〈6〉 ③
広い駐車場には、白いセドリックが一台きりで停まっていました。小さな喫茶店にはやはり灯はありません。
駐車場には紫色のコートを羽織った女の子たちが集まっていました。歩たちが近づくと女の子たちの群が割れました。
ヒロムとリナが、歩たちを待っていました。花道を通ってふたりの前に進みます。
厭な予感がしました。ヒロムはともかく、リナまでもが仏頂面だったからです。
歩の足が鈍ったせいで、手をつないだままのさなえを引き留めるかたちになりました。
不思議そうにさなえが振り返ります。刹那、さなえの顔色が変わります。
女の子たちが歩とさなえをすっぽりと囲んでいました。
リナが歩の肩を抱き寄せました。さなえとつないでいた手が剥がれていきます。やんわりと、それでも抗えない力でリナは歩をヒロムの隣に立たせました。
女の子の垣根から出てきた子が、さなえの膝裏を蹴りつけました。崩れ落ちたさなえの両腕を捻り上げて、膝立ちにさせます。
「どうして……」
つい先ほどまで同じ集団の仲間として走行していたのに、どうして急にさなえを押さえ付けるのか、歩にはわかりません。
さなえも戸惑ったようにヒロムを仰ぎます。
「おまえよぉ」と眠たそうにヒロムが口を開きました。「今日、誰積んで走ってた」
はっとさなえが歩を見ます。
「ソレは最初、誰の
ようやく歩もヒロムが言わんとしていることを悟ります。
「おまえ、リナに恥かかしたって、わかってっか?」
歩がリナのバイクからさなえのスクータに乗り換えたことで、さなえが責められているのです。
「わたしが」
「歩ちゃん」
さなえを選んだのは自分だと告げようとした歩の頬を、リナが包みました。優しく慈しむように、リナの湿った掌が歩の顔を辿ります。「しぃ」と耳朶に囁きが落とされます。
「なにも言わなくていいの。歩ちゃんはなにも悪くないんだから」
「でも……」
「歩ちゃんには、酷いことをしたくないの」
明確な脅しでした。
膝が震えました。腕に力が入らず、リナを振りほどくことができません。さなえの背にしがみつき過ぎたせいでしょうか。
「さなえよぉ」とヒロムが自分の爪を弾きながら、つまらなさそうに言います。
俯いたさなえの頬が青白くなっていました。
「今日、どこで走ってた?」
「……リナさんの、後ろです」
「偉くなったなぁ、ああ?」
ヒロムの靴底がさなえの頭を踏みつけました。
勢いよく、さなえの顔が駐車場に叩きつけられます。さなえが体を起こすと、つぅと垂れた血が彼女と地面とをつなぎました。
「すんません」とさなえは血を拭うこともなく詫びます。
さなえのスクータに乗ったのは歩です。さなえを集団の中央に呼んだのはリナです。周りの子たちだって道を空けて誘導してくれました。なにひとつ、さなえのせいではありません。
それなのに歩はリナに肩を抱かれて、さなえを見下ろしていました。さなえの枯れ草色の髪が全然関係のない女の子たちによって蹴られ、掴まれて引っこ抜かれていくのを見詰めていました。
周囲の女の子たちは代わる代わる暴行に参加しては、飽きたように次の子に場所を譲っていきます。
歩に触れているリナの手が震えていました。振り仰げば、リナの唇が醜く、笑みに歪んでいます。震えているのは、歩でした。立っていられないくらい、膝が笑っています。
ヒロムは最初のひと蹴りを加えたきりで、腕を組んで傍観していました。
どれほど経ったのか、ヒロムがパンツのポケットから煙草を取り出しました。暴行に参加していた女の子のひとりが弾かれたように駆け寄り、ヒロムの煙草に火を灯します。
太った紫煙を吐いて、ヒロムは「なぁ」と女の子たちを見回しました。
「パンツ脱がせろや」
ふふ、とリナが笑いました。体を丸めて倒れ込んださなえを取り囲んでいた女の子たちは、戸惑うように互いの顔を窺っています。
「はよやれや」と低い命令に、女の子たちが慌てて動きます。
さなえのベルトが外されました。スクータに同乗した歩が握りしめていた命綱です。抵抗するさなえの足が女の子の顔を蹴り飛ばし、別の子から拳を叩き込まれます。
紫色のパンツがずるずると引き抜かれ、素足があらわになります。真新しい擦り傷と古いかさぶた、赤と青の痣がまだらに散った、細い脚でした。
瞬間的に、さなえの母親が思い浮かびます。
テレビの中でうごめいていた彼女の母親の脚はふわふわとした肉に包まれていました。同じ脚なのに、全く別の部位のようです。
「全部脱がせぇ」と女の子をけしかけるヒロムは、ひどく楽しそうです。
下半身を覆うものを全て奪われたさなえは体を丸めて動かなくなりました。
ヒロムがさなえの傍に座り込みます。ふう、と紫煙を吹きかけながら「なあ」と優しく囁きます。
「おまえが舐めた真似するから、悪いんやろぉ? なあ。詫び入れんとしゃあないて、おまえもわかるやろぅ、なあ」
なあ、とヒロムの手がさなえの素足の付け根に触れました。短い悲鳴が上がります。
ヒロムの手には、煙草がありました。火が赤々と息づいています。「なあ」と繰り返しながら、ヒロムは何度もさなえに煙草を押しつけます。足の付け根、尻、そのたびに白い煙が噴き上がり、さなえが体を捻って悲鳴を上げます。
「足」と口を挟んだのはリナです。「開きなさいよ」
ヒロムが怪訝な顔をしましたが、女の子たちは速やかにさなえの体を押さえ付けて両脚を開かせます。
ふっと歩を支える力が緩みました。リナが歩を手放し、さなえの前に立ちます。ヒロムの手からリナへと、煙草がわたります。
止めなければ、と思うのに、体が動きません。歩は駐車場にへたり込みます。さなえと、目が合った気がしました。
これまでとは比べものにならない悲鳴がさなえの喉から迸ります。体が打ち上げられた魚のように跳ねています。
「やだ、くさぁい」くすくすとリナが笑います。周りの女の子たちも同調して声を漏らすようです。
卵を黒焦げにしたような臭いが漂います。血と肉が焼ける臭いに、酸っぱい胃液の臭いが加わります。
「きったね」ヒロムが立ち上がり、後退ります。「こいつ、吐きやがった」
「自分で片付けなさいね」
リナが煙草を指先で弾いて捨てます。火が消えて、粘液と血にまみれていました。
「歩ちゃん」振り返ったリナは、いつも通りの笑みを浮かべていました。「お肉、食べにいかない? 焼き肉」
歩は、動けませんでした。
首を傾げたリナが、歩の腕をとって立たせてくれます。砂利が食い込んだ膝を払い、耳から「鬼」の字が刺繍された大きなマスクを外し、指の一本ずつを丁寧に折りたたんで握らせてくれます。
「ご飯、一緒に行こうよ。ご馳走してあげる」
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