 早まるな左足。お前まで死んだら俺が動けなくなるだろ!


 くっそ……クソガキの悲鳴を聞くはずが俺の足が先に悲鳴を上げやがる。


 これが普段運動をしていない報いだと言うのか。得意技、暗躍とか舐め腐ったことを考えてフィジカルを鍛えなかった俺への当てつけだと言うのか!


「はははははは! 兄ちゃん走り方気持ちわりぃ!」

「このクソガキ……ハンデをあげているとなぜ気づかないかぁ!」

「はははははは! 捕まらないもんねー!」

「待てやごらぁ!」


 社会の厳しさを教えるとか、そんなんもうどうでもいい。


 とにかく、バカにされたままで終われるかってんだよ!


 相手は小学生かもわからない子供だ。それにムキになってる俺もある種同レベルの存在であるけど、争いとは残酷なもの。見せてやるよ……高校生の死にもの狂いってやつをな……!


 俺は子供たちを追いかけた。


 追いかけた。追いかけた。追いかけた。追い付けなかった。


 片足が使えないハンデ。さらに本気を出し過ぎたら死ぬと自己申告しているもう片足。


 そんなハリボテの装備で勝てる程子供たちの足は遅くない。そして体力も無尽蔵である。


 戦えば戦う程に、俺の力は削がれ、やがて力尽きてその場に倒れ込んだ。


「はぁ……はぁ……」

「兄ちゃん弱すぎ! 俺が鬼変わってやるから休んでなよ!」


 倒れ込んで呼吸を荒くする俺に、少年が自分からタッチされに来た。


「万全の状態だったら絶対に皆殺しにできた……」


 そう、今日はね、コンディションが悪かっただけ。


 許さんぞ少年。この屈辱……寝るまで忘れないからな! うーん、負け犬。


「あとはお前に託した。俺の分まであいつらを捕まえてくれ」

「任せて! お手本を見せてやるよ兄ちゃん!」


 俺からバトンタッチを受けた少年がみんなのところへ駆けていく。


 鬼ごっこでお手本を見せられるほど屈辱的なことはない。だって相手を捕まえるだけだぞ? お手本もクソもねぇだろ。とは言え今日の俺はそれすらできなかった負け犬。ただ苦虫を噛み潰しながら楽しそうな少年たちの声を聴く。


「なぜ……俺はこんなことをしてるんだ」


 ふと冷静になると、あまりに意味不明だった。


 塩見に連れられて孤児院へやってきて、そこになぜか星宮がいて、気づけば少年たちと鬼ごっこをして、完膚なきまでに敗北した。怒涛の展開が過ぎるぜ。最後が負けで終わってるのも最高に悔しい。


 見上げる空。太陽が眩しい。このまま倒れ続けるのはあまりに無様なので、俺はそそくさと木陰に座って成り行きを見守る。


 そうして羽を休めていると、我が女神、星宮ひかり嬢が可愛らしく駆け寄って来た。近寄ってくるだけで可愛いの反則では?


「お疲れ様。足、大丈夫?」


 その優しさが嬉しすぎて涙が出そう。出ないけど。


「ま、だいぶ落ち着いたよ」


 休みながら足を延ばしていたからだいぶ復活した。


 走り回ったら再発するかもしれないけど、歩く分には申し分ないだろう。


「勝てる戦しかしないんじゃなかったの?」

「やる前は勝てると思ってたんだよなぁ」

「これ、お水」


 心配そうに俺の足を覗きながら、星宮は足りない水分を渡してくれた。


「サンキュー」

「ごめんね、無理させちゃったかな?」


 あんな醜態を晒せばこんな反応になるわな。子供は無邪気だから気づかないけど、星宮は一発で何が起きたかわかっただろう。だからこそ心配になって俺のところに来たってわけだ。はぁ、その優しさが女神。


 その心遣いだけでまだ飲んでないけど、もうミネラルが補充されそう。


「子供たちが楽しそうにしてたからいいよ。名誉の負傷ってことにしとく」

「はは、御門君らしい感想だ」

「俺らしいとは?」

「子供に煽られてムキになったフリをして、全力で楽しませようとしてくれたところ」

「買い被り過ぎだ。俺は本気で奴らに高校生の力を見せつけてねじ伏せるつもりだった」

「ふふ、そういうことにしておくね!」


 星宮は笑いながら、ゆったりと俺の隣に腰かけた。


 心配ついでに、なにか話すことがあるから座ったのかと思ったけど、星宮はただ隣にいるだけで何も話さない。


「……なにも訊かないんだね?」


 やがて、そんな言葉を漏らす。


「なにを?」

「なんで私がここに居るのか、とか」


 こちらを伺うような視線。


 まさか星宮からその話題が出て来るとは思わず、俺は面を食らってしまった。


「訊いていいなら今にでも訊くけど?」

「正直だ」

「それが取り柄なもので」

「あ、嘘つきだ」


 星宮はケラケラ笑う。嘘を吐いたつもりはないんだけどなぁ。


「でも、軽々しく話したいことでもないんだろ?」


 俺がそう言えば、今度は星宮が面食らったような顔をする。


「どうしてそう思ったの?」

「なんとなく。話したいならとっくに話してんだろって思ったから」


 それに、聞かなくても当たりはついてるし、それが正解だと思ってる。


 だからこそ、この話題は触れたくても簡単に触れて良い話題じゃないような気がした。


「これは俺からずけずけ聞いていい話題でもないと思ってるから、どこまで踏み込むか迷ってる」


 ぶっちゃけ好奇心はあるし。星宮のことはちゃんと知りたいし。


「そっか……」

「俺さ、最近星宮について新しく気づいたことがあるんだよ」

「なにかな?」

「星宮って、意外と毒を吐くよな」

「それはきっと御門君にだけだよ」


 星宮は伸ばしていた脚を抱えるようにして座りなおす。


 これがスカートなら、女子の神秘に目が引き寄せられてしまうが、生憎今日の星宮はパンツスタイル。


 スカートだったらクソガキに覗かれるかもしれないもんな。制服だったら俺のセンシティブな理性が崩壊してるところだった。


 誰だって一度は夢に見るだろ? 制服姿の可愛い女子が、スカートを抱えながらこっちを見て笑う絵を。あぁ、俺は今青春の真っただ中にいるんだって、そう思う瞬間を。


 でも、私服姿もそれはそれであり。普段寮で見る私服とはまた違ってこれもまた至福。


 なんて脳内で戯言を唱えている間、星宮は何も話さなかった。


「御門君の隣は……いい感じに落ち着くから、気が緩んじゃうんだね」

「そういうこと言うと勘違いする男が出るからやめた方がいいぞ」

「御門君くらいだよ。こんなこと言うの」

「そういうこと言うと勘違いする男が出るからやめた方がいいぞ」

「急にボットみたいになったね」

「俺自身が勘違いしないための戒めでもある」

「へぇ……勘違いしちゃうんだ?」


 そう言って、星宮は意地悪な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込む。


 うっ……顔が近い。え? この前と違うめっちゃいい匂いがする。今日は森の香り? 違う。


「いや……あの……星宮さん?」

「どう? ドキッとした?」


 いたずらっぽく笑う星宮に力が抜ける。


「あと少し距離が近かったらやばかったな」

「もう少し近づいてみる?」

「どっちでも。それで、本題は?」


 言えば、星宮は面食らったような顔をした。


「話したいことがあるから、俺のところまで慰労に来てくれたんだろ?」

「……察しが良すぎる男の子は嫌われちゃうよ?」

「それで嫌われる世界はあまりに悲しいな」

「むぅ……御門君は、道端で困ってる人がいたら助けるタイプ?」


 突然、そんなことを言ってくる。なんの脈絡もなく、唐突に出された質問。


 どこか他人行儀で始まったけど、こういうのは往々にして本人の話題である。


「つまり、いま星宮は何か困ってると?」

「え……?」

「そういう話じゃないのか?」

「……それは」


 いきなりゴールを狙ったせいか、星宮はまだ心の準備ができていないようだった。


「タッチ!」


 突如割り込まれた言葉。見れば子供の一人が星宮の体に触れていた。


「姉ちゃん! まだ鬼ごっこは終わってないぞ!」

「……動かない敵を狙うとは……みんなには一度正しさを教育する必要があるね!」


 そう言って、星宮は鼻を鳴らしながら立ち上がる。


「ごめん、変な話しちゃって。今のは何でもないから!」


 星宮は勢いよく立ち上がり、「まてぇ!」と声を上げながら子供たちを追いかけ始めた。


「残念なことに、それが信じられるほど俺は純粋じゃないんだよな」


 考えようによっては、星宮は俺の追求から逃れたようにも見える。


 まぁ、後で聞いてみるか。ここまで来て、なんでもないはお預けが過ぎるぜ。


 しばらく推しを眺める幸せを享受していると、今度は別の人影がふたつやってきた。

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