夜が連れてきた男

梅丘 かなた

夜が連れてきた男【カクヨム版】

   1



 ある晩、ロディンはゲイバーで飲んでいた。

 彼の年の頃は、二十代半ば。

 まだ恋愛もセックスも、経験がなかった。

 そこで、彼は自分に合う相手を、このバーで探していた。


「君、なかなか可愛いね。一緒に飲まない?」

 柄の悪い男が、ロディンの隣に座ってきた。

 ロディンは、無言でうなずいた。

 男は、聞いてもいない自慢話を始め、ロディンを辟易へきえきさせる。

 男は、ふとロディンに抱きついてきた。

「やめてください」

 ロディンは、男から逃れようとするが、男の力は強かった。

 男は、ロディンにキスしようと、顔を近づける。


 ところが、男の動きが急に止まった。

 別の男が現れ、彼をつかんだようだ。


 現れた男の年齢は、四十がらみで、黒いスーツを着ている。

「邪魔するな」

 つかまれた男は、スーツの男に殴りかかろうとするが、スーツの男は、男の手首をつかみ、ぐいっとひねった。

 男は、悲鳴を上げようとしたが、声にならない。

「邪魔なのは、お前だ。失せろ」

 スーツの男は、冷たい声を放つ。

 男は、店の外へ逃げていった。


「ありがとうございました。何かお礼がしたいです」

 ロディンが言うと、スーツの男は優しげにほほ笑んだ。

「ならば、一緒に飲まないかね?」


 男の名は、ゼルドといった。

 店にワインをボトルキープしており、それを店員に頼んだ。


 ゼルドは、ワイングラスを口につけた。

 ロディンは、そのワインの赤い色を見ていた。

 彼は、すでにゼルドの雰囲気に魅了されている。

 ロディンは、年上の男が好きで、ちょうどこの男が持つ成熟した雰囲気が好ましかったのだ。


 ロディンと、ゼルドは、ある程度酒を飲んだ後、店を出た。


 ゼルドは、自宅のほかに、小さな隠れ家を一軒持っているという。

 二人は、そこへ向かった。



   2



 ゼルドの隠れ家は、ゲイタウンの近くにあった。

 夜の静けさの中、ロディンとゼルドはソファーに腰かけている。

 ソファーの隣には、ダブルベッド。

 薄暗い室内には、蓄音機もあり、壁には絵画が掛かっていた。 

 

 ゼルドは、蓄音機まで歩いていき、棚からレコードを一枚取り出した。

 彼は、無言で音楽をかけた。

 蓄音機から、ピアノの小品が流れ始める。

 ロディンが聞いたことのない曲だ。


 ゼルドが、再びソファーに座ると、ロディンは彼に聞いた。

「あなたは、恋愛の経験はありますか?」


「それなりにね。しかし、それほど多くもない」

「僕は、恋愛がしたいんですが、なかなかいい出会いがないんです」


「人生には、ターニングポイントとなる出会いが必ずあるものだ。

 焦らなくてもいい」


「でも、もしこのまま独りで終わってしまったら、と思うと不安で」

「君は、今、おいくつだ?」

「二十四です」

「それなら、まだまだ出会いはあるだろう」

「そうですよね」


 ロディンは、にわかにピアノの曲が激しい調子になったのを、ぼんやりと聞いていた。


「君が良ければ、俺と恋愛を始めてみないか」

 ゼルドは、言った。

「僕なんかでいいんですか」

「君と始めてみたいんだ」


「すごく嬉しいです。よろしくお願いします」

 ロディンは、思いがけない僥倖ぎょうこうに、満面の笑みを浮かべた。



   3



 それから、ロディンとゼルドは、たびたび隠れ家で会った。

 ゼルドは、音楽や絵画などの芸術に詳しく、ロディンの知らない知識を色々持っている。

 気性も温厚で優しく、恋愛には完璧な相手だった。


 ロディンは、ある日、満たされた思いで、ゲイバーに飲みに行った。

 カクテルを飲んでいると、背後から、二人の男が話すのが聞こえた。

「ロディンって、あいつ?」

「たぶん、そうだ」


「“箱舟庭園はこぶねていえん”の館長と付き合うなんて、あいつもなかなかのやり手だよな」

「付き合っているんじゃなくて、“箱舟庭園”の男娼なんじゃないのか?」


 ロディンは、この会話を聞き、不審に思った。

 “箱舟庭園”って、何だろう? 館長? 男娼? なぜ、そんなキーワードが自分と関係あるのだろう。


「ちょっと、今の話、どういうこと?」

 ロディンは、男たちに向かって、強い口調で問いかけた。


「何でもないです」

 彼らは、ロディンに話しかけられ、驚いている。

 すぐに席を立ち、逃げ出してしまった。


 そこで、ロディンは、ゲイバーのママに聞くことにした。

 ママは男だが、そう呼ばれている。

 ゲイタウンの事情に詳しいことは確かだ。

「“箱舟庭園”って、何ですか?」


「本当に知らないのか? ゲイタウンでも有名な男娼館のことだよ。

 つまり男娼を集めた洋館。

 当然、客が金を払って、そこにいる男娼を選んで、抱くというサービスだ」


「ゼルドさんは、そこの館長なんですか?」

「そうみたいだよ」


 ロディンは、ゼルドが男娼館の館長だろうが構わない、と考えた。

 噂が本当だとしても、自分とゼルドの愛は始まったばかり。

 そんな些細なことで、この恋を諦めたくはない。



   4



 ある夜、ロディンは、ゼルドの隠れ家で、彼と会った。

 ロディンは、緊張しながら、彼に問う。

「“箱舟庭園”って、知っていますか?」

「ああ」

「ゼルドさんは、その男娼館の館長なんですか?」

「そうだとしたら、君はどうする? 俺と別れるか?」

「そうだとしても、別れません」


「そう、まさに俺は“箱舟庭園”を仕切る館長だ。失望したかね?」


「正直に言えば、男娼館とは何の関係もない方がよかった。

 ですが、男娼館の何が悪いのです?

 男の欲望を叶えているだけだ。

 ゼルドさんは、悪い人ではない」


「俺と付き合えば、君はあらぬ噂に傷つくことになるだろう。

 いや、すでに傷ついているはずだ」


「かまいません。それより、ゼルドさんを失う方が怖い」

 ゼルドは、無言でロディンを抱き寄せた。



 ゼルドは、丁寧にロディンの服を脱がせ、自分も脱いだ。

 激しい行為が一時間続き、ロディンはついに果てる。

 快感が汗となって、全身を伝っていくような、そんな感覚だった。


 行為が終わると、ゼルドは、ロディンをそっと抱きしめた。

 ロディンは、至福の中、ゼルドの体温を感じていた。



 ゼルドは、レコードをかけた。

 テナーサックスが奏でる、退廃的な音楽が蓄音機から流れだす。

 ロディンは、胸の中が充足感に満ちていくのを感じた。

 ゼルドは、ベッドに戻り、ロディンの手を握った。

 ロディンは、ゼルドの手から、ぬくもりを感じた。

 ただ一人の恋人が持つ、手のひらの温度は心地よい。

 部屋を満たすサックスの音色を聞きながら、ロディンは目を閉じた。


 ロディンは、この時を、ずっと待っていた。

 彼は、ずっと、夜が誰かを連れてくると確信していた。

 実際に、夜はゼルドを連れてきてくれた。


 ロディンは、ゼルドの手を強く握った。

 ゼルドは、さらに強い力で、ロディンの手を握り返した。

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夜が連れてきた男 梅丘 かなた @kanataumeoka

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