3 たとえ、皆を欺く行いであろうとも


 ――前国王は、控えめに言っても愚王だった。


 二神が天から遣わしたとうたわれる聖杯は、国内に点在する六か所の神殿に安置されており、三年に一度、国王が御幸みゆきし、聖杯に魔力を奉じる『聖杯の儀』を行うのが、代々の国王に定められたしきたりだった。


 だが、前国王はこの『聖杯の御幸』を好まなかった。


 聖杯を巡る御幸は二か月近くに及び、聖杯に魔力を捧げなければならぬ国王の負担はかなりのものになるらしい。


 前国王は、安楽な王城を出て不便な旅を強いられることを嫌い、本来三年に一度のはずの御幸は、次第に六年に一度になり、九年に一度になり……。治世の末期には、ほぼ行われなくなった。


 もちろん、各領地を治める貴族達も手をこまねいていたわけではない。


 聖杯に魔力が捧げられなければ、周辺地域の収穫量が減り、やがては不作になるという現実的で重大な問題がある。


 だが、聖杯を満たすことができるのは、二神の加護を受ける王族の魔力だけ。質が違うのか、魔術師達の魔力では、どれほど魔力を捧げても、ほんのわずかしか満たせない。


 もともと、国王の御幸となれば、大勢の従者がつき、身の回りの道具から食料、料理人や理髪師など、まるで王城がまるごと移動するようなものだが、ことのほか安楽を好む王のために、貴族達はなんとか自分の領地に国王を招こうと、躍起になってぜいを尽くした。


 だが、最初は貴族達の趣向に目新しさを感じて御幸していた国王が慣れてしまうのは、あっという間のことで。


 そんな王に、貴族達は何とか自領へ来てもらおうとさらに贅を尽くして王をもてなし、それを知った王は聖杯にそそぐ魔力を制限してさらなる饗応きょうおうを得ようとし……。


 結果、収穫量は低迷したまま、国王を招くための費用だけが増大することとなった。


 特に費用がかかる王都から遠い領地の貴族の中には、国王を招くこと自体を諦め、細々とやっていくことを決めた貴族達も出たほどだ。


 本来、聖杯の旅は貴族が国王を招くものではなく、国王自らが巡ることが為政者としての義務だというのに。


 国王が御幸を好まぬのなら、国王の代わりに他の王族を、と考える貴族もいた。


 だが、唯一の王子であるデルナリスもまた父に似た贅沢を好む性格であり……。


 このまま、国力が低下するのを指をくわえて見ることしかできないのかと、多くの貴族達が諦めと絶望に囚われかけた時、彗星すいせいのように現れたのが、王都からもっとも遠い領地を持つ公爵であるネベリスだった。


『聖杯の儀を行わぬ王は王にあらず!』


 と、これまで数多あまたの貴族達が内心で思いながらも、王の機嫌を損ねることを恐れて口に出さなかった正論を真っ向から叩きつけたネベリスは、同時にいただくべき新しい王として、アレンディスを担ぎ上げ、各地の貴族達に蜂起ほうきを促した。


 アレンディスは前国王の庶子である。


 五年前に王妃を病で亡くす以前から女性関係の華やかだった前王に、庶子がいた自体は、驚く貴族はいなかった。


 むしろ、王族の血を引いていれば聖杯に魔力を捧げられるのだから、どこかに王の落とし子がいないのかと、隠し子探しが行われたことがあるほどだ。


 アレンディスの存在が貴族だけでなく民衆の度肝を抜いた理由は、突如、表舞台に現れた彼が、ネベリスが治める公爵領に安置された聖杯を己の魔力で満たしたからだ。


 収穫量の多寡が生活の苦しさに直結する民にとっては、母親が誰であろうとも、聖杯を魔力で見たし、豊かな恵みを約束してくれる王こそが、真の王。


 また、国王を招くための多額の費用にあえぐ貴族達にとっても、『今の国王を見限り、アレンディスを新王としていただくならば、代々の王家のしきたりにのっとり、聖杯の御幸を復活させよう』というネベリスの宣言は、吉報以外の何物でもなかった。


 おそらく、アレンディスの存在を公にする前に、ネベリスは水面下で根回しし、かなりの貴族を掌握していたのだろう。


 アレンディスを新王に、という声は燎原りょうげんの火のように国中に広まり、圧倒的な数の貴族と民衆を味方にしたネベリスは、ほんのわずかな貴族の支持だけにすがる前国王と前王太子をたった一度の会戦で撃破し、その会戦で王太子はアレンディスの手により戦死。捕らえた国王は処刑された。


 おそらく、短期決戦すらネベリスの思い描いていた絵図どおりだっただろう。オルディアン王国には、長期の内乱に耐える国力はすでになかったのだから。


 もし内乱が長引いていれば、早晩他国の介入を招いていたに違いない。


 セレスティアは『冷血宰相』と陰であだ名されるネベリスをそっと見やる。


『王家から降嫁した王女を祖母に持つ、前王太子の婚約者』 


 政治的に危険極まりないセレスティアがいまだ生き長らえているのは、ひとえにネベリスの判断ゆえだ。


 自分の身はどうなってもいい。


 けれど、前国王派の筆頭としてネベリスに処刑された父の跡を継ぎ、幼い身でマスティロス公爵となった可愛い弟・セルティンの身だけは何としても守らなくては。


 そのために。


(何としても、『聖杯の儀』を無事に終わらせなくては……っ!)


 セレスティアは固く唇を噛みしめる。


 たとえそれが、新王の即位に喜び湧き立つ民や貴族達をあざむく行為であろうとも。



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