第 24 話 首相官邸奪還作戦 ―肆―


「でもさぁ、私達としては居てくれたほうが楽だったよねぇ」


 時刻は僅かに遡る。任務が開始される前の会話だ。

 リハナが耳を澄まし、首相官邸の内部を調べていた最中、後ろでマーダー小隊の先輩たちが会話をしていたのを自然と拾ってしまった。


「何が楽?」クレハが問い掛けた。


「『禁忌の人物史アカシックエラー』。彼が作戦に参加してくれたら、これほど楽ちんな任務はないよねぇ。なんといったって、『最強』なんだから」


「地球人は、細かいことなんざ気にせずさっさとあの男を投入すればいいのによ」アイーシャは理解し難い、という顔をしていた。彼女の中では、地球人は手加減している、手を抜いている、という認識なのかもしれない。「つーか、実際、アイツはどんだけ強いんだ?」


「私も実際に戦っているところは見たことない」


「攻撃範囲が物凄い魔法を使うから、街に及ぶ被害が『暴君タイラント』の非にならないだって。噂だと、海を割って津波を生み出したとか、震度5の地鳴りを起こしたとか。眉唾モノも多いけどねぇ」


 ミデアの喋る噂とは、その殆どが自衛隊の隊員や民間人が口々に言っているもの――外部の人間が勝手に盛り上げている類の、本当に噂の域を出ないものに過ぎなかった。『禁忌の人物史アカシックエラー』なる切り札を地球が保有できた、という情報だけが一般公開され、それ以上の情報が開示されず15年も経てば、根も葉もない噂が立つのも無理はなかった。


「でも、おかしな話だよねぇ」


「何がだよ」


「だって、『禁忌の人物史アカシックエラー』が危険な兵器と同一視されてるということは、過去にそういう被害が出たってことでしょぉ? それなら、その惨状を眼にした人から、神宮寺くんがかの『禁忌の人物史アカシックエラー』ですよ、っていう情報がもう少し出てもいいと思うけどなぁ」


 不可解なのは、『禁忌の人物史アカシックエラー』の正体が神宮寺玲旺であることが微塵も噂されていないことだった。政府が、個人の人権を保護するためにも公開しないのは解る。しかし、一切もなく、残り香も付けずに隠匿することが、この情報社会に可能なのか? 名前までは解らずとも、そういった人物の写真がネットに挙げられてもおかしくはない。


「そもそも、『禁忌の人物史アカシックエラー』が人間とは思ってねえんじゃねえの?」アイーシャは適当に返事した。見るからに興味がなさそうだった。


「何も知らない民間人ならそう思ってもおかしくないだろうねぇ。でも、実際に見た人も確実にいるだろうし」そこでミデアは、閃いたかのように笑みに陰を落とした。「思ったんだけど、もしかして日本の政府はさ、民衆を操作する術を持っているんじゃないのかなぁ」


「操作する術?」


「記憶を操作して、あったことをなくしたり、逆になかったことをあるように見せたり。魔法にだって、そういうことができるのはあるし、科学にだってできるんじゃない?」


 まさに根も葉もない、途方もない陰謀論を提言するミデア。それを聞いた二人にはあまり刺さらなかったようで、首を中途半端に傾げながら、「で、結局、どんな話をしていたんだっけ?」と誰からでも言った。


「地球のインフラが壊れようが、私達には関係ないよねぇ、ってこと」ミデアは言った。




 そんな会話を、今になって思い出したのは、まさに関係ないとばかりに、首相官邸の床を破壊したからだった。


 『ソルジャー』の大群を退け、リハナの耳を頼りに『頭脳ブレイン』を捜していたところだった。しばらく走った地点で、ちょうどひとつ下のフロアから発する気配と重なった。「すぐ下です」とリハナが伝えると、「じゃあ、直接行ったほうが手っ取り早いな」と呟いたアイーシャが、みんなと相談もなしに床を殴った。陥没した。そういうことだった。


 崩れた床の先に待っていたのは、この建物の中では最も一般市民と繋がりが深いと言ってもいい記者会見室だった。頭に刷り込ませるまで読み込んだ見取り図の通りだった。


 その部屋の壇上に設置された演台の上に、今まで見たこともない個体が鎮座していた。いや、座っているのではない。短い四本脚を畳むようにして演台に突き刺していた。


 ――アレが『頭脳ブレイン』……!


 実際に見るのは初めてなリハナ。落ちながらも、両手で抱えていたアサルトライフルを構え、その青く光っている『瞳』に撃ち込もうとした。


「見つけたぞ……!」しかしその前に、アイーシャは獲物を目の前にした獰猛な肉食獣のように歯を見せ、落ちていく瓦礫を蹴り出して特攻した。


 構えた射線上に立たれてしまい、銃撃は中断せざるを得なかった。


「オラア!!」空中で突撃したアイーシャは、その勢いを止めぬまま拳を振り被った。直後、その鉄拳により演台が破壊され、音を立てる。


 両手を地面について勢いを殺す。そのまま回転するように身体の向きを変えた。


 『頭脳ブレイン』は、彼女が接近し攻撃を仕掛ける前に、その場から飛び立つように壁の隅に退散していた。

 四本の足先には、それぞれ鉤爪のような爪が五本伸びていた。形状としては人型の手と変わりない。その爪を壁に突き刺し、己の機体を壁から落ちないようにしていた。


【――――Σ▪▪βΨ▪Ω⚠!!!】


 そして、アイーシャに向かって攻撃を仕掛けた。腕のない人間の上半身の、通常であれば前腕部が伸びている辺り。そこに複数の魔力弾を溜め込み、一気に撃ち放った。


「波紋『杜若ハートウェイ』」


 クレハが斬撃を飛ばし、その弾幕を撃ち落とす。


「二連」


 さらに、今度は『頭脳ブレイン』に対して二つ目を放った。


 命中。


 『頭脳ブレイン』は空気を裂いた飛ばされた斬撃をモロに食らい、その機体を見事な真っ二つに断たれてしまった。


「やった……!?」


「ううん、まだ」早合点しそうになったリハナを、クレハは冷静にたしなめた。「というか、今のは多分、本物じゃない」


 本物じゃない?

 リハナがその真意を問い質そうと口を開きかけたそのとき、彼女の近くの壁が崩れた。

 突き破ってきたのは『ソルジャー』だった。

 外の分と二階にいた個体は掃討した。しかし、一階の分の警備個体がまだ残っていたようだ。

 『頭脳ブレイン』の指揮により、壁を破って最短でここまで駆けつけ、近くにいたリハナに足刀を振り下ろした。


 その横っ腹をアイーシャは殴りつけた。『ソルジャー』はまるで風船のような軽やかで吹き飛ばされると、壁に亀裂を走らせながらぶつかり、ピクピクと痙攣を起こしたまま倒れた。


「リハナ、お前の耳で奴の居場所を特定できねえか?」間髪入れずにアイーシャが訊ねた。


 リハナは問い返すこともなく耳を澄ました。彼女は少し焦燥感に駆られているように見えた。説明している暇はない、ということか。耳を凛と立たせ、周辺の物音を探る。正確には、物音を発する『魂』を聞き分けようとした。


 しかし、「ダメです。あの妙な『魂』は見つかりません」


「くっ……!」アイーシャは歯噛みした。舌打ちも出す。


 その悔しい様子を見れば、リハナもなんとなく現状の概要にも察しがついてきた。「擬態魔法、ですか」


 『ネームド』が出す糸。アレには『擬態』という魔法が含まれている。それを発動されれば、周囲の環境に適応した色と姿に形を変える。なので、そこが一見、『ネームド』が作った巣だとは判断できず、完全に判断するには、中に入って実際にその罠にかかる以外に方法はなかった。そして、何より厄介なのが、『擬態』をかけられた糸は、リハナの耳をもってしても聞き分けることはできない。


「『頭脳ブレイン』は、『ネームド』が糸や他の物質にかけているものを、自身にかけることができるんですね」


「厳密には、『ネームド』にもそれはできると思う。けど、知能レベルの違いからか、それをしようとしない。対して、『頭脳ブレイン』は逃避癖があるから、自分を擬態させて難を逃れようとする」


 逃避癖の使い方が合っているかどうか。日本語の細かな使い分けまでは流石に解らない異世界人は、特に引っ掛かることもなく会話を続ける。


「だとしたらマズイじゃないですか」『頭脳ブレイン』を追跡する手段がなくなってしまった。


「慌てんな」退路を断たれたような表情を作るリハナにアイーシャはそっと近付き頭をポンと叩いた。「オレらがお前なしで、今までどうやって『頭脳ブレイン』を始末したと思ってるんだ。やりようなんていくらでもあるんだよ」


「それにしては、アイーシャさん少し焦ってませんでした?」


「手っ取り早いのはお前の察知能力で見つけるほうだからな。ここからは地道な捜索になる。だから、面倒くさくて苛々したんだ」


 包み隠さず己の心情を吐露するアイーシャ。自身の手で砕いた演台の欠片を拾うと、つまらなそうに指先でいじりながら、「『擬態』、ってのはよ、魔力マナはもちろん、質感や体温まで完璧に隠しちまうんだが、絶対に隠せないものがひとつ、ある」


「形状、ですか?」


「なんだ、知ってんのかよ」せっかく教授してやろうと思ったのに、と唇を尖らせる。


 『擬態魔法』は、結局は擬態である。見た目や触り心地は変えられても、その質量を変えることはできない。例えば、壁に擬態するとしたら、見るだけなら完全な壁となり、実際に触れてみると、そこに擬態した生物がいることは丸分かりとなる。もしも、質量まで背景と同じものに変化できるならば、それは擬態ではなく『同化』と言ったほうが適切だろう。


「リハナの言う通り、擬態は質量までは誤魔化せない」クレハがアイーシャの説明を引き継ぐ。「触れればそこにいると解るし、逆に奴が触れたものにはその跡が残る。それが奴の行方を突き止める手がかり」とそこで言葉を区切り、アイーシャと同様、と地面を見下ろしながらうろうろと歩き出した。「あ……ほら、これ」とリハナに指し示すように指を地面に向けた。


 リハナは釣られて指先から視線を地面に移した。そして、「あ」とクレハと同じ声を上げた。


「それ以外の遮断が完璧だからこそ、どうしてもこういう粗が目立つ」


 アイーシャが破壊した床の瓦礫が、さらに落下の衝撃で粉状となり、部屋の中は足の踏むところが余すことなく汚れているような状態だった。

 しかし、よく眼を凝らしてみれば、その粉が不自然にない箇所がいくつかあり、それは点々とある方向に進んでいるかのように続いていた。


「これ、もしかして『頭脳ブレイン』の足跡ですか?」


 クレハは肯定も否定もしなかったが、「今回は足元が粉まみれなのが幸いした。床が綺麗なままだったら、もっと苦労してたと思う」


「つまり、オレのおかげということだな」アイーシャが腰に手を当て、大きく鼻を膨らませた。


「流石です、アイーシャさん!」リハナは単純なので、その言葉を鵜呑みにした。


「足跡を追おう」クレハを先頭に、足跡を辿ることにした。


 もっとも、足跡の終着点は程なくして着いた。この部屋で収まる僅かな距離だった。足跡は、壇上の後ろの薄ブルー色のカーテンの先に続いていたのだ。


「この先に道なんかあったか?」


「えっと、公的にはありませんね」リハナは含みのある言い方をした。


「だけど、今回の作戦考案のときに見た見取り図によれば――――」


 クレハは頭の中のマップを確かめながら、壇上の後ろの壁に近付くと、閉じた藍色のカーテンをめくった。そうすると、リハナの視点からでは彼女が何をやっているのか解らなかった。しかし、カーテン奥の壁がスライドして隠し階段が現れるまで、そう時間はかからなかった。


「地下への階段……」


「さあ、行こう」


 隠された仕掛けに驚いている場合はない。『頭脳ブレイン』が完全に逃げ切るその前に、必ず仕留めなくてはならない。


 有無を言わさず階段を下っていくクレハに、リハナはついていく他なかった。




 旧初台駅のように、東京には使い道のない地下空間がいくつもある。

 首相官邸にも、明治時代に作られた地下駐車場と、第二次世界大戦に備えられた防空壕が存在しており、ひっそりと戦争の残り香を醸し出している。また、その近隣には国立図書館が地下深くまで伸びていて、そこに通じるための地下通路も存在していた。

 しかし、新たに地下空間を設置することは震災に対する信用度を下げる危険性もあるため、首相官邸の隠し通路は、そうした様々な懸案で作られた、今は役割なき空間を代用するような形で作られることとなった。


 リハナ達は、そんな地下空間を進んでいた。避難経路としては、少し広く感じる。薄暗く、冷たい空気が漂っていた。鼻先に埃が飛び込んできて、リハナは耳を手で塞ぎたい衝動に駆られた。


 避難用の地下通路というよりは、水脈の近い洞窟みたいですね。


 リハナがそう言うと、「言い得て妙かも、それ」とクレハの得心の行った声が返ってくるものだから、不意をつかれた。


「どういうことですか」


欝河うつかわさんから聞いた話だと、首相官邸の隠し通路は、昔、この一帯を管理する放水路を作ろうとしたんだけど、湿気が酷くて、近くには地下図書館があることもあって、結局は断念せざるを得なかったんだって」


「なんだその馬鹿な話は」アイーシャは呆れた声を出した。


 地下通路は歩くたびに足音が木霊こだまするように響き、どことなく背筋が凍るような底知れなさを感じられた。


 ――だから、雰囲気が冷たいのかな。


 実際に水を敷いた段階までは行ってないにしても、ここは水を流しても影響のない設備や建材が使われているわけで、だから空気中の温度も低く維持されるように設定されているのかな、とリハナは思った。


「この先に『頭脳ブレイン』がいるんですね」


「うん、間違いないと思う」


「いつの間に逃げ出したんでしょうね。私達が下から降ってきてから、そんなに隙を作らずに、戦闘に入れたと思うんですけど」リハナはあのときの状況を思い返す。落ちる瓦礫と一緒に、下の階にいた『頭脳ブレイン』に突撃したアイーシャ。そこまでの手順に、逃げられるタイミングはなかったように思う。


「考えられるとしたら」クレハは言った。「アイーシャが先手を躱した後に即座に『擬態』を発動させて、私達から隠れながらこの地下に潜った、とか」


「壁が動いてたりしてたら、流石に気付くような気もしますけど」


「あのとき、私達は奴の偽物に手間取ってたでしょ? あれは、自身の行動を悟らせないようにするための案山子かかしのような役割をしたんだと思う」


「案山子?」


「田んぼとかに立てとく、地球人を模した鳥除けの置物のこと。私達は、まんまとその案山子に引き付けられて、奴に退散させられるだけの時間を稼がれた、ってこと」


「案山子……」そこで、リハナが思い出すのがあった。演台から壁に姿を現した『頭脳ブレイン』だ。奴はクレハがとどめを刺した。そのとき、彼女が口にしたのは、「本物じゃない」という気になる一言だった。「そういえば、あのときに倒した『頭脳ブレイン』は偽物だったんですね。あれも擬態の一種なんでしょうか」


「いや、アレは別の魔法だろ」リハナの疑問に答えたのはアイーシャだった。


 地下を進む上で、三人は一列に並ぶ陣形を取っていた。真ん中にはリハナが位置し、彼女が索敵に集中できるよう二人が挟んでいざというときは守る。そういう陣形だった。アイーシャは先頭だった。これまで喋っていたクレハの顔を見るために後ろを向いていた次は、先頭の彼女と話すために前に向き直るリハナ。


「『頭脳ブレイン』の野郎は、手前が死んだら終わりだって自覚してやがるから、やることなすこと逃げに特化してんだよ。だから、使う魔法もそういうのばっかだ。多分、オレらが殺ったのは、奴の『分身』っつー魔法から生み出された偽物だろうな」


「分身?」


「名前の通り、魔力マナで自分を複製すんのさ。で、見つけようにも、全部から魔力の反応がするから」お手上げ、と両手を上げてポーズを取っていた。


「といっても、本物と同じ総量を持っているわけじゃないから、リハナやミデアみたいに感覚が鋭かったら本物がどれか解ると思うよ」


「後は、身体が魔力マナで出来てるからな、一々『瞳』を狙わなくても偽物は簡単に死ぬぜ」


 リハナはクレハが偽物を討った光景を思い返した。あれは、もちろん彼女の実力は嘘ではないだろうが、通常状態よりも柔い装甲だったかこその早急な決着だったのかもしれない。


「それと、『分身』は自分の魔力マナを使ってるから、数にも限りはあるし、分身体の魔力マナが失くなったら勝手に消える仕組みだよ」


「意外と欠点が多いんですね」


魔力マナは時間が経てば消える。これはこの世の摂理」


「だからこそ、魔力マナが潤沢に溜まってるこの地球は異常なんだけどな」


「……ねえ、リハナ」クレハが少し沈黙を挟んでから口を開いた。


「なんですか?」


「首相官邸に突入する前、私とアイーシャとミデアが話していた会話の内容は聞こえてた?」


「会話の内容?」会話自体はいくつかしていたので、リハナは彼女がどれのことを指しているのか解らなかった。「私が特に覚えているのは、神宮寺さんについて皆さんが話していたことですけど」


「そのことだよ」


「それがどうかしたんですか」今蒸し返すほどに重要なことを話していたような記憶はなかった。


「リハナは、あの人のことをどう思っているのかな、って」


「あの人?」


「『禁忌の人物史アカシックエラー』のこと」


「神宮寺さんのこと、ですか?」リハナの頭に当惑が広がった。


 何故、そのようなことを今になって訊き出そうとするのか。全くもって解らない。

 今の事態と彼の存在がどう関係してくるのかがさっぱり見当がつかなかったリハナは、後ろを向いてクレハの様子を伺おうとしたのだが、光源のない地下通路、『獣人デュミオン』である彼女達の人並外れた五感でかろうじて見えるほどの暗さの中では、どんな表情をしているかまでは判然としない。また、クレハの声色は如何なるときも穏やかな水面のように落ち着いて、そこから推測することもできなかった。


「神宮寺くんと戦いたいとは思う?」


「ッ!?」


 クレハの発言に、リハナは驚く。まさに昨日、それと似たような決意を胸に秘めたばかりだった。自分はもっと強くなりたい。それこそ、最強と謡われる彼に負けないぐらいの。まさか、そのことに触れられるとは思いもしなかった。


 だが、やはり何故このタイミングなのか。それは未だに解らなかった。


「そうですね」リハナは神妙に返事した。「戦いたい、とは少し違うような気がします」


「……どういうこと?」


「あの人に勝ちたい、強くなりたい、という気持ちは確かにあるんですけど、神宮寺さんを倒して勝利したいかというと違ってて、その勝ちたいという気持ちも、勝利そのものが大事なんじゃなくて、別のところに重きを置いているというか」


「どういうこと……?」


 クレハの戸惑った声が聞こえる。リハナ自身、明確な答えを持っていなかった。最初は、その感情の方向性や色――喜びなのか悲しみなのか怒りなのか――すら判然とせず、冴山さえやま香織かおるの助言もあってようやくその正体に手が届こうとしていたところだったのだが、具体的に何かを聞かれると、それに相応しい言葉をリハナは持っていなかった。


「なんと言えばいいのでしょう」それが彼女自身、もどかしかった。「対抗心はあります。メラメラと燃え上がってます。だけど、だからって、神宮寺さんを『マキナ』に向けるときの眼で見れるかと言われれば、そうではないんです」


「……そう」


 神宮寺のことは嫌いではない。だからこそ、負けたくない気持ちも湧き上がる。だが、拳を交えて、正真正銘の優劣をつけたいかというと、しっくりこないリハナだった。


 ――とにかく、強くなりたいのは本物。

 ――それで解りやすい指標、ってことなのかな。


 もっとも、彼女は神宮寺の真価が発揮された瞬間を目撃したことはない。『禁忌の人物史アカシックエラー』の最強たる所以を実際に眼にしたことがなかった。有名なプロレスラーが強いとだけ聞いて、得意技や戦い方などの具体的な強さを全く知らないのと同じだった。たった一人の存在が、地球の脅威度を引き上げた。それだけで彼の実力が尋常でないことの証明になるものの、リハナはそれがどこまで尾鰭おひれがついてるのかも判断がつかなかった。


 ――具体的なラインも確かめたいし、神宮寺さんの実力を推し量るためにも、一緒にいられたら都合がいいんだけどなあ。


「…………!」そのとき、先頭を歩いていたアイーシャが足を止めた。


 考え事をしながら歩いていたリハナは、危うく彼女の屈強な背中にぶつかりそうになった。「アイーシャさん……?」


「……チッ」彼女は舌打ちした。「見誤っちまったか?」


 独り言のように言葉を漏らすその様子は、実際にもかける相手はいなかっただろう。言葉を交わすだけの余裕がないほどの切迫。


「クレハさん、これは一体――」とリハナは後ろを振り向いたのだが、その途中で口を閉ざす。


 クレハもまた、周囲を警戒しているようだった。薄暗い空間の中。表情の機微まで見極めることはできないものの、肌にピリピリと感じる張り詰めたような緊張感は、二人から発せられたものと思われた。


「どういうことだと思う、クレハ?」


「解らない。けど、今までの行動パターンにない動きなのは確か」


「つーことは、ここにオレらが来ることも……」


「……想定済みだと判断したほうがよさそう」


 これまでにないほどに引き出された警戒心。リハナの耳には、二人の『魂』が揺れ動くように神経を研ぎ澄ましているのが解った。


 そこで、訳も解らずおろおろとするようでは、マーダー小隊のメンバーは務まらない。リハナは、恐らく自分では察知できなかった、経験ある二人だからこそ覚えた違和感の正体も解らないまま、周囲に意識を集中させた。アサルトライフルを握り、いつでも撃てるようにと引き金に指をかける。普通の『獣人デュミオン』よりも機能性に優れているはずの耳は、何もその違和感をキャッチしてこない。


 やがて、火が灯った。


 最初は、地下の明かりが点いたのだと、そう思った。しかし、放水路予定だったこの場所に照明があるほうがおかしいと思い直し、また、照明にしては少し光がぼやけ過ぎていた。これでは、電池の残量がギリギリな懐中電灯のような心許なさではないか。


 極めつけに――この明かりは青く発光していた。


「なッ……!?」リハナの光の正体に気付いた瞬間、全身の毛が逆撫でしそうになるぐらいの衝撃を受けた。


 青く発光し、この地下空間をぼんやりと映し出していたのは、『マキナ』の瞳に他ならない。魔力マナの核と、それが通る機体そのものが光源となっていたのだ。


 ただ、問題なのは――その光源が彼女達を囲んでいることだった。


「包囲された……!?」リハナは事態を即座に理解した。


 それも、ただの包囲ではない。


 魔力マナが映し出す狭い範囲は、当然ながらその個体の身体をくっきりと彼女達の眼にも見やすくさせていた。


 その中に、『ソルジャー』らしき個体は見当たらなかった。


 だが、見える範囲の個体は、みな同じ姿を取っていた。


 「これは、『頭脳ブレイン』の分身体……!」リハナは、先ほどの記憶を参考に起こっている現象の名を口にした。


 見渡すだけでも、十は下らない『頭脳ブレイン』が、のこのことやってきたリハナ達を見下ろし、または見上げ、または見据えてくる。まるで、動物園の動物が檻越しに観察されているかのような不気味さが彼女達を襲った。


「悪い、リハナ」アイーシャが口を開いた。「オレらの分析不足だ。まさか、野郎が反撃に出るとは思わなかった」


「うん。しかも、これだけの分身体。魔力マナが底尽きるのを恐れてない……?」


【――――Σ▪▪βΨ▪Ω⚠!!!】


 やがて、無数の分身体が羽を広げ、擦り合わせることで音を作った。心地よいとも気持ち悪いともつかない無味乾燥な大合唱は、まんまと罠に嵌ったリハナ達を嘲笑うかの如く、音の圧となって彼女達の耳を襲う。


 思わず耳を抑える。


 さらに周囲が明るくなった。無数の分身体が複数の魔力弾を自身の周囲に生み出したことによって、光源の強さが増した。しかし、それが希望の源になるわけもなく、唯一の光は、無情にも袋の鼠に誘い込まれた哀れな三人の少女に、四方から嵐のように群がった。

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