第36話 丁寧なことば

 莉帆がお盆に帰省して勝平の写真を母親に見せてから、連れて来て、という連絡が何度も入っていた。しばらくは相変わらず休みが合わなかったけれど、十一月の下旬になってようやく勝平が週末に連休を取れた。プロポーズされたことはすぐに話していたので、二人で挨拶に行くことを連絡した。

 勝平は普段は黒のスーツを着ていることが多いけれど、この日ももちろんスーツを着ているけれど、ほんの少し艶のある黒に近い紺色だ。いつもよりワンランク上の店で新調したらしく折り目もまだ綺麗なままで、それでもスーツに感はなくて、本当に警察なのかと疑うほど男前で困る。

「勝平……緊張してる?」

「そりゃ、するやろ」

 車を運転しながら勝平は、いつもより不安そうな顔をしていた。普段は運転中もいろんなことを話してくれるけれど、この日の彼はじっと前だけを見ていた。高速道路を一時間ほど走り、少ししてから莉帆の実家に着いた。莉帆も一応はジャケットを着てきているけれど、指輪はとりあえず外して鞄の中だ。

 両親に迎えられた玄関で勝平はごく簡単に自己紹介をした。写真よりも印象が良かったようで母親は想像以上の笑顔になっていたけれど、何も言わずにリビングに通された。

「莉帆とは、旅行で一緒になったって聞いたんやけど」

 母親は核心には迫らず、二人の出会いについて聞いてきた。

「はい。行きの飛行機から近くに座ってて……着いてから、ウィーンか……フリータイムに声かけて、そっからです」

「ふぅん……莉帆、ちゃんと英語喋れてた?」

 母親が聞くと、勝平は思わず笑ってしまっていた。そのおかげで少しだけ緊張は解れたらしい。莉帆は英語が苦手なことは母親も知っている。

「まぁ、なんとか、最低限は……。店のメニューも、店の人の言葉もドイツ語やったから、それは困ってましたが」

「ドイツ語なんか急に言われても無理やし」

「勝平君は──ドイツ語は喋れるん?」

「はい。大学で四年間やってたんで……専攻ではなかったですが」

「仕事は、何をしてるん?」

 聞いたのは父親だ。

「──警察で、今は大阪市内の交番に勤務しています」

「……え? ……ほんまなん?」

「証明できるものは今ないんですが──」

 もともと名刺は持っていないし、警察手帳も勤務中しか携行していない。

 勝平が警察官だと聞いて両親が戸惑うことは想定していたのでどうしようか悩んでいたけれど、結局何も持ってこなかった。莉帆は本当に警察官と出会ったのか、嘘をつかれていないか、こんなイケメンの警察官がいるのか、という顔で両親は莉帆と勝平を交互に見た。

「物がなくても、私が証明する」

「あ──そういうことか」

 元彼との一連の事件で助けてくれたのはいつも勝平だったと話すと、両親は〝それなら〟と納得してくれた。二人とも元彼が刑務所から出てきたときのことを心配していたけれど、勝平が近くにいることで安心したらしい。

「まさか莉帆がこんな、格好良い相手を連れてくるとはなぁ……」

 父親は喜んではいるけれど、複雑そうな顔だ。

「前に莉帆に聞いたんやけど、勝平君から莉帆に──お付き合いの話してくれたって、ほんまなん? 莉帆じゃなくて?」

 莉帆が何度言っても母親は信じてくれず、莉帆が勝平に一目惚れした、と思い込んでいた。だから母親は勝平に確認したけれど、もちろん彼は莉帆が正しいと言った。

「まず──、一回ふられてて」

「ええっ?」

「他にも気になる人がいて、決めれんかったみたいです」

「ふぅん……。その人も、格好良いん?」

「うん」

 莉帆が迷わず返事をすると、勝平は少し不服そうな顔をしていた。

「それ、僕の同期なんですが、来年から海外に行くことが決まってて、先月、送別会したんです。そのとき──旅行で一緒やったから、莉帆さんにも来てもらってて──時間借りてプロポーズして、受けていただきました」

「あらま……。みんなの前で?」

「はい。真剣に考えてるっていうのを、わかってもらいたかったんです。……莉帆さんとの結婚、許していただけるでしょうか」

 勝平がまっすぐに父親に聞くと、父親は俯き、母親は笑顔で『どう?』と聞いていた。

「莉帆は、大丈夫なんか? サラリーマンとは違うから、大変やぞ?」

「それは何回も考えた。最初は不安しかなかったけど、今は相談できる人もいるし──守る、って言ってくれたから」

 莉帆が勝平を見ると、彼は照れていた。実際は〝守らせてくれ〟と言っていたことは秘密にしておく。

「そうか……。それなら勝平君、莉帆のこと、よろしく頼むわ」

「──はい。ありがとうございます!」

 そらから一気に場の空気も和み、部屋でのんびりしていた祖父母もリビングにやってきた。勝平が警察官と聞いて驚いていたけれど、祖母は彼がイケメンなことが嬉しかったようで、ずっと彼を見ていた。

「ところで莉帆、指輪は貰ったん?」

「あ──うん。ここに……」

 莉帆が鞄から指輪を出してつけると、その輝きに両親は口をぽかんと開けていた。

「すごいなぁ……昔は婚約指輪は給料の三ヶ月分とか言うたけど、……何ヶ月分?」

「それは──ええと……」

「お父さん、警察とサラリーマンの給料、全然違うから」

「ああ、そうか……はは、悲しくなるから聞かんとくわ」

 実際いくらしたのかは聞いていないけれど、同年代サラリーマンの平均給料の三ヶ月分は確実に越えているだろう、と母親が言っていた。それを聞くとなかなか日常では使えないけれど、せっかくなのでしばらくは勝平とデートのときはつけることにした。

 帰りは高速には乗らず下道をのんびりドライブし、海沿いにあるショッピングモールで早めの夕食をとった。勝平はスーツだと目立ってしまうので、着替えを用意してきて車の中で着替えた。それでも莉帆の服装に合わせて綺麗目なものを選んでいるせいか、注目はされてしまっているけれど。

「勝平、顔が……」

「なに? 何かおかしい?」

「……行くときと全然違う……緩んでるというか」

「当然やん、挨拶も終わったし、着替えたし、明日も休みやし。連休なんか久々やから嬉しいわ」

 最近は時間外の呼び出しは減ったようで一日半の休みがあるけれど、それでも非番のときは気が抜けないらしい。

「どっか泊まれたらもっと良いんやけどな……さすがに無理やわ……」

 そもそも莉帆が何も用意してきていないし、勝平も上司にそんな届け出はしていない。長く一緒に過ごすには、勝平が莉帆をマンションまで送るしかない。

「莉帆──いつが良い? 入籍とか結婚式とか」

「いつが良いかなぁ……」

「年内はバタバタして無理やろうけど──なぁ、今更やけど、莉帆って誕生日いつ?」

「……教えてなかったっけ?」

「聞いてない。ごめん、いろいろ余裕なかった」

「ううん……私も忘れてた。バレンタインも、結局渡せんかったし……」

 勝平も悠斗も忙しい時期で、バレンタイン前後で予定は合わなかった。莉帆が渡せていないのでホワイトデーにも何も起こらず、そのままバーベキューの日を迎えた。

「そうか……考えてくれてたんやな……休み取ったら良かったな……」

「勝平、甘いの好きやもんなぁ。悠斗さんとイメージ逆」

「はは。よく言われたわ」

「私の誕生日……来月末」

「えっ、十二月? 年末?」

「うん。去年は違ったけど、今年は──クリスマスのイベントの日」

 勝平と悠斗が参加するイベントは、毎年クリスマス直前の土曜日に行われているらしい。

「ええっ、うそやろ? マジで?」

「うん。だから毎年、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼント一緒やったから、損した気分になってた。勝平はいつなん?」

 元気で明るくて力強いので、イメージは夏だ。悠斗のほうは穏やかなので秋や冬をイメージしてしまう。

「一緒。莉帆と一緒」

「ええっ? そんなことある?」

 勝平は免許証を出して見せてくれた。生まれた年は違うけれど、日付は莉帆と同じだった。

「嘘やぁ……びっくりした……。それでいろいろ似てたんかな?」

「……かもな。どうする? 誕生日にする? 違う日が良い?」

「違う日が良い。入籍は──三月末が良い」

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