第4話  サラマンダー

「サラマンダー……とうとう温めていた計画を始動するときが来たぞ」


 放課後。俺は学園の一角にある研究室へ赴き、デスクで黙々と作業する女子へ話しかけた。


 サラマンダー。火を司る意味では間違っていないが、決して精霊ではない。ちゃんと人間の形をしている。


「……初耳なんだが?」


 当の本人はこちらに顔を向けずに答えた。自分の研究にご執心のご様子。


 首の辺りでひとつに結ばれた青い髪が目に入る。そこまで長くはないけど、結んでいないと邪魔だから結っているらしい。


「何言ってんだよ。前から話してただろ? 推しの幸せを全力で成就させる計画だよ」

「あぁ……あの戯言は本気だったのか……」


 どことなく呆れたように聞こえる。


「戯言ってな。俺はそのために生きていると言っても過言ではないぞ?」

「過言であって欲しいと祈るばかりだ。生きる理由にしては寂しすぎないか?」

「目的なんて人それぞれだろ。お前が科学に命を懸けるのと一緒で、俺は推しの幸せに命を懸けてるんだよ」

「……私にはよくわからんな」


 話しながら、俺はカバンから本を取りだして目を通す。


「推しというのは、件の星宮ひかり嬢のことか?」

「当たり前だろ。俺はそれ以外の女に興味はない」

「だったら尚更理解に苦しむな。自分で推しを幸せにしようとは思わないのか?」

「思わない」


 即答する。


 サラマンダーは椅子を回転させ、今日初めてこちらを向いた。


 理知的な要素を感じさせる眼鏡。白衣を纏っている姿はいかにも研究者って感じがする。


 火狩依更(かがりいさら)。通称サラマンダー。呼んでいる人間は俺しかいない。


 このゲームにおけるヒロインの一人であり、ゲーム進行上における都合のいい道具を作成してくれる存在。公式HPの……以下省略。


 ただ、頭のネジは何本か親のお腹の中に置き忘れている。


「俺より彼女を幸せにできる男を俺は知ってるからな」

「なら、そいつに勝とうとは思わないのか?」

「勝ち負けじゃないんだよ」


 その言葉にサラマンダーは首を傾げる。


「サラマンダー、お前は恋愛シミュレーションゲームを知っているか?」

「蓮介がよくやっているやつだな」


 蓮介とは、黒田のこと。フルネーム黒田蓮介。実はサラマンダーの幼馴染。今はいないけど、放課後はよくこの研究室へ足を運んでサラマンダーと時間を潰している。


 黒田は時折サラマンダーの実験の手伝いをしていたりもする。本人は渋々手伝ってあげている雰囲気をだしているが、それでもなんだかんだ律儀に手伝ってるから本当は嫌がってないと思う。あいつはドMだ。


 でも、サラマンダーがたまに作る謎の薬の実験台になる時だけは普段の3倍増しくらいで嫌がる。俺も実験台にさせられたからよくわかる。


 思ったことが全部口に出る薬の時はやばかったなぁ。


 ……話を戻そう。


「そう。そこには当然主人公がいて、ヒロインがいる」

「恋愛ゲームだから当然だな」

「俺はさ、そのゲームのプレイヤーなんだよ」

「……急に意味がわからなくなったんだが?」

「プレイヤーとは言わば物語の傍観者だ。主人公に道を示すことはあっても、プレイヤー自身が直接物語に関与することはない」


 恋愛ゲームにおけるプレイヤーは、言わば主人公の生き様を一番近くで眺めるポジション。主人公の選択に、時には共感し、時には疑問を抱く。それでも主人公が最後にどんな選択をするかを楽しみにして、物語を読み進める。


 推しのヒロインと主人公の恋愛も楽しみのひとつ。だが、それはあくまで主人公とヒロインの恋愛が主であり、ことプレイヤーが関与する要素はその実どこにもない。


 プレイヤーは物語の傍観者であり、決して主人公ではない。感情移入こそすれど、同一視してはいけない。


 俺は星宮ひかりが好きだ。銀河で一番愛していると自負している。


 しかし、彼女が好きだからこそ、俺みたいなしょうもない人間と付き合ってはならないという気持ちが生まれる。最愛の存在だからこそ、心の底から彼女の幸せを願えばこそ、相手は俺ではなく、もっと素晴らしい人間であるべきだと思う。


 だからこそ……。


「俺はそのポジションだ」

「つまり、君は星宮ひかり嬢が誰かと付き合って幸せそうにしているのを近くで眺めていたいと、そういうことか?」


 その言葉に頷く。だが一部語弊があるので、すかさず訂正を入れる。


「誰でもいいわけじゃない。俺が認めた男子しか許さん」

「……君はどういう立ち位置なんだ?」

「……父親?」

「今すぐ彼女の父親に土下座することを勧める」

「会えるものなら会って感謝したい。星宮を産んでくれてありがとうと……」

「……」


 サラマンダーの目が鋭くなった。知ってる。あれはゴミを見る目だ。


「しかし、傍観者を気取るなら、彼女が誰と付き合おうが傍観していればいいだろう」

「そうじゃねぇんだよなぁ。この純情な気持ちがわからない?」

「不純しかないだろ……悪いが、理論が成り立っていないように聞こえる」


 サラマンダーは科学者だけあって思考が合理性に寄っている。だから今の俺の感性がいまいち理解しきれないんだろう。まあ仕方ない。こればっかりは誰にでも理解できるものじゃないからな。


「理論とかそう言うんじゃねぇんだよ。これは気持ちの話だ。あの誰にでも分け隔てない女神星宮が、想い人を見つけて恋をして、その気持ちと向き合いながらも想い人の前で素直になれなかったり、恥ずかしがったり、嫉妬したり、やがて恋人になったり、普段は見せない一面を恋人の前では見せたりして、イチャイチャしてる姿を俺は見たいんだよ」

「君じゃない誰かとのを?」

「広義の意味ではそうなるな」

「君は……すごい趣味をしているな」


 サラマンダーは引きつった表情で俺を見る。


「爆弾作りが趣味のお前には言われたくないんだが?」

「なにを言う。爆弾は科学者のロマンだろう!」

「倉庫の壁をぶっ壊した女が言うセリフは違うなぁ」

「科学に実験はつきもの。あれは尊い犠牲だよ」

「それなのに停学で済んでんだから、やっぱお前は大したもんだよ」


 サラマンダー倉庫爆破事件。何を血迷ったか急に「科学は爆発だ」と芸術家も真っ青なとんでも発言をして本当に爆弾を作ってしまったサラマンダーが巻き起こしたアホみたいな事件。


 作った爆弾の威力を試すため、実験と称して空き倉庫付近で爆弾を使用したところ、あまりの威力に壁が破壊されてしまったというオチ。


 公には老朽化した壁が壊れたことになっているが、時を同じく原因不明の停学になっていたサラマンダーに確認したところ、本人が悪びれる様子もなく教えてくれた。さすがに罪悪感を持った方がいいと思ったのは俺だけじゃないはず。


 そしてその馬鹿でアホな素晴らしい功績を称え、以来俺はこいつをサラマンダーと呼ぶことにした。本人は少し嬉しそうだった。どうやらあだ名で呼ばれたことがないらしい。いや、いいのかそれで? 俺が言うのもアレだけど、名誉あるあだ名じゃねぇぞ?


「で、まだ爆弾作りしてんの?」

「当たり前だ。次はコンパクトと威力の両立を求めている」

「ニュースに名前が載らない程度にしとけよ?」

「そこまで行けば、逆に誉ある称号になるな」


 こいつ……完全に爆弾に魅了されてやがる。


 とは言え、爆弾作りなんて普通なら一発で退学になってもおかしくないことをしでかしているのに、彼女が停学処分で済んでいたのは、学園もサラマンダーが他を圧倒する技術者だと認めているからだろう。


 だからこうして専用の研究室まで用意されている。とても同い年の学生とは思えない。爆弾を軽々しく作れる学生がいてたまるかよ。


 わりとなんでもありな世界だよなぁ。常識が通用しないと言えばいいのか。


「ところで秋志。その本はなんだ?」

「ん? これか?」


 俺は手に持っていた本をサラマンダーに見えるように掲げる。


「恋愛心理学……なんの勉強をしているんだ?」

「人の心だな」

「わかったか?」

「わかんねぇから、それを勉強してるんだよ」


 星宮と塩見が恋人関係になり、イチャイチャしている姿を近くで見るのが俺の最終目的。そこに一切の迷いはない。ただ、それに至るまでには大きな壁がある。


 塩見が星宮へ、星宮が塩見へそれぞれ恋愛感情を抱かなければそもそも始まらない。


 恋愛とは双方、あるいは片方が好きの感情を持つところからスタートする。


 俺の見立てが間違いじゃなければ、塩見と星宮にはフラグのフの字も立ってない。


 なら、どうするか。俺が無理やりにでも恋のキューピットになればいい。


 ただでさえ星宮も塩見も肉食系動物に狙われているんだ。もう悠長に事態を静観しているわけにもいかない。


 だが、俺が恋のキューピットをやるには問題がある。


「ほら、こう見えても俺は女子との恋愛経験がないだろ?」


 人生で恋人ができたことのない人間が、どうやってキューピットになるのか。それは理論的に恋愛感情をマスターして導くしかない。だから最近恋愛心理学の勉強を始めた。


「どう見てもないの間違いだろ。見栄を張るな」

「少しくらい見栄を張らせてくれよ……」

「事実を指摘したにすぎない」

「お前そんなんだから友達少ないんだぞ」

「ふん……友達など二人いれば十分だ」

「俺と黒田しかいないじゃん……」

「私にはそれだけで十分だ」


 サラマンダーは毎日この研究室で過ごしている。訊けば、学園の勉強はつまらないしもう全部覚えたから受ける必要がないらしい。現にテストの成績は常に学園トップ。そのせいか、学園から授業を免除されており、この研究室で日夜好きな研究を行っている。


 クラスに顔を出してもいいはずだけど、サラマンダーはどうやら人間が多く集まる場所は嫌いらしい。行ってもやることがない。とか言ってずっとここに居る。


「数より質だ。上っ面だけの友達などいるだけ時間の無駄だよ」

「……」

「なんだ? そんな呆けた顔は?」

「……サラマンダーって俺たちのことそんなに大切に想ってくれてたのかぁ、って顔」

「……口が滑った。忘れてくれ」


 サラマンダーは立ち上がってインスタントコーヒーを作り始めた。


 それは恥ずかしさを誤魔化すように見えた。だって顔がちょっと赤いから。


 人間に興味がなさそうなサラマンダーは、俺たちのことも体のいい実験動物くらいにしか思ってないと思ったんだけど。意外だったな。いい意味で裏切られた気分だ。


「じゃあ、そんな数少ない友達からお願いがあるんだけど?」

「なんだ? 爆弾なら今新作を開発中だからあげないぞ?」

「いらねぇよ。貰っても使い道がないだろ」

「じゃあなんだ?」

「あのさ、惚れ薬作ってくれね?」

「惚れ薬?」


 サラマンダーはそう言って出来上がったコーヒーを口に含んだ。


「ああ……ちょっと無理やり恋心を芽生えさせられそうな薬を作れないか?」

「君は私をなんだと思ってるんだ?」

「天才科学者」


 きっぱりと言い切れば、サラマンダーは目を丸くして固まった。


「お前ならできると思って頼んでる」

「ふむ……考えておこう。新薬作りは研究の息抜きに丁度いいしな」

「さすがサラマンダー。愛してるぜ!」

「んなぁ!?」


 サラマンダーは突然口に含みかけたコーヒーを噴き出した。


「きたなっ! 何してんだよ!?」

「き、君が突然おかしなことを言うからだろう!?」

「は? なにもおかしなことは言ってないだろ?」

「あ、愛してるとか言ったじゃないか!」

「冗談に決まってんだろ。俺は星宮以外の女に興味はない」

「……」


 サラマンダーの目から光りが消えた。


「そうだった……君はそんな奴だったね……」

「さ、サラマンダー?」


 どうした? 怪しげな黒魔術の儀式を展開できそうな負の力を感じるんだが?


「惚れ薬……いいな……ちょっと本気で作ってみるとしようか……うん」


 小声で呪詛のように何か呟くサラマンダー。


 な、なんだかよくわからないけどサラマンダーがやる気を出したようだ。


 何はともあれ、あいつが本気を出すのであれば、あとは任せて大丈夫だろう。


 その間に、俺の方でも打てる手は打っておくか。

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