第 25 話 首相官邸奪還作戦 ―伍―


 サッ、と風が吹くほどの俊敏な動きで、クレハは先頭を歩いていたアイーシャよりもさらに前に出た。


 迫りくるは魔力マナで固められた魔力弾。その嵐。


 地下を通って逃走した『頭脳ブレイン』を追いかけたところ、それは彼女達をこの空間に誘い込むための罠だった。魔力マナが発する僅かな光で解ったことだが、どうやら今いるこの場所は、彼女達が歩いてきた通路よりも天井や奥行きも広く作られたひとつの部屋のようだった。何かを作業するための設計か。とにかく、『頭脳ブレイン』はこの戦いやすいフィールドで分身体を可能な限り複製して待ち伏せしていたようだった。


 だが、この行動。どうにも過去の『頭脳ブレイン』とパターンが当てはまらない。『頭脳ブレイン』と言えば、戦闘は脳を共有した『ソルジャー』に任せている間に逃げに徹するような戦法を取るのが基本だった。それが、今回は異なり、魔法の行使も、ここまで敵の排除に積極的な『頭脳ブレイン』は初めてだった。


 本能的な反応か、はたまたか――それは解らないが、クレハは解らずとも行動を起こした。


 四方から覆い尽くさんとする魔力マナの弾幕に、彼女は二人を庇うように迅速な一挙手一投足で剣を鞘から抜いた。


「明鏡『覇王花カンナビ』」


 鞘から引き抜く加速力と刀身を振り抜く遠心力。そして、そこに魔力マナを込めることによって人力では到達し得ない速度とパワーが累積された。日本の抜刀術が眼前を切り裂く一閃ならば、彼女の剣技は周囲を一瞬にして一刀両断にする回転。まさに大きな花弁を開くラフレシアの如く、無数に生み出された魔力弾を切り落としていった。


 クレハの持つ剣は、見た目こそ西洋剣、特に様々なゲームのモデルとなっているロングソードを想起させるシンプルなデザインをしていたが、その中身――重量や切れ味は、両手剣や大剣の性質に近かった。圧倒的な重量で、切るのではなく断つ。クレハの剣は、『ヘルミナス王国』でも一二を争う重さを誇る鉱石を加工されて作られたもので、それを彼女の魔力マナと技巧で日本刀のような切れ味の良さを引き出していた。

 魔力マナを切る芸当も誰もができるものではない。魔力マナとは液体に近いものであり、全身を駆け巡りながらも、形状や質感、強度や大きさは、『魔法』という銘々の器によっていくらでも変容できる。さらには、魔法によってはその法則性すら変わってくる場合もあり、例え斬る技術力を持っていたとしても、決まった手順があるわけではなく、一長一短なところが多かった。


「電光石火『菊花パラスティール・六連』」


 そんな関門を、クレハの剣は、多少なりとも突破しやすい作りをしていた。クレハが剣を振り回した際に発生する重さが累積した風は、砥ぐことも難しい鉱石の加工品の代わりに触れた者を八つ裂きにする。その鋭さは、クレハが培ってきた剣術に比例して強化されていた。


 だが、


「ちっ」アイーシャは舌打ちを鳴らした。「流石のクレハでも、この弾幕を防ぎ切ることは難しいか……!」


 人の技を優に越えた剣さばきで、次々と迫ってくる魔力弾を切り落とすクレハ。その顔が、彼女にしては珍しく感情を垂れ流した。隙間なく群れをなす魔力弾が彼女の頬や脇腹を掠める。かろうじて直撃を避けたものの、着々と押されつつあった。彼女の口元が苦々しげに歪んだ。


「ッ……!」そのとき、クレハの太刀筋が僅かにブレた。


 休む間もなく剣を振り続けた負担が、その瞬間に決定的な牙を向いた。それは、常人には見分けることも難しい、砂漠から一粒の砂金を見つけるような粗探しではあったものの、剣技とは、その使い手によって完成された型があり、その剣筋が僅かでも乱れてしまうとその後が続かなくなる危険性がつきまとっていた。

 魔力弾は、その一秒よりも狭い幅で出来上がった穴を通り抜け、剣を振り抜いてしまったクレハに到達しようとした。


「ハァッ!!」そこに、アイーシャの拳が横から割り込み、クレハに届く前に魔力弾を殴り落とす。


「アイーシャ……!」


「ハッ! ワンマンプレイが許されると思うなよ。テメエは、自分で思ってるより一人でなんでもできるわけじゃねえんだからな!」


 オラ、と威勢よく魔力弾をはたき落とすように殴るアイーシャ。飛んでくる方向とは逆側から力を加えて相殺させる、正真正銘の力業。単純な魔力マナの塊だからこそなし得る防ぎ方だった。これが、魔力マナが込められた『魔法』だった場合、いくら強化された腕部と言えど、アツアツの鍋に触れて火傷する分には強化も関係ないのと同じように、ただでは済まなかっただろう。


 絶え間ない魔力弾を拳の連打、遠いものには足を伸ばし、その身体に直撃する事態を防いでいく。


【――ΩΣ?▪!】


 崩れかけていた防衛が、再び形を取り戻そうとしている。そのことに、痺れを切らしたのかまでは解らないが、『頭脳ブレイン』も今のままでは敵を倒せないと判断したのだろう。


 突如、何も空間にもう一体の『頭脳ブレイン』が出現した。


「なっ!」アイーシャは愕然と眼を見開いた。「野郎、まだ分身体を増やすつもりなのか!?」


 分身をさらに複製することによって、魔力弾を撃つ要員をさらに追加する。解りやすい脅威度が上がった。しかし、彼女が眼を剥くまで驚いた理由は、そこからではなかった。

 それは、『頭脳ブレイン』が魔力マナの消費に躊躇いがなかったことだった。『分身』の魔法は、当然ながらその身体を複製するのに自身の内包する魔力マナを使う。しかも、寸分違わない姿を再現するのだから、それ相応の魔力マナを支払わなければならないのは想像に難くない。その上、本体は分身体に攻撃を強制させている。魔力弾を練るための魔力マナは分身体の一部から消費させているとしても、その身体を維持するための魔力マナと攻撃に転用するための魔力マナ、その二つの分は本体から割かれているのだから、魔力マナが機体を動かしているエネルギー源である『マキナ』からすれば、寿命を代償にしているものだ。

 それが、逃げ腰だった過去の『頭脳ブレイン』の行動パターンとやはり当てはまらない。

 まるで、此度の戦いが最後だと理解しているかのように。決死の覚悟を見せていた。


「分身体はいずれ魔力切れを起こして、勝手に消えるが……」

「これじゃあキリがない……!」


 二人の推論は、どこかに潜んでいるであろう本体にも同じことが言えるのだろうが、そこはランクAAに置かれているだけに、魔力マナの内包量が半端ではなかった。


「クレハさん、アイーシャさん……!」リハナは二人の苦戦する姿を眺めることしかできなかった。


 単純な機体の破壊だけならば、今のリハナにも問題はなかった。しかし、魔力マナばかりは重火器でどうにかできる範疇を超えていた。魔力マナに目覚めたといっても、まだその応用力は二人の足元にも及ばない。この弾幕の中では、行動できる範囲も限られていた。


 そんなとき、リハナの背後に魔力弾が忍び寄ろうとしていた。

 が、リハナは気づかない。彼女の耳は、四方から迫る魔力弾の嵐の存在感が強すぎて、正確な聞き分けができるような状態ではなかった。


「らあッ!!」アイーシャはそれを目視で視認し、地面を蹴るように渾身の一撃を振り下ろした。「オイ、リハナ!」続いて、後ろにいるリハナに声をかけた。


「は、はい!」


「この通り、オレとクレハは奴の攻撃で蜂の巣にならないよう対処するだけで精一杯だ」と言いながらも、手と足を勢いよく繰り出し、自分や仲間が傷つかないように最大限務めるアイーシャ。「反撃する余裕がねえんだ。だから、奴を仕留められるのはお前しかいねえ……!」


「私しか……!」


「テメエの耳で本物を見つけることはできねえのか?」


 リハナの耳は、ここに来てからというものずっと絶え間なく、これ以上ないというほどその役割を全うしている。だが、拾ってくるのは生まれては消え生まれては消える魔力マナの気配ばかり。それ以外の、生物の『魂』の輪郭はその忙しない雑音に掻き消されて追いかけるのもままならない。


「オレとクレハで時間を作る!」アイーシャが叫ぶように言った。「お前にやってくる弾幕を、オレらが振り切ってやる! その間にお前が本体を捜せ! ずっとその気配を追ってきたんだ、そう苦労はしねえだろ……!」


「お願い、リハナ。今はそれだけが頼り……!」


 リハナは胸にドンと大きな衝撃が落ちてきたようだった。空のコップに溢れんばかりの水が注がれるようでもあった。

 状況が状況なだけに、こんな思いになるのは不謹慎ではあったが、リハナは自分の心が満たされる感覚を抑えきれなかった。自分が頼りにされている、その感覚を初めて味わうことで、今まで食わず嫌いをしてきた食材の美味しさを理解したかのような、これまでの人生では忌避していた事象に愛着を感じてしまった。


「解りました!」リハナは力強く頷いた。「死んでも本物を見つけてみせます!」


 直後――弾幕の勢いに激しさが増した。


 クレハとアイーシャは、索敵をするために意識を集中させるリハナの邪魔をさせないためにも、剣を振るい、拳を振るい、彼女の周辺を縦横無尽に駆け回り、同じように激しく対処に尽力した。


 両者とも決死の覚悟。

 自身の命を燃やしてエネルギーにしてしまいそうなほどの必死さで事に当たっている。

 互いに、数ミリの後押しで決着がつくことを自覚しているのだ。


 そんな激化していく中心にいながら、リハナは静謐せいひつな自然に佇むかのように、穏やかに眼を閉じていた。耳を凛とそびえさせ、大きく深呼吸をし、聞こうとしているもの以外の音を排除するように努めた。詰まっていたものを慎重に取り除くように、耳を澄ます。

 頭にあったのは、この首相官邸に訪れたときからずっと聞き分けられた、あの妙な『魂』。魔力マナではない。魔力マナの有無にかかわらず、地球にだって、リハナの言う『魂』と呼ぶそれは宿っているのだ。銘々に異なる、指紋のようなその人をその人たらしめる証左。侵入したときからずっと聞き分けたその残滓ざんしを手がかりに、奴の本体の元まで辿り着いてみせる。


 すると、一筋の光のような、微かではあるものの追いかけるべきものを見つけたような気がした。これだ、とリハナは天啓てんけいが降りたようだった。波のようにうごめく雑多の中から特定の人物を追いかけるように、その光の道を必死に手繰たぐり寄せた。


 その途端だった。パッ、と照明が落ちるように一筋の光が消え失せた。


「え…………」リハナは思わず声に出していた。「そ、そんなはずは……」


 もう一度、同じ方法で索敵を試みた。今度はすぐに理解できた。ここまで追いかけてきた『魂』が、今に至り、うんともすんとも聞こえなくなってしまった。


 ただ、違和感の残る消え方だった。ほんの一秒前までは、僅かながらも聞こえていたのだ。間違いない。あの感覚を間違えるほど、リハナは奮起の出し方を知らないわけではない。それほどまでに神経を研ぎ澄ませたのだから。


 さらに、当該の『魂』が、今では綺麗さっぱり聞こえない、という状態にも疑問だった。リハナに気配を悟らせないほどの相手、と言えばあの人語を介す個体、『フィクサー』だ。ただ、奴らにしたって、奴らに限定して集中すれば探ることができた。今は、それすらもできなかった。


 ――あり得ない。

 ――ただ、雑音に掻き消された、とかそんな問題じゃない。


 明らかに探られることを阻害された。

 そして、その阻害方法と言えば――――


「擬態か……!」気付けば、悔しげに洩らしていた。


「っ……そういうことか……!」その独り言を、偶然にも耳にしたクレハは、リハナが突き止めた真相に早くも察しがついたようだった。


「あぁ? どういうことだよ?」アイーシャだけが置いていかれているような気分だった。飛んでくる位置の高い魔力弾を、跳んで殴り落とす。


「恐らく、本体だけじゃなく分身体にも軒並み『擬態』の魔法をかけて、リハナの索敵にもかからないように対策している」


「はあ? なんだよそれ!?」


 気配を察知できないこの感覚は、何も初めてのことではない。『ネームド』が使ってきた『擬態』がその筆頭だ。有陣大学での一幕が脳裏に過ぎる。彼女は糸が学校の床に擬態していることに気が付かず、神宮寺達と分担されてしまった。


 ただ、あのときと状況が違っているとすれば、


「だけどよ、『擬態』って確か環境を模倣するんじゃなか……ったか!?」降り注ぐ攻撃から対処しながらなので、アイーシャは声をかけるのも一苦労だった。


 コンクリートの壁であれば、それと同じ性質にかけた相手、もしくは無機物を変容させる。それが、『擬態』という魔法である。その理論にのっとれば、かけられた相手――今回は『頭脳ブレイン』全体となるだろう――は姿を現さず、この地下空間に紛れた形となっているのが自然なはずだった。


「これは恐らくですけど」リハナは考えついた可能性を口にした。「『擬態魔法』の応用だと思います。擬態の対象を、周辺の環境ではなく、に対象をスイッチ。入れ替えさせることで、如何なる方法でも探ることを拒絶する」


「ある意味、『頭脳ブレイン』のやり方らしいと言えばらしい」


 つまりは、魔法行使の目的が違うのだ。これまでは、身を隠すための手段だったものが、今回は本物を突き止めさせないための手段へ、と。擬態、とは何も壁の色や枝に似せるだけではない。人を隠すなら人の中、木を隠すなら木の中、というように、複数ある中に違和感のない存在を落とすやり方もあるのだ。『頭脳ブレイン』がたくさん居るのであれば、本体が隠れるのも、『頭脳ブレイン』がたくさん居る中、というわけだ。


「んだよ、じゃあ何か?」それは、彼女達にとってひとつの事実を突きつけていた。酷く、絶望的で、ただでさえ狭かった突破口が、さらに狭まる最悪の事実を。「このリンチされている最中で、ここにいる『頭脳ブレイン』を片っ端から殺るしかねえってのか?」


 正しくは、魔力切れを起こした分身体は自動的に消えるので、この猛襲を抑え込めばいつかは本体だけが残るかもしれないのだが――その方法が現実的ではないことは、言うまでもなく彼女達は実感していた。


 そのとき、クレハの太刀筋が魔力弾を掠めた。


「ッ……!」クレハの肩に、そのおこぼれした魔力弾が直撃した。


 彼女は咄嗟に魔力マナを防御に集中させた。ダメージはそこそこに抑えることができたものの、肩という剣を扱うのに大事な部分に負担を受けてしまった。


「クレハ!」アイーシャも攻撃を食らったクレハに意識が行った。


 陣形が乱れた。


「くッ……!」彼女の脇腹や太腿に魔力弾が叩き込まれる。『騎士団アルスマン』の制服が焼き焦げたように散った。


 身体が頑丈な『獣人デュミオン』ならば、直撃であろうと一発や二発は問題にならない。


 真に問題なのは、攻撃を受けたことにより今までのペースが完全に崩れてしまったことだった。『頭脳ブレイン』の攻撃の勢いは、二人の体勢が多少よろめいたところで止むわけではない。


 瞬く間に鬼火のような魔力弾の嵐が、アイーシャの全身を覆い尽くした。


「アイーシャ!」クレハは即座に助けに行こうとした。


 仲間が傷つく度に生まれる隙。連鎖。悪循環。


 クレハは唇を噛んだ。「電光石火『菊花パラスティール』」


 突進しながら光のような速さで放つ十二連撃。アイーシャに襲いかかる魔力弾を斬り落とそうとしたそのとき、仲間を助けたいがために視野が狭くなってしまった彼女はかたわらから接近してきた魔力弾に気づかず、真横からまともに食らって吹き飛ばされた。


「皆さん……!」残されたリハナは立ち尽くしていた。


 そうしている間にも攻撃は続く。無数の魔力弾が、孤独となった彼女に集中する。


 絶望に打ちひしがれるほど、彼女だって柔ではない。しかし、今頃アサルトライフルを構え、その引き金をひいたところで、何かが変わり、勝敗が逆転するなんてことはあり得ない。頭では非情な結論が導き出されていた。


 ――私が……。

 ――私が本体を見つけられなかったから……!


 後悔したところで遅い。

 いや、この時点で諦観を浮かべるには早い。


 自分は、まだこうして立っているではないか。


 ――希望とチャンスを見誤るな。


 相手は魔法で気配を遮断していた。

 その時点で、リハナが届く領域になかったのだ。


 ――魔力マナを引き絞れ。


 リハナは銃器をかなぐり捨てた。どうせ、魔力マナが相手では無機物の物質では歯が立たない。


 防御に転じることを選んだのは、咄嗟の判断だった。銃器では魔力マナを潰せない。先輩方二人のようにはいかない。ならば、まずはこの第一波を気合で耐え切る。反撃はそこからだ。


「来い! そして覚悟しろ! この青い灯火が途切れたそのときが、貴様らの関の山だ!」


 これまでの彼女なら死を覚悟したかもしれない。一矢報いり、少しでも敵に爪痕を残し、後続に繋げる。そんな行動を取ったかもしれない。


 だが、今回は違う。やられた二人のためにも、自分が倒す。負けられない。

 思いを引き継ぐのは、今回は自分なのだ。


 ――勝つために、すべてを受けてみせる。


 そんな覚悟で腕を交差させて防御の体勢を取ったとき――――


「ナ、メンじゃ……ねェッ――――!!!」


 全身が放出されるような雄叫びに近い怒号が空気を揺らす。


 さらに、クレハが吹き飛ばされた方面からも突撃してくる影があった。「電光石火『菊花パラスティール』」


 二人のケンが交差するように密集していた魔力弾とせめぎ合い、相殺するように火花が散った。


「ただの機械が調子に乗んじゃねえぞ」力強い笑みを湛え、アイーシャは言った。

「これぐらいなんともない」クレハは淡々とした物言いだったが、有無を言わさない雰囲気を醸し出していた。


 非常に頼もしい一言。しかし、二人はボロボロになった制服を身に纒い、その破れた衣服の下から見えた肌は痛々しい赤を露出させていた。ダメージはゼロではないのだ。


 そして、力強く立ち上がったところで、事態が好転するわけもなく――――


 ――二人には悪いけど。

 ――このまま続けても、こっちがジリ貧になるだけ。

 ――それじゃあさっきの二の舞になっちゃう。

 ――私が本物を見つけられれば。

 ――こんな奴、二人の敵じゃないのに……!


 リハナは悔しげに唇を噛んだ。まさに、自分自身を噛み殺してしまいたかった。


 そんなときだった。


「……ん?」


 リハナは、自身の胸ポケット辺りから振動があることにようやっと気づいた。実はこの振動、この戦闘が始まる前からずっとしていたのだが、二人の戦いぶりに眼を奪われていて気が付いていなかった。


 なんだろう、と思いながらも、このポケットに入れておいた物を思い出し、さらに疑問符を浮かばせる結果となり、おもむろにそれを取り出した。

 普段であれば、スカートのポケットに入れていつでも取り出せるようにしているのだが、生憎あいにくと既に先客――というよりは先住民、というべきか。とにかく、そのスペースが空いていなかったため、そこに入れる他なかった。


 こんな状況で眺めるものでもない、と自覚しながらも、もしかしたらこれで今の劣勢を打開できるかもしれない、と考えたわけでもないのだが、それでもリハナは手に取った。


【ちょっと! なんで全然出てくれないのよ!】


 声の主は怒っていた。その口調は、まるでうつつを抜かしていた彼氏をとがめる若い女性そのものだった。


「す、すみません」そんな状況でもないのに、その声に圧倒されたリハナは思わず謝っていた。「その、正直……すっかり貴女の存在を忘れていまして」


 冴山香織から受け取ったスマホ。その画面に映るハード柄のシーサーは、幼子が拗ねるように頬を膨らませていた。

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